雑誌「エネルギービュー」2011年5月号

雑誌「エネルギービュー」((株)エネルギーレビューセンター)2011年5月号を読んだ。
3月11日に起きた東日本大震災で被災した福島原子力について、いろいろ記事が載っているのでメモ。

巻頭は、科学ジャーナリストで元読売新聞論説委員の、中村政雄さんへのインタビュー。
原発事故についての報道ぶりについて――。

「これまでの原子力報道では不正確と偏りが目につきましたが、今回は新聞もテレビもよかったと思います。各社よく勉強していたし、記事が社会的混乱を招くことがないよう、気を遣っていました」

ただ、「一部の新聞社系週刊誌にはひどい見出しの記事がありましたが」と、中村さんはつけくわえている。
それから、原発見直しについてはこう。

「原子力発電に代わって風力発電や太陽光発電を進めるべきだ、エネルギーの使い方を減らして質素な生活に戻るべきだとか、いろんな考え方があります。風力発電や太陽光発電は、今回の津波では跡形もなくやられたでしょう。国土の狭い日本では原子力発電に代わるほどの発電量は無理でしょう。社説で節電を説く新聞社も、電力需要が多い日中に輪転機を回す夕刊を廃止するとか、太陽電池で輪転機を回すことはしないでしょう。小さな節約は大切ですが、個人や企業の生き方を大きく変えるのは難しい。だが、これまでの多消費型の価値観に人類が変更を迫られていることは確かでしょう」

その次は、金木雄司編集長による「福島原子力事故の衝撃」。

「原子力関係者は常々電源喪失などあり得ないこと、五重の壁に防護されている原子炉建屋内に放射性物質は閉じ込められるので外部に漏れることはない、という論陣を張って原子力理解活動を展開してきた」

「今年1月号で創刊30周年を迎えたエネルギー専門誌の本誌は、無資源国のわが国にとって原子力発電は必要なエネルギー源との認識に立ち、原子力界の論法に沿って「広く詳しく正確な情報・評論」を展開してきただけに、福島第一原子力発電所の被災事故は痛恨の極みである」

「大津波の襲来を受けながら東海第二発電所、福島第二原子力発電所、女川原子力発電所は「止める」「冷やす」「閉じ込める」機能が働いて、運転中の原子炉は無事冷温停止に至っている。どうして福島第一原子力発電所が全電源を失うことになったのか、事故収束を待っての徹底的な検証が求められるところである」

そのつぎは、本誌編集部による特別リポート。
タイトルは、「福島第一原子力発電所が被災 大津波で全電源喪失し事故に 甚大な被害、収束に全力投入」。
地震発生当日から、3月一杯までの推移が表にまとめられている。
何時何分に何が起こったかが記されていて、とてもわかりやすい。

ほかに、放射線医学総合研究所元科学研究官、市川龍資さんが回答する「放射線による健康影響は―Q&A」。
高エネルギー物理学研究所(現高エネルギー加速器研究機構)名誉教授、NPO法人放射線安全フォーラム理事長、加藤和明さんが回答する「読者の疑問に答える 福島原子力事故の対応は」など。

「暮らしと経済情報」というコーナーには、計画停電についての記事が載せられていた。
東電、東北電力が足りないなら関西、北海道から電気を応援してもらえばいいという理屈をTVでだれかがいっていたのを観たけれど、それには量の限界があるのだそう。
北海道、関西からの援軍は160万キロワットに限られるとのこと。

また、計画停電を早期に知らせることにも問題があるそう。
夜の計画停電は犯罪を誘発する恐れがあり、カリフォルニア州での計画停電では盗難が激増したという――。
なるほど、そういうこともあるのか。

「読者の疑問に答える 福島原子力事故の対応は」では、回答者の加藤和明さんが、今回の事故における人災の要素について、「政治家、学者をはじめ国民各層にみられる学力低下」を挙げているのが印象的だ。

福島原子力事故とははなれるけれど、カリフォルニア大学客員教授、小谷部一郎さんによる、「計量経済学と八百長相撲」という記事も面白かった。
「9年前に、アメリカの経済学者2人が、計量経済学の経済効率数値を使って、八百長相撲の「実態」を解明していた」という記事。

この2人経済学者は、シカゴ大学経済学部教授のS・レベット博士と同僚のM・ドゥガン博士。
論文のタイトルは、「Winning Isn’t Everything:Corruption in Sumo Wrestling」(勝つことだけがすべてではない:大相撲における不正行為)。
2002年12月にでた学術雑誌「American Economic Review」に発表されたそう。

