たら本で遊ぼう その4

たらいまわし本のTB企画。
通称「たら本」。

今回は、31回目から38回目まで。

◆「積読の山も誇りと本の虫
「千夜一夜物語」「聊斎志異」とそのほかたくさん。
一首詠むようにとの仰せなので、積読終了後という夢シチュエーションで。
見渡せば文も頁もなかりけり空の書棚の秋の夕暮

◆「ねこ・ネコ・猫の本
「85枚の猫」(イーラ 1996 新潮社)
写真集。これを読んだあと「猫さまとぼく」(岩合光昭 岩波書店 2004)を読むと楽しい。

◆「悪いやつ
「こわいわるいうさぎのおはなし」(ビアトリスク・ポター 福音館書店 2002)
ピーターラビットの絵本の一冊。
こいつは悪いやつだ。

◆「行ってみたいあの場所へ~魅惑の舞台
「ゲド戦記」(ル=グウィン 岩波書店)のアースーシー世界。
竜をいっぺんみてみたい。

◆「おすすめ! 子どもの本」
・「ゆうれいは魔術師」(S・フライシュマン あかね書房 1994)
この作家は「シド・フライシュマン」と「S・フライシュマン」で検索結果が変わるから要注意。
「ドリトル先生」シリーズ(ロフティング 岩波書店)
子どものころはマンガしか読まなかったのだけれど、唯一これだけは読んだ。ドリトル先生のことはいまだに尊敬している。

◆「少女の物語
「少女神第9号」(フランチェスカ・リア・ブロック 理論社 2001)

◆「犬にかまけて
「ダーシェンカ」(カレル・チャペック メディアファクトリー 1998)
「赤いおおかみ」(フリードリッヒ・カール・ヴェヒター 古今社 2001)
「アンジュール ある犬の物語」(ガブリエル・バンサン ブックローン社 1986)
「カシタンカ」(チェーホフ 未谷社 2004)
・「若き日の哀しみ」所収の「少年と犬」(ダニロ・キシュ 東京創元社 1995)
「若き日の哀しみ」以外は、みんな絵本。今回、「たら本」の記事を書くにあたって、一作家一作品にしようと思っていたのだけれど、「ダーシェンカ」や「アンジュール」はどうしても入れたかった。「アンジュール」は字のない絵本で、絵の語る力が素晴らしい。「カシタンカ」も絵がいい。

◆「「何か面白い本ない?」という無謀な問いかけに答える
「ジーヴズの事件簿」(P・G・ウッドハウス 文芸春秋 2005)
とはいうものの、「ビンゴが馬鹿すぎてほんとうに頭にくる」といった知人がいたから、万人向きとはいえないかも(この感想には笑ってしまった)。

以上。
これ以降も「たら本」は継続中。
ずっと参加していたのだけれど、秋からばたばたしていたため、途中から参加できなくなってしまった。
でも、自分では思いつかないようなテーマにそって本を挙げていくというのは、とても楽しい。
いずれまた参加してみたいと思っている。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

たら本で遊ぼう その3

たらいまわし本のTB企画。
通称「たら本」。

今回は、21回目から30回目までのテーマに沿った本を考えてみました。

「教えてください!あなたのフランス本」
三つの物語(フロベール 福武書店 1991)

◆「サヨナラだけが人生か? グッドバイの文学」
「永訣の朝」(宮沢賢治)
 中学生のとき、国語の教科書で読んだ。
「奥さんが亡くなられたさいの山本夏彦の礼状」
 山本夏彦さんが、奥さんが亡くなられたさい、会葬者に配った礼状。わずか数行だけれど忘れがたい。でも、なにで読んだか忘れてしまった…。

◆「笑う門には福来たる!“笑い”の文学」
 これは「こたつで読みたいバカバカしい本」を参照のこと。
 このときとりあげ忘れた本を追加しておこう。
「スポーツマン一刀斎」(五味康祐 講談社 1995)
 大衆文学館シリーズの一冊。奈良の山中からあらわれた剣術の達人が、ひょんなことからプロ野球界に身を投じ、前人未踏の打率10割を達成する。
「オズワルド叔父さん」(ロアルド・ダール 早川文庫 1991)
 強力な媚薬をつかい、著名人の精液を手に入れ売りさばこうとするオズワルド叔父さんの活躍をえがいた艶笑譚。
「小林賢太郎戯曲集 椿 鯨 雀」(小林賢太郎 幻冬舎文庫 2007)
 最近ラーメンズのDVDばかり観ているのだけれど、そのコントをあつめた本。

◆「五感で感じる文学
「水と砂のうた」(バリー・ロペス 東京書籍 1994)
 短編集。このなかに砂漠の温泉に入るだけの話があり、すこぶる五感に訴えてくる。

◆「『ドイツ』の文学
・「縛られた男」(イルゼ・アイヒンガー 同学社 2001)
・「壜の中の世界」(クルト・クーゼンベルク 国書刊行会 1991)

◆「本に登場する魅惑の人々
「大いなる遺産」(ディケンズ 新潮文庫 1951)
 この本にジョーという素晴らしい好人物ででてきて、登場するたびに嬉しく思った。

◆「ウォーターワールドを描く本
「クジラが見る夢」(池澤夏樹 新潮文庫 1998)
「ニワトリ号一番のり」(J・メイスフィールド 福音館書店 1980)
「ぼくの町にくじらがきた」(ジム=ヤング 偕成社 1978)
「ニワトリ号…」は、読まれていない児童書だと思うけれど、じつはムチャクチャ面白い。
「ぼくの町に…」は写真絵本。

◆「あなたの街が舞台となった本
なし。

◆「酒と本
「酒肴酒」(吉田健一 光文社文庫 2006)
「地球はグラスのふちを回る」(開高健 新潮文庫 2005)

◆「フシギとあやし
「本という不思議」(長田弘 みすず書房 1999)
 この本は読書エセー集。タイトルから連想しただけ。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

たらいまわし本のTB企画第44回「種子を蒔くもの、花と緑の物語」

たらいまわし本のTB企画
通称「たら本」。

第44回目の主催者さんは、GREENFIELDSの美結さん。

お題は「種子を蒔くもの、花と緑の物語」。
◆植物が登場する本
◆花の情景描写が印象的な本
◆植物の息吹、生命力を感じる本
◆植物といえば農作物もOK。あくまで田畑での話で。
◆植物の利用方法
皆様のインスピレーションにお任せします。

…というわけで、何冊かえらんでみました。

「植物知識」(牧野富太郎 講談社学術文庫 1981)
ぜんぶで120ページほどの薄い本。
花と果実について書いてある。
花は、ボタン、シャクヤク、スイセン、キキョウ…。
果実は、リンゴ、ミカン、バナナ、イチゴ。

閑談風の、はきはきした文章がすこぶる楽しい。
スイセンの項目を引用しよう。

「スイセンは水仙を音読した。そのスイセンが今日本の普通名となっているが、昔わが邦(くに)でこれを雪中花(せっちゅうか)と呼んだこともあった」

「元来、水仙は昔中国から日本へ渡ったものだが、しかし水仙の本国はけっして中国ではなく、大昔遠く南欧の地中海地方の原産地からついに中国に来たり、そして中国から日本に来たものだ」

