かぐや姫の物語

「かぐや姫の物語」(高畑勲(ほか)/著 スタジオジブリ 2013)

映画「かぐや姫の物語」をみた。
絵コンテを買い、読んだ。

みる前に一番興味があったのは、みかどが、かぐや姫にいいよる場面。
ここで、いやがるかぐや姫は、原文によれば、「きと影になりぬ」。

この場面、現代語訳によって解釈がちがう。
「竹取物語」(大井団晴彦 笠間書院 2012)では、

かぐや姫は、さっと「影になってしまった」。

「ビギナーズクラシック 竹取物語」(角川書店/編 武田友宏/執筆担当 角川書店 2001)では、

「ぱっと人間の体が消えて、発光体になった」

一体、かぐや姫は影になったのか、光ったのか。
現代の感覚では、「影になってしまった」が妥当だろう。
でも、角川版・武田さんの解説によれば、古語の「影」は、現代語と大いに異なるという。

《(影とは)現代語では、光の当たった物体の背後にできる暗い影をいうが、古語では光源や放射された光そのものをさすのがふつうだ》

《すなわち、「月影」は月や月光、「日影」は太陽や日光のことである》

では、映画はこの場面で、どちらの解釈をとったのだろう。
結論をいうと、「さっと影になってしまった」だった。

また、物語の冒頭、竹のなかにあらわれたかぐや姫の描写についても気になっていた。
原文は、「いと美しうて居たり」。
この「美しい」は、現代語訳では、「かわいい」と訳される。
でも、この「美しい」は、美しいであって、「かわいい」ではないのではないか。
そう書いたのが、「心づくしの日本語」(筑摩書房 2011)のツベタナ・クリステワさん。

では、この場面は映画ではどうか。
これも、結論だけいうと、「美しい」は美しいだった。
竹取翁はかぐや姫をみて、美しいというが、かわいいとはいわない。
しかも翁は、あらわれたかぐや姫をみて──おそらくはその神々しさに打たれて──思わずおがむ。
この描写には、クリステワさんも満足するのではないか。

さて、絵コンテの話。
この絵コンテは、登場人物の芝居がていねいに指示されている。
そのため、大変厚い。
まるで辞書のようだ。

絵コンテでいつも面白いのは、監督による書き入れ。
たとえば、かぐや姫の求婚者のひとり、倉持の皇子(くらもちのみこ)が熱弁を振るう場面。
倉持の皇子は、求婚のために必要な《蓬莱の玉の枝》を持参して、かぐや姫のもとにやってくる。
そして、これを手に入れるのにどれだけ苦労したか、とうとうとと語る。
映画では、倉持の皇子は熱弁ばかりか、大熱演までみせる。

この場面で、倉持の皇子は艱難辛苦のすえ蓬莱山にたどり着き、天女とことばを交わしたといいだす。
天女は、「自分の名前は「うかんるり」だ」と名乗ったなどと、まことしやかなことをいう。

ここは原文では、「我が名はうかんるり」。
「わが名は、うかんるり」か、「わが名、はうかんるり」かで解釈は分かれる。
「はうかんるり」では、「宝冠瑠璃」などと、漢字が当てられたりするらしい。
映画では、「うかんるり」を採用したようだ。

この場面に、こんな監督の書き入れが。

「大好きなセリフです」

「うかんるり」にしろ「ほうかんるり」にしろ、この天女の名前は意味不明。
倉持の皇子がもっともらしくでっち上げた名前にすぎない。
でも、監督はこのでっち上げが、「大好き」だという。
そのセンスが面白い。

それから、かぐや姫とお付きの女童(めらわめ)が羽根突きをする場面。
そこにはこんな書き入れが。

「羽根突きは、室町時代、毬杖(ぎっちょう)が変化して生まれた、とウィキ他にあるが、毬杖はホッケーのようなスポーツであり、ちがいが大きすぎて、にわかには信じがたい」

「平安に羽子板があったという文献はないらしいが、なかったという文献もない」

「あった」と「なかった」に下線が引いてある。

また、映画の終盤近く。
かぐや姫とその兄貴分の捨丸(すてまる)が、抱きあいながら空を飛ぶ場面。
そこには、こう。

「抱擁!」

続けて、こんなことが。

「77年の人生で、はじめてこの字を書いたのではないかと思います」

なんとも愉快な書き入れだ。

それにしても。
この映画は、人物も背景も淡彩でえがかれている。
にもかかわらず、空間がつくられ、2人が情感豊かに宙を舞う。
おそるべき力技だ。

この映画では、竹取物語を映画化するに当たって、さまざまな発明がなされている。
そのことも印象深い。
まず、5人の求婚者たちがこなさなくてはいけない難題のその出題の仕方について。
この処理はじつにスマート。

さらに、原作では一番最初にあらわれる石作の皇子(いしづくりのみこ)を、最後にもってきている。
これもうまい。

それから、かぐや姫がなぜ月に帰らなければならなくなったかについて。
なるほど、その手があったかという感じだ。

映画のかぐや姫は、原作同様みるみるうちに大きくなる。
ただ大きくなるのではなく、ものに感じて大きくなる。
羽衣伝説と接続するところだけは、いささか唐突だろうか。
でも、映画のストーリーからすれば納得のいくところ。

最後に、映画全体の感想。
映画は、「竹取物語」というより、「タケノコ物語」といった風。
淡彩の印象が強いせいだろうか、全体の印象は淡い。
よくできた、人形アニメーションをみたような後味。
くっきりとした淡さといった、矛盾した形容が思い浮かぶ。

それから。
映画をみて一番驚いたのは、月のひとたちが奏でる音楽だった。
そうか、月のひとたちはこんな音楽を演奏するのかと思ったものだった。


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絵コンテ「風立ちぬ」と「「腰ぬけ愛国談義」

映画「風立ちぬ」をみた。
面白かった。
夢と現実がないまぜになり自由自在。
現実の世界も、零戦の設計者である堀越二郎の生涯が、堀辰雄の小説世界と混ざりあって語られる。
こんなにごちゃまぜなのに、統一感があり、みていて面白いのだから、その強靭な妄想力には驚いてしまう。
「この世界は夢と同じものでできている」という、「テンペスト」のセリフを思い出した。

その後、絵コンテが出版。
「風立ちぬ」(宮崎駿 スタジオジブリ 2013)
これまた買って読む。
夢のシーンが多いせいか、映画を見終わったあとうまく構成が思い出せなかったのだけれど、その不満はこの絵コンテで解消。
それに、「ポニョ」の絵コンテと同じくカラーなのが嬉しい。

絵コンテを読んでいて面白いのは、監督の注意書きだ。
映画をみてまず驚いたのは、冒頭、二郎少年が夢のなかで、鳥形の飛行機に乗って飛び立つところ。
このシーンが背景動画で描かれている。
いまのアニメーションで飛行機が飛ぶシーンがあったら、ほとんど自動的にCGが選択されるだろう。
そこを手で描いているのだ。
このシーンはどんな指示がだされているのか。
そこで監督の注意書きをみると、一言。

「全作画」

また、劇中でささやかな結婚式がおこなわれる。
ヒロインの菜穂子が美しい装いであらわれて、二郎が息をのむ。
この場面で、菜穂子の絵が変わるのが目を引いた。
細かい話だけれど、近藤勝也さんの絵柄になっている。
その場面にはこんな指示が。

「近ドーくん、かわいくしてくれたまえ」

はじめから近藤勝也さんに担当させるつもりだったよう。
アニメーションは急に絵柄が変わるとリアリティを損なう場合がある。
逆に人物や場面がうまくふくらむ場合もある。
この場面は結婚式なのだから、菜穂子が絵柄が変わるほど美しくなっても不思議ではない。
そういった判断がなされたのではないかと思うのだけれど、どうだろう。
ともかく、絵柄によって演出をコントロールできるのが、アニメーションの面白さだ。

みんな手で描くアニメーションの作り手はとても注意深い。
おそらく、注意深くならざる得ない。
その注意深さは、漫然とみている観客の比ではない。
二郎の上司である黒川が、工場に二郎をさがしにくる場面。
二郎に自転車をこがせ、自分は荷台に二人乗りをして、特高警察がきたことを告げる。
この場面にはこんなメモが。

「黒川が短い脚でどう自転車をのって来たか誰も知らない」

たしかにあの足であの自転車は乗れそうにない。
なにしろサドルが肩の位置にある。
映画をみているときは、まるで気がつかなかった。

映画の公開にあわせてこんな本も出版された。
「半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義」(文芸春秋 2013)
タイトル通り対談集。

