謎の解剖学者ヴェサリウス

「謎の解剖学者ヴェサリウス」(坂井建雄 筑摩書房 1999)

ちくまプリマーブックスの一冊。

図書館にいくと、「どこが児童向けなんだ?」と思うような内容のものが多い岩波ジュニア新書は、たいてい児童書の棚においてある。
同じことは、ちくまプリマーブックスにもいえる。
「どこが児童向けなんだ?」という内容のこのシリーズも、たぶん児童書の棚にずらりとならんでいると思う(プリマー・ブックスは発刊をもうやめてしまったようだから、かたづけられてしまっているかもしれないけれど)。

でも、つくり手は多少とも子どもむけを意識しているらしい。
図版が多く、記述は簡潔、分量は少なめ。
それで、こちらが知らないことを、示唆に富む筆致で教えてくれる。
岩波ジュニア新書同様、子どもむけを意識した恩恵を、大人が受けることができる、ありがたいシリーズだ。

さて、先日「解剖学者ドン・ベサリウス」(ペトリュス・ボレル 沖積舎 1989)を読んだところ、手元にこの本があったのを思い出した。
読んでみると、ボレルが小説に書いたような残酷趣味はいささかもない。
ヴェサリウスは一般に近代医学の祖と位置づけられている。
それはいったいどういうことなのか、というのが本書のテーマ。

ヴェサリウスの仕事は、ひとことでいえば「人体の真実は人体にある」ということだった。

ヴェサリウス以前の解剖学者は、自分で解剖の執刀はしなかった。
助手にやらせ、自分は高椅子にすわり、文献を読み上げた。
解剖は文献の内容を確認するための作業だったので、文献の記述と人体にくいちがいがあると、文献のほうが正しいとされた。

ヴェサリウスはそうではなかった。
自分で文献を読み、自分で解剖をおこなった。
人体をもとに、文献を判断したり、批判したりした。

「科学としての医学において当たり前のことが、ここからはじまった」

ヴェサリウスの仕事で、もっとも大きなものは、「ファブリカ」という名前の解剖学書を出版したこと。
それ以前のものとはくらべものにならないほど、精緻な図版がつけられた本。
この本をつくるための膨大な仕事について、著者は思いをはせている。

まず、当時の医学の権威は、2世紀ごろの古代ローマの医師、ガレノスだった(千年以上前に生きた人物が権威になるのが、中世という時代だ)。
ガレノスの説を否定するなり、肯定するなりするにせよ、ガレノスの著作を徹底的に読みこんでおかなくてはならない。

それから、当たり前だけれど、当時はまだ解剖学用語というものがなかった。
そのため、ヴェサリウスは用語をラテン語だけでなく、ギリシア語、アラビア語、ヘブライ語でも紹介した。

さらに、図版の監督。
図柄はヴェサリウス自身がスケッチを描いて指示をだしたらしい。
それを元に、原画は画家に描いてもらわなければならないし、彫板師に原版をつくってもらわなければならない。
図版の監督はよほど厄介だったのか、ヴェサリウスはのちに「ファブリカ」の製作を回想して、画家や彫板師の不機嫌を我慢するほうが、解剖中の遺体を自宅で保管するよりもずっとみじめただったと述べているそう。

本書にはヴェサリウスの生い立ちについても記されている。
アンドレアス・ヴェサリウスは、1514年12月31日、現在のベルギーの首都であるブリュッセルに生まれた。
宮廷医師の家系で、父親のアンドリエスは神聖ローマ皇帝でハプスブルグ家のマクシミリアン1世の宮廷薬剤師を務めていた。
アンドリエスが宮廷医師になれなかったのは、その父エヴェラードの私生児だったので、正規の医学教育が受けられなかったためであるらしい。

当時最高の教育を受けたと思われるヴェサリウスは、15歳のときにブリュッセルから少しはなれたルーヴァン大学に進学。
この大学は1426年に開校され、エラスムスやトマス・モアが学んだ名高い大学。

18歳のとき、パリ大学へ。
当時、医学がもっとも進んでいたのは、北イタリア。
アルプス以北は保守的で、パリ大学も医学教育の水準は低かった。
ヴェサリウスがパリで経験した解剖は、3日間の粗雑な解剖が2回だけだったと、のちにヴェサリウス自身が述べているそう。
その少ない機会に、ヴェサリウスは積極的に執刀をかってでたという。

神聖ローマ皇帝カール5世とフランス王フランソア1世のあいだで戦争がはじまり、パリが外国人であるヴェサリウスにとって危険になったため、卒業試験を受けずに3年の滞在で帰国。
ブリュッセルにもどり、またルーヴァンへ。