「中国ではこの草が海辺を好んでよく育つというので、それで水仙と名づけたのである。仙は仙人の仙で、この草を俗を脱している仙人に擬(なぞら)えたものでもあろうか」

つづいて学名と姿かたち、その生態についての説明。
これが、この本をただの植物随想から画しているところ。
その惜しげもなく振舞われる知識と、すぐれた写生文といいたくなる花の描写は、この大学者の肉声をじかに聞いているよう。

また、牧野先生の文章には、勢いとおかしみがある。
スイセンは日本でもまるで原産のように生えているのをみかけるけれど、もともと日本の花ではない。
それを、こんなふうに書く。

「…これはもと人家に栽培してあったものが、いつのまにかその球根が脱出して、ついに野生となったもので、もとより日本の原産ではない」

「脱出して」というのが、なにやら可笑しい。
あとがきではこんなことも。

「…失礼な申し分ではあれど、読者諸君を草木に対しては素人であると仮定し、そんな御方になるべく植物趣味を感じてもらいたさに、わざとこんな文章、それは口でお話するようなしごく通俗な文章を書いてみたのである」

牧野先生に素人といわれて失礼に思うひとなんていませんよ、といいたくなる。
自分の好きなことについて語っているひとの話を聞くと、なにも知らないこっちまでなんだか嬉しくなることがあるけれど、そんな気持ちにさせてくれる一冊だ。

「眼(まなこ)ある花々」(開高健 中公文庫 1975)品切れ
これも薄い本。
でも、文庫はもう手に入らない。
図書館で全集を手にとるのが、いちばんてっとり早いかも。

この本は、旅先でみた花の記憶をつづったエッセー集。
旅先の回想と、花というモチーフからもたらされる、抒情の勝った美文が楽しめる。

こでもスイセンがとりあげられているので、ちょっと引いてみよう。
冬の越前岬にいった著者は、スイセンはいまがシーズンだと宿のひとに聞かされる。

「スイセンは冬、花が咲くの?」
「ええ。雪の中で咲きます」
「それは知らなかった」
「あとでお風呂に入れておきましょう。ショウブ湯は五月ですが、ここでは真冬にスイセンをお湯に浮かべるんです。茎の匂いも花の匂いも、ちょっといいものですよ」

スイセンが雪の中で咲くとは牧野先生の文章にもあったけれど、お湯に入れることまでは書いていなかった。
さらに、著者によるスイセンの印象についてはこう。

「“越前”という字を見るたびに私は暗い空、暗い海、暗い雑木林を思いだす。柔らかくて深い新雪に淡い陽が射し、雪片の燦めきとかげろうのたゆたいのなかで一点、二点、まさに灯がついたようにいきいきと、咲くというよりは閃くようであったスイセンを思いだすのである」

「咲くというより閃くようであった」という語句に出会えるのが、開高健の文章を読むときの楽しみ。

「鳥たちが聞いている」(バリー・ロペス 角川書店 1998)
訳は池央耿、神保睦。
いま気づいたけれど、編集者は郡司聡。
ブルース・チャトウィンの「どうして僕はこんなところに」(角川書店 1999)と同じ布陣だ。
両方とも、それほど売れはしなかっただろう。
でも、おかげで読むことができたと、出版してくれたことに感謝したい。

本書は短編集。
バリー・ロペスはひとと自然の交感を、硬質な、かつ幻想的な文体で描く。
登場人物の職業が多彩だ。
教師、政治家、投資家、野生生物学を学ぶ大学院生、世捨て人、砂丘を調査する科学者、グランドキャニオンを縦横無尽に走るランナー…。
石から化石をとりだすことを仕事にしている女性もでてくる。
なかなか、ほかの作品では出会えない人物だろう。

植物学者もでてくる。
若くして名声に恵まれたコールター。
さらに名声をもとめたものの、うまくいかず、家庭をかえりみなかったことを妻のアリスになじられる。
アリスが怒っているのはそれだけではない。
なにより、コールターが育った森の草木のことを忘れてしまっていることに腹を立てる。

「あなたはここで育ったから、昔は森の植物のことをなんでも知っていたわ。暗くてもわかったじゃない。…あなたはひとつひとつ教えてくれた。ヤマハハコ、ヤナギラン、アザミ。それにツボサンゴ。影でわかる。風でそよぐ姿でわかるって言って。ここはあなたの場所だった。今はどう?」

いまでは娘のマデロンのほうが森について詳しい。
父親にかまってほしくておぼえたのだ。
きょう、マデロンはエプロプヒトン・アウスティアナエをみつけたとアリス。
その、白く優美な姿は一度みたら忘れられないという、幻のラン。

「私も見たことがないのに」
と、コールターがいうと、アリスがいう。
「あの娘に頼めばいいのよ」

エプロプヒトン・アウスティアナエというのは、どんな花だろうと思い、いまグーグルで検索してみたけれど、みつからなかった。
作者の創作なんだろうか。
でも、グーグルでもみつからないくらい幻というのも、悪くない気がする。

「反対進化」(エドモンド・ハミルトン 東京創元社 2005)
もっとエンターテイントメント性の強い作品もほしい。
そう考えていたら、この本におさめられている「異境の大地」という短篇を思い出した。
秘境物とマッドサイエンティスト物が一緒になったような作品。

舞台はラオスの奥地。
チーク材の伐採場をつくるため、主人公ファリスはそこの植物研究所をおとずれる。
いく途中、ぴくりともうごかない人間を目撃。
「そいつはフナチだ。さわっちゃいけません」と、ガイドにいわれる。

植物研究所には兄妹が。
フナチの話を聞くと、兄のベローは興奮し、そとへでたきりもどらない。
フナチ化し、すべての生体反応が100倍遅くなったベローが、森で発見される。

じき、正気にもどったベローは、自分でフナチとなったという。
現地の薬物の効果により、フナチになると、植物の世界を感得できる。
ここをはなれろとファリスは説得するが、ベローは聞き入れない。
そればかりでなく、ファリスと妹にも、薬物を注射し…。

このあと、フナチ化したファリスが感じる植物の世界の描写がすばらしい。
まるで、ハイスピードカメラでとらえた世界のよう。
手元に本がなく、引用できないのが残念だ。

たら本に参加してから、自分はそれほど本を読んでないなあということがよくわかってきた。
おなじ作家の本ばかり読むので、幅がせまい。
テーマが変わっても、門をたたく作家は一緒になる。

詩もなにか取り上げたいと思ったけれど、草木について歌うのは詩人の特質のようなもので、だれもがなにか残している。
そこで、以前とりあげた田村隆一をまた取り上げたい。

田村隆一には「木」という詩がある。
アンソロジーによく採られている、有名な詩。
「きみと話がしたいのだ」は、それより知名度は落ちると思うけれど、今回のテーマにはよりあっている気がする。

きみとなんの話がしたいのかというと、木について話がしたい。

「木について
 きみと話がしたい
 それも大きな木について
 話がしてみたい」

それはいったいどんな木なのか?
どんな木でもいい、野原に一本だけ立っていて、孤立してはいるが孤独ではない、空と地を二等分に分割し、太陽と星と鳥と風を支配する大きな木。

「その木のことで
 ぼくはきみと話がしたいのだ」

この詩が、著者のどの詩集に載っているのか、じつは知らない。
たまたま「ぼくの人生案内」(小学館 1998)にあるのをみつけて、引用はそこから。
本題の人生案内では、たいてい若い男の質問に対し、誠実で軽みのある回答をよせている。
「ゴツイ顔に悩んでいる」という男の子に対しての回答は、こう。