対談集なので話題は多岐に渡っている。
映画は、監督のご父君も投影されているよう。
でもまあ、そこは飛ばして、坂口安吾にふれたところだけメモを。

「日本文化私観」のなかで、安吾は羽田飛行場にソ連のI-16戦闘機をみにいったことを書いているそう。
I-16戦闘機は、日本軍が中国かどこかで分捕ってきたもので、それを実際羽田で飛ばしてみせた。
それをみた安吾の感想は、「日本の飛行機は美的に繊細につくりすぎる。飛行機はソ連のように、みてくれが悪くてもほんとに機能的で頑丈なほうがいい」というもの。
「卓見ですね」と、宮崎監督が賛意を示すと、半藤さんはこうこたえる。

「卓見ですかねえ。私はこの文章を読んで、「安吾のバカ」って思いましたよ(笑)。「機能的で丈夫なら見てくれは悪くてもいい」なんて、そんな身も蓋もないことを言ってほしくないよ、と」

こういっている半藤さんは、まだ文芸春秋社に入りたてのころ、当時安吾が住んでいた桐生にまで原稿をとりにいったことがあった。
でも、いってみると安吾は1枚も書いていない。
しかたがなく、半藤さんは坂口家に泊まりこみ。
しかも6日間も。

原稿を待っているだけだから毎日ひま。
そこで、当時、桐生に3軒あった映画館に映画をみにいったそう。
でも、なぜか安吾も一緒。
夜は、奥さんの手料理をいただき、毎晩酒盛り。

そうこうしているうちに、会社から電話があり帰ることに。
とうとう原稿をもらえなかったと落ちこんでいると、安吾が徹夜で20枚書いてくれた。
残りは、翌日用事があって向島にでてきた奥さんがもってきてくれ、無事受けとる。

このときもらった原稿が、斎藤道三をえがいた「梟雄」だったと、これは「安吾 戦国痛快短編集」(PHP研究所 2009)に収められた、巻末インタビューに書いてあった。
この桐生でのことを、半藤さんはこう述懐している。

「桐生に「梟雄」をもらいに行った一週間は、とにかく楽しい毎日でした」


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ムチャチョ

「ムチャチョ」(エマニュエル・ルパージュ/著 大西愛子/訳 Euromanga 2012)

副題は、「ある少年の革命」

本書は、バンド・デシネと呼ばれるフランスの漫画。

タイトルの「ムチャチョ」というのは、「坊や」という意味。
この言葉は作中にも何度かでてきて、「坊や」「少年」「少女」などに、ムチャチョのルビが振られている。

舞台は、1976年、内戦下のニカラグア。
独裁者であるソモサ一族に対し、サンディニスタ民族解放戦線と呼ばれるゲリラが、武装闘争を展開している頃。
サンディニスタと直接争うのは、アメリカ海兵隊の支援のもと成立した、国家警備隊と呼ばれるニカラグア国軍。
国家警備隊は、その粗暴な振る舞いにより、市民の反感を買っている──。

バンド・デシネにかぎらず、日本に紹介される海外の漫画は、たいていスーパーヒーローものかファンタジーだ。
こんなに社会性のある作品はめずらしい。

さて、こういったニカラグアの国情を背景に、どんな物語が展開するのか。
ひとことでいってしまえば、それは少年の通過儀礼の物語だ。

主人公の名前は、ガブリエル・デ・ラ・セルナ。
政府の高官を父にもつ神学生。
絵が上手なのを見こまれ、サン・ファン村の教会に壁画を描きにやってきた。

冒頭、乗っていたバスが、国家警備隊の検問を受ける。
ライターをもっていた少女がみつかり、兵士に連れ去られる。
なぜ、ライターをもっていてはいけないのか。
独裁者であるソモサがマッチ工場のオーナーであるため。
ライターの使用を禁止しているためだ。

さて、村に到着したガブリエルは、キリストの受難の絵を描くことになる。
事前に準備してきたのだが、教会のルーベン神父はガブリエルが持参した絵が気に入らない。
これは、よく勉強したことがわかるだけの絵だ。
こんな高尚な絵をみせても、村の農民には理解できない。

自分の絵を批判されて、ガブリエルは反発する。
が、ルーベン神父にうながされ、村人をスケッチしはじめる。

「光は金色に輝く後光のなかにあるのではない」
「きみは伝える者だ」
「彼らがどんな人間か教えてやるのだ」

と、ルーベン神父の言葉はじつに力強い。
父親のために村人にうとまれるガブリエルは、スケッチをすることで、村人に溶けこんでいく。

村のなかには、娼婦もいれば、政府に色目をつかう男もいる。
ルーベン神父は、サンディニスタの協力者で、説教壇の下に武器を隠している。
サンディニスタの兵士が、夜、武器をとりにくるのを、たまたまガブリエルは目撃する。

ある日、国境警備隊が教会にやってくる。
サンディニスタの攻撃で、軍事顧問のアメリカ人が誘拐されたのだ。
ガブリエルの機転で、武器のありかを知られることは逃れるが、ルーベン神父は負傷し、気のいい娼婦のコンセプションは暴行を受けてしまう。

その夜、サンディニスタの兵士が再びあらわれる。
ガブリエルに礼をいい、ライターを置いていく。
が、このライターが命とりに。

スケッチがもとで、村の少年に殴られているガブリエルを、近くにいた国家警備隊の兵士たちが仲裁し、保護する。
国家警備隊は、もちろんガブリエルの味方だ。
しかし、悪いことに、ガブリエルが殴られたときに落としたライターを、国家警備隊に見つけられてしまう。

このライターは、もともと冒頭のバスの検問で、少女がもっていたもの。
それを、アメリカ人の軍事顧問が手に入れ、そしてサンディニスタの男がガブリエルに渡したものだった。
つまり、このライターをもっているということは、誘拐されたアメリカ人のことをなにか知っているのではないかと疑われるということだ。

最初、ライターは少年のものだと思われる。
国家警備隊は少年を手荒く扱おうとするが、ガブリエルはライターは自分のものだと名乗りでる。
しかし、ガブリエルは司令官に痛めつけられ、口を割ってしまう。
その結果、ルーベン神父は逮捕され、コンセプションは殺されてしまう──。

このあたりまでが第1章。
このあと、第2章とエピローグが続く。

バンド・デシネはたいていそうだけれど、本書もカラー。
水彩でえがかれた絵は、大変美しい。
写実的だけれど、映像的な誇張もふんだんにほどこされ、かつ調和がとれている。

また、この作品はテーマが興味深い。
内戦下のニカラグアを扱うだけでも、じつに野心的。
さらにこのあと、同性愛のテーマがもちだされる。
じつは、ガブリエルは同性愛者なのだ。
父親が高官であるガブリエルは、村人から二重に疎外された人物として造形されている。

ガブリエルが、村人とコミュニケーションをとる手段は絵を描くことだ。
絵を描くことで村人と接し、現実を知り、自分を知る。
仲間を売るという屈辱をそそぎ、自分を確立しようとする。
さまざまなテーマを、成長という大きなテーマが包み、この作品を普遍的なものに押し上げている。

絵は見応えがあるし、構成は緊密。
何度読んでも楽しめる。
大変な力量だ。

第2章では、サンディニスタにかくまわれることになったガブリエルが、ゲリラとともにジャングルをひたすら逃げ回る姿がえがかれる。
ゲリラたちも、決して一枚岩ではない。
過去のしがらみや感情のいきちがいから、たびたび衝突が起きる──。

さて、日本で同じような漫画を描くひとがいるだろうか。
そう考えていたら、安彦良和さんの作品が思い浮かんだ。
歴史に材をとり、少年の成長物語を主軸におき、オールカラーの漫画を描く。
両者とも映像的な表現を駆使するところもよく似ている。

もちろん、ちがいもあって、読み手と登場人物との距離は、「ムチャチョ」のほうがはるかにはなれている。
まあこれは、日本の漫画と海外の漫画のちがいかもしれない。
ガブリエルは、物語のなかでコテンパといっていい扱いをされるのだけれど、登場人物とのあいだに一定の距離がある。
そのため、安心して読むことができる。
これが、日本の漫画だったら、ガブリエルに肩入れしすぎて、読むのがキツイものになったのではないかと思う。

