2016年 ことしの一冊たち

ことしはジャック・ヒギンズの作品ばかり読んでいた。
年内のうちに、手元にある本はみんなメモがとれるだろうと思っていたのだけれど、そうはいかなかった。
ヒギンズ作品についてのメモは今後も続け、終わったら作品ぜんたいについてまとめるつもり。

ヒギンズ作品以外となると、ことしメモをとった本は少ない。
こんな感じになる。

1月

「チューリップ」(ダシール・ハメット/著 小鷹信光/編訳解説 草思社 2015)
「怪物ガーゴンと、ぼく」(ロイド・アリグザンダー/著 宮下嶺夫/訳 評論社 2004)

ハメットの最後の作品を刊行して亡くなられるとは。
小鷹信光さんは格好いい。

「怪物ガーゴンと、ぼく」の訳者あとがきに、作者によるこんな発言も記されている。
この作品を出版社に送るためにメーリング・サービスにもっていったところ、翌日、発送をした旨を告げる電話がかかってきた。その女性はこう続けた。「あなたはいつも、すてきな若いヒロインをお書きになります。一度、すてきな年配のヒロインを書いていただけないでしょうか」。きのうの原稿がまさにそれなんですよと作者はこたえたという。ほんとうに、その通りだ。


2月

「美しい鹿の死」(オタ・パヴェル/著 千野栄一/訳 紀伊国屋書店 2000)
「レクイエム」(アントニオ・タブッキ/著 鈴木昭裕/訳 白水社 1998)

「美しい鹿の死」はほんとうに素晴らしい。古本屋で手にとるまで、こんな作品があるとは知らなかった。少しは世に知られた作品なんだろうか。「レクイエム」を読んだあと、「イザベルに」(和田忠彦/訳 河出書房新社 2015)も読んでみた。でも、もう内容を忘れてしまった。


3月

「昭和な町角」(火浦功/著 毎日新聞出版 2016)
「銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件」(アンドリュー・カウフマン/著 田内志文/訳 東京創元社 2013)

まさか、火浦功の新刊が出版されるとは思わなかった。同時期に、火浦功の師匠にあたる小池一夫の、「夢源氏剣祭文」(小池一夫/著 毎日新聞出版 2016)も出版され、書店に2冊並べて置かれていたのを思いだす。また、「銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件」の作者による新刊がことし出版された。「奇妙という名の五人兄妹」(アンドリュー・カウフマン/著 田内志文/訳 東京創元社 2016)。内容紹介を読むと面白そうだけれど、やはりこしらえすぎの感じがするだろうか。


4月からジャック・ヒギンズ作品についての読書メモがはじまる。
それ以外の作品のメモは以下。


6月

「砂浜に坐り込んだ船」(池澤夏樹/著 新潮社 2015)
ことし大ヒットした映画、「君の名は。」をみていたら、この本に収められた「大聖堂」という作品を思いだした。ファンタジーにする必要はないと思った、その理解は浅かったか。それはともかく、ことしは面白い映画をたくさんみた。「キャロル」「オデッセイ」「シン・ゴジラ」「この世界の片隅で」も、池澤さんが絵本をだした「レッドタートル」も、みんな面白かった。「この世界の片隅で」はあんまり面白かったので、絵コンテを買って読んだ。「「この世界の片隅に」劇場アニメ絵コンテ集 」(こうの史代/原作 「この世界の片隅に」製作委員会/著 片渕須直/絵コンテ 浦谷千恵/絵コンテ 双葉社 2016)。絵コンテには「右手さん」というキャラクターがいてびっくりした。「右手さん」にはセリフまで用意されていた。


10月

「ルーフォック・オルメスの冒険」(カミ/著 高野優/訳 東京創元社 2016)
この本が出版されたのが、ことし一番嬉しかった。

以上。

いちいちメモをとるにはいたらないけれど、ほかにも読んだ本はある。
最近では、「万年筆インク紙」(片岡義男/著 晶文社 2016)を読んだ。
著者の片岡さんが、小説の創作メモを書くためにふさわしい万年筆とインクと紙をさがしもとめるエセー。
この本、一体だれが読むのだろうと首をかしげる。
なにしろ目次すらない。
ただただ、万年筆をつかって字を書くという行為が、一冊丸まるつかって、主観的に考察されているだけだ。

でも、個人的には面白かった。
うんちくを語るのではなく、自分が欲しい万年筆とインクと紙についてだけ語っている。
その一貫しているところが好ましい。
それから、その考察や、細かい観察ぶりや、手に入れるまでの過程や、執心ぶりが可笑しい。
読んでいると、次第にユーモラスな気分になってくる。
何箇所か声をあげて笑ってしまった。
本書の終わり近くに、小説というものについて、片岡さんの考えを記した部分がある。
そこを引用してみよう。

