一枚の絵から〈日本編・海外編〉

「一枚の絵から 日本編」(高畑勲 岩波書店 2009)

まえがきによれば、本書はスタジオジブリ発行の月刊誌「熱風」に連載された、絵画にまつわるエセーを、日本編と海外編の2冊に分けて出版したもの。
本にするさい、時代順にならべ、加筆訂正をほどこしたそう。
連載時の「熱風」編集者は田居因。
書籍の編集者は清水野亜。

目次による、とりあげられた画家と作品は以下。

「伴大納言絵巻」上巻より 応天門炎上を見上げる人々 常盤光長
「花園天皇像」 藤原豪信
「慕帰絵詞」巻第五より 独楽遊び 藤原隆章
「秋冬山水図」より 冬景図 雪舟
「花鳥図襖」より 梅に水禽図 狩野永徳
「徳川家康三方ヶ原戦役画像」(顰(しかみ)像)
「烏図屏風」
「花下遊楽図屏風」 狩野長信
「伊勢物語図」から「芥川」 俵屋宗達
「浄瑠璃物語絵巻」より 岩佐又兵衛工房作
「立姿美人図」(画稿) 尾形光琳
「雲上仙人図」 与謝蕪村
「果蔬涅槃図」 伊藤若冲
「朝顔狗子図杉戸」 円山応挙
「鶴図屏風」 伊藤若冲
「黒地三笠山鹿模様打掛」
「五郎像」 渡辺崋山
「月見る虎図」 八十五老卍(葛飾北斎)
「名所江戸百景」から「四ツ谷内藤新宿」 歌川広重
「下落合風景」 佐伯祐三
「清姫」から「清姫」 小林古径
「国之楯」 小早川秋聲
「重い手」 鶴岡政男
「みぞれ/コドモと柿の夢」 佐藤哲三
「うずくまる」 鳥海青児
「樹根」 東山魁夷
「宵月」 熊谷守一
「父と子」 香月泰男
「観自在」 小倉遊亀
「朱い水蒸気」 横尾忠則
「ねずてん」より 男鹿和雄

きっとこの本は、一枚の絵を分析的かつ批評的に書いた本だろうと思っていたら、ちがった。
臨場感あふれる、絵をみる喜びに満ちた本だった。
これは嬉しい驚きだ。

どのへんが臨場感があるのか。
まず、いつの展覧会で絵に接したのかということがよく書かれる。
また、有名な絵にはみんな、だれそれがこの絵のことをこういったなどという「先行することば」があるのものだけれど、それをちゃんと引用する。
それから、それがどんな絵なのか、ことばでもって説明しようとする。
だいたい以上のようなことが、熱を帯びた文章で記される。

例として、本文冒頭をとりあげよう。
「伴大納言絵巻」の展覧会をみた興奮は、こんな風に書かれる。

「昨年(2006年)の十月と十一月、私は驚くべきものを見た。そして圧倒された。本物の絵ではない。『伴大納言絵巻』の複製である。しかしこれを「複製」などとよぶことができようか。世界をも驚倒させるに足る、まったく新しい何かが出現したのだ」

この展覧会には、主要登場人物の等身大の複製や、数場面の超拡大複製があったそう。
超拡大複製はどう凄いのか。
作画されて以来800余年、磨耗し、剥落した傷が、魅力的なマチエールとなってよみがえった。
強烈な材質感により、つい手を伸ばしてさわってみたくなるような、物質としての存在感を手に入れた。
拡大されて、その筆力の確かさ、人物や火炎の描写力の多彩さの印象はいや増すばかりとなった。

「この巨大な絵画的複製の凄さは、とりもなおさず、本物の『伴大納言絵巻』に凝縮されて内在する凄さが白日の下にさらされたのであって、余計な何かで飾ったのではない。人間の凝視能力の低さを最新技術が補ってくれるのだ」

こんなことを書かれると、この展覧会をみたかったなあと思ってしまう。
この本には若冲だけが2度とりあげられているけれど、その2度目は、ほとんど東京国立博物館の「プライスコレクション 若冲と江戸絵画展」のレビューだ。

「先行したことば」の例は、「花園天皇像」から。
あの、変な顔をした天皇の絵。
しかも、「おれの変な顔を法印豪信が描いたものだ」と描かれた本人が記している絵。
学生時代にこの絵をみた著者は、「14世紀にこういう絵が描かれ、大切に保存され、国宝に指定されて展覧会に飾られている」ことに、これはスゴイと興奮したそう。

橋本治の「ひらがな日本美術史2」(新潮社 1997)にもこの絵はとりあげられている。
「こういう絵が国宝として存在している日本が、私はとても好きだ」
という、橋本さんの文章を引用し、著者は大いに賛意を表明。
「私はこの言葉にまったく同感である」

(余談だけれど、「ひらがな日本美術史」全7巻は、橋本さんの文章になれることができれば、それはそれは面白い。個人的には日本美術に接したとき、「橋本さんはなんていってたっけ」と参照するのがくせになっている)

もちろん、「先行することば」に異論があるときはそれを述べる。
佐伯祐三の「下落合風景」の諸作は、スランプから生まれたものではない。
日本の風景が油絵具ではとらえにくいというのは、佐伯ひとりの問題ではないのだからスランプとはいえない。
ヨーロッパの風景は描く前から造形的にキマっているから描きやすいのだし、逆に日本の風景は描くに価する「風景」になっていないことが多いから、そしてそれを「風景画」に造形する力量がないから描けないにすぎない。
「下落合風景」が発表当初から滞仏作品より評価が低かったのは、じつは「見たい風景」としての面白みや造形的な魅力が、そしてむろん物質感が、パリの街ほど下落合にはなかった、というだけのことではないのか。

では、佐伯祐三の「下落合風景」にはなにをみたらいいだろう。
著者は、「対象に対する佐伯の誠実さ」だと述べる。

「いったい、佐伯祐三以外、このような風景を私たちに残してくれた画家がいただろうか。よりによってこんな新開地の、それこそ絵になりそうもない光景を、こんなにも気分を出して描いてくれた絵描きを私は知らない」

「『下落合風景』が人々を感心させ楽しませる傑作かどうかは問いたくない。けれども、対象への誠実さと実感の点で、第一回パリ滞在の諸作品に匹敵する力量が発揮されており、ある時代の東京近郊を感覚的に記録した貴重な作品として高く評価すべきではないだろうか」