安彦良和さんは、最近チェ・ゲバラの漫画(週刊マンガ世界の偉人 2013年1月27日号)を描いていた。
くらべて読むと、たいそう面白い。


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電脳巡警 その5

――続きです。

カンとバルは3人目の監査官のもとへ。
3人目の監査官は中年の女性で、なにかの宗教団体の代表者らしき人物。
いつも手袋をしているので、指紋をとられることはない。
手袋をはずすのは、食事とお風呂と眠るときだけ。
ただ、お祈りのときはスキャナーの上に手を置く――。

すると、監査官の目の前で、電子証券が勝手に市場に放出される。
証券はチャンネル使用権。
いまのところ現金化されていない。
が、細分化されている上に、何度も買い換えられている。

それにしても、街が買えるような大金を、どうやって運ぶ気なのか。
ともかく、バルがネットワークに接続し、直接資金の流れを追うことに。

一方、カンの同僚バートから連絡。
コンビニ強盗の現場から、逃走中の車がみつかったとのこと。
現場の弾丸は、倉庫のものと一致。
店のセキュリティ・システムは一撃で破壊されていたが、センターにはノイズの記録が残っていた。
「ノイズ?」と、バルは不審がる。

カネの流れを追うためにネットワークにいるバルは、カンと連絡に、対話型のキャッシュディスペンサーを指定。
カンはバルから、バルを呼びだすための口座番号を教わる。

で、カンはキャッシュディスペンサーにいき、後ろに並んでいるおばさんの、「早くしなさいよ」という催促を尻目に、バルと状況を確認。

セキュリティセンターに残っていたノイズは、バルが解析した結果、ガースンのリングから発せられたものだったと判明。
センサーとの距離など、条件によってリングは信号を発信していたのだが、シールドを通った信号はノイズとして、セキュリティセンターのフィルターではねられていた。

バルは、信号の記録と交通監視カメラの記録を参照し、現在ガースン一味が乗っている車を確定する。
さらに、向かっている場所を突き止める。
さっそく、追いかけようというカンに、バルは電気屋に寄るようカンに指示。
「さっき、特注でつくらせたものがあるのです」

バルが特注したのは、ガースンのリングを発動させる信号をだすためのリモコン。
大きく重い。
大部分がバッテリーで、背中に背負ってつかう。
しかも、有効射程は恐ろしく短い。
どのくらい近づけば有効なんだと問うカンに、バルはこたえる。
「数センチ、あるいは密着なら絶対…!」

車でガースンたちを追っていたカンだったが、道が通行止めされている。
街が買収されたため。
連中は、本当に街を買ったのだ。
「厳密にいえば、企業管轄区域においてはその企業を買収し、自治エリアにおいては住民株式を買い占めているのです」
と、バルが解説。

街を購入し、支配することがガースン一味の目的だったのか。
いや、そうではない。
購入している区域は、第17空港へと向かっている。
街を購入しているのは、空港にいくためのルート確保。
すでに、エアルートも購入済み。
空港上空では、飛行機が旋回している。
空港の買収後に着陸する予定。
飛行機は、ビジネスジェット1機に、ラモン共和国革命軍機が1個小隊。
ここが、ガースンたちのスポンサー。
リングを処置できる医者も、共和国で準備させているはず。
(そして、もう語られないけれど、おそらくカネはラモン共和国で現金化するつもりだったのだろう)

ガースンたちの街の購入をふせぐため、バルもマネーゲームに参入。
署長の家を勝手に担保に入れ、ネットバンクから借り入れ。
あとは、市警の退職基金を運用するというムチャクチャぶり。

さらに、連中の資金源を押さえる。
ガースンたちの錬金プログラムは、メジャーからマイナーネットに強制介入することで、一瞬取引を固定し、そのあいだに差額を手に入れるという仕組み。
バルが、その全てのうごきに先回りし、利益が上がることをふせぐ。

ガースンたちも、何者かが自分たちの行動のジャマをしようとしていることに気づき、すでに不要となった後方の土地を処分することで対抗。
空港までの区域が、一部買収されて通れなくなってしまったが、ルート92が通れるようになったので、そちらに。

じつは、それはカンとバルによる作戦。
買収したルート92にガースンたちを誘いこみ、信号を照射しようというのだ。
リングが作動すれば、激痛、目まい、発熱、嘔吐をともなうショック症状が起こる。
そうなれば、まずこちらの勝ち。
カンはリモコンをかまえて待ちかまえる。

しかし、カンとバルのもくろみを察したガースンたちは、ルート92の反対車線を逆走してくる。
裏をかかれたカンは、信号を照射するどころか、逆に銃撃を受けることに。
無事だったものの、車がつかえなくなり、リモコンを背負って空港までガースンたちを追う。

ガースンたちは空港に到着。
が、空港にはだれもいない。
バルが空港の派遣会社を買収し、違約金を払ってスタッフを引き上げさせたため。

「だれだか知らねえが、最後までジャマしてくれるぜ」

そこに、汗まみれのカンが登場。
リモコンを向けて、ガースン一味と対峙。
勝負あったというところ。
だが、ガースンが居直る。

「リングが作動したからって、すぐ死ぬわけじゃねえんだ。どうせ捕まるんだったら、こいつをぶちのめす」

仲間たちは飛行機を着陸させに去り(なにしろスタッフがいないので)、ガースンとカンは一騎打ち。
リモコンから信号を照射するが、数メートルの距離でもガースンのシールドは貫けない。
カンは、ガースンにぼこぼこにされてしまう。
ガースンも仲間たちに合流し、一味はジェットに搭乗。

一方、殴り倒されたカン。
ポケコン(スマートフォンみたいな携帯端末)もこわれてしまったので、空港のキャッシュディスペンサーから、バルの口座にひとこと通信を送る。

「シールド1枚はずした。なんでもいい、電波だせ」

殴りあいのとき、カンはガースンのシールドを1枚はいでいたのだった。

ガースンたちの乗った飛行機は離陸。
同時に、空港のあらゆる電波発信機器が向きを変え、飛行機にむかって信号を照射。
離陸中の飛行機のなか、あまりの激痛にガースンが絶叫し、拳銃を発砲。
脱出装置が作動し、パラシュートが開く。
バートたち市警が落下地点にむかう──。

あとはエピローグ。
署長の家は元通り。
バルがつくった会社は、少額ながら利益を生みだしていて、オシマイ。

脱獄の発端から、監査官の指紋の入手。
最後は、街の買収合戦。
追う者と追われる者の攻防をよく読ませる。

いくら派遣会社を買収しても、すぐスタッフがいなくなるというのは無茶ではないかと思うけれど、そんなことは気にならない。
伏線の張りかたがていねいなので、なかなか場面をカットできず、要約もずいぶん長くなってしまった。

「電脳巡警」の第4話(最終話)は「クリス・クリスティーズ・クライシス」。
ゼネティック本部総合広報職に勤めるカンの女友達クリスが、ある頭のおかしな軍人が開発したプログラムにストーキングされるという話。
この話も面白い。
でも、最終話の詳しい要約はやめておこう。

4話までいたると、最初の巻より絵がうまくなっているのがわかる。
いや、うまくなったというより、こなれてきたといったほうがいいか。
表現の仕方が安定してきた。
マンガの連載につきあってみればわかることだけれど、絵は描いていればうまくなるのだ。

というわけで。
「電脳巡警」は、ネットワークが発達した未来世界を舞台に、観念的にならず、地に足のついた展開をみせてくれる作品だった。
特に、ストーリーのさばきぶりが素晴らしい。
こういう作品は、ありそうでなかなかない。

また、「攻殻」とくらべると、「電脳巡警」世界では、サイボーグ化が進んでいない。
ネットに直接アクセスするのは、アンドロイドのバルだけだ。
人間たちは、端末を介してのみネットにつながる。
観念的な話に陥らずにすんだのは、この設定にあるのかもしれない。

このジャンルの代表作は、まず「攻殻機動隊」だろう。
でも、異色作としてこの作品も押しておきたい。
それだけがいいたくて、長ながと要約した。


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電脳巡警 その4

――続きです。

盗聴おじさんの協力により、ウィリーの自宅が判明。
カンが張っていると、朝帰りのウィリーがあらわれる。
カンの指示で、バルがウィリーに接触。

「先日、うちの刑事が撃たれまして。そのとき使われた銃の一丁が、かつてのガースン一味とかかわりのあることがわかりまして…」

揺さぶりをかけると、部屋に入ったウィリーはすぐ仲間に電話。
カンたちはそれを盗聴および探知。
が、ウィリーが市警がきた旨をつたえると、電話はすぐ切られてしまう。
それでも、ウィリーが電話をかけた相手は判明。
JSトレーディングという会社。
代表者は、ジェームズ・ショウ。
ガースン一味のひとり、ジェイの変名。