22歳のヴェサリウスは、ついに医学の先進地である北イタリアのパドヴァ大学におもむく。
試験を受け、医学士の資格を認められる。
と同時に、いきなり外科学と解剖学の教授に任命されるという大抜擢をうける。
古典医学の文献が読めて、解剖の腕もいい若者が、はるか北方のベルギーからやってきたので、ひとつやらせてみようという判断が、大学側にあったのではないかと著者はみている。
ヴェサリウスは、その期待によくこたえた。
「ファブリカ」と、その要約版である「エピトメー」の出版により、解剖学を最先端の学問に押し上げた。
ヴェサリウスの当初40フロリンだった年俸は、パドヴァ大学を去る6年後には200フロリンにまで上がっていたという。

と、ここまでがヴェサリウスの前半生。
カール5世の宮廷侍医になり、またカール5世からスペイン王位を継いだフェリペ2世の宮廷侍医となった後半生については省略(ボレルの小説は、フェリペ2世に仕えていたころをもとにしたものだ)。

すごいのは、入学の記録や、年俸の金額までわかること。
さらに、ヴェサリウスの講義をうけた学生のノート、「ファブリカ」の版木、当時の骨格標本まで残っているそう。
なんてものもちがいいんだ。

また、解剖用の遺体を手に入れるための苦労も並大抵ではなかったというエピソードも、当時の世相が察せられて面白い。
ヴェサリウスはパリ大学時代、骨格の標本をもとめて、共同墓地を探索し、野犬の群れに襲われたりしている。
ルーヴァンでは、夜にわざと市外から閉め出され、絞首台から罪人の死体をひきずり下ろし、翌日に少しずつ隠しもって、町の別の門から運びこんだそう。

当時の解剖用の遺体は、処刑された犯罪者だった。
パドヴァ大学時代の刑事裁判所の判事は、ヴェサリウスに好意的で、解剖の都合にあわせて処刑時間まで調節してくれたという。

さて、最後に。
著者はダ・ヴィンチを引きあいにだしながら、ヴェサリウスが成し遂げた仕事の上に近代医学が成り立った理由を考察している。
ヴェサリウスより一世代前のダ・ヴィンチも、解剖図を残したことで有名。
けれど、そこから近代医学はおこらなかった。
それはなぜか。
著者による解答はこうだ。

「ヴェサリウスという人物にあって、レオナルドという人物になかったもの、それは学識である」

独学のひとだったダ・ヴィンチは、独学のひとらしく、解剖図も全身を網羅するには至らなかった。
いってみれば、いいとこどりのつまみ食い。

いっぽう、ヴェサリウスの学識は、人体の構造すべてを網羅するという特徴をその解剖学にあたえた。
また、それをするための枠組みをヴェサリウスはつくり上げた。

それに、ダ・ヴィンチの解剖図は一見正確そうにみえるけれど、専門家がみると、当時の通説による思いこみがあったり、ダ・ヴィンチの興味のあわせた変形が加えられていたりして、必ずしもすべて正確ではないのだそう。
ものを正確に観察し、正確に表現するということは、ダ・ヴィンチですらむつかしかったということだろうか。

また、ボレルの小説を読んだ身としては、あの小説の扇情的なおどろおどろしさが気になる。
幻想小説は、場合によると偏見を助長したり、固定したりするものなのかもしれない。

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「封神演義」 2006.5.21〈再掲〉

古典というのは、いろいろ評判を聞いて、わかったつもりになっていても、じっさい読んでみると、こちらの想像をはるかに超えていることが多い。

さすが読みつがれてきただけのことはあるな、と感じ入る。

「封神演義」(安能務訳 上中下巻 講談社 1988)もそうだった。
いやあ、こんな話だったとは。

まえがきに、この作品の由来が述べられている。
これによれば、「封神演義」は、商周の易姓革命を道教的に潤色したものであるらしい。
最初は講談だったが、明代なかばの小説勃興期に「商周演義」としてまとめられ、それが「封神演義」とよばれるようになったそう。
また、「封神榜(ぼう)」、「封神榜演義」ともよばれたりしたとのこと。

ストーリーは、まず商の紂王が、女神である女禍をまつった女禍宮をおとずれるところから。
紂王は女禍像の美しさに感動し、壁に女禍をたたえる詩を書く。

これが女禍のカンにさわった。
壁を汚すな、と腹を立てた女禍は、紂王を破滅させるため、手下を三人送りこむ。

手下のひとりの女狐は、女禍に似ているという冀州候蘇護の娘、妲妃を襲いこれに化ける。
同時に、奸臣の策謀やらがいろいろあり、 妲妃は紂王の後宮におさまり、以後は悪行三昧。

これに仙界再編のうごきがくわわる。

それまでの宇宙は、天界・仙界・人界に分かれていた。
そこに、神界というものを創設する計画が、仙界上層部で生まれた。
できの悪い仙人や、修行をしたものの仙骨がなく、下界にもどった仙人くずれをそこに押しこめてしまうのだ。

これを「封神計画」という。
不出来仙人はリスト化され、それは「封神榜」とよばれる。

そして、ここからがスゴイ。
仙人を封ずるには殺さなくてはいけない、という。

どうせ下界は王朝の交代で戦争は避けられない。
なら、この戦争を期に、リストにあがった仙人たちを皆殺しにしてしまおう。

それから、殺劫(さっこう)ということをいいだす。

たとえ仙人になっても殺しあいはしたい。
我慢するものの、1500年もすると我慢もきかなくなる。
ひとを殺すことを、「殺戒を犯す」というが、それをすることで、気がおだやかになり、心に平和がもどる。
やろう。