「ことばで絵の説明をする」の例は、(どこからでもいいのだけれど)「徳川家康三方ヶ原戦役画像」から。
著者のアニメーション監督としてのキャリアがいかんなく発揮されているところだ。
この絵は、武田信玄との戦に敗れ、ほうほうのていで浜松城に逃げ帰った家康が、自戒のために描かせたという肖像画。
この肖像画を、著者はこんな風にことばでえがく。

「目が見開かれ、顔がひきつり、歯が露出するのは、普通、驚きや恐怖や怯えによる。が、男は眉をしかめ、強く歯噛みしている。目も、見開かれてはいるものの、瞳が白目の下部に位置し、何かを見ている目ではない。足を組み、頬に手を当てるポーズはどこかで見た気がする。そうだ、中宮寺や広隆寺の半跏思惟像だ。菩薩の瞑想的思惟とはほど遠いが、明らかにこの男は考え込んでいて頭の中はいっぱいだ。見開かれた目は内面に向けられている」

「だから、男の表情とポーズから感じとれるのは、驚き・恐怖・怯えの瞬間ではなく、それらを強く反映したままその後に残った「信じられない!」という心理状態、「俺としたことが、なんということをしてしまったんだ」という、事後の困惑、口惜しさ、慙愧の念(恥ずかしさ、情けなさ)にちがいない」

…じつは、この絵についての説明はもっと長い。
でも、引用が大変なので、半分だけにした。
それにしても、よく一枚の絵からこれだけのことばをひっぱってこられる。
さらに、このあと、この絵の異常な正面性についての考察が続く。

著者の解釈によれば、この絵は画面の外に何者かがいて、絵の男を非難、糾弾している。
そのため、この絵に対面した家康は、みっともない自分の姿だけではなく、そこに至るまでのプロセス全体と対面するはめになる。

「複雑で迫真的なポーズと表情を、真正面からとらえたのはそのためだった」

「この、二重の鏡としての正面性。これを描いた無名の絵師もすごいが、それよりはるかに、こういうものを正面から描け、と、おそらく表情まで細ごまと指示したにちがいない徳川家康という男に感嘆せざるをえない。これは家康みずからが描いた、自分のための驚くべき「自画像」なのだ」

さて、以上でこの本の紹介はおしまい。
あとは気になったところをいくつかメモを。
こういう本を読んで面白いのは、思いもかけなかった視点を教えてもらえることだ。
たとえば、「日本伝統絵画には見事といってよいほど闇と光の表現がない」。
いわれてみればそのとおりだ。
著者が、日本の闇と光の表現としてもちだしてきたもののひとつは漆器の「花鳥漆絵膳」。
映画「火垂るの墓」にとりかかるとき、この漆器の写真から大きな刺激をうけたのだそう。

また、外から見た山ではなく、内部から見た森や木々の魅力を描いた画家――西洋ならたとえばコンスタブル、コロー、シーシュキン、セザンヌのような――は、どれくらいいただろうか、という指摘。
著者が思い出せたのは、「結局、東山魁夷だけだった」。

それから、著者はたいそう正直でもあって、その面白さが存分にでたのが熊谷守一についての章。
世間での高い評判を耳にして、逆に遠ざけるような気持ちになっていたのだけれど、展覧会を見てすっかり気が変わってしまった。
「恥ずかしながら、私は、いまや、にわか守一ファンである」。

自分がまったく知らなかった絵を教えてもらえるのも楽しい。
香月泰男の「父と子」とか、小倉遊亀の「観自在」とか。
図版が載っているのがありがたい。

それから、小早川秋聲の「国之楯」。
この絵はいわゆる戦争画。
陸軍省の依頼で製作され、天覧に供せられるはずだったのだけれど、同省に受けとりを拒まれたといういわくのつき絵。
日の丸に覆われた顔が、かえって個々人の尊厳を呼び覚まし、見るものを戦慄させる。

最後にもうひとつだけ。
本書の最後、男鹿和雄の「ねずてん」についての文章で、著者は、印象派よりあとの西洋絵画では「現実の再現」が目指されなくなったことについて触れている。
にもかかわらず、後期印象派以後にも、現実世界に魅力を感じ、画面に再現したいというひとたちはつねにいた。
たとえば、カミーユ・ピサロ、スイス人セガンティーニやアルベール・アンカー、ロシアの風景画家シーシュキン、スウェーデンのカール・ラーソン、アメリカの日常に劇的な演出をほどこすノーマン・ロックウェルや、実在的なアンドリュー・ワイエス。
こういう画家たちは、絵画芸術を革新しようなどとは思ってもみなかった。

「彼らの目的は他にある。それはあくまでも自分の愛する対象をよく観察し、愛情をこめて正しく記録し表現することであり、見る人にその魅力や不思議を直接感じさせることだった」

「美術史に登場することの少ないこれらの画家は、では、時代に取り残された存在だったのだろうか。断じてそうではなかった。あのモダンアートの世紀にも、当然ながら、こういう絵の、写実的に上手に描かれた対象自体を愛する人々は常にいたのだから。いやむしろ、大衆的規模でいえば、モダンアート一般よりはこちらの愛好家のほうが多かったかもしれないのではないか」

こういった指摘を、こういう愛情深い調子で語ることができる。
これも、著者ならではのことかもしれない。


-追記-

遅れて、「一枚の絵から 海外篇」(高畑勲 岩波書店 2009)も読んだ。
ここでも、著者はよく展覧会に足をはこび、よく先行する批評を勉強し、ことばを尽くして絵を描写している。
そして、それがいかにも楽しげ。
「白釉黒花魚藻文深鉢の魚絵」についての文章の冒頭はこうだ。

