バッド・ニュース

「バッド・ニュース」(ドナルド・E・ウェストレイク 早川書房 2006)

訳は木村二郎。

本書は、ユーモア犯罪小説、ドートマンダー・シリーズの1冊。
ウェストレイクは大好きな作家だ。
本書もご多分にもれず面白い。

ドートマンダーは不運な泥棒。
頭はさえているのだけれど、いつもツキがない。
今回、相棒のケルプがもってきた仕事は、なんと墓泥棒。
深夜の墓地に忍びこみ、棺桶をとりだし、別の棺桶を埋める。
依頼人は怪しい二人組みで、どうやら詐欺をたくらんでいるらしい。
ドートマンダーとケルプは、ふたりの出鼻をくじき、その詐欺に参加するのだが…。

ストーリーはあんまり詳しく書けないのだけれど、アイデアの根本に、インディアンとカジノの関係がある。
インディアンとカジノの関係は、カール・ハイアセンの「フィッシュ」でもつかわれていた。

プロットはいたってシンプル。
それが展開されるさまは、ちょっと冗長なところもあるけれど、じつに優雅。
ほとんどフィギュアスケートの演技を見ているよう。

3人称多視点でえがかれる登場人物たちには、それぞれ見せ場がある。
シーンごとの状況設定が明確なので、会話も生きていて、それがまた気が利いている。
ほれぼれする職人芸だ。

そして今回、ついにドートマンダーは完全犯罪に成功(部分的にだけれど)するのだ!
ファンとして、感涙を禁じえない。

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現代日本のユーモア文学 4巻

「現代日本のユーモア文学 4巻」(立風書房 1980)

今回の表紙の挿画は坂口安吾だろうか。
うまいなあ。
さて、収録作品。

「犬に噛まれる」 大岡昇平
「オベタイ・ブルブル事件」 徳川夢声
「風博士」「東京ジャングル探検」 坂口安吾
「夫婦善哉」 織田作之助
「すばらしい食事」「不眠症」「暑さ」 星新一
「サチ住むと人の言う」 古山高麗雄
「最新かぞえ唄」「ささやかな訪問」 岩田宏
「鱸とをこぜ」「アガワ峡谷紅葉列車」 阿川弘之
「川崎長太郎」 宇野浩二

今回の収録作は、エッセイ風のものが多い。
「夫婦善哉」は再読。
蝶子さんの半生をたいへんな密度で一気に読ませる。
ことばとことばが、ほぞをかみ合わせるようにぴたりとかみ合い、ぶれがない。
じつに高い完成度。

坂口安吾作品も再読。
安吾好きなのだ。
「風博士」は何度読んでもバカバカしいなあ。

ほか、面白かったのは以下。

「オベタイ・ブルブル事件 徳川夢声
これは、くだらない。
横田順弥さんのハチャハチャ小説なみだといえば、わかるひとにはわかってもらえるだろうか。

ある夏の晩、日本英学会の権威、井上三喜博士が異様な叫び声をあげて急死する。
死因は心臓麻痺。
博士が、かけつけた夫人にいいのこしたことばは、「オベタイ・ブルブル」。
夫人は、名探偵六車家々(ろくしゃいえいえ)に真相究明を依頼するが…。

名探偵六車家々についての記述は、こう。
「偶然の暗合は恐ろしいもので、六車を逆さに読めばシャロク、家々はすなわちホームス、英国の名私立探偵と姓名において相通ずるものがあるトハ不思議不思議」
どうも昔から、こういう偽作調の文章に弱い。
くだらなすぎて、ダメなひとはぜんぜん受けつけないだろうけれど。

「すばらしい食事」 星新一
このシリーズは、文章でそこはかとなく面白さを表現したものが多い。
けれど、星新一はちがう。
プロットで面白がらせるのだ。

この作品は、ワン・シチュエーションの舞台劇風の筋立て。
とある夫婦が、おたがいにおたがいのことを毒殺しようとたくらんでいる。
妻はビフテキに毒薬をふりかけ、夫はブランデーに毒薬を入れる。
いざ、夕食というとき、家に脱獄囚が侵入。
飲み食いされては、毒殺しようとしたことがばれてしまう。
夫婦は必死でその瞬間を先にのばそうとするが…。

オチがまたシニカル。
それにしても面白い。
星新一はほんとうに偉い。

「鱸とをこぜ」 阿川弘之
鱸はスズキのこと。
魚たちが口をきく、童話めいた作品。

ある昼下がりの釣り船。
ふたりの客は、おこぜ1匹しか釣れていない。
その海の底では、スズキが熱心に、かつ真剣に物思いに沈んでいた。
「俺はやはり何とかして、もっとビタミンCを摂らなくては駄目だぞ」

この一文を読んだときは、うっかり吹き出してしまった。
スズキがこんなことを考えていたなんて、ちっとも知らなかった。

スズキは最近体調が悪く、医者のおこぜに診てもらったら、ビタミンCをとるために海藻を食えといわれたのだった。
「海藻は何にでもよい。産前産後によい。痔によい。甲状腺の働きを活発にして…」
「魚に甲状腺があるのか?」
「その点に就いては学説が分かれておる。黙って聞け」
スズキはまた診てもらおうと、おこぜをさがしにいく。
いっぽう海上の船。
あんまり釣れないので業を煮やした客が、食べ残しの海苔巻きからキュウリを取り出し、コショウをふりかけて海に投げこんで…。

この作品のように、思いがけず面白い作品に出会えるのが、アンソロジーを読む楽しさだろう。

「川崎長太郎」 宇野浩二
これは妙な作品。
面白いことは面白いのだけれど、その面白さの原因がよくわからない。
小田原の小屋に住みつき、私小説を書きつづけた川崎長太郎というひとの面白さだろうか。
それとも、読者の理解力を信じていないかのように、カッコでやたらと説明を追加する、宇野浩二の文章の面白さだろうか。
この作品、読ませる気があるんだかないんだかもよくわからない。
投げやりな感じの、なんともふしぎな味わいの作品だった。

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マルタン君物語

「マルタン君物語」(マルセル・エーメ 講談社 1976)

訳は江口清。
エーメ(1902-1968)はフランスの作家。
短篇が9つ入っている。

「小説家のマルタン」
「おれは、くびになった」
「生徒のマルタン」
「死んでいる時間」
「女房を寝とられた二つの肉体」
「マルタンの魂」
「エヴァンジル通り」
「クリスマスの話」
「銅像」

タイトル通り、マルタンという名の主人公がしょっちゅう出てくる。
でも、べつに統一した人格ではない。
いってみれば、星新一作品のF氏のようなもの。

どの作品も、奇妙な前提から出発し、その奇妙さを維持したまま、精妙に想像力をはたらかせて読み手の予想を越えた展開をみせる。
手元でぐんとボールが伸びる感じといったらいいか。

わかりやすいのは、「おれは、くびになった」
勤め先の銀行の部長から解雇をいいわたされた主人公、アベルダームはまずどうするか。
トイレに入るのだ。
これはものすごくリアリティがありはしないだろうか。
以後、帰宅するまで、気弱なアベルダームがいかにも考えたりやったりしそうなことが、非常な精妙さでえがかれる。
前提こそ幻想的なものではないけれど、その後の展開はまさにこの作者ならでは。

でも、「おれは、くびになった」は、読んでいていささかつらい。
やっぱり、奇妙な前提の話のほうが楽しくていい。

「小説家のマルタン」
小説家のマルタンは、本人の意に反し、どうしても作中人物を殺してしまう。
当然、作品の評価はかんばしくない。
現在執筆中の作品は、ある役所の局長であるスービロンという男の話。
妻の母が整形して若返り、スービロンは日夜恋情に悩まされるというもの。
マルタンは作中人物が全滅するストーリーを出版屋に説明するが、そんな小説には一文だってだせない、と出版屋にいわれてしまう。

こうして、マルタンが殺人をこらえていると、作中人物であるスービロンの妻がマルタンを訪ねてくる。
彼女は筋立てを変えてくれるよう、マルタンに頼みにきたのだ。
だが、そこでマルタンは考える。
この女を悲しみから救うためには、この女を殺すしかない。
……

こうしてメタフィクションとなり、物語は二転三転。
作中人物は作者のまえだけでなく、出版屋のまえにもあらわれる。
義母のアルマンディーヌに心うばわれた出版屋は、うってかわって、「スービロンはけっきょく厄介な存在ですね」などといいだす始末。

ラストは哀感がただよう。
じつにふしぎな味わいの作品。
本書中いちばんの傑作だろう。

「死んでいる時間」
一日おきにしか存在しないマルタンの悲恋物語。
恋人のアンリエットにとっては2年だけれど、マルタンにとっては1年で、新鮮味や感激に差があらわれる。
なんともせつない話だ。

「マルタンの魂」
こんどのマルタンは殺人犯。
細君と両親を殺したあと、自殺をもくろむ。
が、銃は不発。
しかし、魂はすでに地獄にいったと早合点し、逃亡。
たどりついた教会で、有り金をはたいて、煉獄にいるはずの魂の救済を司祭に依頼したのち自首。
だが最後、断頭台でわれに返る。
はたして魂は救われたのかどうか。

「クリスマスの話」
これはまた奇妙なクリスマス・ストーリー。
主人公はマルタンではなく、歩兵連隊のコンスタンタン特務曹長。
部下にたいしてとても思いやりがあるが、その思いは空回りしていて、部下たちに届いていない。
クリスマスの日、女に会うのを楽しみにしている兵隊がいて、コンスタンタンはこの兵隊の邪魔をしないよう気を配っていたのだが、間が悪くさぼっているところを見つけてしまい、営倉送りにしてしまう。

すると、ここで突然クリスマスの子どもというのがあらわれる。
贈り物をもってくる、素裸の男の子。
コンスタンタンは何年かまえ、この男の子に会ったことがあった。
で、コンスタンタンは男の子につきあい、みんなに「分別」をくばる手伝いをする。
あんまり時間をかけるので、男の子に注意されたりするのがおかしい。
男の子は、兵隊の女のところにもいくというので、兵隊のプレゼントをもっていってもらうことに。

ふしぎなことが、あまりにも自然に書かれているところが妙なところ。
クリスマス・ストーリーというのは、そういうものなのかもしれないけれど。

全編に哀感がただようのは、奇妙な前提がうごかしがたいものだからかもしれない。
ほとんとんど運命のようだ。

エーメには子どもむけの本もいくつかある。
子どもの本では、この精妙さをあるていどカットしなければならないと思うのだけれど、そのへんはどうなっているのだろう。
いずれ読んでたしかめてみよう。


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「ニッポン社会」入門

「「ニッポン」社会入門」(コリン・ジョイス NHK出版 2006)

訳者は谷岡健彦。
副題は「英国人記者の報復レポート」。

外国人が日本について書いたエッセーが好きでよく読む。
ほとんどの場合、かれらの文章は明快だし、ユーモアに富み、日本をほめることでこちらのプライドをくすぐり、かつ思いもかけなかったことを教えてくれる。

この本の著者はイギリス人。
大学卒業後、奨学金を得て来日。
神戸で日本語を学び、高校で2年間英語の教師をつとめたのち、ニューズウィーク日本版の記者に。
現在はイギリスの日刊紙「デイリーテレグラフ」の東京特派員とのこと。
来日14年め。

話題は多岐にのぼる。
第一印象について、日本語について、行場作法、東京案内、食べ物、ジョーク、お土産、特派員の仕事について、などなど。

日本語について。
ある日コリンさんは、外国人はただ日本語をもっと上手に話すだけでなく、日本人とはちがったように話さなければならないということに気づいたという。

たとえば自己紹介。
「コリンです」、ではなく、「私はコリンといいます」といって、はじめて会話がスムーズに進む。

また、「すみませんが…」といってから、次の言葉を続けるまで3秒ほど間をおくのもたいへん効果的。
「おそらく日本人にとって、自分の目の前にいる白人が日本語を話していると悟るのに、だいたいこれくらいの時間を必要とするのだろう」。

コリンさんのお気に入りの日本語表現ベストスリー。
これがまた思いがけない。

第3位が「勝負パンツ」。
この言い回しを聞いて、感心しなかったイギリス人はひとりもいない、という。
「大事なデートの前につける下着を指す言葉に関して、日本語ほど正直な言語はほかにあるだろうか?」。
日本人として喜んでいいのやら。
ちなみに2位は「上目遣い」、1位は「おニュー」。

著者はビールとサッカーが好き。
とくにビールの話になると、がぜん力が入る。
日本にきた当初こそ、日本のビールも悪くないと思ったものの、居酒屋には1種類のビールしかおいていないし、またどれもこれも似た味がする。

そこで家庭用のビール醸造セットを入手して、自分でビターやエールをつくり、日本人を啓蒙しようとするものの、あえなく頓挫。
日本では、家庭でビールを醸造するのは違法なのだ。
著者は怒りをこめて記す。
「これほど国民の自由を制限する悪法をぼくはこれまで聞いたことがない」。

しかし規制緩和により、状況は大きく改善された。
小規模だが、個性的なビールをつくるメーカーがつぎつぎとあらわれたのだ。
とりわけ目を引くのが、横浜ビールと川越の小江戸ビールだそう。
コリンさんは、ここでも力強く記す。
「100万本単位で売れるビールを生産している大手会社に対してひるむことなく、その市場の一部を奪ってやろうとしはじめた人々をぼくは心から尊敬する」。

コリンさんは、里帰りのお土産にまで日本のビールをもっていくというのだから、恐れ入ってしまう。
「イギリスにビールを持ち帰るなんて馬鹿げているのはみとめよう。ぼくは日本でも美味しいビールが醸造されていること、ほとんどのイギリス人が考えもしなかったことを教えてやりたいのだ」。

ほかにも、まさに抱腹ものの「日本人になりそうだ」という話や、東京の専門家を自認している著者による「トーキョー裏観光ガイド」など、紹介したいことはたくさんあるのだけれど、きりがないのでよす。

いままでの引用でもわかるとおり、著者の文章はイギリス人らしい皮肉めいたユーモアに彩られたもの。
ひとつの話題について例を列挙する。
また、訳の手柄もあるのだろうけれど、文章をまえに進める駆動力があり、ぐんぐん読める。

もうひとつだけ。
イギリスと日本についてのテレビ番組事情については、こんなふうに述べる。

「以前、イギリスのテレビ番組は日本よりも知的だったが、それはイギリスのテレビ関係者が、もっと多くの人々をはるかに安い制作費で愉しませることができると気づくまでの話だった。かつての番組の質の高さは、このことに気づくのにイギリス人が日本人よりも時間がかかったからにすぎない」

それにしても、ものごとに、つねにたくみな説明をつけるところが、じつに興味深い。
これは記者としてのコリンさんのスタイルなのだろうか。
それとも、英語で文章を書くと、こういうことをやらずにはおれなくなってしまうものなのだろうか。


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恋人とその弟

「恋人とその弟」(仁木悦子 岩崎書店 2006)

現代ミステリー短編集第6巻。
このシリーズ、児童書だけあって読みやすい短篇が収録されており、名前は知っているものの読んだことがない著者の作品を、小手調べとして読むのにとても便利だ。

今回の仁木悦子さんの作品も、読むのははじめて。
解説によれば、仁木さんは1928年生まれ。
4歳のとき胸椎カリスエと診断されるが発見が遅れ、両足がマヒし歩行不能に。
学校にはいけず、勉強は2番目のお兄さんに教わる。
20歳ごろから小説を書きはじめて、26歳のとき雑誌の懸賞で入選。
29歳のとき、「猫は知っていた」で乱歩賞を受賞。
その後手術を受け、車椅子の生活ができるようになったとのこと。

さて、収録作品は4作。
みな小学生が主人公の一人称。

「恋人とその弟」(1970)
語り手は小学5年生の与野浩一。
パパが新聞記者、ママが看護婦の、団地住まいのカギっ子。
日曜日もひとりなので、自転車でぶらぶら、片思いの相手である笹塚まろみの家のほうへ。
たまたま庭にいたまろみと会うことができ、サイクリングに。
まろみの弟のトッチが追いかけてくるが、ふたりはかまわず先にいってしまう。
2時間後、まろみの家にもどると、なにやら騒がしい。
トッチは誘拐されてしまったのだ。

モノに関する伏線と、まろみへの恋心というふたつの伏線が、ラストでぴたりと決まる。
気の利いた短篇。

「鬼子母の手」(1967)
語り手は5年生の狭山伸子。

伸子の親友であるアコの母親は、度を越した教育ママ。
参観日にアコの机の横にきて、間違いを正したりする。
今回の参観では、そんな騒ぎにはならなかったが、たまたまクラスにもどるった伸子は、先生を相手にしなをつくっているアコのママを目撃してしまう。
で、べつの日、アコの家で一緒に宿題をしていると、アコは「ママの宿題」なるものをもちだしてくる。
ふたりで「ママの宿題」をすませるが、伸子に宿題を見せたことを知りママはおどろく。
帰りぎわに出されたジュースは妙な味が…。

この本では、この作品だけ女の子が主人公。
ラストが痛切。

「あの人はいずこの空に」(1971)
語り手は6年生の小島拓也。

暮れに、「あの人はいずこの空に」という、行方不明になった家族をさがすテレビ番組を観ていると、米屋さんそっくりの青年の写真が映しだされる。
さっそく番組に電話し、すぐスタッフが確認しにくるが、当人は別人だといいはるり、米屋も辞めて去ってしまう。
行方不明の青年は、パパの田舎とおなじ出身だった。
たまたま親戚の結婚式のため、正月に田舎にいくことになっていた拓也は、いとこのカッチンとともに聞きこみを開始する。