…なんというか、すっかり居直っている。
仙人になると、こうも居直ってしまうものか。

さて、計画遂行のために、元始天尊より命をうけたのが、太公望姜子牙(きょうしが)。
本編の主人公だ。
姜子牙は下界にくだり、封神計画を遂行する。

妲妃とは、ともに易姓革命をすすめる味方同士ともいえるが、早々に対立する仲に。

姜子牙は、釣りをしているところを文王姫昌に乞われるという有名な場面ののち、軍師となり、あとは戦争。

仙人たちは、宝貝(パオペエ)とよばれる魔法の武器をつかってたたかう。
あらわれてはたたかい、あらわれてはたたかいして、ばったばったと死んでいく。

「一道の魂魄が封神台へとぶ」
と、いうのが決まり文句。
封神台というのは、魂魄を封じておくところだ。

この作品、とにかく仙人たちがでてきては死ぬ。
だれも死んだ仙人に思いをはせたりはしない。
おかげで、 残酷な感じはぜんぜんない。
むしろユーモラスな感じ。

そうそう。
「封神演義」でも男女を結ぶ糸は、赤縄(ツシュン)とよばれていた。
やっぱり中国では、赤い糸ではなく、赤い縄のようだ。

また「繋足の縁」といういいかたもでてきた。
やはり結ぶのは足らしい。
小指に赤い糸の日本人の目には、じつに豪快に見える。

この 「繋足の縁」があったため、地中をすすむ仙術をつかうモグラ仙人、土行孫と、絶世の美女、蝉玉とは夫婦になる。
このあたり、もと講談の、路上で練られたユーモアという感じがした。
そして、このふたりもあっけなく死んでしまう。
このときは、さすがに悲しかった。


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「捜神記」 2005.8.29〈再掲〉

時代をさかのぼり、こんどは「捜神記」
読んだのは東洋文庫版(竹田晃訳 平凡社 1964年)。

解説によれば、著者の干宝(かんほう)は4世紀なかば晋の時代のひと。
細かいことはよくわからないそう。

「捜神記」は志怪小説のはしりの1冊だとも書いてある。
後漢末から六朝にかけて、儒教のちからは弱まり、知識人たちはおおいに怪力乱神を語るようになった。
語るだけでなく、記録にとどめた。
で、「志怪小説」というジャンルができたという。

「志怪」とは、「怪」を「志(しる)す」、という意味。
「小説」は、「とるにたりない小さな話」のこと。

というわけで、「捜神記」は、全編ふしぎな、とるにたりない小さな話に満ちている。

三国時代直後のせいか、ときどき三国志でなじみのひとたちがでてくる。
三国志は子どものころ夢中で読みふけった。
こんなところでまた会うとはなつかしい。

たとえば、干吉(うきつ)の話。
干吉は、呉の主君、孫策の機嫌をそこねて、雨乞いをさせられる。

注によれば、当時の雨乞いというのは、術者を裸にして縛りあげ、日にさらすものだとのこと。
仙人を縛りあげてなんの益があるのかと思うが、はたして雨がふる。
ひょっとすると、効くのかもしれない。

雨がふったのだから干吉は助かる、と将兵らは思ったが、干吉はすでに孫策に殺されていた。

以後、孫策は干吉の幻を見るようになった。

戦傷を負った孫策は、その傷が治りかけたころ、鏡で傷を見ようとした。
すると、そこに干吉がいた。
孫策は絶叫し、同時に傷がひらき、たちまち死んでしまった。
……

話はとぶけれど、鏡に死んだひとが映るという話はいつからあるのだろう。
鏡ができたときからだろうか。

べつの話。
いろんな動物に角が生える話がある。
宮中の馬に角が生える。
左耳のまえ、というところが細かい。

兎にも角が生える。
犬にも生える。
70歳あまりの老人にも角が生える。
おいおい。

これらはすべて、政治が乱れる前兆だったそう。
なんでも政治のせいにするところが中国らしいところだろうか。
この章は、話というより事項の羅列で、後代の手によって追加されたところらしい。

