図書館は本をどう選ぶか

「図書館は本をどう選ぶか」(安井一徳 勁草書房 2006)。

図書館の選書についての本。
いや、選書というものを語る枠組みについての本といったほうが精確だろうか。
図書館を舞台にした理屈の研究ともいうべき一冊。

まず、選書には「価値論」と「要求論」というふたつの考えかたがある。
この本には歴史的な経緯が書かれているけれど、ひとことでいうと、

「価値論」は良書主義(図書館がよいと思った本をそろえる)であり、教育的。
「要求論」は利用者の要求にこたえることを重視、レクリエーション的。

実際には、その図書館の規模や方針、立地や住民の構成、蔵書の状況から自治体の施策まで、さまざまな要素がからみあい、ふたつの論のあいだのグラデーションを揺れうごいているはず。

それはさておき。
「要求論」には、利用者の潜在的なニーズを専門家である司書が把握する、という考えかたも含まれていた。
その考えを限界まで押し進めたひとたちがあらわれる。
その代表は伊藤昭治さんと、山本昭和さん。

絶対要求論者というべきおふたりは、要求の全面肯定をとなえる。
これにより、要求すなわち価値、「要求されたものは価値のあるもの」という、要求と価値の一元化がおこなわれるのだ。

しかし、どんなに徹底した要求論でも、価値判断の問題は入りこむだろう。
そこで著者がもちだしてくるのが、近年おこなわれた「選書ツアー」に関する論争。

選書ツアーというのは住民に本を選ばせ購入すること。
じっさいにいったことはないけれど、市場に魚を買いにいく感覚で、図書館フェアなどにでかけ、本を選び買ってくるのだろうと思う。

さて、この選書ツアーに関し、さまざまな反論がでた。
要求論者たちからもでた。

でも、要求全面肯定なら、住民に本を選ばせるのは、まったく問題ないんじゃないの?

この疑問に対してでてくるのが、「カウンターの専門性」ということば。
カウンターで住民の要求をきちんと把握しているのだから、選書ツアーなどする必要はない、という理屈。

そこで著者いわく、
「カウンター業務は専門性を見えにくくする論理としてつかわれていないか」

また慎重な著者はこうもいう。
「隠されているよりも、顕在化されたほうがほんとうによいのだろうか」

話はここから、絶対要求論批判へとつながっていく。
選書の話から、ほとんど倫理的な話へとジャンプ。

この倫理的な話は、「図書館的」ということばでいいあらわせるかもしれない。
批判に開かれていないことは、図書館的ではない。

しかしまあ、ややこしい。
ジャンプするところが面白いのだけれど、そのせいで話がややこしくなっている。
手堅い書きかたが、それに輪をかけて、さらにややこしいことに。

「この本は実務にはつかえない」
と、著者はいっているけれど、それは気にすることはないのではと思った。
社会にある、図書館という現象をただただ追うことにも、なんらかの意味はあるはずだ。

もうひとつ。
価値論と要求論がもっとも鋭くぶつかるのは、児童図書の分野かも。

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