Made by hand、タブッキ、メビウス、ドライヴ

忙しくて、更新もままならない。
4月を甘くみていた。
なんという忙しさだ。

それでも本は読んでいる。
とりあえず、最近読んで面白かった本のメモを少し。

「Made by hand」(マーク・フラウエンフェルダー オライリー・ジャパン 2011)
これは、なんでも自分でやってみようと思ったアメリカ人のエセー集。
工作し、園芸し、改造し、飼育する。
ギターをつくり、木からスプーンを削りだし、エスプレッソマシンを改造し、野菜を育て、ミツバチを飼い、ニワトリをコヨーテから守るために金網を張り、小屋をつくる。
話が具体的でとても面白いし、失敗を恐れずチャレンジする著者の姿には勇気をあたえられる。
こういう本を読んで思うのは、日本のエセーとのちがいだ。
なにがちがうのかうまくいえないのだけれど、明らかに日本のものとちがう。
最初から日本語で書かれたこんなエセーがあったら読んでみたいのだけれど、それは無理な相談だろうか。

新聞をごくたままにしか読まない。
なのに訃報に出会う。
アントニオ・タブッキが亡くなったと知り、とても驚いた。
さっそく、手元にあった未読の本を2冊読む。
「逆さまゲーム」(白水社 1998)
「黒い天使」(青土社 1998)

両方とも短編集。
タブッキの作風は茫漠としてして、そこにあるなにかを読者に察せさせるというもの。
いわば、読者に花をもたせる作風だ。
茫漠としたところに、抒情味があり、その抒情がひとを打つ。

ただ、今回読んだ2冊は、あまりにもそこはかとなさすぎて、読んでもいまひとつぴんとこなかった。
特に「黒い天使」はそう。
「逆さまゲーム」のほうがわかりやすくて面白かった。

一番好きなタブッキ作品はなんだろう。
どうも「島とクジラと女をめぐる断片」(青土社 2009)に落ち着きそうだ。
まだ、読んでいないタブッキの本が一冊部屋にあるはずなのだけれどみつけられないでいる。

フランスの偉大なコミック・アーティスト、メビウスも亡くなった。
さっそく「エデナの世界」(TOブックス 2011)を読んでみる。
日本のマンガと文法がちがうから、非常に静かな印象を受ける。
聖書のエデンの園の逸話を下敷きにしたSFで、夢から夢へ、どんどん入りこみ、さまよっていく展開が面白い。
最初のほうで、突然場ちがいにシトロエンがでてきて、シュールだなあと思っていたら、この作品はまずシトロエンの販促物として描かれたのだそう。

あと、「ドライブ」(ジェイムズ・サリス 早川書房 2006)が映画化されたというので、みにいった。
もうすぐ上映終了というころだったせいか、お客は10人くらい。
原作は読んだけれど、ストーリーはいいぐあいに忘れていたので楽しめた。
ストーリーは忘れていたけれど、印象は残っていて、もっと貧乏な感じの話かと思っていたらそうではない。
これは、こちらの記憶ちがいか、映画化にあたり少しリッチにしたのか。
原作同様、映画もシンプルなつくりで、緊張感があり、よくできていると思った。
驚いたのが、銃声の音。
最近の映画の音響にはびっくりさせられる。


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小松左京自伝

「小松左京自伝」(小松左京 日本経済新聞出版社 2008)

副題は「実存を求めて」
表紙には、本やビデオテープでいっぱいの大きな机の前に、ガウンを着て座っている小松左京の写真が。
背後は、これまた本でいっぱいの書棚。
写真の下には、「日本経済新聞社出版社」
「社」がひとつ多い。
これはまちがいだろうか。

タイトル通り、本書は自伝。
まず、最初の4分の1ほどに、「人生を語る」として、日本経済新聞の「私の履歴書」に連載された自伝が載せられている。
その後、「自作を語る」として、小松左京が70歳をすぎてから道楽としてはじめたという同人誌「小松左京マガジン」に掲載された、作品についてのインタビューが載せられている。
さらに、親友だった高橋和巳について語った「特別編」があり、資料編として主要作品のあらすじがあり、年譜と索引がある。

中心になっているのは、「自作を語る」。
聞き手をつとめているのは、小松左京研究会のかたがた。
このインタビューは素晴らしい。
小松左京の、映像作品や評論やエセーやイベントといった多岐にわたる仕事について、よく話を聞いている。
膨大な作品(短篇だけで約480作あるそう)をよく読んで、つねに全体像を念頭におきながら、個々の作品についての創作譚を聞き出している。
こんな風にインタビューされるなんて、小松左京は幸せな作家だ。

さて、まずありがたいのは、作品群をいくつかの系列に腑分けしてくれていること。
タイムスリップやタイムパラドックスものといった時間SFがある。
ポリティカルフィクションがある。
歴史小説があり、女シリーズと呼ばれる作品群がある。
社会批評(諷刺)系があり、ホラーがある。
小松左京初心者にとって、この腑分けは助かる。

