ビジネス支援図書館の展開と課題

「ビジネス支援図書館の展開と課題」(財団法人AVCC 2006)

AVCCライブラリーレポート2006。
AVCCとは、高度映像情報センターの略だそう。
副題は「いま、ライブラリアンに求められているしごと力とは」。
企画・編集は丸山修、酒井弘雄。

ビジネス支援図書館ということばをよく目にするようになって、概要がわかるものがないかとさがしたら、これにたどり着いた。
ビジネス支援図書館、早わかり本。

第1章「ビジネス支援図書館をめぐる視点・論点」が、ビジネス支援図書館というアイディアが導入された経緯がよくわかり、面白い。

まず最初は、竹内利明さん(ビジネス支援図書館推進協議会顧問、ほか長い肩書きがいっぱい)へのインタヴュー。

ビジネス支援図書館というアイディアへ直接インパクトをあたえたのは、菅谷明子さんが雑誌「図書館の学校」(2000.12)に載せた「アメリカ公共図書館最前線」。

それ以前にも、菅谷さんは雑誌「中央公論」(1999.9)に「進化するニューヨーク図書館」を発表していたが、そのときはピンとこなかったそう。

その後、ひつじ書房社長松本功さんに菅谷さんを紹介してもらい、「アメリカ公共図書館最前線」のときは原稿段階で見せてもらう。
このときは松本さんがなにをいいたかったのか理解。
経済産業省の安藤晴彦さんや、松永明さんにも読んでもらった。

2000年11月半ば、東京国際フォーラムで図書館総合展があり、菅谷さんが基調講演を。
翌日、菅谷さんの日程が空いていたので、経済産業省にいき、安藤さん松永さんをはじめ、何人かを菅谷さんに紹介した。

「経済産業省のみなさんが図書館のビジネス支援に反応したのは、多くのかたが海外留学の経験があり、留学中は図書館を毎日つかっていたのに、日本に戻ると図書館をつかう機会がほとんどないことに疑問を感じていたためだと思います」

さて、官僚がビジネス支援をやろうといいだしても、肝心の協力してくれる図書館がなければ意味はない。
そこで、ふたたび松本さんが登場。
秋田県立の山崎さん、小平市の蛭田さん、浦安の常世田さんに声をかける。
いちばんのってきたのが浦安市立図書館長の常世田さん。

2000年12月28日、御用納めを終えた常世田さんと、経済産業省のひとたち、竹内さん、松本さんが、当時の通産省で会う。
常世田さんいわく、「まさにこういうことをやりたいと思っていた」。

で、補助金を得て、2001年から浦安でモデル事業を開始。

図書館で新しいサービスをはじめるにあたって、社会教育課や教育委員会との折衝があったと思うのだけれど、このあたりの経緯は載っていなかった。
こういうのも、あったら読みたかったなあ。

さて、竹内さんいわく、ビジネス支援導入のさい、「アメリカで実績があるというのも重要だった」というコメントも面白い。
日本人はアメリカの先進事例に非常に弱い。

「ヨーロッパの図書館はあまりビジネス支援に熱心ではないようですから、アメリカで実績がなくて日本だけがやるのであれば導入に成功しなかったと思います」

また座談会「ビジネス支援図書館の現在と未来」
参加者は、常世田さん、元立川市立図書館の斉藤誠一さん、秋田県立の山崎さん。

新しい事業を導入するときは、現状に対する批判がある。
そのことを常世田さんは、こう述べている。

「今50代ぐらいの図書館員は良くなるところも悪くなるところも経験しているわけです。悪くなったところを戻そう戻そうとしているうちに、今日に至った。かれらは昭和40年代、50年代の図書館が牧歌的に良かった時代に戻そうとしていたわけです」

「ところがそうではなく、逆の方向に突き進まなくてはいけなかった。たとえばビデオを貸したり、多文化サービスを実施したりしなければいけなかったのですが、そういうことは余計なことをやっているような気がして、「貸出を中心として、読み聞かせなどを一生懸命やっていたシンプルで幸福に満ちた牧歌的な図書館の姿がほんとうの図書館で、いまの図書館はあるべき姿ではない」と思いながらもどんどんいまに至ってしまったという敗北感をもっている人がいるのではないでしょうか」