「いいでしょう、これ。大好きなんです」

さて、本書にとりあげられた絵は以下。

「桃鳩図」 徽宗
「白釉黒花魚藻文深鉢(はくゆうこっかぎょそうもんふかばち)の魚絵」(宋代の磁州窯)
「ユダの接吻」 ジョット
「ベリー公のいとも豪華なる時禱書」の月暦絵から「二月」 ポール・ド・ランブール他
「聖三位一体」 アンドレイ・ルブリョフ
「ざくろの聖母」 ボッティテェリ
「受胎告知」 エル・グレコ
「大工聖ヨセフ」 ラ・トゥール
「机の前のティトゥス」 レンブラント
「デルフトの眺望」 フェルメール
「白地多彩野宴図」(組タイルによるイスラム絵画)
「ピアノを弾くモーツァルト」 ヨーゼフ・ランゲ
「園傳神帖」から「端午風情」 申潤福(シンユンボク)
「ドラマ」 ドーミエ
「波」 クールベ
「砂遊び」 ベルト・モリゾ
「海辺に立つブルターニュの二少女」 ゴーギャン
「農婦のいる古いブドウ畑」 ゴッホ
「イヴェット・ギルベール(ポスターの原案)」 ロートレック
「赤いチョッキの少年」 セザンヌ
「木を伐る人」 ホドラー
「ダンス」 マティス
「森の中の鹿たちⅡ」 フランツ・マルク
「おさげ髪の少女」 モディリアニ
「蛾の踊り」 クレー
「ピエロ」 ルオー
「ぼくらは平和がほしい(ポスター)」 ベン・シャーン
「少女とオタマジャクシ パロマ」 ピカソ
「部屋」 バルテュス
「『眠れる森の美女』の背景画」
「米つき」 ウルミラー・ジャー

とりあげられた絵は、全体に女性や子どもの絵が多いような気がする。

最後に逸話をひとつ。
「園傳神帖」から「端午風情」という、ぶらんこに乗る婦人そのほかを描いた韓国の絵についての章で、「アルプスの少女ハイジ」のオープニングのぶらんこは、「宝島」で有名なスティーブンソンの「ぶらんこ」(「子どもの詩の国」)から思いついたのだと、著者は述べている。
そして、著者の訳による詩の一部が引かれている。

「お空も高く塀を越え、見渡せるんだ、どこまでも、
川、木々、牛も、なにもかも、畑や牧場を広々と――

こんどは見下ろす、高みから、お庭の緑、屋根の赤――
またもやお空をぐんぐん高く、飛んで昇ってまた降りる!」


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ドイツ幻想小説傑作選

「ドイツ幻想小説傑作選」(今泉文子/編訳 筑摩書房 2010)
副題は「ロマン派の森から」。

短編集。
収録作は以下。

「金髪のエックベルト」 ルートヴィヒ・ティーク
「アーデルベルトの寓話」 アーデルベルト・フォン・シャミッソー
「アラビアの女予言者」 アーヒム・フォン・アルニム
「大理石像」 ヨーゼフ・フォン・アイフェンドルフ
「ファールンの鉱山」 E・T・A・ホフマン

加えて、巻末には充実した解説。
解説によれば、本書は、
「戦慄を呼びつつも読者を魅了してやまないドイツ・ロマン派の短篇のうち、「石の夢・異界の女」をテーマに、新たに5編を選んで訳出したものである」
とのこと。

ドイツ・ロマン派についてはなんにも知らない。
なので、早わかりになるかと思い、この本を手にとってみた。
が、結果として、謎は深まるばかり。
「石の夢・異界の女」をテーマとしたとあるけれど、なぜこのテーマが掲げられたのか。
これが、ドイツ・ロマン派を知るうえで、便利なテーマだからだろうか。
こんなことすらわからない。

でもまあ、気をとり直して、個々の作品を簡単にメモをとっていこう。

「金髪のエックベルト」ルートヴィヒ・ティーク
金髪のエックベルトは、年のころは四十の騎士。
ハールツ山脈のとある城に、妻と2人で静かに暮らしている。
ある日、エックベルトは友人フィリップ・ヴァルターに、妻のベルタの不思議な身の上話を聞かせる。
羊飼いの娘として育ったベルタは、まだ幼いころ、暴力を振るう父親から逃れて森をさまよい、そこで出会った不思議なお婆さんの世話になることになった。
家事をし、犬と、宝石を生む鳥の世話をしていたものの、14歳のときに世間がみたくて、鳥を連れて出奔。
すでに羊飼いの両親は亡くなり、ベルタはエックベルトに見初められて妻となった。
妻に身の上話をさせたエックベルトだったが、ヴァルターが宝石に欲心をおこすのではないかと疑心暗鬼にかられるようになってしまい…。

解説によれば、ティークは「初期ロマン派の一翼を担う人物」。
「この作品(「金髪のエックベルト」)は、ロマン主義の創作メルヒェンの嚆矢と称され、また、以後はじまる〈幻想文学〉の祖ともいわれる画期的作品である」
とのこと。

どのへんが画期的なのか、読んでもわからないのが残念だ。
ティークの作品は、戯曲「長靴をはいた牡猫」(岩波文庫 1983)を読んだことがある。
「長靴をはいた猫」をただ芝居にしたのではなく、登場人物に観客が用意され、その感想やら評言やら相槌やらまでも芝居にとりいれているのが面白かった。
フィッシャーの絵本、「長ぐつをはいたねこ」(福音館書店 1980)は、このティークの戯曲の影響を受けているのではないかと思うのだけれど、どんなものだろう。

「アーデルベルトの寓話」 アーデルベルト・フォン・シャミッソー
氷の牢獄に捕らわれたアーデルベルトは、不思議な女性からもらった指輪に力を得て、牢獄を破り、風に乗り、大海を越え、地下に降りる――。

ほとんど散文詩といえる作品。
解説によれば、作者の内面をあらわした自伝的メルヒェンとのこと。
指輪に「意欲する」という文字が書かれ、主人公が意欲すると牢獄が破られるという、素朴な展開が面白い。
作者のシャミッソーは、やはり自伝的な「影をなくした男」(岩波文庫 1985)の作者だ。

「アラビアの女予言者」 アーヒム・フォン・アルニム
マルタ騎士団のガレー船に追われていた、一隻のトルコ船が、突風のため、偶然にも同じ港に同時に入港。
マルタ騎士団員たちは、フランスの港湾駐留軍に逮捕され、厳罰に処せられることもかまわず、トルコ船と一戦交えようとするが、そのとき、敵の船に女性の姿が。
女性は、フランス語で、キリスト教会のふところに逃れたいと、切々と訴える。