そして、どの作品にもSFの手法なり発想がつかわれている。
SFの手法というのは、ものごとを相対化するということ。
このあたりの機微について、小松左京はこう明言している。

「文学は科学でさえ相対化する。だからサイエンスもフィクションにできるんだ」

初期の小松左京は、じつに多くの作品をものしている。
その背後には、大変な勉強があった。
「先生は当時(「復活の日」のころ)どんな風に勉強されていたんですか?」という質問に、こうこたえている。

「アメリカ文化センターに『サイエンティフィック・アメリカン』とか、『ナショナル・ジオグラフィック』があったんだ」

多いときは週に5日通っていたという。
「コピー機がないころだから、とにかく書き写しとくんだよ」と、こともなげにいっているけれど、これはすごいことだ。

小松左京といえば、一番有名な作品は「日本沈没」だろう。
とにかく、爆発的に売れた。
おかげでたっぷり税金をとられたとこぼしている。

「それまで年数百万円で暮らしていたのに、もし収入が何千万円になったら課税率65%。増刷を止めてくれって電話したら、そんなわけにはいきませんと(笑)」

当時の高額納税者公示制度によると、1973年の収入が1億2千万円で、文壇部門の5位。

「銀行がこれだけの収入があったということを1回通帳に載せましょうと。今は最高税率50%だから、孫に見せてやろうと思ってるんだ。日本はこんないい国になったんだよって(笑)」

お孫さんの話は、ジュブナイル作品についてのインタビューのときにもでてくる。
ジュブナイルにも目を配っているところが、このインタビューのえらいところだ。

「孫娘が「おじいちゃまのSFが小学校の図書館にありました」って言ってきたんだけど、それが「宇宙人のしゅくだい」で、あのときはうれしかったな。やっぱりちゃんと書いておかないといけないと思ったよ」

「女シリーズ」は小松作品の系譜のなかでも異色作だ。
でも、インタビューによれば、この作品もSFの発想がある。

「SF作家は異世界というものに常に興味を持つだろ。同じ人間だと思っていたら、宇宙人だったとか海底人だったとかね。異世界のルポのつもりで書いて…」

当時は大衆作家のあいだにSF作家は女が書けんという噂があり、それならタイトルに「女」とつけたのを書いてやろうとも思ったとのこと。
こういう負けん気も、インタビューのはしばしにあらわれる。
それにしても、「女シリーズ」は異世界ルポだったとは。
このインタビューを読むまで気がつかなかった。

ノンフィクションの系列からは、「小松左京の大震災’95」をとりあげよう。
小松左京は、阪神・淡路大震災に遭遇したとき、非常なショックを受けたともらしている。

「僕はあれだけ地震や地殻変動を調べてて、阪神間にあんな地震が来るとは思ってなかったんだ。関西で歴史に残っているのは文禄4年(1596年)の伏見大地震。だから京都のはずれに断層があるのは知ってたけど、阪神間にあんなのがあるとは。つまり僕の勉強が足らんという、そのショックだな」

「日本沈没」の作者にして、この言ありというところだろうか。
ほかの作家との交友についても少しだけ記述がある。
最初の長篇、「日本アパッチ族」は、開高健の「日本三文オペラ」から着想を得たという説があるけれど、そうではなかったらしい。
「日本三文オペラ」のことはぜんぜん知らずに作品を書き、その後開高健と出会って意気投合したという。

ほかにも、本書はインタビュー集らしく、雑学が満載。
京都の色街についての説明があったり、平安三部作では、ウナギの蒲焼についてのうんちくがあったり。

さて。
本書の後半には、小松左京の主要作品のあらすじ(と初出年)が、五十音順に収録されている。
作成は、小松左京研究会。
あらすじをつくるというのは、苦労が多いわりに、だれからもほめられることがない。
だから、ここでは大いにほめちぎっておきたい。
この主要作品のあらすじは大労作だ。
以下、なにが主要作品と目されたのか、タイトルだけ引用してみよう。