「人生、顔じゃない。顔になっていくのが人生なんだ」

「はるにれ」(姉崎一馬/写真 福音館書店 1981)
「きみと話がしたいのだ」を読んだら、「はるにれ」のことを思い出した。
これは絵本。
文章はなく、写真だけ。
地平線がみえる広びろとしたところに、一本のはるにれが立っていて、その四季の姿をおさめている。

夕暮れがきて、陽が昇り、雪に降られ、春になったら芽ぶき、夏には枝いっぱいに
葉を茂らせる。
読み終わると、音楽を聴いたような気分になる。

最初にもどって。
牧野先生は「植物知識」のあとがきで、植物に興味をもてば次の三徳があると述べている。
牧野先生ここにあり、といいたくなるような名文句。
最後に簡単にこれを引用しよう。

「第一に、人間の本性が良くなる。野に山にわれらの周囲に咲きほこる草花を見れば、何人もあの優しい自然の美に打たれて、和やかな心にならぬものはあるまい」

「第二に、健康になる。植物に興味をもって山野に草や木をさがし求むれば、自然に戸外の運動が足るようになる」

「第三に、人生に寂寞(じゃくまく)を感じない。もしも世界中の人間がわれに背くとも、あえて悲観するには及ばぬ。わが周囲にある草木は永遠の恋人としてわれに優しく笑みかけるであろう」


コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )

たら本で遊ぼう その2

たらいまわし本のTB企画。
通称「たら本」

今回は、11回目から20回目までのテーマに沿った本を考えてみました。

「旅の文学!」
「どうして僕はこんなところに」(ブルース・チャトウィン 角川書店 1999)
 旅する作家として名高い著者の、大小さまざまなエッセーをまとめたもの。
 タイトルが格好いい。
「ナビル」(ガブリエル・バンサン BL出版 2000)
 絵本。少年ナビルがピラミッドを見にいく話。何度読んでも胸が熱くなる。

◆「爽やかな春に読みたい青春小説」
なし。

「美しく妖しく…夜の文学」
「幻獣の書」(タニス・リー 角川ホラー文庫 1994)
 訳者は浅羽莢子。最近亡くなられていたことを知りとても驚いた。
「夜のパパ」(マリア・グリーベ ブッキング 2004)
 この本にかんしては以前メモを書いた。

◆「時の文学!」
「ふりだしに戻る」(上下巻 ジャック・フィニィ 角川文庫 1991)品切れ
「トムは真夜中の庭で」(フィリパ・ピアス 岩波少年文庫 2000)
 訳者は高杉一郎。
 ことし99歳で亡くなられた。
 あんまり面白いので友人に貸したら、その友人のお母さんが読み、面白かったといってくれたことをおぼえている。
「クジラの跳躍」(たむらしげる メディアファクトリー 1998)品切れ
 絵本。定番ではない時間テーマの本はないかなあと考えていたら、これを思い出した。

「私の夏の1冊」
「夏の闇」(開高健 新潮文庫 1983)
 季節の本はぜんぜん思い出せない…。
 強いて思い出したのはこの本だけれど、夏らしいといえるかどうか…。

「自分が食べてみたいor美味しそう!と思った食べ物が出てくる本は?」
「ぐりとぐら」(なかがわりえこ・文 おおむらゆりこ・絵 福音館書店 2007)
 ホットケーキが美味しそうだと子ども心に思ったもの。
 大人になってから読み返したら、たまごの殻で車をつくっていたので驚いた。
 車のことはまったくおぼえていなかった。
 これは余談だけれど、絵を描いたおおむらゆりこさんは、姓が変わり山脇百合子さんともいう。
 図書館で絵本は、絵を描いたひとの名前順に並べることが多いから、「ぐりとぐら」の場合だと、「オ」のところにあったり「ヤ」のところにあったりするので注意が必要だ。

◆「子どもと本」
「絵本についての僕の本」(片岡義男 研究社出版 1993)
 いま検索してみたら、まだ手に入るとわかってうれしい。
 タイトルどおり、絵本についての本なのだけれど、類書と一線を画している。
 どう一線を画しているのか、そのうちちゃんとメモをとりたい本のひとつ。

◆「心やすらぐ本」
「園芸家12カ月」(カレル・チャペック 中公文庫 1996)
 道を歩いているとふいに読みたくなり、そのたびに買っていた。
 一時期3冊くらいもっていた。

◆「実は……こんな本を持っているんです」
「キャベツくん」(長新太 文研出版 2005)
 長新太さんのサイン本をもっている。
 家宝だ。

「これがないと生きていけない」
なし。
でも、本好きなので、本屋の棚をみてるだけで寿命がのびそうな気がします。

以上。
11回から20回まで。
けっこう答えられないお題があるのが悔しい。
また、そのうち続きをやろうと思います。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

たらいまわし本のTB企画第43回「音とリズムの文学散歩」

たらいまわし本のTB企画
通称「たら本」。

第43回目(42回目は欠番)の主催者さんは、おかぽれもん。のpicoさん。

今回のお題は「音とリズムの文学散歩」

●小説に登場した心を捉えて離さない音楽
●または小説の世界に興味を抱き実際に聴いてみた音楽
●好みの音楽が登場して親近感が沸いた小説
●小説に登場する気になる音とリズム、オノマトペ
●文体のリズムが踊り小説自体がすでに音楽と化している
●小説に感化され楽器(音楽)をはじめたくなった

などなど、音楽を感じ音楽を抱きしめた文学を教えてください。

…ということなのだけれど、うーん。
音楽は不得手なジャンルだ。
知識がないし、楽器もできない。
小説のなかで語られている曲が、頭で鳴り響くということもない。

それに、これは「たら本」に参加するようになって自分のクセに気づいたのだけれど、そもそも小説のディティールをろくに読んでいない…、ということがある。

でもまあ、気をとりなおして、音楽にかんする本を思いつくままに挙げていこう。

「黙されたことば」(長田弘 みすず書房 1997)
これは詩集。
なかに、クラシックの音楽家たちをとりあげて一篇の詩にした作品群がある。
とりあげられた音楽家は、バッハ、シューマン、フォーレ、マーラー、シューベルト、ビゼー、ショパン、ブラームス、ヴェルディ、ハイドン、他、他…。

例を挙げたほうが早い。
シューベルトをとりあげた詩で、タイトルは「短い人生」。

「幸福とは何一つ所有しないことである。
 自分のものといえるものは何もない。
 部屋一つ、机一つ、自分のものでなかった。

 わずかに足りるものがあればかまわない。
 貧しかったが、貧しいとつゆ思わなかった。
 失うべきものはなかった。

 現在を聡明に楽しむ。それだけでいい。
 無にはじまって無に終わる。それが音楽だ。
 称賛さえも受けとろうとしなかった。

 空の青さが音楽だ。川の流れが音楽だ。
 静寂が音楽だ。冬の光景が音楽だ。
 シューベルトには、ものみなが音楽だった。

 旋律はものみなと会話する言葉だ。
 神はわれわれに、共感する力をあたえた。
 無名なものを讃えることができるのが歌だ。

 遺産なし。裁判所はそう公示した。
 誰よりたくさんこの世に音楽の悦びを遺して
 シューベルトが素寒貧で死んだとき」

なにかクラシックの曲を聴いたときは、長田さんはなんていってたっけと、この本をひもとくのがくせになってしまっている。

「アメリカの心の歌」(長田弘 岩波書店 1996)
これも、長田さんの本で、アメリカのポピュラー・ソングについて記したエッセイ集。
紹介されている曲を聴きたくなり、何枚かCDを買ってしまった。
この本からは、ナンシー・グリフィスについての一文を。

