「ドイツ短篇名作集」

「ドイツ短篇名作集」(井上正蔵/編 白水社 学生社 1961)

タイトル通り、アンソロジー。
収録作は以下。

「危険な賭け」 ゲーテ 大和邦太郎/訳
「ヴーツ先生のたのしい生涯」 ジャン・パウル 古見日嘉/訳
「チリの地震」 クライスト 白旗信/訳
「砂男」 ホフマン 吉田六郎/訳
「うし」 ヘッペル 大山聰/訳
「ヴェロニカ」 シュトルム 石山静/訳
「破戒の僧ヴィタリス」 ケラー 伊藤武雄/訳
「隠居所にて」 ラーベ 実吉捷郎/訳
「ともだち」 ハインリヒ・マン 道家忠道/訳
「こどものキリスト」 リルケ 井上正蔵/訳
「幻滅」 トーマス・マン 佐藤晃一/訳
「女家庭教師」 シュテファン・ツヴァイク 山川丈平/訳
「歌うたいのヨゼフィーネ」 カフカ 城山良彦/訳
「詩人」 ヘッセ 実吉捷郎/訳
「一スー銅貨」 アーノルト・ツヴァイク 吉田次郎/訳
「戦艦ポチョムキン」 フォイヒト・ヴァンガー 長橋芙美子/訳
「アウクスブルグの白墨の輪」 ブレヒト 井上正蔵/訳
「クリザンタ」 ゼーガース 新村浩/訳
「アルカディア」 ヘルムリーン 高原宏平/訳

巻末には、よくまとまった「作者・作品解説」と、編者による「ドイツ短篇小説について」がおさめられている。
さて、印象に残った作品は以下。

「ヴーツ先生のたのしい生涯」
特に面白かったわけではないのだけれど、非常にくだくだしい文章が印象に残った。
これは訳のせいもあるかもしれない。
「作者・作品解説」によれば、ジャン・パウルはドイツのもっとも独創的なユーモア長編作家とのこと。
「巨人」の作者がユーモア作家だったとは知らなかった。

「チリの地震」
舞台は1647年、チリ王国の首都サンチャゴ。
1年ほど前、イェロニモ・ルジェラという青年が、富豪貴族のドン・ヘンリコ・アステロン家の家庭教師となった。
そして、同家のひとり娘、ドンナ・ヨゼーフェと恋仲になった。
それを知った老貴族は、イェロニモを追い出し、ドンナを尼僧院にあずけたのだが、2人の密会は僧院の庭でも続いた。
結果として、聖体祭の日、ドンナは産気づき出産。
大変なスキャンダルとなり、イェロニモは獄につながれ、ドンナは斬首されることに。
ドンナが刑場に連れていかれる、ちょうどそのとき、大地震がサンチャゴを襲い、街は瓦解。
獄舎から逃げだしたイェロニモは、ドンナの姿をもとめて街をさまよう――。

劇的また劇的。
最後まで緊張感がとぎれない。
このあと、イェロニモとドンナは、その赤子とともにめでたく再会するのだが、皮肉な運命が2人を襲う。
クライストは、「こわれがめ」しか読んだことがなかった。
他の作品も読んでみなくては。

「砂男」
ホフマンの作品として名高いけれど、読んだのははじめて。
書簡体小説としてはじまり、途中から3人称になる構成に少々面食らった。
破綻した主人公をえがくために、破綻した構成をもちいたのだというのは考えすぎだろうか。
たんに、つかいやすい技法をつかったにすぎないか。

「うし」
牛を飼うためのお金を、何度も勘定している農夫。
女房は牛を連れて、もうすぐもどってくるはず。
この出だしから、農家を舞台にした人情話がはじまるのかと思ったら、とんでもない。
突然、バイオレンスな展開となり、大いに驚いた。

「歌うたいのヨゼフィーネ」
「またはねずみ族」という副題がついている。
ネズミの〈ぼく〉が、同族の歌うたいであるヨゼフィーネについてあれこれ考察する。

ヨゼフィーネの歌にはだれもが心をうごかされる。
しかし、あれは歌なのだろうか。
ただの鳴き声にすぎないのではないか。
あのひとは自分の歌が、悪い政治的経済的状況からぼくらを救いだすのだと思っている。
少なくとも、それに堪える力をぼくらにあたえるという。
もちろん、あのひとはぼくらを救いもしないし、力をあたえることもない――。

とまあ、〈ぼく〉は自分の種族とヨゼフィーネについて、ああでもなくこうでもないと考え続ける。
その前言をひるがえしながら、長ながと続いていく考察を読んでいると、なにやらく可笑しくなってくる。

「アウグスブルグの白墨の輪」
これは、ラストがまるで大岡裁きなので印象に残った。
でも、最後の裁判にいたるまでのストーリーも面白い。

30年戦争のころ、レヒ河畔の自由市アウクスブルグに、大きななめし皮の工場とその店をもつ、ツィングリというスイス人の新教徒がいた。
旧教徒の軍隊がやってきたとき、夫妻は子どもを置き去りにして、逃げたり隠れたりした。
この家にはアンナという女中がいて、運よく無事だったアンナは、同じく無事だった夫妻の子どもを連れて工場をでた。

とりあえず、アンナは婿入りした兄の家に厄介になる。
夫は遠い村の製粉所につとめているなどと、父親がいないことをアンナはごまかすのだが、このごまかしはそう長く続けていられない。
そこで兄が、いまにも死にそうな男とアンナを結婚させることを思いつく。
男の死亡証明書がくれば、もうだれも疑いはしないだろう。

という訳で、アンナは結婚。
が、ことは思い通りには進まなかった。
男はすっかり病気がよくなり、アンナの夫としてあらわれた。
アンナは夫との生活が耐えられない。
子どもをつれて一度は逃げだすが、足をくじいて夫の小屋にもどることに。

その後、アンナは自身の境遇を受け入れて、夫のもとで子どもの成長に喜びを感じながら暮らすのだが、ある日、ツィングリの妻が子どもを連れていってしまい――と話は続き、最後に裁判。

「作者・作品解説」によれば、この作品は、「カレンダー物語」のなかの一篇とのこと。
「カレンダー物語」とは「暦物語」のことだろう。
「暦物語」なら、2016年に光文社古典新訳文庫から出版されている。
いずれ、これも読んでみよう。


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