「謀殺海域」「ジキル博士とハイド氏」

もう10月も終わりなのか。
今月も一度しか更新できなかった。
なんということだ。

いままで、忙しくても本は読んでいたのだけれど、今回はそれもままならない。
10年に1度の忙しさ。
それでも少しは読んだ本があって、それについてメモを――。

「謀殺海域」(ジャック・ヒギンズ/著 小関哲哉/訳 二見書房 1987)

ジャック・ヒギンズが世界的な人気作家になるきっかけになったのは、周知の通り「鷲は舞い降りた」から。
その出版は1975年。
訳者あとがきによれば、本書はそれ以前、1969年にマーティン・ファロン名義で発表されたもの。
さらに訳者あとがきによれば、本書の主人公、英国情報部員ポール・シャヴァスは60年代にヒギンズが好んで描いたキャラクター。
計6点の作品に登場しているとのこと。

さて、ストーリー。
まず、プロローグ。
全体は、3人称シャヴァス視点なのだけれど、ここだけは漁師のジャン・メルシエ視点。
メルシエは病気の妻をかかえている。
そのため、3ヶ月間の漁の稼ぎよりも多く、無税のカネが手に入る英仏海峡の密入国の仕事に手を染めている。
密入国を請け負っているのが、〈ランニング・マン〉という宿屋の主人でジャコーという男。
もうひとり、ジャコーの上司的人物で、密入国組織の黒幕、イギリス人のロシターという男がいる。

メルシエはジャコーとともに、海岸でロシターと入国希望者を拾いイギリスへ。
が、途中、イギリス海軍の高速魚雷艇と遭遇。
臨検を恐れたロシターは密入国希望者を殺し、鎖を巻きつけて海に放りこむ。
メルシエもその手伝いをさせられる。
船は海霧のなかをなんとか逃げのび、フランスへ――。

そして、主人公ポール・シャヴァスが登場。
シャヴァスは、英国情報部内の〈ビューロー〉という、ほかの部局では対処の方法もわからないような事件を扱う部局の工作員。
ちょうど2ヶ月の療養期間経たシャヴァスは、上司のマロリーの指示により、セント・ビーズ病院で水死体を見聞する。
プロローグでロシターによって殺された水死体だ。

水死体は、西インド諸島ジャマイカ生まれの黒人で、名前はイーヴェイ・プレストン。
1938年、イギリスにやってきたイーヴェイは陸軍に入隊。
2、3ヶ月たち、両親が妹たちを連れて渡英。
翌年、母親は2人目の男の子を出産。
ダーシーと名づける。

ハーヴェイの連隊はフランスに派遣される。
1940年、ドイツ軍戦車隊が戦線を突破した大退却戦で連隊は手ひどくやられ、ハーヴェイ自身も負傷。
イギリスへ帰還し、年金をもらって除隊。
その後、救急車の運転をしていたが、ロンドン空襲で幼い弟以外の家族を失ってしまう。

それ以降、イーヴェイは裏世界でひとかどの人物に。
賭博クラブから5万2千ポンド盗んだために、中央刑事裁判所で裁判にかけられるが、証拠不充分で無罪。
しかし、賭博経営のライセンスをとりあげられ、カジノ業界から手を引かざる得なくなる。

爆撃で生き残った弟のダーシーは、よりによって法曹界へ。
弁護士の資格をとったのち、ジャマイカに帰国。

ハーヴェイは2ヶ月前にローマ行きの飛行機で出国。
国際警察機構(インターポール)がナポリまで尾行したが、そこで行方がわからなくなる。
そして、2ヶ月後、イギリスの海岸沖で漁網に引っかかって再びあらわれたのだった。

一体、ハーヴェイはなにをしようとしていたのか。
おそらく、イギリスに密入国して、自分のカネを回収し、密入国したのと同じ方法で出国しようとしたにちがいない。

ということは、そこに密入国を手引きした人間がいる。
英連邦移民法が制定されて以来、密入国は大金がからむ商売になった。
話がみえてきたシャヴァスはマロリーにいう。

「これは警察の仕事です。どこにわれわれのでる幕があるんですか」

スコットランド・ヤードの特別局(スペシャル・ブランチ)が援助をもとめてきたのだと、マロリー。
きみの素性はしかるべく捏造しておいた。
フランス系のオーストラリア人になってもらう。
武装強盗のかどで、シドニーで指名手配中。
必要なものはすべてその書類に入っている。
もちろん、きみは尋問を受けずにイギリスに入国するためなら、どんな代価を払ってもいいと思っている。
飛行機は、ロンドン空港3時30分発のローマ行き。
いますぐでかければ、15分の余裕があるはずだ。
スーツケースは部屋の外に用意してある。