記事は論文を手際よく紹介。
それによれば、2人の経済学者は、八百長が発覚した場合どんな対策がありうるかまで考えてくれているというのだから驚く。
学問というのはえらいものだ。

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佐藤忠良さん亡くなる

彫刻家の佐藤忠良さんが亡くなられたと知り驚く。
ろくにメディアに接しない生活を送っているので、知るのが遅い。
美術館でみた、落葉の水彩画や木のスケッチなどを思いだす。
なにを描いても清明さがあるのが心地よかった。
ご冥福をお祈りします。

以前みた展覧会のメモをとっていたので、リンクを貼っておきます。
「彫刻の〈職人〉佐藤忠良」と「大きなかぶ」(再掲)


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「エネルギーレビュー」、田村隆一、長田弘

雑誌「エネルギーレビュー」2011年4月号の巻頭に、編集長金木雄司さんによる「読者の皆さまへのお詫び」と、株式会社エネルギーレビューセンター代表取締役長田高さんによる、「東北地方太平洋沖地震の被災者の皆さまへお見舞い」という文章が載せられている。

「お詫び」というのは、発行日を遅らせてしまったこと。
なぜ遅れたのか。
当初、「原子力発電所の地震安全」というテーマで特集を組んでいたところ、地震が起き、内容を変更したためだという。

「本誌は「広く詳しく正確な情報・評論を」を標語に掲げていることに鑑み、特集企画を当初の内容どおりに大地震発生直後に発行することは相応しくないと判断し、急きょ内容を差し替えて発行することにした次第です」

差し替えた結果の特集は、「風力発電は新エネの柱」。
「エネルギーレビュー」をさかのぼって読んでいけば、原発の安全性にかかわる言葉がいくつか拾えることと思う。
大きな図書館には置いてあるだろうか。

「鳥と人間と植物たち」(田村隆一 徳間書店 1981)
副題は、「詩人の日記」。
というわけで、本書は日記風のエセー。
晩年の軽みには欠けるけれど、面白くてひと息に読んだ。
余勢をかって、手元にあった「すばらしい新世界」(新潮社 1996)と「自伝からはじまる70章」(思潮社 2005)まで再読。

「鳥と人間と植物たち」の終わりのほうに、スコットランドに旅行にいったことが書いてある。
これは、平凡社カラー新書のためのウィスキーの取材だった。
このとき同行したカメラマンが、いま時代小説作家として名高い佐伯泰英さん。
そのときの旅行の模様やその後の交流を、岩波のPR誌「図書」2011年2月号に書いている。

それによれば、スコットランド取材中、パリに寄った田村隆一は、パリのビストロで、同行していた愛人の父親と遭遇したのだそう。
この話、さっぱりしていてやけに面白い。
「鳥と人間と植物たち」では、この愛人は〈家内〉として登場する。
これもなにやら面白い。

田村隆一と愛人だか家内さんは、佐伯泰英さんの近所に引っ越してきて、しばらくゆききがあったそう。

〈私と娘が田村を訪ねると、気遣いの詩人は必ず、
 「おい、ざるを三枚頼め」
 と、蕎麦屋から出前をさせ、自分はベッドに仰向けに寝たまま、蕎麦を手繰った。娘と私もベッドの脇の床に胡坐をかいて蕎麦を啜った。〉

〈時に蕎麦にむせた田村が床の上に転がり落ちてくることもあったが、私たちは慣れっこだった〉

「田村隆一全集」(河出書房新社)の最終巻、6巻目が先月めでたく出版されたそう。
これは、毎日新聞(3月28日夕刊)の「詩の波 詩の岸辺」という欄に書いてあった(この欄、はじめてみたけれど、このときが最終回だった)。
書き手は、松浦寿輝さん。
松浦さんは、田村隆一の第一詩集「四千の日と夜」のなかの「立棺」を引用し、この詩集ができるまで敗戦から11年という歳月が必要だったのだから、今回の地震が才能ある詩人によって詩篇として結実するのにも同じくらいの歳月がかかるだろう、と書いている。