女性はマルセイユの中央教会で洗礼を受け、メリュック・マリア・ブランヴィルという洗礼名をさずかる。
洗礼式のあと、聖クララ女子修道院に入るが、見習い期間が終了する前に修道院を出て、女優としてデビュー。
また、社交界でも大いにセンスのあるところをみせる。

デビューの2ヶ月前のこと、ある恋愛関係がもとで宮廷を追放されたサントレ伯爵がマルセイユにあらわれ、メリュックと情を通じる。
が、サントレ伯爵には想いびとのマティルドがおり、2人は結婚。
しかし、メリュックと夫との仲を知ったマティルドは嫉妬にさいなまれ、また伯爵は体調をくずして、やせ衰えていき――。

こんな感じで、連綿とストーリーは続く。
けっきょく、メリュックは伯爵とマティルドと3人で仲良く幸せに暮らすのだが、そんな幸せを革命に破られる。
メリュックが伯爵と情を通じるさい、仲をとりもつのが人台人形(ってなんだろう)というのが面白い。
また、どうもメリュックは魔法使いだったらしく、伯爵の心臓を自分の心臓と一緒にしてしまい、自分と伯爵を一連托生にしてしまうという話もまた面白い。

ただ、視点がメリュック視点を貫いてくれないところや、メリュックがなにを考えているのかいまひとつわからないところ、魔法や予言がストーリーとどうかかわっているのか判然としないところなど、読むのに苦労をさせられた。
解説いわく、「この作品は、時代に先駆けて生まれた〈新しい女〉を描く画期的なものといえよう」。

「大理石像」 ヨーゼフ・フォン・アイフェンドルフ
舞台はイタリア。
旅にでた貴族の若者フローリオは、ルッカにやってくる。
途中、道連れになったのは、名高い吟遊詩人のフォルトゥナート。
ルッカではお祭りの最中らしく、フォルトゥナートは歌を披露し、フローリオは美少女と仲良くなり、また、長身痩躯の騎士ドナーティと知りあいになる。
ルッカの宿に泊まったフローリオは、夜、戸外をそぞろ歩きながら、昼間の美少女を思い出し、歌をうたってると、大理石のウェヌス像に出会う。

翌朝、道に迷ったフローリオはある庭園に入りこみ、そこで昨夜のウェヌス像そのままの貴婦人をみかける。
同じく出会ったドナーティに、貴婦人のことをたずねると、あのひとは私の親戚すじのひとで、ことによれば明日お迎えにあがれるかもしれませんとのこと。
で、翌朝。
ドナーティがやってきて、狩りに誘うが、きょうは安息日だからとフローリオは断る。
すると、こんどはフォルトゥナートがやってきて、郊外の別荘で催される夜会の招待状をフローリオに渡し、ふたりは夜会へ――。

清楚な美少女と、ウェヌスとのあいだで揺れるフローリオの物語。
逆にみれば、フォルトゥナート・美少女組と、ドナーティ・ウェヌス組による誘惑合戦のようにもみえる。
一瞬、フローリオが美少女とウェヌスを見間違える場面があるのが面白い。

ロマン派のひとたちの文章は、とにかくくだくだしい。
どこが頭でどこが尻尾なのかわからない文章で、読んでいるとなにやらぼーっとしてきて、楽しくないこともないのだけれど、要約しようとすると骨が折れる。
なかでも、この「大理石像」を書いたヨーゼフ・フォン・アイフェンドルフの文章は、似たようなことを手を変え品を変えして、えんえんと書きつづる。
この文章力には、閉口しつつも感服した。

「ファールンの鉱山」 E・T・A・ホフマン
舞台はスウェーデン。
東インド航路で、イェータボリに帰ってきた船員のエーリス・フレーボムは、母親が亡くなっていたことにショックを受け、ぶじ帰国した船員たちのお祭り〈ヘンスニング〉にも鬱々として楽しめない。
すると、不思議な老鉱夫があらわれて、ファールンで鉱夫にならないかと勧誘される。
迷いながらも、老鉱夫の勧めにしたがい、エーリスはファールンへ。

大崩落の跡をみて、いったんは鉱夫になる決意が揺らいだエーリスだったが、たまたま町では宴会が催されていた。
そこで出会った監督の娘、ウッラ・ダールシェーにエーリスは夢中に。
鉱夫としてはたらきはじめたエーリスは、監督のおぼえもよく、ウッラにも慕われ、充実した日々をすごすが、ある日、地下に例の不思議な老鉱夫があらわれて、ウッラはけっしておまえの女房にはならないと告げる――。

この作品集のなかで、ホフマンだけが、いまの小説と同じように読める。
ちゃんと場面ごとに、鉱夫になるのかどうかとか、ウッラと結婚できるかどうかとか、獲得目標が設定され、続きはどうなるのだろうと思わせる。
これは、前4作にはなかったことだ。

それに、老鉱夫にまつわる因縁といった、過去の話は会話で処理されるので読みやすい。
登場人物の職業も、騎士や吟遊詩人ではなく、船員と鉱夫。
また、エーリスの精神は、地下と地上とで分裂してしまうのだけれど、こうした地上と地下の対比も面白い。
この作品集におさめられた作者では、ホフマンがもっとも有名だろう。
なるほど、それにはそれなりの理由があるんだなと思った。

さて。
全体の感想。
とにかく、要約するのがむつかしかったということに尽きる。
ロマン派はメルヒェンに霊感を受けたと聞いているけれど、なぜメルヒェンの簡潔な語り口には学ばなかったのか。
とても不思議だ。

ただ、こういうものは、量を読めばなれてくるものかもしれない。
ひょっとしたら、自分はロマン派には縁がないのかも…と思いながら読んだけれど、ロマン派が扱う幻想趣味はじつに魅力的だし、今後も機会があったら読んでみたい。
でも、メモをとるのはすごく大変なことがわかったので、ただ読むのがいいのかも。
もうちょっと簡潔に書いてくれたら助かるんだけれどなあ。


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カーリル

いくつもの図書館の本をネットで一括検索できる「カーリル」についての記事を、知人から教えてもらったのでメモ。

すごい世の中になったなあ。
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だから人は本を読む

「だから人は本を読む」(福原義春 東洋経済新聞社 2009)

装丁、工藤青石。

本書は、資生堂の名誉会長であり、文字・活字文化推進機構会長(ほか、山のような肩書き)でもある著者の、

「人が本を読まなくなったという。それでいいのだろうかと怪しむ」

という、「はしがき」からはじまる読書のすすめ。
全体の構成を目次からみると、こんな感じ。

第1章 私の読書体験
第2章 読書と教養
第3章 仕事は読書によって磨かれる
第4章 私が影響を受けてきた本
第5章 読書と日本人
第6章 出版・活字文化の大いなる課題

このなかでは、第1章が抜群に楽しい。
幼少期から現在にいたるまで、ご自身の社会的変化を交えながら、たくさんの本を列挙している。
気に入った推理小説は「黒死館殺人事件」。
ユーモアものでは、小林信彦の「ちはやぶる奥の細道」。
チャペックの「ひとつのポケットから出た話」は一読して好きになった、なんてうれしいことも書かれている。
ほかにも、古典や、当然ながら経済経営関係の本が多数。
まだ読んだことのない「ガリア戦記」は、ぜひとも読まなければと思った。

でも、ここでは第6章をメモしたい。
出版社、編集者、書店、図書館などについて著者が問題点を指摘し、意見を述べている。
おそらくこの意見は多くのひとに共通する意見なのではないかと思う。
では、以下はメモ。

「出版界自体が本を消費財化してしまい、あたらしいものを作っては急いで売って、急いで引き取ってくるということの繰り返しになつているように感じる」

「これは、実は本ばかりでなく、ほかの業界がすべてそうなのだが、せめて本の業界ぐらいはそうあって欲しくないと、本好きの人間として非常に強く思う」

「本来、編集者の役目というのは、書き手の意欲を十分に高め、その意欲を持続させ、読み手が喜ぶような本を作ることが目的であるはずだ。書き手と読者の間に立ちながら、求められる本にできる限り近づける俯瞰の視点を持たなくてはならない。そこに至らずに、自分が作りたい本を追い求めて編集者が自己実現をしてしまっては困るのである」

「私から出版界を見ていると、書き手、編集者、営業・販売部員から書店まですべての担当者が有機化、一体化していないと思える」

「さらに、作り手と受け手にも断絶が多いと私は見ている。作り手というのは、書き手や、出版社の立場であり、受け手というのは、書店と読者を含めてのいわば市場だが、その間にも大きな断絶があるように思える」

「出版社のなかでも、編集部と営業の人たちの意思疎通が全くできていない」

「本が書評になって大新聞にでたら、書店は「何々新聞の書評に掲載されました」と、それを一週間ぐらいは平積みにするなど販売上大きなメリットがあるはずだ。しかし、出版社はきちんと自社の本を書評家に送らず、また幸運にも書評にでたのに、今度は書店がその情報をもっていない。新聞の切抜きをもって書店にいってみると、「その辺を探してごらんなさい」といった対応をされたりする」

「新聞などでは「本離れ」という見出しが目立つが、私は「本離れ」ではなくて「書店離れ」なのではないかと考えている」

「私自身も経験することだが、(書店で)注文すると、「お取り寄せになりますが」という、あまり快くない返事が返ってくる。「いつ頃きますか」と問うと「それはわかりません。来週ぐらいにはくるでしょう」とそっけない。何度も足を運ぶ消費者のことなど頭にないのではないだろううか」

「本が届けばまだいいほうで、版元品切れだからとそのまま放置されることさえある。それでもあきらめずに版元に直接電話してみると、「いくらでもありますから、今でしたら送料はいりません。お送りします」という返事が返ってきたりすることもある。なんでそんなことが起こるのか、買い手には事情が飲み込めない。まさか、買ってもらえなくても別に困らないと思っているわけではないと思うのだが」

「書籍の流通というのは他の商品と比べて大変遅れているのではないかと考えざるを得ない」

「インターネット検索を利用して本の内容そのものを調べてみるという方法もあるのだが、本の重要な部分の引用を原著に当たって確かめてみると、全く内容がすり換えられているという経験もした。やはり原著に当たるほかない。なんとか辿りつかなくてはならないのだ」

「最近は、書店ではすべて検索ができるようになってきた。特に大型書店ほど便利になっているが、しかしながら、以前から変わらないのは定員の商品知識の無さではないだろううか。これは、ほかの商売では考えられないことだ」

「本が再販売価格維持で優遇されているということは、マージンが確保されているということで、そのマージンの使い道とは、顧客がいかにスムーズに本を手にできるかというサービスのためではないかと思うのである。マージンのほうは取りっ放しでサービスは低下していくという現状は、出版界全体の問題ではないかと危惧している」

「利用者の求めに応じて、そのときのベストセラーや売れ筋の本を揃えることに奔走しているが、はたして図書館とはそういうものなのだろうか。今、書店で買えるけれども、その一冊分の本代を惜しんで買ってほしいとリクエストする声に応える施設が、図書館なのだろううか」

「最近目にした作家、佐野眞一さんの記事に、私は思いは同じだと意を強くした(朝日新聞2009年6月20日)」

「同じ活字ではあるけれども、インターネットから得る細切れの情報と、まとまった考え方や視点が書かれている本や文章とは明らかにちがう」

ところで、著者は忙しくて、ほとんど書店にはいかないと別なところに書いている。
だから、新聞書評の平積みなんてやってるよと思う書店もあるかもしれない。
書店にいかない著者は、図書館にもおそらくいかないだろう。
図書館についての文章は、佐野さんの記事を鵜呑みにしているだけだろうと思う。

とまあ、細かいことはいろいろいえるのだけれど、大すじでは、多くのひとが感じている意見をよくまとめたものだ。

著者がとりあげなかった問題点についてひとつ。
最近の本は著しく壊れやすいという点を挙げておこう。
出版社は、本を再読してほしくないと思っているのではないか。

さて。
やっぱり、話は具体的なほうが面白い。
最後にひとつ、具体的なエピソードをとりあげよう。

著者は、社長時代に、これからくる日本の高齢化社会というものを多方面から考えていきたいと思い立ち、「サクセスフルエイジング」という概念を提唱したそう。
その概念の周知をはかるべく、1989年に「美しく年を重ねるヒント」という書籍を出版した。
内容は、プロローグを著者が書き、8人の著者が専門分野を担当する共著。
出版のさい、版元の求龍堂にはこう頼んだという。

「僕たちの思うような本を作らせてください。編集者はいりません。とにかく3千部刷ってください。一冊も売れなかったら、全部会社で買い上げます」

けっきょく、「美しく年を重ねるヒント」は6刷まで伸びて、4万8千部売り上げ、会社で買い取る必要はまったくなくなったという。

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ディキンスンとかソローとか

いつも気が向くままに、ぼやんと本を読んでいる。
そうやって、ぼやんと本を読んでいると、たまにあっちの本とこっちの本がつながったりすることがあり、そんなときは大変にうれしい。
今回は、そういうつながった本の話。
つながったのは、エミリ・ディキンソンとヘンリー・ソローだ。

きっかけは、「対訳 デイキンソン詩集」(亀井俊介編 岩波文庫 1998)のまえがき。
ディキンソンの人生や時代背景が手際よくまとめられていて、じつに興味深い。
このまえがきを頼りに、簡単にディキンソンの生涯について触れておこう。

エミリ・デイキンソンは1830年、マサチューセッツ州アマストに生まれた。
3人兄弟の真ん中で、兄と妹がいる。
父親は弁護士で、議員もつとめた名士。
当時のアマストは人口2千人ほどの農村で、非常に保守的な土地柄だったそう。
世俗化に対抗して、信仰復興運動というのがおこなわれていた。

信仰復興運動は、ひとびとに地獄の恐ろしさを説くとともに、信仰告白を要求した。
でも、エミリはそれができなかった。
エミリ以外の家族はみんな信仰告白をしたし、学校の友人たちも次つぎとおこなったのだけれど、エミリにはそれがどうしてもできなかった。
マウント・ホリヨーク女子専門学校を1年で辞めたのは、このことと関係があるのかもしれないと、編者の亀井さん。

エミリが、自分に正直であろうとすると、どうしても信仰告白ができなかったというのは、大変重要だと思う。
この経験が、おそらくエミリの内面を鍛え、豊かなものにしたのではないだろうか(もちろん、これだけじゃないだろうけれど)。

さて、エミリとソローがつながったといったけれど、その蝶番的人物となるのがエマソンだ。
エマソンは超越主義(超絶主義)ということをいいだして、当時の知識人に影響力を発揮した。
超越主義とは、「天上にいるとされていた神を自己のうちに取り込んでしまい、すべての人の霊的な尊厳を説く」ことで、「絶対的な自己(内的な自己)信頼のこの思想は、デモクラシーの風潮とも結びつき、若い理想主義者たちをひきつけた」。

エマソンに勇気と霊感をもらった人物に「草の葉」を書いた詩人、ホイットマンがいる。
ホイットマンの詩、「おれ自身の歌」はこんな風だ。

「おれはおれを祝福し、おれのことを歌う。
 そしておれがこうだと思うことを、おまえにもそう思わせてやる。
 おれのすぐれた原子ひとつひとつが、おまえにもそなわっているからだ。」

「おれにはアメリカの歌声が聴こえる」(ホイットマン 飯野友幸役 光文社古典新訳文庫 2007)から引用した。
あんまり突き抜けた自己賛辞が続くので、うっかり笑い出してしまう。
ソローはホイットマンに会ったことがあり、「草の葉」を読んで感激している。
いっぽう、エミリは「草の葉」を読んだことがなかったらしい。
交流があった編集者ヒギンソンに当てて、エミリはこんな手紙を書いているそう。
「私はあの方の本を読んだことがありません――けれどもあの方は上品ではないとうかがっています」

エマソンと同じ町に住み、交流があったソローは、当然エマソンから大きな影響を受けている。
ソローは、エマソンの思想を自分なりに押し進め、ウォールデン湖のほとりに小屋を建て、そこで2年あまり暮らすということをした。
その成果が「森の生活」

そこで、亀井さんはこんな指摘をする。
「ディキンソンの生き方も、それに近いものではなかっただろうか」

エミリとソローがつながったと思ったのは、ここを読んだとき。
エミリはエマソンの詩集を愛読していたそうだし、エマソンがアマストで講演したときは、ディキンソン家を訪問したそう。
それに、エミリの蔵書には、「森の生活」もあった。
そうか、家のなかに閉じこもって、ひとり詩の世界に沈潜したエミリは、湖のほとりの小屋でひとり暮らしたソローと似たようなことをしたのか。

だれそれがだれそれに影響をあたえたという話を聞くと、だれそれたちの年齢が気になってくる。
そこで、ソローたちの生没年を挙げてみよう。

・エマソン   1803~1882
・ホーソン   1804~1864
・ポー     1809~1849
・ソロー    1817~1862
・メルヴィル  1819~1891
・ホイットマン 1819~1892
・ディキンソン 1830~1886
・オルコット  1831~1888

こんな感じ。
ホーソンって、ポーより年上だったのか。
ポーの生没年はオマケで載せたのだけれど、そういえばポーが死んだとき、だれもいない葬儀にただひとりホイットマンがあらわれたという話を思い出した。
この話はほんとうだろうか。
ソローとホーソンは交流があったし、ホーソンはメルヴィルと知りあっていた(と思う。記憶があやふや)。
ひととひととのつながりを追っていくのは面白い。

とはいいながら。
同じひとから影響を受けても、その表現のしかたはさまざま。
だから、あまり影響うんぬんをとりざたすることはないのかもしれない。
エミリは、ホイットマンのようには書かなかったし、ソローのようにも書かなかった。
たぶん、ひとは自分なりのやりかたで仕事をするほかは許されていないのだろう。

ところで。
エミリとソローのつながりを読んで、そうかと思うには、あるていど両者のことを知っていなくてはいけない。
いままで、この2人についてどんな本を読んだっけと思い出してみた。

まず、
「エミリ・ディキンスン家のネズミ」(エリザベス・スパイアーズ みすず書房 2007)
「エミリの窓から」(武田雅子編訳 蜂書房 1988)
それから、最近読んだ大人向けの絵本、「ラストリゾート」(ロベルト・インノチェンティ/絵 J.パトリック・ルイス BL出版 2009)にも、ほんのちょっとエミリが登場していた。