《頭に浮かぶことをノートブックに書いては検討して考えをまとめていく、という一般的な理解があるかもしれないが、小説の場合は考えなどまとめてもどうにもならない。そこからはなにも生まれない。思いがけないものどうしが結びつき、そこから新たな展開が生まれてくるとは、たとえば人であれば少なくともふたり以上の人が、そしてものごとならふたつ以上の異なったものが、対話の関係を結ばなくてはいけない。その対話のなかから、途中の出来事として、あるいは結論として、それまではどこにもなかった新たな展開が生まれてくることによって、人々の関係とそれが置かれている状況とが、その新たな展開のなかを動いていく、ということだ。ひとりでやろうとしてはいけない。しかし、対話と称して、自分のことを言い続けるだけの人は現実のなかにはいくらでもいるけれど、小説のなかにそのような人の居場所はない。》

こういう文章に面白味を感じることができれば、この本の良い読者になれるだろう。
しかし、書くという行為の考察だけで、一冊つくってしまうのだから、その筆力には感服する。

もう一冊。
「驚異の螺子頭と興味深き物事の数々」(マイク・ミニョーラ/著 秋友克也/訳  ヴィレッジブックス 2014)。
マイク・ミニョーラは好きな作家で、出版された本はみんな読みたい。
でも、この本が出版されていたのは、古本屋でみかけるまでうかつにも気づかなかった。
表題作と、短編が5つ収録されている。

螺子頭(スクリュー・オン・ヘッド)は、なぜかリンカーン大統領の命令にしたがい、ゾンビイ皇帝によって盗まれたカラキスタン断章を回収しにむかう。
その名の通り、螺子頭は、首の部分がネジになっていて、さまざまな体に装着できる。
といっても、その特徴が物語に反映されることはない。
回収に向かった先は、中東を思わせる砂漠にある寺院の遺跡。
その後のストーリーはヘルボーイ風。
ほとんど、ヘルボーイのパロディのようだ。

ほかの短編もそうだけれど、みんなごく短い物語ばかりなのが物足りない。
とはいえ、ミニョーラの素晴らしい絵と、ひとを食ったようなストーリーが堪能できた。

来年も、面白い本に出会えるますように。
では、皆様よいお年を――。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

暗殺のソロ

「暗殺のソロ」(ジャック・ヒギンズ/著 井坂清/訳 早川書房 1986)
原題は“Solo”
原書の刊行は、1980年。

3人称。
主人公は、ジョン・ミカリ。
地中海にあるイドラ島の出身。
ミカリ家は、海運業で財を成した名家。

早くに父母を失くしたミカリは、祖母と家政婦の手で育てられる。
稀有の音楽的才能をもつミカリのために、一家はミカリが14歳のときニューヨークに移住。
が、17歳のとき、祖母が心臓の発作で倒れ亡くなる。

アテネ大学で道徳哲学の教授をしている祖父のディミトリアスのすすめで、ミカリはイドラ島にもどる。
じきショックから回復し、こんどはパリのコンセルヴァトワールに入り、ひたすらピアノに打ちこむ。

1960年2月22日。
あと2日で18歳の誕生日というとき、子どものころから家政婦をつとめていたカティナがひき逃げにあい亡くなる。
カティナをひいたトラックの運転手は、クロード・ギャレイ。
整備工を2人雇い、セーヌの近くで小さな自動車修理屋をしているろくでなし。

ミカリは復讐におもむく。
トラックのギアをニュートラルにし、ハンドブレーキをはずすことで、坂の下にある地下室ではたらいていたギャレイを押しつぶす。
その後、町をさまよい、売春婦を抱き、翌日、外人部隊に入隊。
全精力を訓練にそそぎ、ライフルと銃の名手となり、格闘技でも高い評価を得る。

アルジェリアで12カ月間戦闘に参加。
凄惨な白兵戦を体験する。
負傷した翌日、独立記念日となり、戦争は終了。
傷病のため除隊し、再びイドラ島にもどり、養生する。

充分回復すると、こんどはロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックに入学。
3年すごしたあと、ウィーンで1年学ぶ。
ヨークシャーのリーズ音楽祭に参加し3位に入賞。
ザルツブルグのピアノ・コンテストでは1位に。
以後、世界的なピアニストとして活躍。

が、祖父の死により転機が。
当初、祖父の死因はバルコニーから転落したためだと聞かされていたが、実際はそうではなかった。
軍事政権下で民主戦線のために活動していた祖父は、陸軍情報部により拷問を受け、殺されていたのだった。

今回もミカリは復讐を決意。
たまたま出会った外人部隊の旧友ジャロとともに、パリでの演奏旅行中、同じくパリにきていた陸軍情報部の政治部門責任者、ヨルゴス・ヴァシリコス大佐と、部下のアレコ軍曹およびペトラスキ軍曹を、CRS(共和国治安警備隊)のふりをして近づき射殺。
その後、ミカリはすぐコンサートをこなす。
コンサートは大成功。