ナンシー・グリフィスはカントリー・ソングの歌い手(長田さん風にいえば、歌うたい)。
アルバムのジャケットに小道具として本を用いるという、ほかのひとがあまりしないことをする。
その本は周到に選ばれていると長田さん。
「それは南部人。そしてテキサス人の作家たちの本に意識的にかぎられている」

ナンシー・グリフィスが本をジャケットの小道具としてつかうのは、彼女の歌に対する考え方から。

「ナンシー・グリフィスにとって、歌は本なのだ。歌を本とすれば、本は歌だ。歌と本は人びとの日々の経験の表裏をなして、同時代の生きる感覚を分けあう共通の場を、いま、ここにともにつくってきた」

「本を自己表現とするニューヨークの作家たちとちがって、南部の、そしてテキサスの作家がしてきたことは、ヴォイス(声)を本に書きとることだ。耳を澄ますと聞こえる、土地のヴォイス。日々の光景にひそんでいるヴォイス」

このあと、カポーティの本のタイトルからとったアルバム、「遠い声、遠い部屋」が取り上げられている。
本を抱きしめ、あごをそらして笑うナンシー・グリフィスのジャケットが印象的。
このアルバムも買ってしまった。
気持ちのよい、カントリー・ソング集だった。

主催者のpicoさんは、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」をとりあげられていた。
「セロ弾きのゴーシュ」は高畑勲監督により、アニメにもなっている。
このアニメで、音楽の間宮芳生さんによる「印度の虎狩り」を聴くことができる。

「セロ弾きのゴーシュ」で思い出した。
「日本語ということば」(赤木かん子・編 ポプラ社 2002)に収められた、「「あまえる」ということについてという作文。
書いたのは、当時、小学2年生だった中村咲紀さん。
中村さんが、それまでの全人生を投入して書いた、渾身の作文。

「ゴーシュは、ようちえん時だいのわたしとそっくりでした」

と、書く、中村さんのこの作文は、「セロ弾きのゴーシュ」にかんする最高の手引き書だと思う。

「《セロ弾きのゴーシュ》の音楽論」(梅津時比古 東京書籍 2003)、という本のことも思い出した。
じつは未読。

著者の梅津さんは、長いこと毎日新聞にクラシックについてのコラムを書いている。
新聞のなかで、そこだけ湖面のようにみえる、静けさをたたえたコラム。
その文章は一種の美文で、マンガ「のだめカンタービレ」(二ノ宮知子 講談社)に、やたらと気の利いた文句を並べ立てる音楽評論家があらわれたとき、失礼ながら梅津さんのことを思い出した。

梅津さんのコラムは「フェルメールの音」(梅津時比古 東京書籍 2001)で読むことができる。
「《セロ弾きのゴーシュ》…」もいずれ読んでみたい。

またべつのことを思い出した。
花巻の宮沢賢治記念館にいったときのこと。
各国語に訳された賢治作品が展示されていて、中国語になった「風の又三郎」の冒頭はこんなふうだった。

「斗斗斗斗斗斗斗斗斗斗斗」

字の数はちょっとちがっているかも。

――小説のディティールを読まないなら、いったいなにを読んでいるのか?
たぶん構成ばっかり読んでいるんだと思う。

山本周五郎に「よじょう」という、宮本武蔵を題材にした短篇がある。
この作品は、ラヴェルの「ボレロ」から想を得たと、たしか文庫本の解説に書いてあったと思った。
どの文庫に収録されていたのか、忘れてしまったけれど。

「ボレロ」でまた思い出したけれど、アニメ映画「デジモンアドベンチャー」でも、「ボレロ」は効果的につかわれていた。
「よじょう」と「デジモン」は「ボレロ」でつながっている。

「ティーパーティーの謎」(カニグズバーグ 岩波書店 2000)
この作品も、クラシックから構成の想を得たもの。
巻末の、娘さんによる文章によれば、カニグズバーグはモーツァルトの交響曲40番ト短調の第一楽章を聴いて、いつの日かこの曲をモデルにして本を書いてみよう、と思ったそう。

「短い導入部分や主題のくり返しがある本を書いてみたいわ。それぞれ別のメロディーなのにからみあっていて、それがくり返しながらつながっていくのよ」

本書の導入は、「博学大会」州大会決勝戦から。
決勝戦の模様とともに、参加メンバーの4人と担任の先生の話が織りまぜながら語られる。
その構成はみごとのひと言。
カニグズバーグの本をぜんぶ読んだわけではないけれど、いまのところこの作品がいちばん好きだ。

気になってモーツァルトも聞いてみた。
クラシックは聴くとあれかあと思い当たるものが多いけれど、この曲もそうだった。

最初のほうで、長田さんによるシューベルトについての詩を紹介したけれど、シューベルトは絵本にもなっている。
「リトル シューベルト」(M.B.ゴフスタイン アテネ書房 1980)。

タイトルはすこし固いように思う。
「シューベルトくん」くらいでいいような気がする。

この作品でも、シューベルトくんは素寒貧。
火の気もない小さい部屋で、せっせとだれにも聞こえない音楽を書きつける。
寒さで指がこごえると、ぽかぽかするまで部屋のなかで踊る。

1980年に出版されたこの絵本には、付録としてレコードがついている。
「いまから150年ほど前、ウィーンの町のあの小さな部屋で、フランツ・シューベルトが書きあげた「高雅なワルツ」全12曲のうち5曲をおさめたものです」

でも、うちにはレコードプレイヤーはない。
いつか、CDででも聴いてみたいものだ。

ゴフスタインにはこんな作品も。
「ピアノ調律師」(M.B.ゴフスタイン すえもりブックス 2005)

デビーのおじいさん、ルーベン・ワインストックは素晴らしいピアノ調律師。
デビーもピアノ調律師になると心にきめているが、おじいさんはピアニストになってほしいと思っている。
ある日、ルーベンの友人で偉大なピアニスト、アイザック・リツプマンが町にやってくる。
ルーベンは、リップマンの演奏を聴けば孫娘も心変わりをするのではないかと思うが…。

リップマンの演目はこう。
・バッハの「幻想とフーガ」
・ベートーベンの「3楽章からなるソナタ」
こういうとき、教養があって、すぐ曲を思い浮かべることができたらなあ。

リップマンの演奏がどんなだったのかは、まるで書かれていないのだけれど、素晴らしい演奏だったにちがいない。
そう思わせるのはゴフスタインの筆力だろう。

…なんだか、とりとめがなくなってきた。
最後に、「ピアノ調律師」からリップマンの名セリフをひいて終わりにしよう。

「もし、ピアノを弾くことが本当に好きな人だけがピアノを教えてくれたら、世界はもうすこし良いところになっているかもしれないよ」


コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )

たらいまわし本のTB企画第41回「私家版・ポケットの名言」

たらいまわし本のTB企画
通称「たら本」。

第41回目の主催者さんは、ソラノアオの天藍さん。

今回のお題は「私家版・ポケットの名言」

「本の海から掬い上げた、「打ちのめされた」一言、「これがあったからこの本を最後まで読み通した」という一行、心震えた名文・名訳、名言・迷言・名台詞、必読の一章…、そういった「名言」をご紹介くださったらと思います」