これは、いささかむごい発言だ。

「ビジネス支援」という名前をつけたのも常世田さん。
図書館が予算を得るさいに、「地域経済の活性化」ということばは効くかもしれない。
ビジネス支援が急速にひろまったのは、削られる一方の予算をとるという図書館の事情も反映しているのだろう。

この本は読み応えがあって、ほかにもアメリカの事例のレポートや、実践レポート、商工会議所などのパートナーシップ・レポート、講習会での優秀レポートの紹介など、さまざまな記事が載っている。

そのうち実践レポートでは、高知県立図書館長、丸山真人さんの記事が、現場感があり面白かった。
このひとも、元浦安のひとだ。

丸山さんは、「ビジネス支援」ということばをつかわない。
「地域活性化支援」「政策立案支援」「起業・創業支援」「若者就業支援」、ということばをつかう。

こうしたのは、
「私たちが一般的に「ビジネス」といったときに、そのことばから思い浮かべる「イメージ」や「印象」と、図書館界で「ビジネス支援」としてつかうときの「ビジネス」ということばの意味する範囲に、無視できない「ずれ」が生じていると考えたからだ」

「それが多くの人に混乱をもたらしているので、「ビジネス支援」がもつべき機能や役割に分割して事業名としたのである」

ただ、先の座談会で、斉藤さんはこうもいっている。

当初、産業振興課に「地域活性化コーナー」としてあげたが、
「ビジネス支援という言葉で予算取りをしたいし、ビジネス支援という言葉が市がいまめざしている地域産業支援ということにぴったりくるので、「ビジネス支援」にしてくれと、むこうからいわれたわけです」

つまり、その地域や考えかたにより、ことばづかいが変わる。
さらに斉藤さんいわく、
「なにが重要かというと、産業振興課の人と図書館員が議論しながら名前や内容までも決めていくという作業を今までやってこなかったということですよ」

ほかの記事で面白かったのは、松永明さんによるアメリカ・レポート。
コネティカット州の内陸にある、人口2万強の小都市シムズブリーの図書館についての記事。
この館のビジネス・アウトリーチ司書は、ビジネス司書にもとめられる能力として、こう指摘したという。
「そとにでて、ひとびとに会う能力」

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お年玉殺人事件

「お年玉殺人事件」(都築道夫 岩崎書店 2006)。

絵は東元光児(とうもとこうじ)。
児童書。
現代ミステリー短編集5。
短篇が4つおさめられている。

都築道夫さんは、おどろくほどフラットな小説を書く。
ふくらみに欠ける、というより、意図してふくらみを消しているよう。
コマがひとつ欠けていて、ほかのコマを上下左右にうごかして、正解の図柄をだすパズルがあるけれど、読んだ印象はそれに近い。

「退職刑事 五七五ばやり」(1988)
元刑事の父が、刑事の息子から事件の話を聞いて謎を解く、「退職刑事」ものの一篇。
殺された男が、10日間連絡がなかったら警察にとどけてくださいと、恩師に手帖を預けていた。
そこにはいくつかの俳句が。
はたしてこの俳句は、被害者がのこしたダイイング・メッセージなのか。

俳句がなにかの暗号なのではないかと思うと、まったくちがうという、あきれた作品。
よくこの作品を収録したなあ。

「お年玉殺人事件」(1989)
マンション、メゾン多摩由良(たまゆら)に住む、滝沢紅子シリーズの一篇。
紅子の一人称。
父は元刑事で、いまはこのマンションの警備主任。
紅子をふくむ、今谷(いまだに)少年探偵団と名乗る近所の面々が、事件を解決する。

冒頭、以前父に世話になったというひとから、気の早いお年玉を送るという電話が。
直後、警備室に死体。
気の早いお年玉とは死体のことだったのか…。

問題篇と解決篇がある作品。
この作品、途中でツイストがかかる。
登場人物たちが頭をひねっていると、犯人が自供してきてしまうのだ。
で、犯人は、殺した男に脅されており、その男もべつの男に脅されていたと、話は転がっていくのだけれど、しかし妙なことするなあ。

「密室大安売り」(1974)
翻訳家青山富雄宅に居候している、なまけ者の外国詩人キリオン・スレイものの一篇。

以前、キリオンを犯人あつかいしてしまった三宅信太郎が、リターン・マッチを挑んでくる。
殺人事件があったバーで、、三宅の先輩の新聞記者から事件の話を聞き、おたがいの推理を披露しようという趣向。

殺人がおこったのは、バーのトイレ。
トイレにはカギがかかり、バーには刑事がいて、バーにおりる階段にも刑事がいた。
三重密室状態での事件。

これは最初提示された謎が、最後とかれるというノーマルな作品。
ノーマルなものがこの作品だけというのも、すごい話だ。

「メグレもどき」(1980)
名探偵に扮して事件に首を突っ込む、茂都木宏が主人公の「名探偵もどき」の一篇。
茂都木は奥さんの蘭子さんとともにスナックを経営していて、語り手はこの蘭子さん。

電話帳を読んではメモをつけている男が、もう一週間も店にくる。
この謎を解くために、茂都木はメグレ警視に扮してあとを追うが…。

この電話帳の謎が、のちにあらわれる事件とつながらない。
ふつう、つなげやしないかと思うが、作者はそうはしないのだ。
フラットな印象は、こんなところからくるのかも。

あと、都築道夫さんの文章に特徴的なのは、句読点の多さ。
西村京太郎さんとならぶのではないか。
この句読点の多さは、語り口調の文体からきたものではないかと、かってに想像している。


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はじめて買った本の話

たぶん、はじめて買った本は、北杜夫の「怪盗ジバゴ」だと思う。

たしか中学生になるかならないかのころ。
それまではマンガばっかりだったのだけれど、そろそろ文庫本なども読んでみようと思い、本屋で買ってきたのだ。

でも、タイトルに「怪盗」なんてついている本をえらんでいるところが可笑しい。

話はずれるけれど、子どもの読書を「ホームズ派」と「ルパン派」に分けるなら、断然「ルパン派」のほうだった。
これはアニメの影響が多分にある。
「ホームズ」を読んだのははたちすぎてからのことだ。

「怪盗ジバゴ」は面白かった。
童話めいたユーモア小説で、中学生にも楽しめた。
ラストなど、いま思い出してもぐっとくる。

そのつぎ買ったのが星新一の「なりそこない王子」
そのあとはもうおぼえていない。

はじめて買った本について、ひとに訊いてみると面白い。
あんがい、みんなおぼえていない。
マンガならおぼえてるのに、とか、レコード(CD)なら、とくやしそうにする。


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マーク・トゥエイン殺人事件

「マーク・トゥエイン殺人事件」(ローレンス・ヤップ 晶文社 1984)。

訳は小林宏明。
Y・A図書館3、と表紙にある。
そういうシリーズのひとつらしい。
巻末の広告には、ミッキー・スピレーンのヤングアダルト小説が。

この本、タイトルからマーク・トゥエインが殺されたのかと思ったら、ちがった。
マーク・トゥエインが探偵役だ。

舞台は1864年。
まだ南北戦争が継続中のサンフランシスコ。
語り手は、ベイウォーター公殿下と名乗っている15歳の少年「ぼく」。

冒頭、父親が殺された殿下は、「コール」紙の新聞記者マーク・トウェインと出会う。
トウェインはでっちあげ記事を書き、ネヴァダ州から追い出され、サンフランシスコに流れてきた。
街中のひとに借金をし、編集長には小突きまわされ、軍や警察には話を聞いてもらえないという、情けない人物。

いっぽう殿下は、亡くなった母親から殿下だと吹きこまれたものの、暮らしはホームレス同然。

このプライドのないトウェインと、プライドだけしかない殿下がコンビを組み、父親の殺人に端を発した南軍ゲリラの陰謀をあばく、というのがストーリー。

そう傑作という作品ではない。
こちらに、南北戦争やトウェインについての知識があれば、もっと楽しめたかも。

ぜんたいとしては右往左往小説。
殿下に出生の秘密でもあるのかと思えば、べつになし。
トウェインの推理ははずれてばかりで、そのたびにサンフランシスコの街を歩きまわるはめに。
また、肩透かしの推理が、あとで構成に反映するということもない。

でも、殿下とトウェインの会話はよかった。
南軍ゲリラが、現在修復中のコマンチ号爆破を狙っていると推理するも、話を聞いてもらえず投げ出すトウェインに、殿下はいう。

「このままほっておいて少佐に町を破壊させたあと、だからいったじゃないかなんてみんなにいってまわるのはがまんできないからさ」

そこでふたりは、コマンチ号のいる造船所へ。
まあ、この推理もはずれるのだけれど。

また、警察から記事のネタをもらおうとするも、うまくいかなトウェイン、殿下。
「自分を尊敬できないようなら、他人に尊敬してもらおうとしたってむりな話だよ」

対して、トウェイン。
「だれもがイギリスの貴族さまってわけじゃないんだ」

殿下もトウェインに感化され、里親としか思っていなかった父親のことに考えをめぐらせはじめる。

この作品が傑作でないぶんだけ、ヤングアダルト小説というジャンルについて明快になっているように思う。

おそらくヤングアダルト小説というのは、プライドをめぐる物語のことをいうのだろう。


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トリュフとトナカイ

「トリュフとトナカイ」(泡坂妻夫 岩崎書店 2006)。

絵は金子真理。
これは児童書。
現在刊行中の「現代ミステリー短編集」の第5巻。

このシリーズ、ラインナップが面白い。
赤川次郎、阿刀田高、有栖川有栖、泡坂妻夫、都築道夫、仁木悦子、松本清張、森博嗣、光原百合、森村誠一、といった顔ぶれ。

子ども向けなので網羅的にはなるだろうけれど、それにしてもバラエティに富んでいる。
編・解説は山前譲さん。

泡坂妻夫さんの作品は好きだ。
なかでも「亜愛一郎シリーズ」。
でも、読んでいない作品もたくさん。
この本に収録されている4編も知らなかった。

「開橋式次第」(1979)
医戸警察署長、吹田一郎の一家が開橋式によばれた、その朝から物語はスタート。
吹田家は大家族で、朝からてんやわんや。
開橋式によばれたのは、5代の夫婦が欠けずにそろっているのがめでたいということから。
マイクロバスで式場にいく途中、以前迷宮入りになった事件の死体発見場所にさしかかるが、そこに以前とおなじ状況のバラバラ死体が…。

主語がよく省略された、リズムのある文章。
終始ユーモラスな調子の、作者らしい一篇。

「金津の切符」(1983)
倒叙もの。
切符コレクターが、因縁ある鼻もちならない友人にコレクションをケチつけられ殺害におよぶ。
切手、和時計、切符などのコレクションのうんちくに感心。

「トリュフとトナカイ」(1993)
大学職員六原地平が、美食で釣り、戸塚右内のスカウトに成功。
戸塚先生、子どもころ山でトリュフをとって食べていた。
それを聞き、日本でトリュフは自生しないといいだしたのが、シェフの島富夫。
3人は戸塚先生の郷里にトリュフをさがしにいくことに。
そこで事件に巻きこまれ…。
列車消失トリックあり。

「蚊取湖殺人事件」(2003)
問題編と解答編がついている。
スキーにきた美那と慶子。
慶子はけがをしたあげく、インストラクターにからまれるが、土地の代議士の息子という財津に助けられ、小田桐外科に。
そこには、2代目松本清張と名乗って治療費を値切ろうとしている長沼という男がいた。
翌日、蚊取湖の氷上に長沼の死体が…。

