サンタマリア特命隊

「サンタマリア特命隊」(ジャック・ヒギンズ/〔著〕 安達昭雄/訳 河出書房新社 1985)

原題は“The Wrath of God”
原書の刊行は1971年。
ジェイムズ・グレアム名義の作品。

舞台は1922年、革命間もないメキシコ。
主人公は、アイルランド人のエメット・ケオー。
人称は、ケオーの〈ぼく〉、1人称。
冒険小説で〈ぼく〉は珍しい。

ケオーは、アイルランド紛争に参加したあと――そのさい兄を殺している――南米に流れてきた。
6か月間、ヘルモザ鉱業会社で用心棒としてはたらき、これからメキシコをでようとしていたところ、ジャノシュという図体の大きな、ハンガリア人のホテル経営者から仕事をもちかけられる。
雇った運転手兼修理工が、政治に巻きこまれ殺されてしまった。
そこで、ここからアメリカの国境に向けて200マイル北にいった、ウイラという町に荷物をはこんでもらいたい。
積み荷は上等のスコッチ・ウィスキー。
報酬は500ドル。

いい話だが、ケオーは断る。
その日、ホテルで湯船に浸かっていると、部屋に泥棒が入る。
泥棒はケオーの財布を盗み、それを目撃したケオーは泥棒を撃つ。
結果、ケオーは警察に連れていかれる。
泥棒が盗んだはずの財布はみつからない。
財布にはパスポートも入っており、再発行には何週間もかかる。
そのあいだ無一文でいるほかない。

すると、なぜか警察署長と一緒にいたジャノシュが口をきき、ケオーは一度断った仕事をやらざる得ないはめになる。
もちろん、ケオーの財布が盗まれたというのは、ジャノシュの差し金によるもの。

ケオーはウイラに向けて出発。
途中、立ち往生したメルセデスを助ける。
車の主は、バン・ホーランという神父。
いや、神父の格好をしているが、じつは銀行強盗。
車のなかには、5万3千ドルが入ったカバンが。

ウェルタという町で一泊。
ところが、木賃宿は、保安官のバッジをつけた4人の無法者に占拠されていた。
店の娘にちょっかいをだそうとした連中を止めようとして、ケオーは逆に縛り上げられる。
そこに、例のにせ神父バン・ホーランがあらわれ、トンプソン銃で無法者をなぎ倒す。

たとえ無法者でも、保安官を殺すのはまずい。
それに、ひとりには逃げられてしまった。
ケオーとバン・ホーラン、それにケオーを慕う店の娘はともに逃げだす。
娘はビクトリア・バルブエナといい、白人とヤキ族のあいだに生まれた。
父親は名家の出だったが、革命で死亡。
それ以来、ビクトリアは口をきくことがない。

3人は、けっきょく連邦軍に捕まる。
しかも、トラックの積み荷がカービン銃だったことも判明。
軍の捕虜となったケオーとバン・ホーランは、ウイラに連れていかれ、軍事裁判にかけられ、死刑を宣告される。
留置所でじりじり死刑を待っていると、ジャノシュが放りこまれてくる。

死刑はけっきょくおこなわれない。
ウイラ地区軍司令官ボニラ少佐は、3人にひと仕事もちかける。

現在、シエラ・マドレイ北部山麓のモハダは無政府状態にあり、町はトマス・ド・ラ・プラタという人物に牛耳られている。
ド・ラ・プラタは、このあたりの大地主だったが、いまはくずれかかった大邸宅と操業がとまったままになっている銀鉱があるだけ。
邸宅には、トマスの父親ドン・アンジェル・ド・ラ・プラタと、妹のチェラが住んでいる。

トマスは理想主義者の若者で、革命後ウイラに転任し、当時の司令官バルガ大佐の副官となったが、バルガ大佐を殺したあと行方をくらまし、革命の不平分子をあつめてモハダを支配下に置いている。

ボニラ少佐は、3人にトマス殺害を依頼。
成功すれば、バン・ホーランはカバンの中身を手に入れることができる。
ジャノシュは、国家によって没収されるところだったホテルをとり戻すことができる。
ケオーは自由になる。

というわけで。
ジャノシュは鉱山会社の代表として、ケオーはその助手として、またバン・ホーランは神父として、モハダに赴くことに――。

初期ヒギンズ作品のつねとして、100ページ以上読んでから本編がスタート。
ところで、店の娘ビクトリアはどうしたか。
ビクトリアは血筋の者と出会い、ヤキ族にもどる。
そして、ヤキ族の長老とともに、ケオーのいく先ざきについてくる。
が、今後のストーリーには、ほぼウィークポイントとしてしかからまない。

さて。
モハダに着いた一行は、鉱山の調査などをする。
そこで、トマスの粗暴な部下のために落盤が起こる。
命からがら脱出するが、鉱夫がとり残されているというので舞いもどる。
モハダに着いてからというもの、すっかり神父らしくなってしまったバン・ホーランは、死にゆく鉱夫を相手に神父の務めを果たす。