また、「羽衣の人」という話。
これにはびっくりした。
ずいぶんヘンテコな話なのだ。

ある男が畑仕事の途中、木陰でひと休みしていた。
すると羽衣を着た男があらわれて、男は犯されてしまった。

その後、男の腹は大きくなり、月満ちて子どもが生まれそうになった。
すると、また羽衣の人があらわれて、刀で男の腹を切りひらき、蛇の子をとりだして去った。

結果、男は去勢されてしまい、朝廷にまかり出て以上の話をものがたり、宮中で養われることとなったという。

なんだかもうよくわからない。
すごい話があったものだ。

これ以上はないというくらい、とるにたりない話もある。
「針鼠」という、ワン・センテンスの話。
ぜんぶ引用しよう。

「はりねずみは刺(とげ)がいっぱい生えているので柳の枝のあいだを通りぬけることができない」

…以上。
なんというかもう、そうですか、というほかない。
こんな話が千年以上もつたえられてきたと思うと、たまらなくうれしい。


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「唐宋伝奇集」 2005.8.29〈再掲〉

「聊斎志異」が面白かったので、手もとにある未読の中国ものに手をだす。

まずは「唐宋伝奇集」(今村与志雄訳 上下巻 岩波文庫 1988)。
唐宋時代に書かれた短編小説をまとめたもの。

時代順に編集されているよう。上巻は少々読みづらい。
下巻のほうが短い話が多く、文章も洗練されていて読みやすい。

「伝奇集」の作品は後世さかんに翻案されたから、どこかで読んだような話がたくさんある。

「杜子春」にはびっくりした。
いわずとしれた芥川龍之介の「杜子春」のもとの話。
すじがずいぶんちがっているのだ。

まず、話の枠組そのものがちがう。
芥川「杜子春」は、仙人に弟子入りする話。
伝奇集「杜子春」は、仙薬づくりの手伝いをする話。

芥川「杜子春」は、声をあげてはいけないと仙人にいわれ、数々の試練にたえる。
しかし、父母が殺されるまぼろしを見せられて、思わず声をあげる。

伝奇集の杜子春も、声をあげてはいけないのはおなじ。
それから、個々の試練がちがう。
杜子春は妻を殺され、自分も殺され、女として生まれ変わる。
結婚し、子をもうけるが、無言のままの妻に腹を立てた夫が息子を殺す。
このとき杜子春は声をあげるのだ。

なんというか、味わいが複雑でたいそう面白い。

しかもこのあと、声をあげたために仙薬がだめになったと、杜子春は仙人に怒られてしまう。
中国ものは主人公に容赦しないなあ。

「赤い縄(つな)と月下の老人」の話がまたすごい。
とんでもない話なのだ。

杜陵(とりょう)に韋固(いこ)という若者がいた。
結婚相手をさがしていたが、なかなか縁談がまとまらなかった。

あるときひとりの老人と出会った。
老人は仙人で、将来の夫婦の足を赤い縄でつなぐのが仕事だという。

ここのところ、足と足に赤い縄というのが面白い。
小指と小指に赤い糸ではないのだ。

さて、韋固の赤い縄は、いま3歳になる娘につながっている。
結婚するのは娘が17になったとき。
だからいま結婚相手をさがしても無駄だ、と老人。

老人の案内で、韋固は市場に娘を見にいった。
娘はひどくやつれていて醜かった。
ここで韋固は老人にとんでもない問題発言をする。

「殺してもいいですか」

というのだ。
寝転がって読んでいたが、このときはとび起きた。
だから結婚できないんだよ、と思わず本にむかって口走ってしまった。

話はもっとすごくなる。
韋固は発言を実行にうつす。
金持ちなので自分ではやらない。奴隷にやらせる。

奴隷は仕損じて、市は騒然とし、韋固と奴隷の主従は逃げだす。

以後は略すけれど、 こういうものすごい展開の話があるので目がはなせない。

もうひとつ。
「空飛ぶ侠女─聶隠娘(しょういんじょう)」
達人たちのチャンバラの話。
さすが白髪三千丈の国、誇張表現がすごい。

聶隠娘という娘がいた。
10歳のとき、ふしぎな尼にさらわれて武芸をしこまれた。
5年たってもどってきたが、両親は不気味に思い、もう隠娘を可愛がらなかった。

夫を得て数年後、隠娘は魏博節度使にやとわれた。
陳許節度使、劉昌裔(りゅうしょうえい)の殺害を命じられたが、劉の人柄に心服し、逆に劉の護衛をすることになった。

魏博節度使からは刺客が送られてくる。
まずは精精児(せいせいじ)。

隠娘は精精児がくることを予想していた。
手段をつくして殺します、と隠娘が劉にいったその夜、赤と白の2本の旗がたがいに攻めるように宙をただよった。

しばらくすると、頭とからだが分かれた人物が宙からころがり落ちた。
隠娘は薬をつかい、死んだ精精児を髪の毛1本のこさず水に変えてしまった。

つぎは妙手空空児(みょうしゅくうくうじ)。
腕は隠娘より立つ。

隠娘は劉の首に玉をつけさせ、自身は虫に変化して劉の腹中にひそんだ。
あとは運を天にまかせる。

夜、寝つかれない劉の首のところでカチンと鋭い音がした。
隠娘は劉の口から踊りでて、ぶじを祝っていった。

「妙手空空児は一撃して命中しないと、それを恥じて千里先へ去ってしまうのです」

その後、隠娘はいとま乞いをして旅にでた。

年月がすぎ、劉は亡くなった。
その息子が陵州に赴任する途中、隠娘に出会った。
隠娘はまったく変わっていなかった。

赴任先で大変な災難に遭いますよと、隠娘は忠告したが、劉はあんまり信じなかった。
隠娘は贈物をなにひとつ受けとらず、ただ酒にしたたか酔って去ったという。

――この、酒にしたたか酔って去ったというところがたいへん好きだ。
 
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「聊斎志異」2005.6.21 (再掲)