というわけで、シャヴァスは密入国組織を壊滅する任務を負うことに――。

マロリーの情報どおり、シャヴァスはナポリからパナマ船籍のアニヤ号という船に乗り、マルセイユへ。
マルセイユでは、シャヴァスのもっている金をねらって船長の手下が襲ってくるが、これを撃退。
さらに、船長に手ごめにされようとしている美しいインド人の娘を助けだす。

娘の名前はファミア・ナディーム。
ポンベイ生まれの19歳。
母親を早く亡くし、父親は彼女を祖母にあずけてイギリスに移住。
いまでは、評判のよいインド料理屋の所有者に。

3ヶ月前、祖母が亡くなり、彼女は父親のもとへ。
ところが、移民法の規定によると、労働許可書なしで呼び寄せられるのは、イギリスにすでに居住している英連邦市民の本当の家族のみ。
ファミアの場合、身元を明確に証明する出生証明書がなかった。

こうして、2人は道中をともにすることに。
シャヴァスの任務が成功すると、ファミアはまた強制送還されることになる。
なんとも皮肉な事態。

2人はブルターニュ海岸、サンドニーズをめざす。
そこには、密航請負宿屋〈ランニング・マン〉があり、シャヴァスとナディアは、ジャコーやロシターと接触し、さらに殺されたハーヴェイの弟、ダーシーもあらわれて──。

さて、冒頭にも記したように、本書が書かれたのは1969年。
「鷲が舞い降りた」が書かれたのは1975年だ。

本書は面白いことは面白い。
うまいことはうまい。
だけど、それだれといえばそれだけの作品だ。

随所にヒギンズらしさがあるし、カトリックの司祭だったものの、朝鮮戦争に従軍し、4年間中国軍の捕虜になって宗旨替えしたというロシターのキャラクターも秀逸。
でも、そのうまさや秀逸さが、いまひとつ像を結ばない。
把握力が弱く、訴求力にとぼしい。

ところが、ヒギンズはここから大変な飛躍をみせた。
「鷲は舞い降りた」は、「謀殺海域」のはるか彼方にいる。
よく、作家が化けるというけれど、ヒギンズは化けたのだ。

それにしても。
作家が化けるというのはどういうことなのか。
以前と以後ではなにが変わっているのか。
そんなことを書いた本があったら読んでみたいものだけれど。

もう一冊。
「ジキル博士とハイド氏」(R.L.スティーヴンソン/著 大仏次郎/訳 恒文社 1997)
名高い作品なので、ストーリーは省略。
訳は、大仏次郎。
大仏次郎が訳さなければ再版はされなかったろうという感じの訳だった。

さて、なぜこの本を読んだのか。
じつは、「ナボコフの文学講義」の、「ジキル博士とハイド氏」の章が読みたかったからだ。
――講義を読むまえに、とりあげられた作品を読んでおいたほうが、より講義が楽しめるにちがいない。
とまあ、そう思ってのこと。
幸い、「ジキル博士とハイド氏」は短いので、読むのにそう手間はかからなかった。

「ジキル博士とハイド氏」を読んだあと、さっそく「文学講義」を読んでみた。
で、どうだったか――。

「ジキル博士とハイド氏」を読んだら、ひとは人間の二面性などについてきっと語りたくなるものだろうと思う。
ところが、ナボコフ先生は、そんなことはひとこともいわない。
あくまで、ディティールと手法、作品を作品たらしめている技術についてのみ語る。
作品を成り立たせるために、スティーブンスンがいかに苦心したか、その苦心のしどころを、執筆中のスティーブンスンの肩越しからのぞくようにして、微細に、喜ばしげに語るだけなのだ。

これはすごい。
ナボコフ先生の筋金入りの潔癖さと、芯の通った趣味に大いに感服した。


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