また。
モハダの町長であり、ホテル経営者のモレノの妻が難産になる。
元医学生の経歴を買われて、ケオーはその場に立ちあう。
そして、ぶじ赤子をとりあげる。

ヒギンズ作品は、ときどき宗教色が強くなる。
本書におけるバン・ホーランはその一例だ。
ほかの例としては、「黒の狙撃者」を挙げておこうか。
また、登場人物が村人の出産に立ち会うというエピソードは、「ルチアノの幸運」にもつかわれている。
冒頭の、泥棒に財布を盗まれ仕事を引き受けざるを得なくなるというエピソードは、「神が忘れた土地」のバリエーションといえるだろう。

本書は、いかにも初期ヒギンズ作品らしい。
辺境を舞台とし、社会のあぶれ者を主要登場人物としている。
なかなか本編がはじまらないし、ストーリーのテンポもいまひとつ。
イベントをこなしているといいたくなる物語はこびも同様。

本書の、原書の出版は1971年。
傑作、「鷲が舞い降りた」を発表するまで、あと4年しかない。
これで、「鷲が舞い降りた」が書けるのだろうかと、妙な心配をしてしまう。

本書の解説は、内藤陳。
思い入れたっぷりの独特な語り口で、本書の魅力を説いている。

この解説で、内藤さんはヒギンズのオススメBEST3を挙げている。
1位が「鷲が舞い降りた」
2位が「脱出航路」
3位が「ヴァルハラ最終指令」

さらに、内藤さんは上記とは別の、“わが心のヒギンズ”BEST3というものを挙げているから引用しておこう。

1位「地獄島の要塞」
2位「「死ぬゆく者への祈り」
3位「サンタマリア特命隊」


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勇者の代償

今回もジャック・ヒギンズ。
ほかの小説のメモもとりたいのだけれど――。

「勇者の代償」(ジャック・ヒギンズ/著 小林理子/訳 東京創元社 1992)

原題は“Toll For The Brave”
原書の刊行は、1971年。

主人公は、ヴェトナム戦争帰りのイギリス人。
元米軍空挺部隊員、エリス・ジャクスン。
人称は、〈わたし〉の1人称。

帰還兵のジャクスンは、ヴェトナム戦争の悪夢に苦しみながら、パーティーで出会った女性、シーラ・ウォードと一緒にファウルネスという人里はなれた場所で暮らしていた。
シーラは広告代理店につとめるグラフィック・デザイナー。
ヒギンズ作品には、ときどき絵を描く女性があらわれるが、彼女はそのひとりだ。

ある日、犬と散歩にでかけたジャクスンは、湿地から突然AK47突撃銃をもったヴェトコンがあらわれたのをみて、恐慌をきたす。
自分の精神が崩壊しつつあるのではないか。

ジャクソンは3年間ヴェトナム戦争に従軍し、その長い期間捕虜となり、北ヴェトナムの収容所ですごした。
このとき収容所で、空挺部隊で伝説的英雄として語られてきたマクスウェル・セント・クレア准将と出会う。
セント・クレアは黒人で、富豪の息子。
ハーヴァード大学を首席で卒業後、空挺部隊に入隊。
数かずの勲章を授与された人物。

この収容所で、ジャクソンは美女と仲良くなったり、裏切られたりしたのち、セント・クレアとともに脱走する。
で、ヴェトナム捕虜時代のフラッシュバックが終わり――。

シーラの連絡を受け、アメリカ大使館にいたセント・クレアがジャクソンのもとに駆けつける。
が、ジャクソンとセント・クレアは、再会した湿地でまたもヴェトコンの襲撃を受ける。
一体、なぜイギリスの湿地でヴェトコンの襲撃を受けるのか。

さらに、家にもどると、ジャクスンは意識を失う。
目覚めると、シーラとセント・クレアが撃たれて死んでいる。
かかりつけの精神医、シーン・オハラによると、ジャクスンは処方箋を早く飲んでしまった。
しかも、LSDもやっているようだ。
というわけで、ジャクソンはマースワース・ホールという精神障害のある犯罪者を収容する施設に入れられてしまうのだが――。

とまあ。
かなり混乱した作品。
混乱から混乱へ、説明なく放りだされるので、読むのに骨が折れる。
もちろん、後半には説明がつけられるのだけれど、その説明は筋が通っているとはいいがたい。
それ以前に、読んでいて筋が通ろうが通るまいがどうでもいいやと思ってしまう。
これは、冒険小説としては失格だろう。
本書は、ヒギンズ作品のなかでも下から数えたほうが早い出来栄えではないか。
ヒギンズでなかったら翻訳されたかどうかも怪しいものだ。

その後、収容されたジャクスンは、英軍空挺部隊少佐、ヒラリー・ヴォーンの面接を受ける。
そのさい、セント・クレアの死体は別人であることを知る。
また、ヴォーン大佐はジャクスンに、きみはシーラに一服もられたのだと告げる。
さらに、事件の背後には捕虜収容所の司令官であった北ヴェトナム駐在の中国人大佐チャン・クエンがいることがわかる。
そこで、ジャクスンは施設を脱走し―――と、話は続く。

ヒギンズは初期作品で、主人公の若い男が英雄的人物に接して幻滅するという話をくり返し書いている。
本書もその系列に連なる一冊だが、主人公を幻滅させようと頑張りすぎている。
結果、意外性がただ読者を混乱させるだけに終わっている。
なぜヒギンズはこういう話をくり返し書いたのだろう。
作者にとって、なにか意味があったのだろうか。


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