一方、外人部隊の旧友ジャロは、ミカリの復讐を手伝ったことを気に病み、知りあいの刑事専門弁護士ドヴィルに相談をもちかける。
このドヴィルが、じつは25年も祖国をはなれているウクライナ人。
本名をニコライ・アシモフ大佐というGRU(赤軍情報部)の工作員だった。

西側に混乱をつくりだすことを任務とするドヴィルは、ミカリに接触。
ドヴィルの申し出を受け、以後ミカリは演奏旅行のあいまに暗殺をこなすピアニストとなる――。
ちなみに、このあと旧友のジャロは、ドヴィルとミカリにより殺されてしまう。

ミカリの経歴を語る部分は手際よく、じつに快調。
初期のヒギンズにはできなかったことだ。

ところで。
本作品は、冒頭、〈クレタ人〉と呼ばれる男が、リージェント・パーク近くの邸宅に住む、シオニストの衣料会社会長を暗殺する場面からはじまる。
この〈クレタ人〉とはミカリのこと。
暗殺時、カティナから教わったクレタ訛りのことばをつかったため、当局からそう名づけられた。
ミカリは〈クレタン・ラヴァー〉とも呼ばれており、それは性にめっぽう強く、暗殺時、障害となった女性と親密になることで問題をやりすごしたりしたためだ。

で、冒頭。
暗殺をすませたミカリは、自動車での逃走中、自転車をはね、乗っていた少女を殺してしまう。
少女の父親は、エイサー・モーガンといって、英陸軍パラシュート連隊の大佐だった。

モーガンは、ウェールズの炭鉱夫の息子。
軍隊に入隊し、第2次大戦では空挺隊員に。
パレスチナでは都市ゲリラを経験。
朝鮮では中共軍に捕まり、1年間抑留される。
帰国してから、毛沢東をしょっちゅう引用した革命戦争の新しい概念についての論文を発表する。

この、朝鮮で抑留されたあと、毛沢東を引用する論文を書いたという経歴は、「非情の日」の主人公、サイモン・ヴォーンとそっくり。
作者は少々手を抜いているようだ。

元妻のヘレンは、ヒギンズ作品にたびたび登場する絵を描く女性。
別れた理由は、モーガンが戦争に夢中で、家庭をかえりみないため。

すでに演奏旅行にあわせて、世界各国でイデオロギーの別なく、同じ手口で要人暗殺をくり返していたミカリは、各国治安当局の耳目をあつめていた。
モーガンは、英国秘密情報部、DI5のファーガスン准将によるコントロールをうけながら、独自にミカリを追っていく。

ここに、暗殺者ミカリと、ミカリを追うモーガンという図式ができた。
そこに、キャサリン・ライリーという女性がからんでくる。
キャサリンはアメリカ人。
父はハリウッドの脚本家だったが、赤狩りのためハリウッドをはなれ、スクリプト・ドクターとして生計を立てる。
母は早くに亡くなった。
キャサリン自身は心理学を専攻。
ケンブリッジで博士号を取得。
専門はテロリズム。
異性との関係に問題をかかえていて、父が亡くなると、特別研究員としてケンブリッジに勤めるように。

こんなキャサリンに、ミカリが接触してくる。
というのも、フランクフルトで東ドイツの大臣を暗殺したさい、親密となった女性をキャサリンが面接したからだ。
ミカリはキャサリンと親しくなる。
そして、彼女がなにも知らないと確信を得る。
以来、ミカリとキャサリンは恋仲のように。

また、キャサリンがテロリズムの専門家であるため、モーガンもキャサリンに接触してくる。
というわけで、キャサリンを中心に、互いに相手を知らない三角関係が成立。

ミカリとキャサリンとモーガンは、もっている情報がそれぞれちがう。
ストーリーが進行するにつれ、その情報がたがいに浸透していく。
それが、困惑や疑惑や行動を生みだしていく。

ミカリにくらべると、モーガンの扱いはいささか粗い。
いままでのヒギンズ作品の登場人物をつぎはぎして、いままでの作品の枠内でうごかしているような印象。
それでも、ミカリとの対決シーンは盛り上げる。
最初の、イドラ島での対決のさい、きみは気違いだとモーガンがいうと、ミカリはこたえる。

《「どうして? 以前、ぼくは軍服を着て同じことをやっていたが、それで勲章をもらった。あなたの立場もそっくり同じだ。あなたが鏡をのぞけば、ぼくが映っているだろう」》

2度目の、そして最後の対決ももちろんある。
場所はアルバート・ホール。
大いに盛り上げる。

それから、細かいことだけれど。
本書には、ミカリが飲むクルーグというシャンパンがでてくる。
これは、のちにヒギンズ作品の登場人物が愛飲するグリュッグのことだろうか。
また、ヒギンズの登場人物はなぜかむやみと雨が好きなのだが、雨が好きなミカリはそのはしりかもしれない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )