幻を追う男

「幻を追う男」(ジョン・ディスクン・カー 論創社 2006)

論創海外ミステリ60。
シナリオコレクションとも書いてある。
訳は森英俊。

ディスクン・カーは大好きだ。
敬愛しているので、先生をつけて、カー先生とよんでいる。
そのくせ、作品ぜんぶを読んではいないのだけれど…。

本書は小説ではなく、ラジオドラマをまとめたもの。
収録作は3編。

「だれがマシュー・コービンを殺したか?」
「あずまやの悪魔」
「幻を追う男」

すべてBBC放送。

「だれがマシュー・コービンを殺したか?」は全3回。
1939年12月27日、1940年1月7、14日に放送。

はじめてカー先生の作品を読むひとは、まずこの作品に接するのがいいのではないかと思った。
それほど、カー先生の作風が典型的にあらわれている。

話はまず、フェル博士へのインタビューから。
この事件に関しては、裁判官も陪審員も、訴追側も弁護側もみなまちがっていた、とフェル博士。
場面は変わって、事件当夜。

南アフリカにいっていたジョン・コービンは、船上で出会ったメアリー・スティーヴンスンと婚約し、2年ぶりにわが家へ帰るところ。
家には、学者のマットと、弁護士のアーノルドというふたりの兄、それに、いとこのヘレンがいる。

その晩はあいにくの嵐。
車を門柱にぶつけながら、なんとか家の玄関にたどり着くが、カギがみつからない。
マットはこの時分いつも書斎にいるはずだからと、ジョンはひとり書斎のほうにむかう。
すると、窓ごしに両手をあげた兄を目撃。
何者かにマット撃たれる。

第2回は、法廷の場面から。
事件で逮捕されたのはメアリー。
訴追側弁護人により、メアリーが法廷に立つのはこれがはじめてではないということが暴露される。
ついにはメアリーに死刑宣告が下されるが…。

最初の嵐の場面から、最後のフェル博士による真相解明まで、むやみやたらと盛り上げる。
このケレン味が、カー先生の真骨頂だ。

事件当初から真相に気づいていたアーノルドは、なぜか真相を話さない。
この本編中解かれない謎が、作品に深みをあたえていると思った。
また、ト書きで、時計のカチカチいう音がある時点まで続くなど指定してあるところも面白い。
カー先生の作風は、ラジオドラマにむいているのだろう。

「あずまやの悪魔」は1940年10月10日放送。
オリジナル版と記されている。

解説によれば、創元推理文庫の「カー短篇全集5 黒い塔の恐怖」に収録されている同名作品は、フェル博士の登場しないショートヴァージョンだそう。
結末も犯人も事件の舞台も、まったく異なっているとのこと。
この作品は、たしか読んだはずなのだけれど、まったくおぼえていないなあ。

内容は、1916年、英国の田舎にある大邸宅で起きた殺人を、1940年のロンドンでフェル博士が解決するというもの。

「幻を追う男」は1941年2月10日から、毎週計8回放送。
舞台は1816年、摂政時代の英国。

オースティン大尉は、ウォルター・ルーの会戦の3日前、リッチモンドの舞踏会で出会った女性をもう1年もさがしている。
そのことを、洒落者のトミー・トリングにからかわれ、両者は決闘することに。

決闘の場所は気球の上。
ところが、事故により気球はふたりを乗せたまま落下。
落ちた先で、オースティン大尉は偶然、幻の女性と再会する。

とにかく波乱万丈。
冒険小説と推理小説を加味したメロドラマといった風。
推理小説的な要素もきっちりこなしているのはさすが。

カー先生の歴史小説は、うるさいところがあって読みにくいのだけれど、これはラジオドラマのせいかするする読めるところもよかった。

巻末の解説では、「ジョン・ディスクン・カー ラジオ・ドラマ作品集」なるものにふれられている。
平野義久さんというかたがつくられたものらしく、CD-ROMに収められたラジオドラマを聴くことができるのだという。

世の中には、すごいひとがいるものだ。


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「勉強してはいけません!」と「早く寝てはいけません!」

「勉強してはいけません!」(横田順彌 講談社 2005)
「早く寝てはいけません!」(横田順彌 講談社 2007)