「たら本」では、あの本どこだーと部屋中さがしまわるはめになるのだけれど、今回はいつもにもまして本が見つからない!
最初に思いついたのは、カー先生の「三つの棺」(ジョン・ディスクン・カー 早川書房 1979)。
かの有名な「密室談義」について書きたかったのだけれど、見つからなかったのでパス。
うーん、無念だ。

次に思いついたのが、田村隆一の詩。

「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」

「帰途」というタイトルの詩の冒頭。
このあとこうつづく。

「言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか」

だれしも一度はこういうことを思うんじゃないだろうか。

この詩も手元には見当たらず、図書館で「詩人からの伝言」(リクルートダ・ヴィンチ編集部 1996)を借りて確認した。
この本は語りおろしのエッセイ集。
ざっくばらんな田村さんの語り口がたいへん楽しい。
長薗安浩さんもまとめ上手。

この本をぱらぱらやっていたら、鉛筆で線が引いてある箇所を見つけた。
図書館の本にこんな無法をしてはいけない。
でも、線を引きたくなる気持ちもわかる名言。
せっかくなので、ここに参加してもらおう。

詩の誕生について語った章で、田村さんはC・D・ルーイスを引用しながら、こんなことをいっている。

一篇の詩の「種子」が、詩人の想像力を強く打つ。
「種子」は体内に入り、だんだん成長する。
いよいよひとつの詩を書きたいという欲望に駆られて、詩が誕生する。
つまり、詩はレトリックで生まれるんじゃない。

「詩人の感情の歴史を抜けて飛び出してくるものが、詩なんだ」

つぎは絵に描いた「幸田露伴」(筑摩書房 1992)。
「ちくま日本文学全集」の一冊。
この本に収められた「突貫紀行」の、冒頭の一節。

「よし突貫してこの逆境を出でむ」

この文句はおぼえてしまって、ときどき口ずさむ。
まるまる一文を引用すると、こう。

「身には疾(やまい)あり、胸には愁いあり、悪因縁は逐(お)えども去らず、未来に楽しき到着点の認めらるるなく、目前に痛き刺激物あり、慾あれど銭なく、望みあれども縁遠し、よし突貫してこの逆境を出でむと決したり」

北海道余市の電信局に勤めていた露伴は、文学の夢やみがたく、20歳のとき故郷東京にむかい突貫する。
それがこの紀行文。
余市から船で函館にいき、青森に。
東京に直行するには先立つものがたりなかったし、見聞を広くするには、「陸行にしくなし」。
で、青森から郡山まで歩き、そこから列車。
東京に着いたときは、余市を出発してからひと月ちょっとたっていた。

たいへんな旅だったのだろうけれど、若さのためか、文語体のためか、どこかしらのんきな感じがただようところが好ましい。
それにしても、文語と名言はよく似合うなあ。

いま、「自己鼓舞型名言」ということばを思いついた。
「突貫紀行」もそうだけれど、自分で自分をはげますことば。
これは、名言の王道かもしれない。

そこでつぎは、「自省録」(マルクス・アウレーリウス 岩波書店 2007)。
なにしろ、ローマの皇帝が書いたのだから、王道中の王道だろう。
…と、思ったのだけれど、本が見つからない。
泣く泣くパス。

代わりといってはなんだけれど、

「私がさがすと必ずない」

という名言を思い出した。
山本夏彦さんの名言。

山本夏彦さんは、牛のよだれのようにおびただしい名言を書きつけたコラムニスト。
その数多い著作からは、「ダメの人」(中公文庫 1994)を挙げよう。
それにしても、すごいタイトルだ。

ダメの人というのは、世の中すべてをダメとムダと観ずるひとのこと。

「ダメの人は、自分がダメであることを自慢しない。それは我にもあらずダメなので、どう考えてもダメなのである」

山本夏彦さんは、コラムニストのくせにときおり物語調の文を書く。
それがどれも滋味あふれるもので、「ダメの人」もそのひとつ。
少年のころ、ダメの人に会いにシナにおもむいたが会えず、かわりにダメの人の言行録をもらってきたという趣向で、名言を書きつらねている。

「――とかくこの世はダメとムダ」

このことばに、山本さんはこんな解説をつけている。

「世間はムダをよくないもののように言うが、そもそも私がこの世に生まれたこと、私が生きていること、私が何かすること、またしないこと、一つとしてダメとムダでないものはない」

「私の存在そのものがムダだというのに、どうしてそのなかの区々たるムダを争うことができよう」

かと思えば、こんな名言も載せる。

「――ダメだダメだと言う奴なおダメだ」

どっちなんだよ!と、いいたい。
まあ、名言というのは平気で矛盾しているものかもしれない。

さらに山本さんはダメが流行ることまで考えた。
「それが流行とあれば、人はどんなことでもする」
そこで、こういう名言を記す。

「――ダメを気どってもダメ也」

じっさい山本さんが危惧したとおり、ダメが流行る時期というのはある。
なんという慧眼だろう。

フィクションの名セリフもとり上げたい。
ふと、「ハルーンとお話の海」(サルマン・ラシュディ 国書刊行会 2002)を思い出したので、これを。

この本は、子どもに読まれない児童書という感じの、寓話的なファンタジー。
ハルーンのお父さんは王国一の語り部。
けれど、ハルーンが「ほんとうでもないお話がなんの役にたつ?」といったために、お父さんは物語する力を失ってしまう。
お父さんの物語る力をとりもどすため、ハルーンはひょんなことから出会った水の精モンモとともに、「お話の海」へと旅立つ。

本来、「お話の海」は、色とりどりの「お話の海流」が生き生きとからまりあっているところ。
しかし、「お話の海」は闇の勢力により、死滅させられそうになっていた。
その惨状をみたモシモは、思わず声をあげる。

「おれたちが悪いんだよ。おれたちが海を守らなくてはいけないのに、ろくに守らなかった。海を見ろよ、見ろよ! 最古のお話を見ろよ。朽ちるがままに放っておいた。ぜんぜんかまわなかった。こんな汚染が始まるずっと前からだぞ。……」

訳者、青山南さんによるあとがきによれば、この本はラシュディが潜伏生活中はじめて書いた本だそう。
ラシュディの体験が反映しているとして、この本の冒頭に掲げられたエピグラフを青山さんは引用している。
青山さんにならって、最後にエピグラフの一節を記しておこう。

「読んでくれ、故郷のきみたちのもとに連れていってくれ」


コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )

「たら本」で遊ぼう その1

たらいまわし本のTB企画
通称「たら本」。

「たら本」には、思いもかけなかったテーマがたくさんある。
そのテーマに沿って、思いついた本を、いくつか適当に挙げていきたい。
まずは、1回目から10回目まで。

「ダバダ~、愛の文学」
「タマリンドの木」(池澤夏樹 文春文庫 1999)品切れ
「ダフニスとクロエー」(ロンゴス 岩波文庫 1987)

「納涼♪霊の文学」
「聊斎志異 上下」(蒲松齢 岩波文庫 1997)
 「聊斎志異」については以前メモを書いた。

◆「全作品を読みたいor読んだ作家は誰ですか?」
・《国内作家》火浦功、池澤夏樹、開高健、吉田健一、中島敦、森洗三、山本夏彦…
・《海外作家》ウェストレイク、ハイアセン、アンドリュー・クレメンツ、バリー・ロペス…
 きりがないなあ。