4編とも、それぞれ趣向がちがう。
いろんな作品を収録しようとこころがけているよう。

個人的には「開橋式次第」がいちばん。
「亜愛一郎シリーズ」でおなじみの、犯人の奇妙な動機を補強するための、補強線とでもいうべきものが縦横無尽に張られている。

子ども向けに編集された本は、てっとり早く読めるのがいい。
くわえてこのシリーズは、作者の作風に手軽に接せられるところが魅力だ。

絵はだいぶ厚い本になってしまっているけれど、ほんとうはもっと薄いです。


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12歳からの読書案内

「12歳からの読書案内 海外作品」(金原瑞人監修 すばる舎 2007)。

ガイド本を手にとると、自分が知っている本があるかどうか、まず確認してしまう。
この本だと、

「レモネードを作ろう」
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」
「穴」
「”少女神”第9号」

などなど。
どれも、好きな本なので、紹介されているとうれしい。

チャペックの「困った人たち」やバリッコの「シティ」もある。
うれしいけれど、12歳にはむつかしいのでは。
32歳でもいいくらいだ。

それから、全編を通読。
紹介文では、光森優子さんのものが気に入った。
あんまり前フリをしない、話の早いところが好きだ。

本の体裁は、日本版と一緒。
ぜんたいに新しい翻訳物にねらいをさだめたよう。
2作品とりあげられている作者が何人もいる。
3作品のひとまで。

このあたり、調整をしなかったよう。
とりあえず各評者に冊数を割り当てして、リストをだしてもらったらこうなりました、という感じ。

紹介されている本も、YAのなかの純文学というような作品が多く、日本版とくらべると、バラエティがとぼしくなってしまった。
とくに「六枚のとんかつ」のようなくだらない本がない。
残念だ。

面白そうな本をメモ。
「死の接吻」モシェ・ミランスキー。
「夜明け前のセレスティーノ」レイナルド・アエナス。
などなど。

気になりながらも読んでいなかった、ロディ・ドイルの「パディ・クラーク ハハハ」も。

それ以前に、紹介されていて、もっているのに読んでない本を読まないとなあ。

そうそう、これはいっておかなくては。
紹介者が、自分が好きな本を推しているという感じは、今回も変わっていなかった。

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12歳からの読書案内

「12歳からの読書案内」(金原瑞人監修 すばる舎 2005)。

ヤングアダルト向け読書ガイド。
ヤングアダルトというのは10代のこと。

本の紹介が100冊ぶんと、監修者金原さんによる、自分はいかに読書してきたかという読書体験コラムがついている。

この類の本にしては、ふしぎなことがいくつかあって、ひとつは方針や選考基準についてないも書いていないということ。
もうひとつは翻訳ものがない。
これはじつにめずらしいことだと思う。

紹介されている本はバラエティに富んでいる。
小説に絵本にノンフィクション、科学読み物から詩集まで。
小説も、児童文学からライトノベルまである。
これがこの本の徳。

章立ても、ミステリとかSFとかで分けないで、「勇気があふれてくる本」「豊かな言葉に出合える本」と分けてあり、この工夫も面白い。

紹介者もいろいろだけれど、担当がきまっている感じのひともいる。
「このジャンルをお願い」という感じで発注をだしたのかも。

紹介者が、自分が好きな本を推しているという感じがするのも、この本のいいところだ。

で、とりあえず「六枚のとんかつ」は必ず読もうと思いました。
ほかに「サイレント・ガーデン」とか「もういちどそのことを」とか「ファンタジーガイドブック」とか。

…と、去年の6月ごろこんなことを書いていたら、最近「海外作品編」が出版された。
それについては次回。

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新田次郎の小説の書き方(承前)

前回、器械を製造するような新田さんの小説の書き方を紹介したけれど、小説はやっぱり器械とはちがう。
どんなに仕様書をつめていったところで、発注者と製作者の意識はずれてしまう。

律儀な新田さんは、そのことについても書いている。
全集の第16巻(武田信玄の第二巻)、月報6。
タイトルは、「労作必ずしも佳作ならず」。

昭和34年3月なかばごろ、「週刊新潮」編集部の新田さんが気象庁にたずねてきた。
ロアルド・ダールの「あなたに似た人」をもってきていて、おなじような傾向の小説を書いてほしい、という。
新田さんは断ったが、断りきれず、けっきょく引き受けてしまう。