両方とも青い鳥文庫fシリーズの1冊。
挿絵は池田八恵子。

横田順彌さんのくだらない小説が好きでずいぶん読んだ。
「奇想天外殺人事件」(講談社 1987)なんか、いまだにもっている。

本書は児童書。
「勉強してはいけません!」は、1989年に出版された「宿題のない国 緑町三丁目」(ペップ出版)に大幅に加筆したものだとのこと。
ずいぶん読んだといいながら、こんな本があるとは知らなかった。

裏表紙の内容紹介を引用すると、こんな感じ。

「勉強ぎらいの小学5年生、進太郎は、ある日、突然、別の世界へトリップしてしまった。そこでは、なんと法律で勉強が禁じられていた!!
勉強を教えたため、捕まってしまったお母さんを救おうと、進太郎の大冒険がはじまります」

勉強は、秘密勉強団と名乗るグループによりひそかにおこなわれている。
取り締まるのはアンドロポリスというロボット警官と、スパイキャット。
いろいろあったあげく、UFOまであらわれる。

しかし、この本はただの児童向けSFではない。
冒頭の「進太郎からのごあいさつ」というまえがきで進太郎が述べているように、「ダジャレ冒険SF」でもあるのだ。
というわけで、登場人物たちはつぎからつぎへダジャレをくりだしていく。

いっぽう、「早く寝てはいけません!」の舞台はもとの世界。
前作で、UFOからあらわれたレッサーパンダ型宇宙人のパンタンから依頼をうけ、別世界の自分や清水さんとともに、不眠人間をつくっているネムラン団という連中と対決する。

「勉強…」のほうは、見知らぬ世界でお母さんを助けるという話なので、サスペンス性があったけれど、「早く寝ては…」のほうは、とてもゆるい。
で、ダジャレは3倍増しくらいに。

このゆるさがすごい。
容易にたどりつけない境地と思われる、すごいゆるさだ。
そこが魅力的なのだけれど、はたして子どもはよろこんでくれるかなあ。

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西村京太郎の麗しき日本、愛しき風景

「西村京太郎の麗しき日本、愛しき風景」(西村京太郎 文芸社 2005)

副題は「わが創作と旅を語る」。
本書は、トラベルキャスターの津田令子さんが、西村京太郎さんにインタヴューしたもの。

西村さんはたいへん口下手だそう。
講演も一度しかしたことがなく、それも無残な失敗だったという。
しかし、津田さんはインタビューのプロで、また魅力的な女性なので、気持ちよくしゃべってしまった。
ときにはしゃべらなくていいことまでしゃべってしまい、
「次、津田さんのインタビューを受けるときは、少し用心をしたほうがいいだろうか」
と、西村さんは冒頭の「対談集に寄せて」に書いている。
くやしがっているところが、なにやら可笑しい。

こんな本を読んでおいてなんだけれど、じつは西村さんの小説はひとつも読んだことがない。
でも、トラベルミステリーで名を馳せた作家だということくらいは知っている。
古本屋にいくと、ひと棚まるまる西村京太郎作品が並んでいるということもめずらしくない、大ベストセラー作家だ。

西村さんは、もともと工業高校の出身でエンジニア志望だった。
それが戦後初の公務員試験をうけて、人事院に採用。
そのころはまだ占領下で、人事院は、アメリカが日本の官僚制度を改革しようと新設したものだった。
当時は臨時人事委員会といったそう。

せっかく役人になったのに、西村さんは役人生活が嫌いで11年勤めて辞めてしまう。
ちょうど、松本清張や黒岩重吾のミステリーが出はじめたころ。
「点と線」や「背徳のメス」を読んだ西村さん、
「これならおれにも書ける」

当時、11年勤めたら、給料11ヶ月ぶんの退職金がでたという。
で、1年あれば小説家になれるだろうと目算をたてた。
母親には辞めたことを伏せておき、朝おなじように出勤。
図書館にいき、せっせと原稿を書いては応募。

しかし、世の中そう甘くはない。
1年ではものにならず、退職金は底をつき、ここではじめて母親に白状。
さすがに泣かれたという。

それからは、はたらいてお金を貯めては辞めて原稿を書くのくり返し。
職業はさまざま。
パン屋の住みこみ、競馬場の警備員、私立探偵、生命保険のセールス…。

応募は、ジャンルを問わず。
いつもどこかの賞に応募していたという。
デビュー前から、西村さんは多産だったのだ。
「よくあきらめませんでしたね」
という津田さんのことばに、
「あきらめたら、することないもの」

人事院を辞めて3年後、ついに「オール読物」の新人賞を受賞。
とはいえ、それで作家人生が花ひらくわけではない。
長編をひとつ書かせてくれて、それで終わり。

その2年後、乱歩賞を受賞。
しかし、運の悪いことに、ちょうどミステリーが下火のころ。
受賞後第1作「D機関情報」の初版3500部がまるで売れない。
「最低の売れ行き」と、出版社からいわれてしまう。

昭和42年、総理府(現内閣府)が「21世紀の日本」と題して芸術作品を募集。
小説部門の1等の賞金が500万円。
これは獲りにいった。
選考委員の、石原慎太郎や宮本百合子といった顔ぶれをみて、それぞれの委員がどんな作品を好むか研究。
日の丸を背負って世界にはばたくというようなことを書けばよさそうだと、主人公の能役者がアフリカの途上国で世界のためにはたらくというような話にした。
それが「太陽と砂」
みごと1等を受賞。

しかし、西村さんにいわせると、この小説は、
「変な小説になっちゃったんだよ」
選考委員の嗜好にあわせたことに、内心忸怩たるものがあったという。

ところが、まだ売れない。
デビューして10年以上、昭和54年にトラベルミステリーを書くまでは売れなかった。
西村さんいわく、「作家として、初版の部数が減っていくのがいちばんつらい」。

本書の話題はほかに、十津川警部シリーズの裏話や、旅について。
西村京太郎記念館や、奥さんとのなれそめ、取材のしかた、テレビドラマについてなど。
どれも率直な話ぶりで、ファンならずとも楽しい。

十津川警部シリーズの裏話をひとつ。
まちがえないようにか、考えるのが面倒なのか、十津川警部が地方にいって出会う刑事の名前をみんな三浦にしていたそう。
ところがあるとき、なんでみんな三浦さんなんですかという投書がきて、やめたという。
西村さんは、ノンシャランなところがあるようだ。

また、10年ほどまえフランスにいった話も興味深い。
いったのは、むこうの書店がフランス語訳をだしてくれたため。
その出版社は世界中の作品をあつめて翻訳し、その作者をぜんぶ呼んだ。
そのさい、西村さんはエルロイと一緒になったとのこと。

どういうシチュエーションでいっしょになったのかわからないのだけれど、エルロイと西村さんのとりあわせはじつに不思議な感じがする。

今後の目標は、著作400冊突破。
月に1冊書けば、3年で達成できる、と西村さん。
70をすぎたかたの発言とは思えない、大変なパワーだ。


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武器としての〈言葉政治〉

「武器としての〈言葉政治〉」(高瀬淳一 講談社 2005)

副題は「不利益分配時代の政治手法」。
講談社選書メチエの一冊。

家にテレビはないし、新聞もとっていない。
なので、世情にたいへん疎い。
当人はそれで困っていないのだけれど、ひとに話すとたいてい驚かれる。
で、ときおり世間のことを知っておこうとこういう本を読む。
この本も2005年にでたもので、新しいとはいえないのだけれど、まあ気にしない。

この本は、政治手法にかんする本。
政策の効果を検証したりした本ではない。

中曽根内閣以後の、内閣の平均存続日数は493日。
約1年と4ヶ月だそう。
そのうち首相を5年もつとめたのは、中曽根さんと小泉さんのふたりだけ。
ふたりとも、言葉政治の名手だった。

言葉政治とは著者の造語。
「言葉を戦略的に使って国民の支持を高めるとともに、新たな政治状況をつくりだしていこうとする手法」のこと。
ようは小泉首相の政治手法だ。

小泉型政治手法がもっとも劇的な効果をあらわしたのが、2001年5月9日、衆議院本会議において、民主党代表鳩山由紀夫の質問に対し小泉首相がつかった、「抵抗精力」ということば。

「抵抗精力」という言葉ひとつで野党の力を削ぎ、与党議員の反対意見をおさえ、たたかうヒーローとしての自己の姿を印象づけ、結果として国民からの支持を獲得する。
著者いわく、この言葉により日本の政治手法は新たな歴史的段階に入った。