なんとはなしに「聊斎志異」(立間祥介編訳 上下巻 岩波文庫 1997)を読みはじめたら面白くてやめられない。

「聊斎志異」は中国は清の短編小説集。
これでリョウサイシイという。
書いたのは浦松齢。
これでホショーレーというそう。

解説に浦松齢の生涯が紹介されている。
このひとはずっと受験生だった。
若くして科挙の受験資格を得、将来を嘱望されるが試験に落ちつづける。
50をすぎて、奥さんに「もうやめたら」といわれて試験を断念したという。

「人間観察で得た観察を怪異譚という形式におとしこんだところに浦松齢の独創がある」

と、これはあとになって読んだ「聊斎志異 玩世と怪異の覗きからくり」(稲田孝 講談社 1994)に書いてあった。
うまいことをいう。

「志異」の話はたいてい、どこそこに住むだれそれは、とはじまる。
語り口に乱れがない。
読むのがやめられなくなるのは、この一定の形式のためかと思う。

話は、さえない受験生のもとに美女に化けた狐やら幽霊やらがやってくるというものが多い。
なんとなく、異世界から献身的な美少女がやってくるという少年マンガを思い出す。

少年マンガの恋はなかなか実らない。
その点「志異」は早くていい。
会ったつぎの行では枕席をともにしている。
つぎのページでは子どもが生まれている。

「志異」の世界の特徴は、あの世もこの世も、ひとも狐も幽霊もたいしたちがいはないことだろう。
これが楽しい。

化け物がきたので酒を燗しようとすると、化け物がいう。
「きょうはあたたかいし、冷酒でけっこうでござる」

あるいは出会った老婆がいう。
「わたしはじつは狐で、100年前にあなたの祖父のお情けをいただいたものです」
そういえば祖父には狐妻がいたなと、孫は老婆を家に招く。
――おいおい、狐妻をもつというのは普通のことなのか。
などという疑問には、なんにもこたえてくれない。

上記以外にも、びっくりするような描写や展開がたくさんある。

たとえば「蟋蟀(コオロギ)」の話(上巻47)

宮中でコオロギをたたかわせるのが流行った。
強いコオロギを買うには大金がいる。
受験生の成名(せいめい)はずるい県の役人に里正(町役人)の役を押しつけられてしまった。

成名は住民からとりたてなどできない。
自腹を切ったがその金もすぐにつきた。

死のうと思ったが、妻に、自分でさがしてきたらどうですといわれて、最初はうまくいかなかったが、まあいろいろあって、強そうなコオロギを見つけた。

献上の日までだいじに飼っていたところ、9つになる息子が誤って殺してしまった。
このときの母親のセリフがすごい。こういうのだ。

「おまえはもうおしまいだよ」

泣き泣き告げにきた息子にこういう。
息子もびっくりしただろうけれど、読んでるこっちもびっくりした。

この後、息子は井戸に身を投げて意識不明となるが、同時に成名は強いコオロギを見つけて宮中で勝ちつづけ、労役は免除、試験は補欠合格となる。
1年たって息子は正気にもどっていう。
ぼくはいままでコオロギになっていた。

また、「青鳳(せいほう)という女」(上巻18)。

去病(きょへい)という若者が廃屋で青鳳という美女に出会った。
去病は青鳳のことが忘れられない。
妻の反対を押し切り、廃屋に住みはじめた。

夜、鬼がでてきたが去病は気にしない。
つぎの夜、青鳳があらわれて、ふたりは思いをうちあける。

抱きあっていたところ、青鳳の叔父があらわれた。
昨夜、鬼に化けてでたのもこの叔父だったのだ。

青鳳は恥じ入って身のおきどころもない。
「色気違いめが!」
叔父は青鳳を連れ去った。
去病は大声をあげる。

「わたしが悪かったので青鳳さんに罪はありません。もし青鳳さんを許していただけるなら、わたしはいかようなお仕置きを受けようと、いとうものではありません」

このあとの文章がこうつづく。

「それきりしんとしてしまったので、床に戻って寝た」

寝てる場合じゃないだろう!