ウィリーは部屋をでてメトロに乗りどこかへむかう。
ウィリーの性格上、いき先はアジトかもしれない。
バルがメトロのゲート管理システムに侵入し、改札を通った時刻からウィリーのチケットIDを判別。
料金といき先から、降りる駅をしぼる。

さて、湾岸のとある倉庫にいるガースン一味。
ここが、ジェイの会社でもある。
さすが悪党たちは用心深い。
ウィリーのあとを市警がつけてくるのではないかと察する。
案の定、のこのこあらわれたウィリーのあとを、カンとバルが追ってくる。
で、ガースン一味とカンとバルが出会って、アクションシーン。
乱闘のあと、銃撃戦。

カンたちを始末しようとしたガースン一味は、作戦を変更。
倉庫の温度を零下に下げて、ウィリーもろとも閉じこめる。

カンたちは懸命に脱出をはかるが、シャッターもドアも開かない。
屋外配線が切られ、電話は不通。
携帯では、倉庫の壁を通らない。
が、内線は生きていて、バルがそれを通じ、温度をコントロール。
冷気の吹きだしはやむ。

しかし、乱闘のとき投げられたバルは、温度調節がうまくいかなくなってしまった。
このままでは、5分ほどで脳が過熱。
最悪の場合、有害物質が生成される恐れが。

バルを冷やすため、カンは水をさがすが、倉庫のなかは蛇口も消火栓もみつからない。
天井にスプリンクラーをみつけたものの、暗闇のなかで銃で狙うには高すぎる。
しかし、ポケコン(スマートフォンみたいな携帯用コンピュータ)から指示をだし、スプリンクラーを誤作動させ、ぶじバルの冷却に成功。
2巻中一番の盛り上がりをみせる場面だ。

逃走したガースン一味は、昼食のため、のんきにコンビニ強盗。
車でコンビニに突っこみ、サンドイッチをとって、別の車に乗りかえる。

ところで、この時点では、カンたちはガースン一味の目的──監査官たちの指紋あつめ──をまだ知らない。
ウィリーが知っていたのは、どこかの飲み屋で、ある老人(監査官のひとりワルター・ロスマン)と会っていたということだけ。
記憶力の悪いウィリーは、老人のモンタージュもろくにつくれない。
手がかりは飲み屋ということのみ。

そこで、カンたちは再びサラの店へ。
なにも知らないとサラはいう。
ガースンが仮出所したのも知らなかった。

「やつが刑務所をでたと俺はいったけど、仮出所したとはいっていない。やつは脱獄したんだ」

と、カン。
サラが口を割り、店にきたのは元経済庁第65長官、ワルター・ロスマンと判明。
しかし、ガースンたちがなにをしたのかは、サラも知らない。

カンとバルは、獄中でガースンがみていた番組をチェックして当たりをつける。
ガースンが最後にみていたのは、「有価電子証券取引に関する当局取り決めの見通し」。
ロスマンの、山ほどある肩書きを検索すると、W&Gネットバンク特別監査官がヒット。
押収をまぬがれたカネ、隠し口座、指紋キーがひとつにつながる。

ガースンがみていたニュースは、みな来期における有価情報取引規制の改正に関するものだった。
ガースン一味は、改正前にカネを引き出して逃げるために、行動を起こしたにちがいない。
ガースンたちの目論見が唯一はずれたのは、現在、一定額以上がうごくときは、新たにキーが必要になったこと。
隠し財産の規模から考えて、必要なキーは最大級。
3人の監査官全員のキーのはず。

一方、ガースン一味は、投資コンサルタントの肩書きで、第2の監査官イルフォード卿と接触。
(おそらく架空の)実績を上げ、イルフォード卿の信用もすでに得ている。

「お客様の運用実績を考慮いたしまして、当社の独自データをリアルタイムで御覧いただけるようにします」

と、モニターの案内嬢がイルフォード卿に告げる。
背後にいるのは、もちろんジェイ。

「他社にはない重要機密ですから、特別にお客様のボックスをおつくりいたしますので、登録をお願いいたします。発信音のあと、3Dスキャナーに手をお乗せください──」

カンとバルは、イルフォード卿に連絡。
電話にでた執事に事情を説明。
なにか変わったことはないかと尋ねると、最近、主人が重用しているデリバティブ・コンサルタントを調べてほしいと執事。

「名前を、Jコンサルタントといいまして──」

会社名を聞いたカンは、思わず天を仰ぐ。

というわけで、物語は3巻へ――。
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電脳巡警 その3

2巻目は、シリーズ中最長編である「ガースン・リターンズ」を収録。
2巻だけでは終わらず、3巻に少しこぼれている。

内容は、隠したカネを奪い返そうとする脱獄囚及びその一味と、カンたちの攻防をえがいたもの。
では、ストーリーを詳しくみていこう。

まず、海上に建設された刑務所で、645年の刑期をもつバリー・ガースンが房の移動を命じられるところから、物語はスタート。
この刑務所は完全民営化されている(らしい)。
財政は予断を許さぬ状況だが、囚人(プリズナー)・リーグなどの興業収益により好転しつつある。
しかし、なんといっても効果的なのは、仮出所を増やしたこと。
だが、個人情報管理のチェック項目増大のため、職員は昼食抜きで仮出所作業に追われるはめに。

「省力化というのは残った人間が忙しくなることをいうらしいな」

と、ぼやく職員たち。
仮出所する囚人たちには、足首にリングがはめられる。
このリングにより、囚人たちの現在地はたちどころにわかる仕掛けになっている。
また、重要施設の出入りおよび、市から出るさいは、チェック機能がはたらく。
リングは生体結合しており、無理に外そうとすると、免疫系が損傷し、生命にかかわることになる。

──という訳で。
仮出所というかたちで、バリー・ガースンはぶじ出所。
とはいえ、645年の刑期をもつガースンが、仮出所などできるはずがない。
内実は、ガースンの仲間が、仮出所する予定の別の囚人とガースンの個人データを丸ごと入れ替えたのだ。
出所したガースンは、仲間たちと合流。

この場面、どうやって刑務所のデータバンクをいじったのかは書かれない。
このあたり、マンガや映画といった、ヴィジュアル中心のメディアの特権だろう。
小説だったら、なかなか省略しづらいところだ。

場面は変わって、射撃訓練中のカンとバルへ。
カンの射撃の腕はいまひとつ。
というのも、カンは、亡くなった先輩であるブラッドが教育課程をすっとばして強引に署に入れたからだ。
と、さりげなくキャラクターに触れられる。

その後、駐車場でバルが、通りがかった車から多数の銃弾を受ける。
たまたまバルだからぶじだった。
銃弾を解析すると、3年前の銃撃戦のさい、同じ銃から発射された弾丸があることがわかる。
銃のもち主は不明。
そのギャング団との銃撃戦では、ボスのバリー・ガースンが逮捕されている。
現在、セントポーゴ島の刑務所で服役中。
カンは、ガースンをよく知っている。

「ぶちこんだのは俺とブラッドだ」

しかし、なぜいまごろ仕返しにきたのか。
カンとバルは、ギャング団の残党の資料を収集。
刑務所にいるはずのガースンに面会を申しこむ。

一方、カンを始末したと思っているガースン一味は、廃屋のような部屋で今後の打ち合わせ。
ガースンの足首にはめられたリングには、シールドを巻いた。
これで、よほどセンサーに近づかなければ大丈夫。

さて、一味が3年前にあつめたカネは、現在、計1ダースの電波使用圏のかたちでバンキングされている。
プルトニウムの先物取引などは、すでに第3世界でももて余し気味だが、その点チャンネル使用権はまだ上がる。
特に、グローバルネット3チャンネルの使用権は大きい。
どこかの街くらいは買える金額だ。

しかし、使用権を換金するためには、行政府がバンクに入れた3人の監査官の目をごまかさなければならない。
具体的には、監査官の指紋が必要──。

場面は、刑務所と通信するカンへ。
モニターには、ガースンと似ても似つかない男が映っている。
しかし、名義上はまちがいなくガースン。

刑務所の責任者も現状は理解している。
全力を挙げて囚人のデータを洗い直しているが、どの程度の規模で改竄がおこなわれたのか、全貌がつかめていない。
もし、システムにトラブルが生じたとなれば、全囚人の服役が疑われてしまう。
各企業警察との信用問題は、刑務所の財政に深刻な影響をおよぼす。