「小泉政治に対する評価のいかんにかかわらず、この一言が日本の政治コミュニケーション史上まれにみる成功例となったことは、だれしも認めざるを得ないだろう」

では、小泉型言葉政治以前は、どういった政治手法がつかわれていたのか。
本書ではそれを角栄型とよんでいる。
ひとことでいうとバラマキ政治。

公共事業をめぐる利益分配のメカニズムというのは、まず公共事業を担う特殊法人をつくり、そこに国家財政だけでなく、郵便貯金などを原資とする財政投融資の資金を投入するというのが基本構造。

このメカニズムが円滑にはたらけば、族議員と化した政治家は公共事業を地元に誘導でき、見返りとして政治資金と大量の得票が期待でき、また、運営に荷担した官僚には、特殊法人幹部という天下り先を用意することができた。

ちなみに、1953年、ガソリン税や自動車重量税を道路建設のための特定財源とする法案を議員立法で成立させたのは、若き日の田中角栄だったとのこと。
その後、角栄は、各種の公団を設置する法案を相次いで成立させた。

くわえて、1957年、39歳で郵政大臣に就任した角栄は、財政投融資に充当する郵便貯金や簡易保険の額をふやすために、当時7、8千だった特定郵便局を2万にすると発表したという。

しかし、経済の停滞により、公共事業や補助金の分配に力をそそぐ角栄型政治手法は不可能に。
それに、経済構造を改革するには、角栄系派閥が築きあげてきた政治構造の改革が不可欠。
そこで利益分配ではなく、世論を背景とする言葉政治により、公共事業のメカニズムに切りこんでいったのが小泉首相だった。

小泉首相の登場は突然起こったものではない。
そこにいたるまでの、政治環境の分析についても本書はページをさいている。
なかでも、言葉政治のことばをつたえる、メディアについての文章が興味深い。

以下は、メディア政治研究の世界では有名だという、カペラとジェイソンの研究についての要約。

娯楽志向であるテレビは、政治ニュースを「闘争」や「裏話」の枠組みだけで切りとる風潮がある。
「真のねらい」など、政治の戦略的側面を面白おかしく強調する。
そんなニュースを見ていると、政治をゲームのように思い、勝ち負けばかりで考えるくせがつく。
と同時に、勝つために策を弄する者という政治家像が定着する。

すると、よい政策を立案しようが弱者に語りかけようが、悪意に解釈されるようになる。
どうせ政治家たちは選挙目当ての自己利益のためにそうしたことをするのだろうという理解。
こうして、公共心をもった政治家など皆無であるかのごとき政治観ができあがる。

カペラとジェイソンは、ニュース報道の描きかたがもたらすこの政治不信の助長を、「冷笑主義の螺旋=スパイラル・オブ・シニズム」とよんだそう。
ここで著者は名言を述べる。
「シニカル(冷笑的)であることは、クリティカル(批判的)であることとはちがう」

ニュース報道が否応なしに生み出す政治リーダーへの冷笑は、支持率の低下につながる。
その対応策として、小泉首相のワンフレーズ・ポリティクスは有効だった。

アメリカではレーガン大統領の時代から、「サウンドバイト」とよばれる短い、気の利いたフレーズを大統領側が用意することが一般的になっているそう。
メディアがそれを取りだし、利用してくれれば、政策を自然と国民にアピールすることができる。

ニュースショーを前提とした巧みなメディア・ポリティクスで、著者によれば、小泉首相も期せずしてこれをおこなったのだとのこと。

本書は最後に、小泉型政治手法の陥穽に大急ぎでふれている。


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プチ・ニコラ

「プチ・ニコラ」(ゴシニー文 サンペ絵 牧神社 1973)

訳は笹本考。

最近、昔の本がよく再版されるけれど、そのさいの反応は二通りだ。
ひとつは、買わなきゃ、というもの。
もうひとつは、もってたな、読まなきゃ、というもの。

去年からことしにかけて、偕成社から「かえってきたプチ・ニコラ」というシリーズが出版されたときは、後者のことを思った。
「かえってきたプチ・ニコラ」は日本初単行本化ということなので、厳密にはちがうけれど、以前、牧神社から出版された同シリーズの一冊を手元にもっていたのだ。

「プチ・ニコラ」は、1950~60年代、フランスの新聞に連載されたもの。
主人公ニコラの一人称で、家族や悪友たちとの交流がユーモア・スケッチ風にえがかれている。
サンペによる挿絵も、軽妙で楽しい。
本書は全27編。

悪友は、食いしん坊のアルセストに、劣等性のクロテール。
腕っぷしの強いユード、ガリ勉のアニャン、父親が金持ちのジョフロワ。
警察官が父のリュフュス、皮肉屋メクサン、ちょっととぼけたジョアシャン、などなど。

とにかく、たわいのないことでふざけあっては殴りあう。
たとえば、アルセストのうちでチェスをする話。

アルセストのパパにチェスを教えてもらった、ニコラとアルセスト。
ふたりだけでやりはじめたところ、たちまちおかしなことをしはじめる。

まず、アルセストがいっぺんにいくつもの歩兵を進める。
そんなのってないぞ、とニコラが抗議すると、おまえのほうも勝手に守れ、げす野郎、とアルセスト。
この乱暴な口のききかたも、この本の魅力のひとつだ。

ニコラは機関銃の音をたてて応戦。
そこでアルセストが、あのころは機関銃なんかなかったと指摘。
いんちきするんなら遊んだって仕様がないよと、アルセストがいうと、ニコラもそれもそうだと思う。

しかし、たたかいは激しさを増す。
駒を指ではじきはじめ、部屋においた駒をビー玉で倒し、ついにはビー玉による爆撃を遂行。
ところが、ビー玉では、汽車や車に乗っている駒は倒せない。
で、サッカーボールをぶつけはじめる。

最後の文章はこう。
「天気がよくなったら、すぐみんなで空地にチェスをやりにいこう。なぜって、ドカーンドカーンのチェスは、やっぱり家のなかでやる遊びではないからだ」。

ニコラの両親のせちがらい会話も大人には面白い。
懐中電灯を買ったニコラが、家中を暗くして遊びはじめると、ママンがいう。
「どうしたというの? あなたの大切な息子さんは」
パパがこたえる。
「暗闇で新聞を読んでほしいってゆうんだよ、おまえの大切な息子さんがね…」
あてこすりは、たがいの親類にまでおよぶ。
「わたしのおじは景気変動の犠牲になっただけなんです。ところが、あなたの兄弟のユージューヌの場合は…」

また「手紙」という話。
パパの社長からプレゼントをもらったニコラは、お礼の手紙を書くはめに。
プレゼントをもらったのは、社長が旅行にいくとき、パパが汽車の座席を並んでとってあげたため。
パパは頭をしぼって、手紙の文句を考える。
ママンに相談し、ママンが意見を述べると、「それじゃなれなれすぎる」とパパ。

気分を害したママンに、パパがあやまる。
「ごめんよ、だがことは、わたしの社長とわたしの地位に関することなんだ!」。
そこでママンがひとこと。
「あなたの地位はニコラの手紙次第なんですか?」

この本、訳が古い。
ニコラは楽しいことがあると、いつも「ごきげん」になる。
休み時間は「お休み時間」。
先生にたいしては、つねに敬語だ。

新しく刊行された版はどうなっているのか。
さすがに、「お休み時間」はなくなっているだろうか。

※追記。
「かえってきたプチ・ニコラ」(小野万吉訳)をぱらぱらやってみた。
今回読んだ笹本訳よりも、より口語的になっている。
ママンはママになり、お休み時間は休み時間に。
先生への敬語は健在だった。

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アイデアのつくり方

「アイデアのつくり方」(ジェームズ・W・ヤング 阪神コミュニケーション 1988)

訳は今井茂雄。

まず、特筆すべきは本の薄さ。
102ページ。
本文は62ページにすぎない。

訳者あとがきによれば、この本は、まず大阪のプレスアルト会というところから、1956年に出版されたそう。
それが版元を変えて再版され、手元の本は2003年の43刷。
超ロングセラーだ。

著者は、アメリカ最大の広告代理店トンプソン社の常任最高顧問などを歴任した人物とのこと。
内容は講演がもと。
アイデアのつくりかたについてのみが、シンプルに語られている。
このシンプルさが、じつに尊い。

さて、著者はあるとき、ある雑誌の広告部長にこんなことを訊かれた。

成功している広告は、広告のスペースを売っているのではなく、アイデアを売っている。
で、自分たちもアイデアを売ろうと思ったが、それをどうして手に入れたらいいのかわからない。
それで著者を訪ねてきた、と。

そこで著者が考えた結論がこの本。
著者にいわせれば、アイデアは、
「既存の要素の新しい組み合わせ以外のなにものでもない」。

では、その新しい組み合わせはどうすれば得られるのか。
著者は、アイデアの作成過程を5段階に分けてみせる。

1資料の収集
2あつめた資料を組み合わせる
3一度問題を手放す
4アイデアが舞い降りる、啓示の瞬間
5アイデアの検討

面白いのは3。
だれでもおぼえがあると思うけれど、アイデアというのは忘れたころにやってくる。
ただ、そこにいたるまでは、死ぬほど考えないといけない。

それぞれの過程について、著者は洞察に満ちた解説をつけている。
1についてはこう。
「わたしたちは、いつでもこれをいいかげんでごまかしてしまおうとする」。

また2について。
「事実というものは、あまりまともに直視したり、字義通りに解釈しないほうが、いっそう早くその意味を啓示することがままある」。

「このとき、どんなに突飛な、不完全なアイデアでも書きとめておく。これはこれから生まれてくる本当のアイデアの前兆なのであり、それをことばに書きあらわしておくことによって、アイデア作成過程が前進する」

さらに5について。
「理解あるひとびとの批判をあおぐこと。よいアイデアは自分で成長する性質をもっている。よいアイデアはそれを見るひとびとを刺激するので、そのひとびとがこのアイデアに力を貸してくれるのだ」

本文とおなじくらいの分量の、竹内均さんの解説がついている。
本文をなぞりつつ、似たようなことはポアンカレが「科学と方法」でいった、デカルトが「方法叙説」でいったと、具体例をあげているのが興味深い。

ところで、だれしも思うのは、この貴重な公式を惜しげもなく発表するなんて、著者は気前がよすぎはしないかということだろう。
これについて、著者は皮肉なものいいをしている。

まず、この公式は説明すればごく簡単なので、これを聞いたところでじっさいに信用するひとはわずかしかいない、ということ。

つぎに、これをじっさいに実行するとなると、もっとも困難な種類の知能労働が必要なので、この公式を手に入れたとしても、だれもがこれをつかいこなすというわけにはいかない、ということ。

「だからこの公式は吹聴したからといって、私が暮らしを立てている市場にアイデアマンの供給過多が起こるというような危惧はまずない」

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カバーの話

読書家には2種類のひとがいる。
本にカバーをつけるひとと、つけないひとだ。

でもまあ、どちらでもいいやというひともいるかも。

本は読めればいいという人間なので、かなり長いあいだどちらでもいい派だった。
本屋でカバーをつけてくれれば、されるがままに受けとり、つけてくれなければ、それはそれでよかった。
本棚には、カバーがついているのやらついていないのやらが雑然と並んでいた。

ところが、この数年これでは立ちゆかなくなってしまった。
カバーをつけていると、なんの本なのかわからなくなってきたのだ。

で、カバーはいっさいつけないことに。
カバーおつけしますか、と本屋でたずねられても、いいですと断る。

世の中には、これとまったく逆のひとがいる。
知り合いに、かならず本屋でカバーをつけてもらうというひとがいた。
つけてくれないときは、
「つけてください」
と、頼むのだという。

カバーをつけてもらうのは、書名を見られるのが恥ずかしいのと、本を汚さないため。
その気持ちはわかるけれど、どの本なのかわからなくなったりしないのか。

「カバーの上からタイトルを書いたりしているの?」
「してません」
「本が見つからなくなったりしない?」
「します」
「それでも、カバーはつける?」
「つけます」

…なんだかわからないが、信念があるのはわかった。

買った本の帯はかならずとる。
カバーをつけないと、当然本は焼ける。
そのとき帯がついていると、表紙が焼けているところと焼けていないところのツートンカラーになってしまう。
これがキライなのだ。
とった帯はたたんで本にはさみ、しおりにする。