ソローについては、こないだ読んだ、
「ヘンリー・ソローの日々」(ウォルター・ハーディング 日本経済評論社 2005)
「森の生活」も読みはじめたことはあるけれど、途中で挫折してしまった。
「アメリカの心の歌」(長田弘 岩波新書 1996)も思い出す。
ウォールデンが開発の波に飲まれそうになったとき、それを救ったのがイーグルス(長田さんのいいかたでは“鷲族”)のメンバーのひとり、ドン・ヘンリーだったそう。

それから、エミリもソローも絵本になっている。
ふたりは児童書になじみやすいのだろう(ポーの人生だとこうはいかない)。
エミリだと、
「エミリー」(マイケル・ビダード/文 バーバラ・クーニー/絵 ほるぷ出版 1993)

ソローだと、
「ヘンリーフィッチバーグへいく」「ヘンリーいえをたてる」「ヘンリーやまにのぼる」「ヘンリーのしごと」(D.B.ジョンソン/作 福音館書店)のヘンリーシリーズ。
この絵本は、登場人物がすべてクマになっている。
絵はグラフィカルで、日本人には不得手かも。
見返しにコンコードの地図が載っている。
ウォルコットさんやエマソンさんも登場するので、多少ソローのことを知っていると楽しい。

それからこんな絵本も。
「ルイーザ・メイとソローさんのフルート」(ジュリー・ダンラップ/作 メアリベス・ロルビエッキ/作 メアリー・アゼアリアン/絵 BL出版 2006)。
これは、「若草物語」を書いた、ルイーザ・メイ・オルコットとソローの交流をえがいた絵本。
これも訳者は長田弘さんだ。

だいたい以上。
このくらいの読書量で、エミリとソローのつながりに気がつけたのは運がいい。
この分野を集中的に読めば、もっと早く気づくことができたのかもしれないけれど、ぼやんと読んでいるのでそれはできない。
でも、ぼやんと読んでいるぶん、つながりに気づいたときの喜びは深いのだということにしよう。

ほかにも、エミリとソローのつながりはないだろうか。
そう思って、「ヘンリー・ソローの日々」をしらべてみたら、非常にかぼそい縁だけれど、以下の記述をみつけた。
この本は索引が充実しているので、しらべるのがとても楽だ。
最後にそのメモを。

ソローの2人の叔母、マリアとジェーンと友人であるメアリー・オールデン・ワイルダーが、ケンブリッジの25歳の数学者エベン・J・ルーミスと結婚した。
ルーミスは後年、「アメリカ天体暦・航海暦」を著すことになる人物。
ソローの母は、すぐさま2人をコンコードに招待。
新婚夫婦はとても楽しんで、その後何年にもわたって、コンコードで休暇をすごすようになった。
ソローとルーミスはすぐに打ちとけて、ソローがケンブリッジを訪れるときはルーミス家に立ち寄るのが習慣に。

1856年、ルーミス夫妻の娘が誕生すると、ソローはこの新生児をみにルーミス家を訪問した。
そのとき、乳母は特別なもてなしと考えて、乳児をソローの手に渡した。
が、ソローはどっちが頭で、どっちが足かもほとんどわからなかった。
ルーミス夫人がしばらくして部屋に入ると、二つのはげしく動くピンク色の足が、巻いた毛布の塊りから突きでていて、頭は下のほうでほとんどみえなくなっているのを発見しておどろいた。
ソローは安堵のうめき声をあげて、赤ん坊を夫人に手渡したという。

この赤ん坊が、後年エミリー・ディキンソンの詩集の最初の編集者となる、メーベル・ルーミスだ。

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雑誌「外交フォーラム」とか

雑誌「外交フォーラム」2010年1月号(都市出版株式会社)をぱらぱらやっていたら、編集長鈴木順子さんが、本誌も業務仕分けの対象になったと、編集後記に書かれていた。

「今回の政府の行政刷新会議で本誌も俎上にのせられました。編集者としてその一部始終を現場で拝聴させていただきました。読みもしないし外交誌など不要と切り捨てた議員もおられました。本誌は日本外交を真に憂い、かくあらねばならなぬという多くの研究者、気鋭の学者の方々の血の滲むような努力で成り立っています。立ち会っていて涙があふれてきました。…」

別の話。
雑誌「エネルギーレビュー」2010年2月号((株)エネルギーレビューセンター)をぱらぱらやっていたら、自民党の党機関誌「月刊自由民主」が本年3月号で廃刊するという記事が載っていた。
記事によれば、野党になった自民党は財政難になっており、経費節減のため廃刊するのだという。
政権交代をするといろんなことが起こるなあ。

ところで、「外交フォーラム」は外務省が買い上げているというので仕分けの俎上に挙がったというけれど、「エネルギーレビュー」はどうなのだろう。

業務仕分けは財務省主導だったと聞いている。
財務省の広報は「ファイナンス」
2010年1月号の、田中修さんによる記事、「世界経済危機を契機に資本主義の多様性を考える」を読んでいたら、「始まっている未来」(宇沢弘文・内橋克人 岩波書店 2009)のなかで、「自殺の経済学」などということをいいだすB教授とは、ゲイリー・ベッカーだという指摘をみつけた。
たまたま、「始まっている未来」を読んでいたので、この指摘をみたときはやっぱりそうかと思った。
「ファイナンス」ではこの連載が面白くて愛読している。

この号では、「経済と倫理~アダム・スミスに学ぶ~」という、堂目卓生さんの講演も収められている。
こうやって、職員向けの研修のご相伴にあずかれるのはありがたい。

各省庁がだしている広報の紹介や批評なんて、だれかやっているのだろうか。
やったら面白いんじゃないかと思うけれど。

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ルコック探偵

「ルコック探偵」(E・ガボリオ 旺文社 1979)
訳は、松村善雄。

本書は、世界最初の長篇推理小説、「ルルージュ事件」を書いたガボリオの代表作。
第1部、第2部、エピローグに分かれた3部構成。

まず、第1部。
18××年、2月20日日曜日、夜11時ごろ、パリ警視庁でも一番といわれる腕ききのジェヴロール警部ひきいる警備隊の一団が、シャトー・デ・ランチエ街を通りすぎようとしたところ、突如どこからともなくすさまじい叫び声が聞こえてくる。
声は、シュパン女将の居酒屋ポァヴリエールから。
急行してみると、さらに2発の銃声が。
半地下になった店の土間では、3人の男が倒れ、ピストルを手にした男がひとり立ち、奥まった階段には女将がうずくまっていた。