「個人的にはすまないと思っている。だから、極秘事項を明かしたのだ。ぜひ犯人を捕まえてほしい」
と、刑務所責任者。

「おれたちだけでってことね」
と、カン。

「仮出所者と入れ替わって出所したのなら、足首にリングがつけられているはずでは」
という、バルの質問に刑務所責任者はこたえる。
リングはこちらの呼び出しにも応じない。
無理にはずそうとすれば、緊急信号が発せられるし、免疫系が損傷される。
おそらくなにか効果的なシールドを使用しているのではないか。

カンは、3年前にガースンと一緒に捕まえた一味の下っ端、ウィリーに目をつける。
もし、いまも一味とかかわってたら、こいつの尻尾がつかみやすいはずだ。

それから、カンはバルをつれて、とある高級酒場へ。
マダムのサラに面会をもとめる。
サラは、ガースンの女だった。
ガースン一味からなにか連絡はないかというカンの質問に、サラは名前も聞きたくありませんとこたえる。

さて、ウィリーは実刑をのがれて、ダウンタウンで調理師見習いをしていたものの、長くは続かなかった。
その後の勤務先である酒屋にカンとバルがいってみると、とっくに姿をみせなくなっている。
で、2人はいつもの盗聴おじさんのところに。

「俺は警察のボランティアじゃないし、ガースン一味にはかかわりたくない」

とゴネるおじさんを、カンとバルは実力行使によって協力させる。
このストーリーの要約ではトバしているけれど、この作品はユーモラスな場面が多々ある。
この場面もそうだ。

それから、ストーリーのはしょりっぷりがじつに見事。
酒屋を訪ねたカンとバルの場面は、たった2ページだ。

一方、ガースン一味。
サラの酒場のVIPルームでは、監査官の一人、ワルター・ロスマンが接待を受けているところ。
その様子をモニターでみながら、「しかし、ずいぶんと開けづらいサイフになったもんだ」と、一味はぼやく。
自動投機システムのなかにつくった隠しループは、監査官の連中にはまだみつかっていない。
隠しコマンドを送れば、いつでも作動してブツを市場にだし、カネに換えることができる。
しかし、それをするには3人の監査官の指紋がいる。

サラがロスマンを薬で眠らせ、そのあいだに指紋を採取。
ぶん殴ってさらってしまえば簡単だが、気づかれてカギが変えられてしまえば元も子もない。

「こういうのこれっきりよ。あなただって仮出所中じゃない」

と、去りぎわ、ガースンにサラが告げる。


――以下、続きます。


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電脳巡警 その2

続きです。

1巻にはもう1編、
「レディ・レガシィ」
という、前後編の短編が収録されている。
これがまた面白いのだ。
──というわけで、ストーリーの紹介を。

まず、通報を受けたカンとバルは、レンタルビデオ屋へ。
通報の原因は、客とのトラブル。
殴られたあとが痛々しい店員いわく、
「お客さんが借りたソフトを消去して返却したので、それを指摘したところ、そのガラの悪い客が怒りだした」
とのこと。
カンとバルはとりあえず、「俺はやってねえ」という、ガラの悪い客を捕まえる。
ちなみに、問題のソフトは、「レディ・レガシィ」というポルノ。
客がやったのか、店員のチェックミスかわからないが、まったくバカバカしい事件。

署にもどり、バルはソフトをチェック。
やはり完全に消去されている。
「だれかが2度目に再生しようとしたとき、消去されるように仕込んでいたとか…」
と、バルがいうと、カンはあきれる。
「エロビデオ消去を企む謎の巨大犯罪結社! カッコよすぎるぞ」

そこに、荷物をはこぶのを手伝ってくれと、同僚があらわれる。
レンタルソフト専門の盗品故買屋を押さえたそうで、押収品のリストをつくっている。
箱の中身はポルノでいっぱい。
そのなかに、例の「レディ・レガシィ」が。
再生してみると、これも中身が消えている。

バルが、この種のソフトの未返却・消去・盗難などの被害をリストアップ。
すると、あちこちに「レディ・レガシィ」のタイトルがあらわれる。
「これは絶対普通じゃないですよ」

カンとバルはいつもの盗聴屋のところへ。
「そういうのが好みなの。へー」
などと、訳知り顔をしながら盗聴屋のおじさんは調べてくれる。
しかし、「レディ・レガシィ」は見つからない。
オンラインの店にもない。
市内のどの店からも消えている。
一体、これはなんなのか。

2人は、「レディ・レガシィ」をつくったプロダクションへ。
すると、煙があがっている。
プロダクションは火事で半焼。
マスターテープは熱線かなにかで念入りに焼かれ、その上で偽装火災が起こされている。

プロダクションの社長に、なにか「レディ・レガシィ」の残りはないかとカンが訊くと、「ワークならある」と社長。
マスターとは別に、編集作業のあたりをとるのに、一般用のビデオにダビングしたやつをつかったりする。
それがワーク。

「今はみんなデジタルだけど、うちみたいなとこはまだちょいちょいね」

と、社長はいうけれど、この未来世界にまだビデオテープがあるかどうか。
このあたり、15年以上前の作品として、味がでてきたところだ。

さて、社長とその部下のオタク君が部屋をひっくり返し、ついにワークを発見。
再生してみると、そのビデオは、オタク部下が「パワードニンジャVS火星のバイオスラッグ」という、しょうもない作品を上からダビングしてしまっていた──。

「ゴメンナサイ」

と、オタク部下君があやまったところで、前編は終了。

さて、後編──。
カンとオタク部下君は、どこかに残っているかもしれない「レディ・レガシィ」を探して、ポルノボックスをまわることに。
カンは、「レディ・レガシィ」の中身を知らないので、部下君を連れて歩くほかない。
そのあいだ、バルはネットワークにまだソフトが残っていないかどうか調査。

で、カンとオタク部下君は、泊まった安ホテルで有料TVをチェック。
すると、それらしき映像を発見。
ちょうどいま終わったところで、すぐまたはじまるはずだと待っていると、ぜんぜんちがう番組がスタート。
「都合により変更します」というテロップが流れる。

2人はフロントに押しかける。
が、暴漢に間違えられ、フロントのじいさんにショットガンを突きつけられてホールドアップ。
通報を聞いてやってきた、市警の同僚バートを驚かせる。
(このあたり、本来バート視点でえがかれている。視点の切り替えが効果的だ)

さて、車に乗せられた2人は、バートから意外な言葉を聞かされる。

「それならもってるぜ、俺。コピーしちゃった。女がこう毛皮着てるやつだろ。署のキカイ、たいがいのコピーガードもクリアするぞ。やってみな」

明日もってきてやる、とバート。

「でも、いっとくけど、すごくつまんねえぞ。つくったやつら、バカだぜきっと」

翌日、署でバルがモニタリングしながらビデオを確認。
予想以上のつまらなさ。
それはともかく、キャストおよびスタッフの前歴は問題なし。
なにかの犯罪行為が映っているわけでもない。

「撮影許可とってないところはあるか」
と、カンが訊くと、
「とってるとこなんかないっす」
と、部下君。

通行人に、極度にカメラ嫌いの王様でも映っていたのだろうか。
そこで、ホテルのラウンジを撮影した場面で、背景に入った人物たちの検索を開始。
厚生省事務次官、マーカス・バグウェルがヒット。
バグウェルと歓談しているのが、ゼネティックデータ事業部ブレナー副部長。
それから、シュウア・メディコのサカザキ専務。
ならびに、シュウアのSP。

「厚生次官とデータ会社と医療会社のおえらいが、ロイヤルロードのラウンジでお茶を飲んでいる──」

日常的な光景だ。
しかし、なんの話をしているのか。
バルがマザーコンピュータのパワーもつかって、次官たちの口のうごきから、話の内容を再現。

「DNAデータというのは説得力がありますし──」
「登録制は──年度の新生児をめどに──」

話の内容は、個人の遺伝情報を雇用統制に利用しようというもの。
エロビデオを狙っているイカれたやつらかと思っていたら、それ以上にやばい。
すると、バルが、この一部始終を外部からモニタリングされていたことに気づく。
さらに、机の裏に爆発物を感知。