電車で本を読むときはカバーをつけるというひともいた。
でも、これもやらない。
つけたりはずしたりは面倒だ。

電車で本を読んでいるひとを見かけると、いったいなんの本を読んでいるんだろうと気になることがある。
そんなストレスを周りにあたえていないことには自信があるけれど、でも、ひとがなにを読んでいるのかなんて、ふつうのひとはどうでもいいことかもしれない。


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辺境を歩いた人々

「辺境を歩いた人々」(宮本常一 河出書房新社 2005)

宮本常一さんが年少の読者にむけて書いたもの。
もともとは、さ・え・ら書房から、さ・え・ら伝記ライブラリーの1冊として、1978年に出版された。
本書はそれを底本とした新版。

語りかけるような文書はとてもていねい。
文章というより、口調といいたくなる。
読んでいたら、森洗三さんの「おらんだ正月」(岩波書店 2003)を思い出した。

あつかっている時代は、だいたい幕末から明治にかけて。
紹介されているのは、
近藤富蔵、松浦武四郎、菅江真澄、笹森儀助
の4人。

江戸時代のことは、みんな、みなもと太郎の大長編マンガ「風雲児たち」(リイド社)で知った。
だから、このマンガにでてこなかったひとのことはなにも知らない。

このマンガに、北方探検に尽力した近藤重蔵というひとがでてくるのだけれど、「辺境を歩いた人々」をぱらぱらやっていたら、おお、この近藤富蔵というひとは、重蔵の息子さんじゃないか。
ぜんぜん知らないひとじゃないと読んでみると、富蔵さんはじつに数寄なる人生を送っている。

富蔵さんの父である重蔵は、どうも自己顕示欲の強いひとだったよう。
高田屋嘉兵衛の助けを借りてエトロフに渡ったさい、重蔵は、嘉兵衛の船に近藤家の旗印をたて、自身はよろいかぶとを身につけて、紅白の差配を振って指揮したという。
たいへんな演出ぶりだ。

その後、重蔵は蝦夷地開発の功績を認められ、御書物奉行に任ぜられた。
が、紅葉山文庫のことで老中水野某と対立。
自分の主張をとおしたため、大阪弓矢槍奉行に転任するはめに。

でも、すぐ命令にはしたがわない。
別宅に、高さ5丈(15メートル)ほどの山を築き、そのふもとに岩屋をつくった。
岩屋には、「近藤守重毛人国征伐之像」(こんどうもりしげえびすのくにせいばつのぞう)と題した、よろいかぶとをつけた石像をおいたという。
なんだかやることがすごい。
山は新富士と名づけたが、ひとは目黒富士とよんだ。

大阪にいくさい、この別宅の管理を元地主である半之助に頼んだ。
となりに住んでいる半之助は、垣根をとり払い、新富士を見にくる客相手にそばを売るなどして成功する。
これがのち、わざわいのもとに。

ところで、息子の富蔵さん。
富蔵さんは父親に似ず、小心者で、武術も学問もものにならない。
大阪でとある娘にほれるが、毎日かようので父に怒られ家出。
といって、娘の家にいく勇気はなく、町のひとにわずかばかりに笑われたと刀を抜いて、ひとを騒がせ、屋敷にとじこめられる。

江戸にもどっても娘のことが忘れられない。
ついに勘当される。
お寺で修行をはじめるも、娘会いたさに、越後の高田から大阪まで歩く。
無一文だったから、ついたときには、からだは垢だらけ、着物は汚れ、けっきょく娘には会わず引き返してくる。
なんだなんだ。

でも、いったん越後にもどったものの、またいく。
娘の母親は、富蔵さんのあまりのみすぼらしいのに驚き、娘に会わそうとしない。
もっともだと、富蔵さんは引き返す。

富蔵さんは江戸にもどり、父にりっぱなひとになると誓い、父もそれを許す。

さて、別宅の件だけれど、半之助は別宅の土地も自分のものだと主張しはじめた。
重蔵がとなりとのさかいに竹矢来をつくると、半之助はごろつきをあつめてジャマをし、また大声でののしる始末。

奉行所に訴えでたところ、両家のあいだに垣根がつくられ、半之助の出入りは禁止に。
しかし、いやがらせはやむことがない。

重蔵は、いざとなったら半之助を斬って捨ててもよいと、富蔵さんを屋敷に住まわせる。
で、富蔵さんはほんとうにそれをしてしまう。
召使の庄五郎の助けをかり、富蔵さんは半之助とふたりの息子、林太郎と忠兵衛を仲直りしたいからとだましてよびつけ、斬り殺した。
さらに、半之助と林太郎の妻まで殺した。
文政9年(1826)5月18日のこと。