もちろん話はこれで終らない。
青鳳と再会し、めでたく暮らすことになる。
ちなみに青鳳は狐だった。

もうひとつだけ。
「冥土の冤罪訴訟―席方平(せきほうへい)」(下巻77)

席方平の父は、富豪の羊(よう)の恨みをかっていた。
羊が死に、数年して父が死んだ。

死ぬさい父は、
「羊のやつが冥府の役人に賄賂をつかって、わしを叩かせている」
と、いいのこした。

席は憂悶のあまり食を断った。
魂がからだからはなれ、冥府にむかった。

父は獄中にいた。
賄賂をむさぼった獄卒たちに足をへし折られたと、はらはらと涙をこぼした。

席は激怒して、城隍神に父の無実を訴えでる。
しかし、そこにも賄賂が届いていて、訴えはしりぞけられてしまった。

知府に訴えでるがこれも駄目。
かわりに拷問をうけるありさま。

ついに閻魔王に訴えでるが、賄賂の手はここまで伸びていた。
席は鞭で打たれたり、熱せられた鉄にからだを押しつけられたりなどの拷問をうける。
こういう残酷な場面が生彩をおびるのは中国ものの特徴だろうか。

ついには脳天からノコギリびきにされる。
席はじっとこらえて声をあげない。

すごい男だ、と獄卒たちは心臓をよけて切ってやることにした。
そのおかげで、つぎのようなことになる。

「ノコギリの歯が曲がりくねって引き下ろされたので、その傷みはまたひとしおだった」

よくこういうことを思いつくなあ。
感心してしまう。

その後、席は天帝に訴えでて、閻魔王以下は相応の罰をうける。

…とまあ、こんな話がたんさんあるので面白くてならない。
岩波文庫におさめられているのは、、全体の3分の2だそう。

柴田天馬による全訳がたしかどこかにあったから、そのうちひっぱりだして読んでみよう。

…で、2009年現在。
いまだに全訳は読めていない。
ううむ。


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解剖学者ドン・ベサリウス

「解剖学者ドン・ベサリウス」(ペトリュス・ボレル 沖積舎 1989)

訳は渋澤龍彦。
素晴らしい装丁は柄澤斉。
(写してはみたけれど、ぜんぜんうまくいかなかった。本当はもっとすごいです)

本書は、実在の解剖学者、ドン・ヴェサリウスに材をとった怪奇小説ないし幻想小説。
ゆったりとした文字組みで、中編小説を一冊の本に仕立てている。
巻末には、訳者の渋澤さんによる「悪魔のいる文学史」(中公文庫 1982)から、作者ボレルについての章、「叛逆の狂詩人」がまるまる収録されている。
ただ、「悪魔のいる文学史」には載っているボレルの肖像画が、本書でははぶかれていた。

さて、本編のストーリー。
フェリペ2世治下のマドリッド。
人体解剖をするため悪評の高い老医師ドン・ベサリウスが、アマリア・デ・カルデナス嬢と結婚をする。
それが気に入らない群集は大騒ぎ。
いっぽう、婚礼の会場ではアマリアが、この結婚は家族がきめたもので、自分は永遠にあなたのものだと恋人のアルデランをかき口説いている。
王の警官隊の介入により、群集は解散。
結婚生活は、当然うまくいかない。

それから4年後、病にかかったアマリアは瀕死の床でベサリウスに自分の不品行を懺悔する。
話を聞き終えたベサリウスは、いままでになくきっぱりした態度で、アマリアを連れて実験室へ…。

青ひげはいく人もの女性に手をだしたけれど、本書のベサリウスはそうではない。
その点、逆青ひげ譚とでもいうべき作品になっている。
作風は、やたらと大仰で、怪奇趣味にあふれたもの。
質にかんしては、どうやら賞味期限が切れているようだ。

渋澤さんの巻末エセーによれば、作者ボレルの生涯は「破滅した文学者の挫折した生涯の完璧な見本のようなもの」。

23歳のとき、処女詩集「狂詩曲」を出版。
自らを「リカントロープ(狼人)」と称する。
一瞬、ロマン主義の風に乗ったものの、早熟の悲劇というべきか、もって生まれた厭人癖のためか、才能を作品に結晶化させることができず、貧窮におちいる。
東方旅行から帰ってきたネルヴァルと協力して、出版社をおこそうとするが失敗。
ゴーティエの紹介で、36歳のとき植民地の役人としてアルジェへ。
しかし、事務能力がなく、任地を転々としたすえ解雇される。
その後、畑を耕し自活する生活を送り、50歳で亡くなる。
死因は日射病。
渋澤さんも書いているけれど、ちょっとだけランボーを思わせる人生。

また、ボレルはサドをもっとも早く称揚した作家だったという。
そして、ボレルを称揚したのはボードレールだった。
これについて、渋澤さんの美しい文章を引いておこう。

「文学史の暗い夜空に蒼白い光芒を放つ孤独な星たちが、互(かたみ)に共感の瞬きを交し合っているかのような印象を私は受ける。……」

作品自体はとるにたりないものだけれど、渋澤さんのエセーと立派な装丁とで、手にとるのが楽しい本だった。

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「彫刻の〈職人〉佐藤忠良」と「大きなかぶ」(再掲)