◆「秋の夜長は長編小説!」
「高慢と偏見」(ジェイン・オースティン 河出文庫 2006)
 映画「プライドと偏見」が面白かったので読んでみた。なんて面白いんだ。
「月長石」(ウィルキー・コリンズ 創元推理文庫 1981)
 「月長石」については以前メモを。ネタバレありなので注意。

「あなたが感銘を受けた本は?」
「大衆文芸時評」(吉田健一 垂水書房 1965)絶版

「今現在のあなたの棺桶本を教えてください。」
「棺桶に入れて、あの世にまでもっていきたい本」とのことですが…。
 なし。

「20代に読みたい本は?」
 絵本とか子どもの本とか昔話とか。
 お話のきらいな子どもに、いままで会ったことがない。
 そんなことを20代で思い出すのもいいのではないかと。

◆「あなたが贈られたい(贈りたい)本はなんですか?」
 でも、絵本は高いので買うのに躊躇する。
 贈られるとうれしい。

「歴史もの・オススメ本!」
マンガ「風雲児たち」(みなもと太郎 リイド社 続刊中)
「さざなみ軍記」(井伏鱒二 新潮文庫 1986)
「笛吹川」(深沢七郎 新潮文庫 1981)絶版
「ミシェル 城館の人」全3巻(堀田善衛 集英社文庫 2004)
「天下を呑んだ男」(中村隆資 講談社文庫 1996)品切れ
 海外作家の歴史小説は読んでないなあと思った。
 あと、「天下を呑んだ男」はバカバカしい歴史小説です(またか)。

◆「映画になったら見てみたい」
「ゲド戦記」全5巻と別巻1(アーシュラ・K・ル=グウィン 岩波書店 2006)
 宮崎駿監督版が観たい。

以上。
こうやって、テーマにそった本を思い出すというのは、なかなか楽しいです。
つぎは、11回から20回まで。
折りをみて、続きを載せたいと思います。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「たら本」感想戦とバカバカしい本大量追加

「たら本」第40回を主催した感想を。

まず、閲覧数。
普段、当ブログは多くて1日100PVくらいなのですが、「たら本」をアップしたら、瞬間風速的に400台に。
これには、びっくりというか、正直びびりました。
「たら本」恐るべしです。

テーマの「バカバカしい本」は、いま思うとぜんぜん一般的じゃないですね。
いくらでも思いつくひともいれば、苦戦するひともいたようで、これには恐縮です。
でも、依頼を受けたときすぐ思いついたのがこれでした。
で、こんな機会は2度とあるまい、やってしまおうと。

第23回のテーマとかぶっているので、そのとき書いた記事をトラックバックしてもいいですよとの提案には、いまのところ新しい記事だけ。
考えてみたら、本好きでブログをやっているようなひとは、つねに新しい本を紹介したいんですよね。
前はこの本を紹介したけど、今回はこの本だと。
いや、うかつでした。
でも、新しい記事に以前の記事をリンクしてくれたかたもいて、その記事を読めたのは個人的にとても嬉しかった。

「たら本」主催者のOverQさんが、コメントでジャンル論を書いてくれたのも興味深いことでした。
それで気づいたのは、どうも自分の頭のなかは、「バカバカしい本」と「そうじゃない本」くらいの区別しかないらしいぞ、ということ。
ミステリとかSFとか文学とかは、「バカバカしい本」のサブジャンルくらいにしか思っていなかった。
われながらびっくりです。
どうりで、いままでひとと話があわないと思った。

あるテーマに答えやすいかどうかは、普段どんなキーワードで本を読んでいるかにかかわってきそうです。
いままでの「たら本」のテーマには、思いもかけなかったものもあるので、ちょっと考えてみようかなと思案中。
自分になにが足りないのかわかるかも。

コメントやトラックバックの参加は、まだまだ受けつけています。
当ブログの過去の記事でもオッケーですよ。
今回は、貴重な経験をさせていただきありがとうございました。

さて。
お話変わって、バカバカしい本の追加。
きりがないので、このくらいに。
ひとことコメントをつけましたので、参考にしていただければ幸いです。


「火星人ゴーホーム」(フレドリック・ブラウン 早川文庫 1979)
 もしフレドリック・ブラウンのSF短篇を気に入ったかたがいらしたら、ぜひこの長篇も読んでほしい。
 その傑作たるゆえんは、たしか小林信彦さんが「小説世界のロビンソン」で書かれていたはず。

「ドジリーヌ姫の優雅な冒険」(小林信彦 文春文庫 1980)
 その小林信彦さんもバカバカしい作品を書いていて、なかでもこれが好き。

「予期せぬ方程式」(横田順彌 双葉社 1984)
 ヨコジュンさんの作品も取り上げたい。
 表題作は、宇宙船のトイレで寝ていた博士が、出航後めざめ、自分から船外にでるというもの。
 〈冷たい方程式〉を完璧にクリアした作品として記憶に残っている。

「蕎麦ときしめん」(清水義範 講談社文庫 1989)
 清水義範さんも取り上げたいので、とりあえずこれを。

「木村家の人びと」(谷俊彦 新潮社 1995)
 非常に密度の高い短篇が3本収録。
 そのうち2本が映画化されているのに文庫化されていないよう。

「新しい天体」(開高健 光文社文庫 2006)
 あまった予算を使い切るため「景気調査官」に任命された主人公が、ひたすら食べ歩くという小説。
 饒舌体が圧巻。

「つみつみニャー」(長新太 あかね書房 1978)
 長先生は童話も書いている。
 長新太の最高傑作はこれだというひともいるナンセンス童話。

「夢酔独言」(勝小吉 平凡社 1969)
 東洋文庫の一冊。OverQさんが「金谷上人行状記」を取り上げられていて思い出した。
 著者は勝海舟のお父さん。坂口安吾がこんな男らしい男はいないと激賞した人物。
 じつは未読なのだけれど、なんだかバカバカしいニオイがする。
 手ごろなダイジェストなら「古人往来」(森洗三 中公文庫 2007)で読むことができる。

「エッフェル塔の潜水夫」(カミ ちくま文庫 1990)
 ずいぶん前に読んだのでストーリーを忘れてしまったけれど、楽しかった感じをおぼえている。
 たしか、大阪弁に訳されたフランス人がでてきたと思った。

「キャナリー・ロウ 缶詰横丁」(スタインベック 福武文庫 1989)
 3人称多視点で、視点がよく変わり、ぐっとくるバカバカしさ。
 ヴォネガットをはじめて読んだとき、この小説を思い出した。

「テーブルはテーブル」(ペーター・ビクセル 未知谷 2003)
 スイスの作家の短編集。奇妙な前提を維持したまま、奇妙な物語が展開していく。
 バカバカしくも、もの悲しい名品。

「マルクス・ラジオ」(いとうせいこう監訳 角川書店 1995)
 マルクス兄弟のラジオ・コント集。
 手元にほしいと思っているのだけれど、まるでみかけない。

「俺はその夜多くのことを学んだ」(三谷幸喜 幻冬舎文庫 1999)
 ワン・シチュエーションから面白さを存分に引き出している。
 編集がまた絶妙。  

「真面目が大切」(「ワイルド喜劇全集」所収 新樹社 1976)
 名高い作品だけれど、最近読んでその面白さにびっくり。
 新潮社文庫よりこの全集の訳のほうが気に入った。