その「立棺」の冒頭はこうだ。

〈わたしの屍体に手を触れるな
 おまえたちの手は
 「死」に触れることができない〉
 ……

「詩ふたつ」(長田弘 クレヨンハウス 2011)
ちょっと前の毎日新聞に、この本の紹介がでて、びっくりした。
出版されたのが去年の6月だから、いかにも遅い。
ひょっとしたら、今回の地震で思い出されたのかもしれない。
危機のとき思い出されるのは、散文よりも詩だと思う。
たしか、同時多発テロのときはオーデンの詩が改めて読まれたのではなかったっけ。

「詩ふたつ」は文字通り、「花をもって、会いにゆく」と「人生は森のなかの一日」という二つの詩に、クリムトの絵を組みあわせた詩画集。
静かで、品があって、美しい。
毎日新聞の紹介は、「花をもって、会いにゆく」からの引用だったから、ここでは「人生は森のなかの一日」から引用しよう。

〈わたしは新鮮な苺をもってゆく。
 きみは悲しみをもたずきてくれ。〉


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「寒い国から帰ってきたスパイ」「暗くなるまで待て」「世界文学を読めば何が変わる?」

「寒い国から帰ってきたスパイ」(ジョン・ル・カレ 早川書房 1978)
訳は宇野利泰。

名高いスパイ小説だけれど、読んだことがなかった。
ジョン・ル・カレの作品自体、読むのははじめて。
ストーリーは、英国情報部ではたらく主人公がわざと落ちぶれ、東独のスパイを引きつけ、金のためを装って情報を流し、ある東独情報部員の失脚を狙うのだが…というもの。

描写を積み重ねて読ませるストーリーテリングが素晴らしい。
さすが名作。
驚いたのは、本書は法廷ものでもあるということ。
スパイ小説のクライマックスは活劇だろうと思っていたのでびっくりした。

皆で話しあって結論をだすということは、法廷ものは広義の会議小説に分類されるだろう。
会議小説なんてジャンルはあるかどうか知らないけれど、英米の小説を読んでいると、むこうのひとたちは会議小説がものすごく好きなんだなあと思う。
「指輪物語」でも、ホビットたちが旅にでるのは会議に出席するためだった。
この発想は、日本の小説にない気がする。

とても楽しんで本書を読了したけれど、疑問がひとつ。
主人公とヒロインが恋仲になっていなかったら、一体どうしていたのだろう。
この点、読んでいる最中は気にならないけれど、いささか無理があるような気がする。


「暗くなるまで待て」(トニー・ケンリック 角川書店 1984)
訳は上田公子。

これもスパイ小説。
でも、「寒い国…」とくらべたらずっとファンタジック。
ファンタジックなのは、アイデアの芯に架空の発明がつかわれているせいだ。

人間に「夜間視力」を発現させる薬品を開発した軍が、テストをおこなうために主人公に接近。
主人公は軍の実験に協力するが、同時に「夜間視力」をほしがる外国のスパイにも狙われるはめに…というストーリー。

「夜間視力」というのは、夜、昼間と同じようにみえるけれど、昼間はまるでみえなくなってしまう。
そこで、ボランティアで目が見えなくなったひとの手助けをしている主人公に白羽の矢が立った。
そればかりでなく、主人公には軍の要請を断れない過去がある。
つまり、だいぶキャラクターに寄りかかってストーリーが構築されているので、ここで、あんまり都合がよすぎるじゃないかと思うひとは、本書を読み通せないだろう。

でも、ユーモラスな筆致と要所要所の描写は、さすがケンリック。
後半は活劇につぐ活劇。
そして、ラストはどんでん返しにつぐどんでん返し。

サービスたっぷりで、とても面白かった。
と、いいたいのだけれど、個人的には残酷味が強すぎた。
もうちょっと軽いほうがよかった。

訳者の上田公子さんは、本書の前作、「バーニーよ銃をとれ」を書いているとき、ケンリックの頭に「夜間視力」のアイデアが浮かんだのではないかと推察している。
それにしても、よくまあ、ひとつのアイデアを転がして、うまく小説に仕立て上げられるものだ。


「世界文学を読めば何が変わる?」(ヘンリー・ヒッチングズ みすず書房 2010)
副題は「古典の豊かな森へ」
訳は、田中京子。
編集者は、成相雅子。

本書は、世界の古典文学や読書や教養について記したエセー。
面白そうだと思ったのだけれど、語り口がうるさくて読めなかった。
3800円もするのにつまらないなんて、悲しくてやりきれない。
38円だったらよかったのに。


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