千葉県佐倉市の川村美術館で、「佐藤忠良スケッチ展」を観た(2006年2月11日)。

川村美術館には、レンブラントの「広つば帽を被った男」がある。
黒い帽子をかぶった男が、すこし目をひらいて、こちらを見つめている絵。

はなれたところからだと、おそろしく細密に描かれているように見えるけれど、近づくと、襟のレースのところなど、大胆な筆の跡がわかる。

近づくとはじめて、これを人間が描いたんだなとわかる。

佐藤さんのスケッチ展へ。

かたちを力強くとらえたスケッチ。
この力強さは、彫刻家が描く絵の特徴かもしれない。
手足が大きいのも特徴のひとつだろうか。
足の厚みなどをしっかり描く。

水彩で色をつけた絵もあった。
頭巾をかぶったお孫さんの絵や、落ち葉の絵など。
水彩には清明さがあり、見ているとうれしくなる。

自画像があった。
不敵な顔が、硬く、するどい線で描かれている。
60歳、と書き入れがある。
日付も記入されていて、これが1972年。

とすると、後半に展示されている、何枚もの木のスケッチは、70代、80代で描かれたのか。
なんというか、背すじの伸びる思いがする。

いい機会だと、
「彫刻の〈職人〉佐藤忠良」(奥田史郎/道家暢子編 草の根出版会 2003)
を、ぱらぱらと再読。

聞き書きなので読みやすい。
佐藤忠良さんは、絵本「おおきなかぶ」(福音館書店)の絵を描いたことでも有名。

ところが、あのカブは、ダイコンみたいに描いてしまったと、佐藤さんは語っている。

「実をいうと、この絵本の絵では、カブの葉っぱがよくみるとギザギザになっていて、ダイコンの葉になっているんですよ(笑い)」

そのあと、いかにも職人らしいことばがつづく。

「これを描いた当時は、観察力がまだ十分じゃなかったんですね」

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HP撤収・再編成

先日、パソコンが壊れたさい、データは全部パーになったんですが、HPのデータも当然パーに。
まあ、現在アップしている分はサーバにあるので、そこから落としてくればいいんですが、新パソコンにHP作成ソフトをインストールするのも面倒になったので、この機会に撤収を開始することにしました。

というわけで、今後、ちょこちょことHPの記事を当ブログに再掲する予定ですので、どうぞよろしく。

絵掲示板も、アダルト広告が増えてきたんで、切りのいいところで一回やめる予定です。
お絵かきできるブログっぽいのにしたいんですが、使い勝手がどうなのかぜんぜんわからないので、少し勉強しなくては。
少しずつですが、いろいろ変えていきます。
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ウォー・ヴェテラン

「ウォー・ヴェテラン」(フィリップ・K・ディック 社会思想社 1992)

現代教養文庫の一冊。
副題は「ディック中短篇集」。
編訳、仁賀克雄。

収録作は以下。

「髑髏」
「生活必需品」
「造物主」
「トニーとかぶと虫」
「火星人襲来」
「ウォー・ヴェテラン」

ディックは、アンソロジーに収録された作品以外では、「ニックとグリマング」(筑摩書房 1991)しか読んだことがない。
でも、気になる作家だったので、本をみかけるたびに買っていた。
それがだいぶたまってきたので、すこし読んでみることに。

さきに、ぜんたいの印象をいってしまうと、ディックは俯瞰ということをしないようだ。
上から状況の説明を述べるようなことはしない。
視点はつねに、ひとの目の高さからはなれない。

そして、ディックはしばしば怖い考えに陥ってしまうよう。
まったく突然に、人間が人間でないとわかったりする。
物理的な暴力とともに、アイデンティティの危機が突発する。
それが成功すると、素晴らしい効果を発揮する。
けれど、うまくいかないと、なにが起こっているのかいまひとつわからない、五里霧中の作品になってしまう。

書かれている内容もスリリングだけれど、作品がきちんと着地するかどうかという点でもスリリング。
じつにディックはスリリングな作家だ。

「髑髏」
囚人のコンガーは、議長と呼ばれる男からある取引をもちかけられる。
それは、2世紀まえにあらわれた教祖を殺害すること。
コンガーは、教祖の身元を知るただひとつの手ががりであるドクロを手渡され、過去へととぶ。

いきなり会話からはじまり、なんのことやらわからないものの、読み進めていくうちに状況がみえてくる。
この手法がすこぶる効果的。
オチは、この手の小説をよく読むひとならすぐわかってしまうようなもの。
そのため、多少失速するのは否めないのだけれど、構成がしっかりしているため最後まで面白く読めた。
それにしても、転機の瞬間を書くディックの筆はじつにさえている。

「生活必需品」
必要があるんだかないんだかわからないもののために、戦争をやめないひとびとを描いたショート・ショート。
寓話的で、ちょっと星新一っぽい。

「造物主」
とある小惑星に着陸したX-43Y号。
安全確認のためハムスターをそとにだしたところ、ハムスターは全身を硬直させのびてしまう。
あわてて小惑星から離脱しようとするが、3人の乗組員は2日間もの昏睡状態に。
そして、目をさましたときには恐るべき事態が。