「牛への道」(宮沢章夫 新潮文庫 1997)
 エッセイ集。体験の面白さではなく、考察の面白さ。
 たしか「おんなじ缶しかでてこない自販機」の話はこの本の前書きだったと思う。

「怪奇版画男」(唐沢なをき 小学館 1998)
 マンガ。全編版画による前代未聞の書。そのバカバカしい労力。

「極楽町一丁目 嫁姑地獄篇」(二階堂正宏 ソノラマコミックス 2007)
 嫁と姑の本格ナンセンス格闘マンガ。
 これを読んで笑わなかったひとを見たことがない。

「宇宙探査機 迷惑一番」(神林長平 光文社文庫 1986)の火浦功の解説
 最後に、火浦功のファンとしてこれを取り上げたい。
 早川文庫で復刊されたさい、この解説を収録しなかったのは大変な手落ち。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

たらいまわし本のTB企画第40回 こたつで読みたいバカバカしい本(再掲)

たらいまわし 本のTB企画、第40回目は、「奇妙な世界の片隅で」のkazuouさんからご指名をいただき、タナカが主催させていただきます。

「たら本」総元締めのOverQさんには、素敵なバナーをつくっていただきました。
やっぱり、こたつには猫とみかんですよね。

たらいまわし本のTB企画、略して「たら本」とは」とは、毎回交代で主催者がテーマを決め、それにそったオススメ本を自分のブログで紹介し、主催者や参加者の記事にトラックバックしていく、というもの。

今回のテーマは、「こたつで読みたい、バカバカしい本」

このお正月に、こたつに入ってごろごろしながら読むのにふさわしいような、のんきで、バカバカしい本を挙げていただければと思います。

テーマ的には、第23回の「笑う門には福来たる! “笑”の文学」とかぶっているのですが、この回は残念なことにリンク切れ。
なので、第23回のときに書いたブログを、こちらにまたトラックバックしていただいてもいいと思います。
よい本は何度となく紹介しなくては。 

さて、今回えらんだ本は10冊。

 

「ニワトリはいつもハダシ 両A面」(火浦功 朝日新聞社 2007)
ソノラマノベルスの一冊。

「好きな作家は誰ですか?」
と、いう質問をうけたときの答えは、相手や、そのときの気分で、いろいろと変わる。
山本周五郎も好きだし、ガルシア・マルケスも好き。
ウェストレイクも好きだし、吉田健一も好き。
でも、じつは一番好きな作家は決まっている。
火浦功だ。

火浦功は、火浦小説としかいえないような、じつに不思議な小説を書く。
その小説は、どれもたいていバカバカしい。

バカバカしい話は、度がすぎると殺伐としてくる。
また、作者が登場人物を過度にバカにしたり、登場人物が作者に言及したりすると、小説がうるさくなってくる。
しかし、火浦功の書く小説は、そうはならない。
これは途方もないことのように思う。

火浦功の小説の、なにを紹介してもいいのだけれど、今回は最近復刊された「ニワトリはいつもハダシ 両A面」にした。
両A面というのは、雑誌掲載時の作品と、その後出版され、今回新たに加筆修正がほどこされた補完版が同時収録されているため。
じつにマニアックなつくりで、ファンとしてはとてもうれしい。

火浦功の小説は、だいたいなにかのジャンルを下敷きにしているから、そのジャンルについて知っていないと親しみにくいかもしれない。
その点、ハードボイルド物のコメディ作である、「俺に撃たせろ!」(徳間書店 2001)などは、敷居が低いほうかも。
忘れんぼう探偵、アルツ・ハマーが活躍する快作だ。

短篇では、「奥さまはマジ」(角川書店 1999)もオススメ。
外国で新婚生活をおくっている娘が、ゲリラ軍を引き連れ突如帰国。
実家を舞台に正規軍と交戦するというストーリーが、比類ないテンポで語られる。

私見では、最高傑作は「丸太の鷹」(角川書店 1992)だと思っている。
これもそのうち復刊されるかもしれない。

火浦功には根強いファンがいるらしく、近所の書店ではいつも平台に置かれている。
売れて冊数が少なくなると書架に入れられるのだけれど、発注をするようで、また平台にもどっている。
「ニワトリはいつもハダシ」の復刊も20年ぶりだ。
いま世にでている本で、いったいどれが20年後に復刊されるだろう。
そう思うと、やはり火浦小説にはなにかあるのだと思わざるをえない。

こんどのお正月には、「ニワトリはいつもハダシ 両A面」を読んで楽しむつもりだ。

 

「沢蟹まけると意志の力」(佐藤哲也 新潮社 1996)

この本は図書館のリサイクルブックでみつけた。
きっと、だれも借りなかったんだろうと思う。
いまネット書店で検索してみたら、絶版になっていた。
売れもしなかったにちがいない。

でも、バカバカしい小説が好きな身にとっては、取り上げておきたい一冊だ。

ストーリーは奇想天外。
沢蟹から生まれた人間の子、沢蟹まけるは沢蟹たちの期待を一心に背負い成長。
なんの因果か、世界征服を企む株式会社マングローブの手により改造手術をほどこされ、正義の味方カニジンジャーとなる。

といっても、この主人公は驚異的に無気力なので、ほとんどなにもしない。
この本筋と平行して、「意志の力」に関するさまざまなエピソードが、駆動力のある文章で、くり返し語られる。

つまりこれは、小説に人間関係なんかいらない、くり返しさえあればいいのだ、といったタイプの小説。
喜劇ではなく、笑劇的作品といえるだろうか。
一般的にこういった小説は読まれにくいけれど、ラファティが読めるひとならいけるのではないかと思う。

 

「大日本帝国スーパーマン」(北杜夫 新潮社 1987)

いま調べてみたら、これも絶版だった。
妙な本ばかり紹介してすいません。

これはタイトルどおりの内容。
日本にもスーパーマンがいた。
カーキ色のマントで空を飛ぶ、宮本武兵衛老人がそのひと。
折りしも時代は、太平洋戦争末期。
軍にスカウトされた宮本老人は、大日本帝国スーパーマンとなり、アメリカのスーパーマンと激闘をくりひろげる。

宮本老人は、忠君愛国の士にして男尊女卑のひととしてえがかれる。
いっぽう、アメリカのスーパーマンは、酒を飲み、麻薬をやり、女と遊ぶ始末。
宮本老人がなかなか手ごわいと知ったアメリカ・スーパーマンは、火炎放射器やバズーカ砲、ついにはクリプトン星人の弱点であるクリプトナイトまでもちだしてくる。
ひょっとすると、ここになにかの寓意があるのかもしれないけれど、面倒だから考えない。

この本には、あと2篇、「銭形平次ロンドン捕物帖」と、「新大陸発見」が収録。
「銭形平次ロンドン捕物帖」は、銭形平次がシャーロック・ホームズと共演する話だ。

 

「オペレッタ狸御殿」(浦沢義雄 河出書房新社 2005)

河出文庫の一冊。

鈴木清順監督による映画のノベライズ。
映画は未見。
脚本を書いた浦沢義雄さんが、この小説も書いている。
浦沢さんについては、「ルパン3世 パート2」で、「ネコとカツオブシの話を書いたひと」といえば、あのひとかあと、わかるひともいるかも。