とっさに爆発物を飲みこんだバルは、スクラップに。
カンは逃走する車を追うが、車は口封じにあらわれたシュウアのポリスに蜂の巣にされてしまう。

そして、エピローグ。
ビデオの内容だけでは、事件というわけにはいかない。
しかし、会話を復元したビデオを、バルはフリーネットワークに流してしまっていた。

「情報を失う危険を感じたもので。あとは、みなさんの手にゆだねることに──」
「へたすりゃパニックだぜ」
と、カンは驚く。

後日、マスコミに目立ったうごきはないものの、アクセス数はかなりの数に。
話題になるのも時間の問題。

「マスメディアがうごくのは、いつも一番最後ですからね」
と、バル。

そしてラスト、バルの新しい体が署に届いてオシマイ――。

消去されたポルノの謎から、一転、遺伝情報を利用した雇用統制へ。
話の広がりかたが面白い。

それから、こうやって逐一要約していってわかったけれど、セリフ回しがじつにうまい。
正確に描写しようとすると、大変厄介だと思われる専門的な部分を、セリフの雰囲気と話の流れだけでこなしていく。
その手際はほんとうに見事だ。

ラストのアクションシーンは、署内にこんなに簡単に爆発物が仕掛けられていいものかと思わないではない。
それに、外にいた車だって、わざわざ目立つように逃げ出す必要はないだろう。
でも、読んでる最中は気にならないからいいとしよう。

そして、最後の「ネットに流してしまった」は、まだ現代性を失っていないところだろう。

というわけで、1巻目の紹介はここまで──。



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電脳巡警 その1

本好きなら必ず、
「だれも知らないけれど、この本が好きだ」
という一冊があるはずだ。
そして、さらに、
「なぜこんなに面白いのに、だれも知らないのか」
と、義憤にかられているはずだ。

という訳で──。
今回、とりあげるのはそんな一冊。
「電脳巡警」(小松直之 マガジンハウス)
雑誌「COMICアレ!」に連載され、1~3巻まで発売されたマンガだ。

このマンガを知っているひとには、いままで会ったことがない。
それに、この作品自体、もう手に入らないだろう。
そこで、やや詳しく内容を説明していきたい。

1巻に収録されているのは、
「カンと相棒」
「レディ・レイジィ」
の2編。
「カンと相棒」のほうは、5編による連作。
目次によれば、1994年8月号から12月号にかけて掲載されたもの。

主人公は古頼寒(コライ・カン)。
通称、カン。
セントラルシティの市警に勤務する、頭より足で稼ぐ古風なタイプの刑事だ。
一緒にコンビを組んでいた先輩のブラッドは、半年前に撃たれて亡くなってしまった。
それ以来、カンは相棒なしでやっている。
「市警なんかにゃロクな新人もこねえからな」
と、カン。

舞台は、電脳化が進んだ未来都市。
企業化も進んでいて、企業はポリスと呼ばれる独自の警察組織をもっており、ポリスの委託範囲内に立ち入るのは、たとえ市警といえども許されない。

電脳化が進んだ未来都市を舞台にしたマンガといえば、まず思い浮かべるのは「攻殻機動隊」だろう。
「電脳巡警」と「攻殻機動隊」は、舞台だけはまあ似ている。
でも、残念なことに、ビジュアル面において「電脳巡警」は「攻殻」の足もとにもおよばない。
可愛い女の子が登場するわけではないし、未来世界が格好よくえがかれることもない。
メカニックが細かく描写されることもないし、そもそも絵が上手くない。

「攻殻」の作者である士郎正宗さんの、アイデアを絵でみせる才能は抜群のものだけれど、それにくらべると「電脳巡警」のビジュアルの魅力のなさはいっそ痛快なほどだ。
慣れてくると、このビジュアルにも愛着が湧いてくるのだけれど、これはひいきのしすぎというものだろう。

とまあ、だいぶビジュアル面をくさしたけれど、では一体この作品の魅力はなんなのか。
ひとことでいうと、ストーリーのこなれっぷりだ。
電脳化が進んだ社会における犯罪とその捜査を、「攻殻」のようにややこしくなく、いたってありきたりに、こなれたストーリーでみせてくれるのが、この作品の魅力だ。

ちなみに「攻殻」の単行本発売は1991年。
映画公開は1995年。

それにしても、SFだというのに、ビジュアルに魅力がないのは致命的。
だから、この作品のことをだれも知らなくてもしかたがない。

話がそれた。
ストーリーの続きを──。

さて、出勤途中のカンの目の前で、地下鉄(メトロ)が暴走する。
原因はコンピュータ・ウィルスによるもの。
最近、衛星やコンビナート船でも同様の事件が起こっている。
被害にあったシステムは、GT(ゼネスティック)社となんらかのかかわりが。

で、捜査開始となるわけだが、カンは保身しか考えていない骨董好きの署長から、新しい相棒を紹介される。
メガネをかけ、スーツを着た、ひょろっとした若者。
名前はVAL(バル)。

まず、2人はカンの知人であり、GT社に勤めるクリスというショートカットの女性を訪ねる。
「捜査の現状に関する資料及び容疑者リスト等については提出をひかえさせていただきました」
と、クリスはつれない。
ただ、以前あるプロジェクトにまずいことがあって、スケープゴートにされた職員がいるとかいないとかいう噂話を教えてくれる。

その足で、2人は路上でランチを売っている車へ。
じつは、ランチの販売は偽装。
車のなかでやっていることは盗聴。

「盗聴じゃなく傍受。電波は出しているほうが悪いの!」

と、盗聴屋のおじさん。

「俺達みんな電子レンジの中に住んでいるようなもんなんだよ。有名でしょ、メディアセンターの研究者の家は娘ばっかりだって」

と、余計なことまでいう。
こういった紋切り型が多いのも、この作品の魅力のひとつだといいたい。

盗聴屋のおじさんは、以前カンの世話になったことがあるらしい。
ちょっとはたらいてもらって、事件関係者のリストを入手。
GT社の社長、ローズフェラー。
TP(トランスポート)事業局長のシュルツ。
ソフト設計チーフのタナカ。
などなどが載っている。

ハッキングの経路をさぐるために、盗聴屋のおじさんにアマチュアハッカーも紹介してもらう。
ハッカー君は小太りの下ぶくれ。
フィギュアが飾られた家にいて、1.5リットルのペットボトルを飲んでいる。
これもまた紋切り型

「何もしてませんよ、僕。アクセスさせるほうが悪いんです」
と、どこかで聞いたようなセリフをいうのが可笑しい。

ハッカー君とのやりとりで、メトロのメインコンピュータに、電話の音声にカモフラージュして、信号が入ってたことが判明。
アクセスルートを追うと、公衆電話から。

公衆電話が残っているのは、現在スラム街しかない。
GT社の連中なら、メディアセンター経由でしらみつぶしに捜査するのだろうが、ああいう街ではメンテナンスの記録と実態がまるでちがう。

さらに、事件の関係者リストから、サミュエル・サトーという人物に目をつける。
3年前、GT社を首に。
原因は不明。
優秀なプログラマーらしいが、いまだに再就職していない。
現在、スラム街のひとつ、リバティヒルズのどこかにいるらしい。

リバティヒルズに残っている公衆電話はひとつ。
去年までは3つあったが、ひとつはガキ共が、もうひとつはカンとブラッドがこわした。
そこで、カンとサトーは現場にいき張りこみ。

「いろんなものがデンセンでつながるようになってから、わかっていることはますますわかり易く、わかりづらいことはどんどんわからなくなってきやがる」

と、カンがこぼしていると、サトーの姿が。
カンがサトーの部屋に押し入り、アクションシーン。
突然あらわれたGT社のポリスが発砲し、サトーは重傷を負う。

──ここまでがACT1。
「カンと相棒」はACT5まである。
ここからは、なるべく駆け足でいこう。

事件は解決ということで、カンはバルを連れ、慰労会兼歓迎会のためバーへいく。
そこで、バルが、じつはアンドロイドだということがわかる。
人工捜査官開発供給委員会から供給された、特S超級人工捜査官という肩書き。

で、バルはサトーの部屋で、あるディスクを7枚拾っていた。
なにかの操縦プログラムらしいが、それ以上はわからない。

「もしも次のウィルスがすでに仕込まれているとしたらどうでしょう」
と、バル。

翌日(たぶん。時間経過はよくわからない)、GT社のクリスにディスクの確認の結果を聞く。
この場面、確認を頼む場面はトバされている。
こういった、場面のトバしかたも素敵。