これを聞いた重蔵の反応が、いかにもこのひとらしい。
大喜びして、勘当したときの書類を焼き、正式に自分のあとを継がせることにしたという。

また、当の富蔵さんも、自分にも勇気があったと大喜び。
「わたしには人を斬るほどの勇気もある、やはり武士の子なのです」
と、大阪の娘に手紙をだしたという。
案外、似たもの親子なのかもしれない。

しかし、これでめでたしというわけにはいかない。
南町奉行所によびだされた富蔵さんは、取調べののち、八丈島に送られることに。

ここで著者はこんなことをいっている。
「こういう話は少年少女のみなさんにすべきことでないかもわかりません」
これはもう、いまではお目にかかれないたぐいの文章ではないだろうか。

さらに、こうつづける。
「しかし富蔵は自分の子どもに読ませるために自分のしたことを書きとめているのです。自分のしたことのよしあしはべつとして、そのなかから子どもたちは自分のおこなうべきこと、ゆくべき道を見つけてほしいと思ったのでしょう」

八丈島に流された富蔵さんは、たいへんな苦労をして、「八丈実記」という八丈島の百科全書を書き上げる。
赦免されたのは、明治13年、76歳のとき。

…富蔵さんについて、長ながと述べてしまったけれど、ほかの3人の人生も、それぞれ興味深い。
著者が、かれらにあたたかい目をそそいでいるのが、とても好ましい。


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グランダンの怪奇事件簿

「グランダンの怪奇事件簿」(シーバリー・クイン 論創社 2007)

ダーク・ファンタジー・コレクションの1冊。
訳は熊井ひろ美。

舞台はアメリカ。
フランスからやってきたオカルト探偵グランダンが、幽霊や怪物を退治したり、怪奇現象を解明したりする短編集。

雑誌「ウィアード・テールズ」史上、最大最長のシリーズで、いかに読者の人気が高かったかよくわかる、とこれは解説の仁賀克雄さん。
収録作は以下。

「ゴルフリンクの恐怖」
「死人の手」
「ウバスティの子どもたち」
「ウォーバーグ・タンタヴァルの悪戯」
「死体を操る者」
「ポルターガイスト」
「サンボノの狼」
「眠れる魂」
「銀の伯爵夫人」
「フィップス家の悲運」

作品の書きかたは、完全にホームズ形式。
医師であるトロウブリッジの視点から物語がえがかれている。

でも、トロウブリッジは、ワトソンのように記録を残そうという気があまりないよう。
前口上も少なく、すぐに物語をはじめる。

事件のやりとりはほとんど会話。
アメリカ風なのか、場面転換が早く、毎回美女が登場。
で、話の途中、グランダンが単独行動をとり、事件解決後に種明かしをするという結末。

クライマックスの、臨場感のある、しかし間接的な描写はよくさえている。
それにしても、ホームズ形式はじつに偉大な発明だなあ。

グランダンが、滑稽なほど鼻持ちならないフランス人として書かれているところも面白い。
これが、ふつうのアメリカ人だったら、作品は薄いものになってしまったかも。
グランダンのエキセントリツクさが作品をよく締めていると思った。

また、毎回、敵役が振るっているところも愉しい。
類人猿に、マッドサイエンティスト、幽霊に、幽霊の呪い、生きた彫刻に、吸血鬼に、ゾンビに、古代からの異人種などなど。
オカルトものによく登場するモチーフをリストアップしたよう。
解説によれば、グランダン以前にもオカルト探偵はいたそうけれど、ひょっとすると、ここまで仕事の幅をひろげたのはグランダンがはじめてだったかもしれない。
人気シリーズだったから、衆知には貢献しただろう。

作品は、みな安定感のあるできばえで、どれも甲乙つけがたい。
でも、しいて挙げるとすれば「眠れる魂」だろうか。
吸血鬼になってしまった女性と、青年との悲恋物語。
吸血鬼を退治するところに、ちょっとした工夫をしてあるところが印象的だった。

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