ピストルをもった男を捕まえて、この事件は終わりかと思われたが、一番若い警官がジェヴロール警部の前にでてこんなことをいう。
「この事件は意外に底が深いような気がしてならないのです」

この若い警官がルコック。
年齢は25、6歳くらい。
ひげはなく、色白で、髪は真っ黒、小柄ではあるが均整のとれた体格で、なみなみならぬ意欲のもち主。

ルコックと、同僚のアブサントおやじ(騎兵隊を除隊してからパリ警視庁に入った50歳ほどの好人物。ルコックの明敏さに一目おいている)は、2人だけで現場に残り、事件の真相にかかわる証拠をつぎつぎとみつけだす。

…と、これが本書の冒頭。
事件の発端から、主人公のさっそうとした登場、隠された状況を浮かび上がらせる捜査活動などが手際よく語られる、素晴らしい導入部。

この後、予審判事モーリス・デスコヴァル氏が現場を検分し、収監状を発行して、イタリー広場駐屯所の留置所に入れられた容疑者をパリ警視庁に移送することに。
ところが、前夜、ひとりの酔っ払いが容疑者のいる留置所に入れられ、現在すでに立ち去ったことがわかる。
酔っ払いは、はたして殺人容疑者の共犯者なのか。

移送された容疑者は、書記の立会いのもと、記録主任により訊問をうける。
記録主任も、容疑者を浮浪者だと考えているが、ルコックだけは上流階級の人間だと見当をつけている。

それから、予審判事モーリス・デスコヴァル氏による訊問。
ところが、予審判事は急用ができたと帰宅してしまう。
また、容疑者は独房で自殺をはかり、看守により一命をとりとめる。
なおかつ、翌日、ルコックが裁判所の予審部で、守衛にデスコヴァル氏の出勤を確認すると、氏は足の骨を折り、当分のあいだ仕事にこられないだろうと聞かされる。
これは偶然か、それとも容疑者とデスコヴァル氏とのあいだに、なにか因縁があるのだろうか。

代わりの予審判事にセグミュレ氏が立てられ、訊問を開始。
旅芸人のメイと名乗る容疑者は、セグミュレ氏とルコックの追及をことごとくかわす。
ルコックとアブサントは、現場にいた女将の線やモルグにあらわれた男の線などをたどるが、こちらもことごとく断ち切られてしまう。

独房にいるメイが、暗号をつかって外部と連絡をとっていることを嗅ぎつけたルコックは、メイを罠にかけようとするが、これも失敗。
ついに、メイを一度釈放したのち尾行をするという作戦が実行にうつされるものの、ルコックとアブサントはまんまとメイに巻かれてしまう。
意気消沈したルコックとアブサントは、パリ警視庁の相談役とでもいう人物、タバレ先生の意見を聞くために、先生のアパルトマンを訪れる――。

ここまでが第1部。
第2部はうってかわって、第1部での犯罪が起こるまでの因縁が、伝奇小説のように語られる。
ほとんど、別の小説がはじまったよう。

第2部の舞台は、1815年のセルムーズ村。
ブルボン王家が復活してひと月あまり、旧貴族から土地を没収して払い下げるという革命政府の恩恵に浴さなかった者はひとりもいないセルムーズ村では、亡命貴族たちがもどってきて土地を取り上げるのではないかという不安におののいていた。

なかでも、セルムーズ公爵領を6万ルーブルで購入したのが、元群長のラシュヌール。
ところが、ラシュヌールがそうしたのは、一族の土地が見ず知らずの者の手に渡らないようにと、公爵の叔母から金を渡され、頼まれたからだった。
村にもどってきたセルムーズ公爵に、ラシュヌールはすべての土地を返還するのだが、これをきっかけに、恋と陰謀、たたかいと復讐の火ぶたが切って落とされることに。

じつは、この第2部がこの本のなかで一番分量がある。
だから、「ルコック探偵」は半分以上伝奇小説だといってもいい。
第2部は、ストーリーの進めかたこそ荒っぽいけれど(なんだってそんなところに毒薬が!とか)、第1部とはちがった面白さに満ちている。
第1部が謎解きの面白さだとすれば、第2部はロマネスクな面白さだ。

でも、両方とも面白いとはいえ、こうも毛色のちがうものがひとつの小説におさまっているのはちょっと妙。
解説の松村さんによれば、当時の新聞小説では、第2部こそ王道なのだそう。
第2部のほうが、当時の読者にはるかに受けたらしい。
とすると、第1部はガボリオの意欲作ということになるかもしれない。

松村さんの解説は大変いきとどいたもので、最後にいくつかメモを。
ガボリオはポーの探偵小説に影響を受けたけれど、ポーが創始した探偵デュパンは足で証拠をあつめることはしていない。
この点では、ガボリオこそ近代的捜査方法を創設した先駆者。

また、英訳された「ルコック探偵」シリーズを愛読したのがコナン・ドイル。
シャーロック・ホームズが生まれたきっかけは、ガボリオのこのシリーズにあったらしい。
「四つの署名」や「緋色の研究」の構成は、「ルコック探偵」に負っているのだそう。
トルストイもルコック探偵を愛読したそうで、当時のベストセラーぶりを物語っている。

「ルック探偵」に先立つ3年前、1866年に発表された「ルルージュ事件」が世界最初の長篇探偵小説。
この小説にも、ルコックが端役ででているらしい。
「ルルージュ事件」は最近新訳がでたから、いつか読んでみなくては。

「ルルージュ事件」に先立つ6年前には、ウィルキー・コリンズが「白衣の女」を発表している。
「白衣の女」は探偵小説的要素が濃厚だけれど、謎、捜査、解決の3拍子がそろうのは「ルルージュ事件」まで待たなくてはいけない。

本書は50年ぶりの訳だそうで、松村さんはこんなことをいっている。
「「ルコック探偵」のような名作が、昭和4年に翻訳されてから現在までの50年、なんら改訳もとられず埋もれていた事実こそ、探偵小説界の痛恨事ではなかったかと筆者はひそかに考えている」

本書が出版されてから30年。
次の訳がでるのはあと20年後だろうか。

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