クリスがいうには、7枚のディスクのうち、2枚は市販のソフト、あとの4枚はすでに進入を受けたプログラムの1部。
残りの1枚は、運用されているものにはない。
運用されていないものとはなにか。
たとえば試作品。

カンとバルは、直接GT社を訪ねる。
事業局長のシュルツと、ソフト設計チーフのタナカが応対されるが、もちろん試作品のデータはみせられないと門前払い。
ただ、シュルツとタナカは、かつてサトーの直属の上司と部下だったことがバルのハッキングにより判明。

ところで、明日は極超音速巡航機(スーパークルザー)の公開試運転がある。
署長のお供で乗らないかと、事務のミス・ソンに誘われるが、カンは拒否。

その夜、カンとバルは清掃員に化けてGT社に潜入。
この発案者はバルで、カンはあきれる。
忍びこんだオフィスルームで、バルがコンピュータをチェックすると、妙なプロジェクトがみつかる。

ASSー299X 主務設計者サトー。
3年前に計画中止。

ASSー343Y 主務設計者タナカ。
3年前にスタート。

実質にまったく同じプロジェクト。
なぜ、わざわざ中止した計画を、すぐまた別のプロジェクトチームでスタートさせるのか。
3年前は、ちょうどサトーがクビになったころ。

Xは研究試作段階をあらわし、Yは量産先行試作段階をあわらす。
ASSは…というところで、警備員に銃口を向けられ、2人はホールドアップ。
警備システムはバルがパスしたはずだったが、どうやら不十分だったよう。

GT社に不法侵入したことで、カンのクビはあやうくなる。
きょうは空港に市長もGT社のおえらがたもくるんだぞと、スーパークルザーの公開試運転にでかける署長にお目玉。
また、バルは備品扱いなので、管材センターに送られ、そこで再検査。

機械野郎のいうことなんか聞くんじゃなかったと、カンがふてくされていると、そこにメッセージサービスがあわられる。
もってきたのはカン宛のグリーディングカード。
なぜか着払い。
開けてみると、バルの姿が。
容量が少ないので質問にはお答えできません、指示にしたがってください。
と、バルのホログラフがくり返す。

で、カンは指示どおり電気量販店にいき、拡張チップを買い、警察手帳(ブック)につないで、さらに電話回線につなぐ。
そして、いわれた番号につなぐとアダルトQ2にアクセス(Q2ということばがなつかしい)。

そこにVALと入れると、ようやくバル本人が登場。
バルはセンターの内線から、コアプログラム、つまり自分自身をQ2のコンピュータに逃がしていた。
体のほうは管材センターにいる。

「必要なコピーは残してありますから、試験のほうはわけなくパスするはずです」
と、バル。

さらに、バルは例のプロジェクトを説明。
ASSのAはエアロダイン(重航空機)。
SSはスーパーソニック。
ASSー343Yは、きょう飛ぶスーパークルーザーの計画ナンバー。

ちなみに、サトーが主務設計者をしていた最初のプロジェクト、ASSー299Xは、強引な受注から経済的に座礁寸前となり、試作機は墜落していた。
その後、タナカを主務設計者となり、プロジェクトASSー343Yがスタート。

で、カンは空港へ。
いやがる署長と一緒にスーパークルーザーに乗りこむ。
スーパークルーザーは、巡航速度マッハ5で高成層圏を飛行。
VIPルームで映画がはじまったかと思うと、「REVENEGE OF THE DESIGNER」というタイトルが。
映画がウィルス侵入のキーだった。
チープな映像により、シュルツ局長とタナカが、わざと試作機を墜落させ、莫大な保険金を得たのち、ゲイシャハウスで市長を接待して、新たな機体を受注したことが暴露される。

スーパークルーザーは外部との連絡が不能に。
着陸モードが著しく影響を受けている。
この最新鋭の機体には手動モードそのものがない。
乗組員はパイロットではなくオペレーター。
手動モードがないのは、おもにコスト面からという理由が泣ける。

バルの指示で、カンは招待されていた小学生の一団から、ゲーム機を借りてくる。
ゲーム機を機体とリンクさせ、バルの制御のもと、カンがゲーム機を操作して着陸することに。
この着陸のサスペンスは盛り上げる。

とにかく、なんとか着陸。
消防士に女性がいるのが未来風だろうか。
そういえば、ポリスも女性が多かった。

あとは、エピローグ。
着陸後、機体の電源が切れ、バルはコアの部分だけカンの警察手帳に移した。
が、肝心の体のほうが、なぜか検査を通らず廃棄処分に。

というわけで、カンはバルを復活させるのに右往左往。
その結果、バルは市のマザーコンピュータ・ネットワーク上に生まれたプログラムだったことがわかる。
「体」は、街のあちこちの研究所や工場でばらばらに製造されていた。
発注主はマザーコンピュータそのもの。
つまり、バルは、街が生みだした人工知能だった。

最終的に、バルのコアの部分は、Q2に残していた人格部分と結合し復活。
それにしても、なぜ「体」が処分されてしまったのか。
「なにか陰謀を感じます」とバルはいうが、じつは刑法とお茶くみにかんする2つの重要なプログラムを入れ忘れていたというオチがついてオシマイ。

ネットワーク上に生まれたプログラムというバルの正体も、なんだか「攻殻」を思わせる。
バートという、「攻殻」のバトーをくだけた感じにした、ターミネーターみたいな容姿のカンの同僚がでてくるのも、なにやら可笑しい。
こういうキャラクターは電脳ものの定番なんだろうか。

ウィルスによるメトロの暴走から、スーパークルーザーのサスペンスにいたるまで、場面転換と情報のだしかたの手際がじつにいい。
もっとヴィジュアルに力があれば、スーパークルーザー内での暴露映画のチープさもより効果がでたのだろうけど、それはいってもしかたがない。

というわけで、オリジナリティには乏しいのだけれど、紋切り型の配置の仕方と、捜査ものの定石にのっとった展開にはほれぼれさせられる。

1話を紹介しただけで、ずいぶんな分量になってしまった。
続きは次回──。


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「皺」「ひとりぼっち」そして灯台

日本のマンガは世界一だというひとがいる。
そういうひとは、日本以外のマンガに目を通しているのだろうか。
まずそうとは思われない。

日本以外のマンガを知らないのに、日本のマンガを世界一だというのは、だれもいない土俵でおれヨコヅナーといっているようなものだから、やめたほうがいい。
と思うのだけれど、そういっているひとは、日本マンガの世界一性を精確に計量したいと思っているわけではないだろう。
たんに無邪気なだけだろう。
だから、そういうひとに出会ったときは、ただ微笑むだけにしている。

たしかに、市場の規模なら、日本のマンガは世界一かもしれない。
でも、日本以外のマンガを一冊でも読んでみれば、それがなかなか日本でいうマンガの範疇に当てはまらないことがわかるだろう。
マンガのイメージがちがうのだ。
外国のマンガは、日本のマンガとは別のモノサシでつくられている。
たからといって、外国のマンガがつまらないということはまったくない。

長くなってしまったけれど、ここまでが前置き。
最近、2つの外国マンガを読んだ。
どちらもとても面白かった。

ひとつは、スペインのマンガ。
「皺」(パコ・ロカ/著 小野耕世/訳 高木菜々/訳 小学館集英社プロダクション 2011)。
舞台は老人ホーム。
記憶を失っていく老人をえがいた物語だ。

記憶を失っていく、あるいは現在と過去が入りまじる表現がたいそう見事。
老人が、次のコマでは若くなっていて、顔が思いだせないときは顔の部分が空白になる。
突然、コマのなかの絵が、だれかの主観になる。
うろおぼえだけれど、吉野朔美の短編集「いたいけな瞳」のどこかに入っていた、老人ホームの話を思いだした。

「皺」には、もう一つ「灯台」という短編が収録されている。
戦場から落ちのびた兵士が、灯台と灯台守のもとで回復していくという物語。
これも面白かった。

もう一冊は、フランスのマンガ。
「ひとりぼっち」(クリストフ・シャブテ/著 中里修作/訳 国書刊行会 2010)。
「皺」はカラーだったけれど、こちらは白黒。
そして、これも灯台が舞台。
あまりに醜い容貌のため、灯台から一歩も外に出ないで育った男が主人公。