まず「あなたに似た人」を読んだ。
「小説としては面白いけれど私の趣味に合う小説ではなかった」

連作小説のタイトルは「冷える」。
1回20枚。
週間連載なので、2、3本書き溜めたほうがいいという担当編集者の南さんのことばどおり、まず3本書いた。
これが全部ボツに。

南さんがいうには、この小説を「週刊新潮」に載せるかどうかは、編集担当重役の斉藤十一さんが決定する、とのこと。
つまり斉藤十一さんの好みにあわせなければならないのだけれど、その好みがよくわからない。

とにかく3日間で5つの筋を考え、南さんと相談の上、2つを小説にした。
そのうち、ひとつだけが通った。

「つまり私は20枚の短篇小説5篇を書いて、そのうち1篇がやっとお取り上げになったのである。たいへんなことになったと思った。20枚の小説を書くために100枚書かねばならないとすると、月に400枚ということになる…」

しかも原稿料は掲載分のみ。
だが、いまから引き下がるわけにもいかない。

第2回目は、3篇のうち1篇が取り上げられた。
これで、斉藤さんの好みがわかるようになってきた。
斉藤さんは社会一般に実在する(むしろ実在した)テーマを用いて創れといっているようだった。
当初話をもってきた新田さんと、要求にかなりのへだたりがある。

この発注者の意思統一ができていないために、現場が泥をかぶるというのは、よくあることではないだろうか。

その後も何度もはねられながら、ともかく新田さんは、約束どおり12回3ヶ月ぶんを書き上げた。
この3ヶ月の苦闘は、とても勉強になったと新田さんはいう。
その第一は、小説において筋立てがいかに大事かということだった。

「これは小説の全域に通じて言えることではあるが、筋立てがしっかりしていなければ、如何に書きなぐったところで、体を為さないものであることを知らされた」

また、担当編集者の南さんは、ずっと著者側の味方として立ってくれた。
でなければ、中途で筆を投げ出しただろう。

斉藤さんについても、「感謝こそすれ彼を恨む気は毛頭なかった」。
「小説を商品として買う立場と売る立場をはっきりと教えられた」
「「冷える」を通して見た斉藤さんは怖い存在だったが編集者として実に立派であったと考えられる」

新田さんは男らしい。

さて、「冷える」は「黒い顔の男」というタイトルで新潮社から出版された。
しかし、「私の小説履歴の中で最も苦心したこの作品は「新田次郎全集」には一つも入らなかった」。

そこで、話はタイトルにもどる。
労作かならずしも佳作ならず。

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新田次郎の小説の書き方

小説を読んでいると、
「これはいったいどうやって書いたんだろう」
と、思うことがある。
作者の肩ごしから、書かれている小説をのぞきこみたくなってくる。
そんなことをしたって、どうやって書かれているかはわからないのだけれど。

新潮社からでた「新田次郎全集」に、「私の小説履歴」という月報がついていて、新田さんが小説の書き方を開陳している。
これが面白い。
全集の第15巻(武田信玄の第一巻 1974)、月報5、「小説構成表を創る」というタイトル。

新田さんはもともと気象庁につとめる公務員だった。
測器課長補佐、という役柄だったという。
そこで、新田さんいわく、
「私は役人と云ってももともと技術屋であり、計画を立案し、仕様書を書き、進行表通りにことを進めて行くのが仕事だった。この私の本業のやり方の一部がそのまま小説の方に移行した時期があった」

短編長編にかぎらず、こんな作業順序をこなしていたという。

1、資料の蒐集
2、解読、整理
3、小説構成表
4、執筆

小説構成表というのは、筋書きをグラフ化したもの。
横軸が時間軸であり、ページ数。
縦軸には、人物、場所、現象などを配したという。

この小説構成表をつくったのは最初のころだけ。
つくらなくても書けるようになったからだ。
「いまになって思い出すと、このころのことが懐かしい」

さらにこんなことも。
気象庁の仕事では、多種多様な気象器械に関する仕事をしていた。
新しい器械を発注すると、入札ののち、器械を製作するが、
「契約通りに納入する会社は稀で、多くは納期になって泣きごとを云って来た」