「青い宇宙の冒険」(ジュブナイル長篇)
「青ひげと鬼」
「秋の女」
「明日泥棒」(長篇)
「雨と、風と、夕映えの彼方へ」
「アメリカの壁」
「あやつり心中」
「飢えた宇宙(そら)」
「飢えなかった男」
「ヴォミーサ」
「エスパイ」(長篇)
「お糸」
「お召し」
「終りなき負債」
「糸遊(かげろう)」
「紙か髪か」
「神への長い道」
「牙の時代」
「極冠作戦」
「虚無回廊」(長篇)
「空中都市008」(ジュブナイル連作長篇)
「くだんのはは」
「曇り空の下で」
「劇場」
「結晶星団」
「氷の下の暗い顔」
「五月の晴れた日に」
「御先祖様万歳」
「こちらニッポン…」(長篇)
「コップ一杯の戦争」
「子供たちの旅」
「ゴルディアスの結び目」
「鷺娘」
「さよならジュピター」(長篇)
「四月の十四日間」
「時空道中膝栗毛」
「首都消失」(長篇)
「召集令状」
「人類裁判」
「第二日本国誕生」
「題未定」
「旅する女」
「地球になった男」
「地には平和を」
「継ぐのは誰か?」(長篇)
「哲学者の小径」
「天神山縁糸苧環(てんじんやまおにしのおだまき)」
「共喰い」
「長い部屋」
「流れる女」
「南海太閤記」
「日本アパッチ族」(長篇)
「日本沈没」(長篇)
「眠りと旅と夢」
「HAPPY BIRTHDAY TO……」
「果てしなき流れの果に」(長篇)
「華やかな兵器」
「BS6005に何が起こったか」
「HE・BEA計画」
「復活の日」(長篇)
「保護鳥」
「岬にて」
「見知らぬ明日(長篇)
「模型の時代」
「やぶれかぶれ青春記」(ジュブナイル長篇)
「夜が明けたら」
「とりなおし(リテイク)」

(長篇)と書いたもの以外は、みな短篇。
これをみると、自分は小松左京作品の裏街道を歩いてきたんだなと思う。
個人的に好きな「イッヒッヒ作戦」が落とされているのが悲しい。
「南海太閤記」よりも、完成度は上だと思うのだけれど。

あらすじには、作品についての情報やエピソードもおさめられている。
「HE・BEA計画」は、短編集「神への長い道」にあつめられる小松未来史の劈頭作品だとのこと。
そんなこととはつゆ知らずに作品を読んでいた。
ちなみに、「神への長い道」は小松左京が自身の作品のなかで一番好きな作品だそう。

それから、「御先祖様万歳」は、発表当時、村の所在を問い合わせる電話が編集部に殺到したというエピソードがあるとのこと。

ところで、本書には知りたかったことが2つ、書いていなかった。
それについて記しておこう。
ひとつは、小松左京が作品の完成度というものをどう考えていたのかということ。
小松作品には尻切れトンボが多い。
問題提起をしたり、アイデアを披露したりすればそれでいいと思っていたのだろうか。
それにしては、とんでもない完成度の作品もある。
今回の作品はこれくらいと、毎回落としどころを変えていたのか。

小松作品の完成度がいまひとつなのは、作者が登場人物のことを忘れて、考察をまくしたててしまうからだ。
こういうスタイルをとるなら、いっそ最初から評論なり科学エセーなりを書いてしまえばいいのにと読んでいるこちらは思うけれど、ご本人はそんなこと念頭にも浮かばなかったらしい。
中学生のころ「神曲」に心酔した小松左京は、文学を大切に思い、なによりお話が好きだった。
このインタビューのあちこちにも、お話にたいする愛着が語られている。
「僕は本当は「お話」が好きなんだ」と述べる姿は、ちょっと感動的だ。

完成度がいまひとつでも、小松作品はみんな面白く読める。
文体がエネルギッシュで、つい読まされてしまうからだ。
小松左京の文体はどこからきたのか。
これが知りたかった2つ目のこと。

このことについて、言及はなにもない。
ただ、小松左京はSF作家として認知されるまで、漫才の台本書きをしていた。
4年間で、200字詰め1万2千枚を書いたというから、すさまじい。
小松左京の文体は、ひょっとしたらこの漫才の台本書きで鍛えられたのではないかと思うのだけれど、どんなものだろう。

小松左京作品をひとことでいうと、「SFという手法をつかって戦争をえがいた」ということになると思う。
インタビューを読んでいても、戦争の影が落ちていない作品はない。
敗戦のとき14歳だった小松左京は従軍経験をもたなかった。
だから、本人いわく「戦争について書く資格がない」

しかし、SFという、なんでも相対化できる手法をつかえば、戦争について書く資格が得られる。
そして、小松左京はこの手法をつかって、戦争を端緒に、政治歴史文明人類宇宙生命そのほか諸もろについて旺盛に書き記した。
だしぬけだけれど、インタビューを読んでいて印象に残るのは、ときおりみせるナイーブな発言だ。
たとえば、高橋和巳と開高健について、「これだけは言っておくわ」と威儀を正してこう述べる。

「高橋和巳と開高健な。美の体系が生き残る理由とか、宇宙における人間の存在根拠の話をすると、彼らの目の輝きがぱっと変わるんだ。「それ大事だけど、君はどう思う」「うん。僕も考えるから、一緒に考えろよ」って言ってるうちに、二人とも死んでしまった」

すべての作品の核には、このナイーブさがひそんでいるようにみえる。
そして、その核は、14歳の少年の姿をしているのだろう。


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