なつかしい感じのアイデア・ストーリー。
いきなり状況を開始するディックの作風では、セリフが大きなウェイトを占める。
この作品もそうで、セリフで3人の乗組員の関係を浮かび上がらせる手際がみごと。
また、オチのつけかたでは本書随一。

「トニーとかぶと虫」
とある植民星に住む一家。
ある日、戦争の相手であるかぶと虫野郎に人類が敗北を喫したというニュースが。
少年トニー・ロツシがいつものように町に遊びにいくと、いままで友人だった原住民たちが急に悪意をあらわにしはじめる。

戦争の推移により立場が変わってしまったことを、子どもの視点から描いた作品。
最近読んだ「 堀田善衛上海日記」(集英社 2008)を思い出した。
ディックの作品では、かぶと虫野郎たちのあいだのディティールがはぶかれ、話がわかりやすくなっている。
ひょっとすると、話をわかりやすくするために、子ども視点を採用したのかも。

「火星人襲来」
ときどきあらわれる、火星人におびえる地域を書いた作品。
この作品でも、子ども視点が効果的。
火星人と子どもの、一瞬の交感の場面に力がこもっている。
また、火星人が群集に排除される場面が生なましい。

「ウォー・ヴェテラン」
火星や金星といった植民星と一触即発の状態にある地球。
そこにひとりの老人があらわれる。
老人は退役軍人として登録されており、敗戦にいたった戦争の経緯をとうとうと話すが、その戦争はこれから起こるはずのものだった。
老人を中心に、戦争をしたい政府高官フランシス・ガネット、老人の話を聞いた医師のヴァシェル・パタースン、パタースンの同僚である金星人ジョン・スティヴンスらの思惑が錯綜する。

戦争の結果を知ったスティヴンスは、わざとテロを起こし、地球からの報復攻撃を誘いだそうとして精神病院に収容される。
いっぽう、ガネットは戦争の経緯を詳しく聞きだすことで、敗戦を回避できると考える。

本書でいちばん長い作品。
一度読んだだけでは、なんのことやらわからない。
ディックの作品には、タイプライターを打つ音が聞こえてくるような、書きとばしたものがあるけれど、ひょっとすると本作もそのひとつかもしれない。
わかりにくいのは、登場人物の立場や行動の動機がよくわからないせいだ。
何度か読むと、立場や行動はわかってくるのだけれど、動機はいまいちわからない。
でも、これから起こる戦争を知る退役軍人というアイデアは秀逸だと思う。

本書のなかで気に入ったのは、「髑髏」「造物主」だ。
でも、ディックを好きなひとは、この作者がもつ生なましさのようなものが好きなのかもしれない。
そうなると、また好みの作品が変わってくるだろう。
手もとに本はまだまだあるので、そのうちまた別の本を読んでみたい。

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三人のおまわりさん

「三人のおまわりさん」(ウィリアム=ペン=デュポア 学習研究社 1965)

訳は渡辺茂男。
スマートな絵は柳原良平。

本書は児童書
1795年、フランス漁船のファーブ船長は、無人島を発見した。
その島は、土地は肥え、魚もたくさん。
船長をはじめとする乗組員たちは大急ぎで移住。
それから、現在にいたるまで、島の暮らしは平和そのもの。

さて、この島には3人のおまわりさんがいた。
島があんまり平和なので、自分たちの制服のデザインを仕事のようにしていたのだけれど、そこに事件が勃発。
漁師が仕掛けていた網が、何者かにより盗まれてしまったのだ。

島の住民は、みんな幸せそのものだし、いまさら魚などほしがる者などだれもいない。
犯人は、島の住民ではなく、ひょっとすると海の怪物かもしれない。
すると、翌日もまた被害が。
おまわりさんの活躍をみてみたい住民たちは、内心喜びながら、怒ったふりをする。
かくして、3人のおまわりさんは調査に乗りだすのだが…。

3人のおまわりさんのところには、ボッツフォードという6才になる黒人の男の子がいる。
ボッツフォードは、おまわりさんの制服のおさがりをもらい、かわりに、おまわりさんたちの自転車の世話をしている。
このボッツフォードはとてもかしこい。
ボッツフォードがなにかいうと、おまわりさんたちはボッツフォードを自転車の世話をさせにいかせたのち、その意見を自分たちの意見のように話す。

3人のおまわりさんたちが、それぞれの性格に応じて意見をならべてから、ボッツフォードが的を得たことをいうというのが毎度のパターン。
このくり返しが楽しい。

物語は、犯人を捕まえるだけでは終わらず、裁判にまで発展。
このあたりが、欧米の児童書らしいところといえるだろうか。
日本の児童書よりも、欧米のそれのほうが、会議や裁判を書くのが好きなような気がする。
ともかく、裁判で、ボッツフォードは弁護人として大活躍する。

じつに、のんきかつ楽しい読み物。
物語の上品さには、柳原良平さんの絵もひと役買っているように思う。
さすがにいまはもう手に入らない本だけれど、手元にある本は1988年の43刷。
こういう本に人気があったのは、喜ばしいことだ。

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