しかしなかにはきちんと納入する会社もある。
そういう会社は、はじめから慎重で、仕様書についてじつに細かいところまで追及してきた。
そんな会社は、目ざましく伸びていったが、納期にだらしない会社は、何年たってもその習慣は直らず、けっきょく町工場に毛の生えた以上にはなれなかった。

そこで、
「私は、引き受けたからには納期は絶対に守るべきだという信念を押し通した」

小説は一種の製造物で、売り物なのだから、メーカーとして納期を守るのは義務。
このため、無理な仕事ははじめから引き受けない。
1ヶ月に最低1週間の余裕をつねに保持するようつとめた。

「私は小説を書き始めて20年以上になるが、たったの一度も原稿を遅らせたことはなかった。これは、約束を履行するために安全率を掛けた仕事をやっていたことを示す以外の何ものでもない」

じつに、製造業的発想による小説の書きかただ。


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にちぎん 2006年冬号

「にちぎん 2006年冬号 №8」(日本銀行情報サービス局)

昨年亡くなられた米原万理さんの書評集「打ちのめされるようなすごい本」(文芸春秋 2006)を読んでいたら、「赤いポスト白書 阪神淡路大震災」(白川書院新社 1996)という本が紹介されていた。
震災下の、郵便局員たちの奮闘を書いた感動的な本だという。

この本は未読だけれど、日本銀行がだしている広報誌「にちぎん 2006年冬号」に、やはり震災下で奮闘した日銀神戸支店の行員たちの記事が載っていた。

タイトルは「金融パニックを回避せよ」(取材・文 清水たくや)。

地震が起きたのは1995年1月17日午前6時まえ。
約1時間後の午前7時、支店長、次長、調査役、営業・業務・発券・文書の4課長、ふたりの副調査役の計9人が出勤。
ここがまずすごいなと思う。

激震により、自家発電すらストップ。
金庫内はめちゃくちゃ。
当然、事務室も同様。

7時半すぎに、本店との電話回線を確保。
自家発電ダウンで使用不能のシステム処理の代行を依頼。

災害時における日銀の最大の目的は、
「地域住民に金銭面での動揺をあたえない」。
お金はライフラインのひとつだ。

そこで、通帳や印鑑がなくても預金の引き出しができるように金融機関に要請する、特別金融措置が必要になってくる。

特別金融措置は大蔵省(現財務省)近畿財務局神戸財務事務所と日銀神戸支店の連名でおこなうが、なにしろ停電中なので、文書は手書き。
神戸財務事務局長の印鑑は火災でもちだせなかったため、赤鉛筆によるサイン。
前代未聞の公文書だという。
これで午前中には、特別金融措置を発動。

通知文も手書き。
道路が寸断されていたので、職員が自転車で直接、神戸新聞やNHKに届けた。
正午すぎには、ラジオで特別金融措置の発動が報じられた。

この手書きの公文書の写真が掲載されている。
ほかにも銀行内の惨状を撮った写真がいくつか。
ちゃんと記録に残すことを忘れなかったことに感心する。

技術職員により、自家発電も復旧。
この職員は、倒れたタンスで頭に大けがを負った妻の世話を娘に託して出勤していたという。
その後、1月22日午後3時の一般通電まで発電機の脇で寝泊りし、文字通り死守したそう。

17日夕刻には、相当の日数がかかるかと思われた金庫内の整理が終了。

パニックを回避するには日銀が現金供給体制を確保しただけでは不十分。
民間金融機関の窓口が機能しなければ、一般市民はお金が使えない。

そこで、店舗が倒壊した金融機関(14行庫)への臨時窓口提供をはじめる。
これが日銀史上2度目とのこと。
1度目は、原爆投下直後の、1945年8月8日の広島支店。

提供は1月20日から、2月3日まで。
約3000人の来客があり、預金引き出し総額は15億円におよんだという。


広報誌というのは、パンフレット台でほこりをかぶっているものが多いけれど、読むとけっこう面白いものだ。



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