このマンガは、非常にテンポが遅い。
寄せては返す波の音のごとくだ。
最初とまどうけれど、すぐに慣れる。

男はどうやって暮らしているのか。
もう亡くなった男の親が、食べものをはこんでやるよう、ある船長に頼んでいたのだ。
新米の助手と船長の会話により、男の事情が少しずつ明かされていく。
新米の助手はいぶかりながらも、船長の指示通りにはたらくのだが…。

男は、辞書を開き、あらわれた単語の意味を想像するという遊びをする。
外の世界を知らない男がする想像は、キテレツなものばかり。
男の孤独を表現する、素晴らしいエピソードだ。
また、その容貌とは裏腹に、男がやさしい心のもち主であることも示される。
セリフに頼らずに男のキャラクターを表現する、その手際は素晴らしい。

灯台でひとつ思い出した。
最近、財務省の広報誌「ファイナンス」(2012年7月号)を読んでいたら、株式会社オリエンタルランド代表取締役会長、加賀見俊夫氏による講演録が載っていた。
(財務省のHPからみられるかと思ったら、残念みられない)

加賀見氏によれば、東京ディズニーシーの開発は、オリエンタルランドとディズニー社による日米合作でおこなわれたという。
そして、当初、ディズニー社からは、シンボルに灯台をという提案があったそう。
が、灯台のイメージには、彼我で開きがある。

アメリカ人にとっては、灯台は港の中心にあり、華やかな憧れや温もりがある。
でも、日本人には、岬の先端に立つ、哀愁を帯びた、寂しいものに映る。

指摘されてみると、この違いは面白い。
アメリカの絵本には、灯台を主人公にしたものがあるけれど、日本の絵本で灯台を主人公にしたものがあったかどうか。
そもそも、欧米の小説では、灯台はよく舞台につかわれるように思う。
今回紹介した2冊のマンガもそうだし、ほかにも何冊かはすぐに思い出せる。
欧米のひとは、日本人よりも灯台に親しみをおぼえるのだろうか。

さて、オリエンタルランドの加賀見氏は、実際に日本の灯台にいくなどして、ディズニー社側にイメージのちがいを感じでもらったとのこと。
結果、ディズニーシーのシンボルにはオリエンタルランド社が主張した、水の惑星地球を表現した地球儀(アクアスフィア)がシンボルに採用されることに。

でも、オリエンタルランド社はディズニー社のひとたちを、一体どこの灯台に連れていったのか。
それが、ちょっと気になるところ。


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OPUS(オーパス)

「OPUS(オーパス)」上下巻(今敏 徳間書店 2010)

「OPUS」の単行本がでた!。
こんなことがあろうとは考えもしなかった。
ほんとうに、びっくりだ。

「OPUS」は、昔、学習研究社がだしていた青年向け漫画雑誌「コミック・ガイズ」に連載されていたマンガだ。
単行本に記載されていた情報によれば、1995年10月号から1996年6月号まで連載されていたよう。

ちなみに、「コミック・ガイズ」の発行は隔週だったはず(いま国会図書館でしらべてみたら月2回の発刊だった)。
たしか、新谷かおるの「烈風伝」が連載されていたと思う。
あと、武林武士の連載もあったような。

いままで単行本が出版されていなかったので、「OPUS」がどんなに面白いマンガなのか説明しても、実物を読んでもらうということができなかった。
それに、「あのマンガ面白かったね」というひとにも会ったことがない。
でも、これでようやくひとに勧められる。
嬉しくてならない。

さて、「OPUS」のストーリーを簡単に説明しよう。
ひとことでいうと、このマンガはメタフィクション・マンガだ。

主人公は、雑誌「ヤングガード」に「RESONANCE(レゾナンス)」というマンガを連載中の漫画家、永井力(ながい・ちから)。
「レゾナンス」は、超能力者が仮面と呼ばれる新興宗教の教祖とたたかうというストーリー。
現在、第3部の佳境に突入している。
ちょうど、超能力者の少年リンが、仮面と相討ちになるという、壮絶なクライマックスを迎えようとしているところ。

というわけで、マンガを完成させるべく、永井が深夜せっせと仕事をしていると、どこからか声が。
さらに、目の前にあったはずの、相討ちシーンの原稿が消えている。
代わりに原稿には穴が開いていて、奥に相討ちシーンの原稿を手にしたリンが。
「こいつはオレが貰っていくからな! バカヤロオ!!」
そして、永井は原稿に吸いこまれ、ヒロインのサトコが仮面と争っているその渦中に落下して――。

さきほどもいったけれど、「OPUS」は、漫画家が自分が描いているマンガのなかに入ってしまうという、メタフィクション・マンガだ。
よくある話じゃないかと思われるかもしれないけれど、これがもうとんでもなく面白い。

まず、作者の今敏さんは、べらぼうに絵がうまい。
ただうまいだけではなく、アイデアを絵でみせることに長けている。
メタフィクションを描く上でのさまざまなアイデアを、素晴らしいイメージでみせてくれる。

それから、ストーリー展開が素晴らしい。
メタフィクションものは煮詰まりやすいものだと思うけれど、毎回毎回新しい展開がある。
このあと、リンは自分が死ぬのを避けるために、若き日の仮面を倒しに第1部へいく。
が、そんなことをされると作品世界が崩壊するし、なによりリンは、若き日の仮面によって殺された男が転生した登場人物なのだから、リン自身が消滅してしまう。
そこで、永井とサトコ、それにリンの妹メイは、リンを止めようと奔走。
さらに、自分がただのマンガの登場人物だと知った仮面は、永井に代わって世界を支配しようとする――。

本編のストーリーもスリリングなら、本編に侵入した永井たちのストーリーもスリリング。
サスペンスにサスペンスがかさなった展開と、それを淀みなく語るストーリーテリングの冴えには、心底ほれぼれさせられる。

それから、ところどころにあるユーモラスな味わいもいい。
メタフィクションというのは、全体がバカバカしくはあるのだけれど、そのことを効果的にみせている。
ひとつ例をあげると、自分がつくった登場人物にことごとく反抗された永井は思わずこう口走る。

「何だよ!? オレが何したってんだよ!! どうして皆逆らうかなァッ!! オレが作ったキャラなのに!!」

すると、リンとメイの親代わりであるらしい、とある老婆がこうツッコむ。

「そんな考えだからさ」

でも、ストーリーが進むにつれ、登場人物と真摯に向きあうようになった永井は「そんな考え」を徐々に改めていく。
その姿は感動的。
ひととひととが向きあうことは、たとえそれが作中人物であっても感動を呼ぶのだ。

ところで、「OPUS」は未完で終わっている。
連載していた「コミック・ガイズ」が休刊してしまったからだ。
ある日、「コミック・ガイズ」を開いたら、あらゆる連載マンガのページ下に「この続きは単行本で!」とかなんとか書かれていて、まさかと思ったらそれが休刊号だった。
これには呆然とした。
だから,新谷かおるの「烈風伝」を続けていればよかったのになどと思ったものだった。

「OPUS」には、現実世界にもどってきた永井が、編集長に打ち切りをほのめかされるシーンがある。
けれど、よもや雑誌が休刊して連載が終わるとは、まったく思いもしなかった。

この後、作者の今敏さんは、アニメーションの監督となり、「パーフェクトブルー」「千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」「パブリカ」などの傑作、力作、意欲作を残す。
タイミングとしては、休刊はよかったのかもしれない。

(今監督のアニメ作品を全部みてはいないけれど、一番好きなのは「東京ゴッドファーザーズ」だ。今さんはアニメでも、メタフィクション的な作品をつくっていて、どれもこれもややこしい。でも、「東京ゴッドファーザーズ」はややこしくなくて楽しめた)

ところが、今年、今敏さんは急逝されてしまった。
まだ40代だというから、なんとも惜しい。
そして、作者が亡くなったために、「OPUS」は刊行されることになったのだから、このメタフィクション・マンガの運命はずいぶんと不思議なものだ。

今回の単行本には、あるていどペンやベタが入った、幻の最終回が収録されている。
でも、この最終回は、休刊が決まってから帳尻合わせに描いた感じが否めない。
できれば、連載を続けてきちんと終わらせてほしかったなあとつくづく思う。

単行本の「OPUS」を読んでいたら、連載当時のことを思いだした。
「コミック・ガイズ」を読んでいた部屋の様子や、どんなに次の回を心待ちにしていたかということを思い出した。
当時のあらゆる連載マンガのうち、「OPUS」を一番楽しみにしていた時期が自分にはあったのだということを思い出した。

ご冥福を――。

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