舞台は戦国時代。
がらさ城の城主、安土桃山は、息子である雨千代の美しさをねたみ、快羅須山への追放を部下に命ずる。
が、命令遂行の途中、快羅須山のふもと狸ヶ森で、雨千代は唐国からきた狸姫と出会い恋に落ちる。
ところが、恋のために美しくなった狸姫もまた、安土桃山から命を狙われることに…。

脚本のト書きのような、短い、即物的な文章がやけに可笑しい。
おなじ作者の「たまご和尚」(リトル・モア 2003)も最近読んでみた。
「平妖伝」を翻案したもので、やはりかなりのバカバカしさだった。

 

「天使と宇宙船」(フレドリック・ブラウン 東京創元社 1965)

訳は小西宏。
創元推理文庫の一冊。

前回のkazuouさんのたら本のテーマは、「夢見る機械」だった。
この本には、ちょうどそんな機械がでてきて、なおかつバカバカしい短篇が収録されている。
「諸行無常の物語」という作品がそれ。

この作品にでてくる機械は、ライノタイプ。
「タイプライター型をして、植字と鋳造をかねている機械」、だそうだけれど、正直うまく想像できない。
印刷機の親戚みたいなものだろうか。

このライノタイプ、妙な男がつかってから、かってなことをはじめるようになる。
最初は、誤字を直すくらいだったのが、どんどんエスカレート。
ついには人格をもち、権利を要求しはじめる。
オチがじつにバカバカしい。

この本には、名高い「ミミズ天使」も収録されている。
フレドリック・ブラウン以外、だれがこんな話を書くだろうという、最高にバカバカしい一篇だ。

「ミステリーの書き方」(アメリカ探偵作家クラブ 講談社 1998)に、フレドリック・ブラウンの変わったプロットのつくりかたが載っていたのでメモを。

まず、基本的なアイデアが固まると、近くのバス・ターミナルにいき最初に出発する大陸横断バスに乗る。
何日も何時間もバスにゆられているうちに、ストーリーがふくらんでいく。
これでよしとなったら、家に電話して、いまから帰るよと告げる。

 

「銀行は死体だらけ」(ウィリアム・マーシャル 早川書房 1998)

訳は仙波有理。
ミステリアス文庫の一冊。

香港を舞台にした警察小説。
とある銀行で、行員全員が死体で発見された。
死因は毒入りシャンペンを飲んだため。
乾杯しながら、集団自殺でもしたのだろうか?
他殺なら、いったいだれが、なんのために?

ミステリとしてよくできている。
ただし、記述はいちじるしくユーモラスで、展開はキテレツ。
にもかかわらず、事件の背景は社会派。
ひとことでいうと、抜群に面白い。

ユーモラスな記述の例をあげよう。
オーデン警部補は、飛び降り自殺志願者を押し戻すため、ビルの18階の外側に立たされることになる。
そのさい、鳥よけのため金属バットを渡されるのだけれど、それを魚と勘違いしたカモメ4万羽の強襲をうけるはめに。
そのカモメたちの描写はこう。

「このカモメ、ぜんぶで4万羽のこのカモメたちは、カモメ界のヘルズ・エンジェルス、脇の下が毛むくじゃらなタフなカモメ、魚市場の岸壁に寄ってきた2万トンの日本のトロール船を沈めて、船員を生で食べたあと、鉄塔のうえにすわって葉巻をふかし、ディーゼル燃料をストレートで飲むワルなカモメだった」

脇の下が毛むくじゃらなカモメって一体…。

オーデンは、自殺志願者たちを金属バットで殴り倒しながら、このカモメ界のアッティラと死闘をくりひろげたのち、友情を育むようになる。

巻末の直井明さんの解説によれば、この作品は、〈黄線街〉シリーズというシリーズ物の一冊だそう。
ほかの本も訳されないかとずーっと待っているのだけれど、そんな気配はいっこうにない。

 

「パルプ」(チャールズ・ブコウスキー 学研 1995)

訳は柴田元幸。
新潮社文庫からもでているけれど、ハードカバーの装丁のほうが好きなので、絵はこちらにした。

主人公は、史上最低の私立探偵、ニック・ビレーン。
一見、ハードボイルド物なのだけれど、中身はムチャクチャ。
冒頭から、死んだはずのセリーヌをみつけてくれと、女の死神が依頼してきたりする。
1時間6ドルで仕事を引き受けたビレーンは、捜査と称して競馬をしたり、酒場にいったり。

ビレーンのいくところ、つぎつぎイカレた事態が起こるのだけれど、にもかかわらず統一感がそこなわれていないのは、いつも人生の虚しさを語るビレーンの語り口のためだろうか。
愁いのきいたバカバカしさ、とでもいいたいものがここにある。

 

「沢野字の謎」(沢野ひとし、椎名誠、木村晋介、目黒孝二 本の雑誌社 2000)

「ストーブとコタツどちらがエライか」などといったテーマを熱く語りあう、「発作的座談会」シリーズは、どれもくつろいで楽しめる好著だ。
紹介するのは、シリーズのどれでもいいのだけれど、今回はこの「沢野字の謎」にしてみた。

雑誌「本の雑誌」の表紙には、沢野ひとしさんによる意味不明のコピーが書かれている。
これには、ボツになったたくさんのコピーがあるそう。
それらのコピーを一堂にあつめ、各ブロックに分け、リーグ戦から決勝トーナメントへと、徹底討論のすえ最強コピーを決定したのが本書。

たたかいは意外な展開をみせ、最後にいたってはなぜか感動までおぼえる。

ある年の正月、この本を読んですごし、とても楽しかった。

 

「みみずのおっさん」(長新太 童心社 2003)

これは絵本。
長先生、最晩年の一冊。

「ミミズが主人公の絵本を書いてください」と、ある子どもにいわれて、描いたのがこれだと、なにかで読んだようなおぼえがある。
その子も、まさか口ひげを生やしたミミズがあらわれるとは思わなかっただろう。

その話の展開にはアゼンとさせられる。
最初読んだときは、見開きであらわれた地平線に呆然とした。

長先生の絵本は外国では売れないと、ある絵本編集者が講演会で話しているのを聞いたことがある。
そのときは、日本人でよかったなあと心底思ったものだった。

 

「おへそがえるごん」全3巻(赤羽末吉 福音館書店 1986)

赤羽末吉さんは、日本絵本界の巨匠。
とくに、昔話絵本が有名。

赤羽さんがどれほどすごいかは、たとえば「つるにょうぼう」(矢川澄子再話 福音館書店 1979)一作をみてもわかる。
この絵本は、昔話の「つるの恩返し」を絵本にしたもの。
主人公の男は、部屋にこもって機織りをしている鶴をのぞくのだけれど、どんなふうにのぞいているか、自分でちょっと想像してからこの絵本をひらいてみるといい。
こうきたかと、だれしもが思うはず。

「おへそがえるごん」は赤羽さんのオリジナル。
おへそを押すと口から雲をだす、かえるのごんが、父親をさがしている男の子けんと旅をするというストーリー。

この絵本を読んで、赤羽さんへのイメージが一新した。
こんなにチャーミングな絵本を描くひとだったとは。
ごんのすっとぼけぶりが、たいへん楽しい。

次回の「たら本」主催は、「ソラノアオ。」の天藍さんに引き受けていただきました。
よろしくお願いします。

 

コメント ( 11 ) | Trackback ( 0 )

たらいまわし本のTB企画第40回 こたつで読みたいバカバカしい本

記事が消失しました。
再掲記事はこちら
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