この作品は、ほかの3作とくらべるとまとまりに欠ける。
ややこしくしすぎてしまったよう。

「銅の魚」(1979)
これで「どうのうお」と読む。
語り手は6年生の敬介。

はじめてひとりでおばあちゃんのうちに泊まりにきた敬介。
じつは、となりに住むアヤちゃんが目当て。
倉で亡くなったおじいちゃんがつかっていた矢立を見つけ、アヤちゃんに見せると、突然あらわれたおばさんに矢立を取り上げられてしまう。
このおばさんは、ケチで有名なおかつさんというひと。
おかつさんはふたりを家に誘い、矢立をなにやら調べたのち、敬介に返してくれる。
その晩、親戚の講平さんに連れられお祭り見物をした帰り、血まみれのおかつさんと遭遇。
「高畑すぐる」という、おかつさんの最後のことばを警察につたえたところ、すぐに容疑者が逮捕されるが、これがアヤちゃんのお父さん。
アヤちゃんにすっかり嫌われた敬介は、アヤちゃんの兄さんとともに真相を究明する。

これは収録作すべてにいえることだけれど、一人称で書かれた文章が軽快かつリズミカルで、すらすら読める。
主人公の子どもたちは、みな心ばえがよく、読んでいてすがすがしい。

興味深いのは、女の子を主人公にしたときだけ、ハッピーエンドではないということ。
主人公が男の子の場合はハッピーエンド。
また、男の子たちは、みな好きな女の子がいて、女性に対してませた考えをもっていおり、これがほほえましい。
ほほえましい話というのは、異性を主人公にしたほうが書きやすいのかもしれない。

いや、4編読んだだけで一般化してしまってはいけないか。


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世界は村上春樹をどう読むか

「世界は村上春樹をどう読むか」(国際交流基金/企画 柴田元幸 沼野充義 藤井省三 四方田犬彦/編 文言春秋 2006)

2006年3月に、東京・神戸・札幌でおこなわれた国際シンポジウム「春樹をめぐる冒険――世界は村上春樹をどう読むか」についての記録。
17カ国23人の翻訳家、作家、研究者が一堂に会し、村上春樹について熱く語りあったという。

村上作品は世界40カ国に訳されているというからすごい。
国際シンポジウムというと、英語でおこなわれたように思ってしまうけれど、このシンポジウムはほとんど日本語を公用語としておこなわれたという。
村上作品の翻訳家があつまっているのだから当然といえば当然なのだけれど、なんだか驚いてしまう。

個人的には、村上作品は「海辺のカフカ」を読んだだけ。
だからこの本は、村上作品への興味というより、ある作品や作家について語るとき、どんな切り口があるのかという興味で手にとってみた。

さて、内容はまずリチャード・パワーズによる基調講演。
脳科学の知見から村上作品に迫っている。

つぎが、いく人かの翻訳者を交えてのパネル・ディスカッション。
女性翻訳家たちが、私事をからめて村上作品との出会いを語るのが印象的。

そのつぎが、「翻訳本の表紙カバーを比べてみると」と題されたもの。
翻訳本の表紙カバーをならべて、各国の翻訳者にコメントしてもらうというもの。
これはうまいアイデアだと思った。
モノがあったほうが発言しやすいだろうし、なにより作品がどう受けとめられたか一目瞭然。
村上作品ともなると、さすがにゲイシャ、フジヤマ的な表紙は少ない。
浮世絵女性がサングラスをしているような妙なものもあるにはあるけれど、モダンな感じの表紙が多い。
チェコとデンマークの表紙が格好よかった。

ノルウェー出身のイカ・カミンカさんの発言が面白い。
80年代に来日して独学で日本語を勉強。
そろそろ小説が読めるんじゃないかと思って本屋にいくと、「ノルウェイの森」と題された本が。
でも、「買って読んだらちょっとがっかりしました。ノルウェーとぜんぜん関係なくて(笑)」。

つぎが「村上春樹と映画」というレポート。
四方田犬彦さんの独壇場。
映画「ピクニック at ハンキングロック」のプロットが「海辺のカフカ」の冒頭に借用されているそう。

それから、ふたつのワークショップ。
ワークショップ1は、「夜のくもざる」所収の短篇2編を、各国語に訳し、各翻訳者が苦心のしどころを語り合うというもの。
固有名詞、擬音語、カタカナ語、時制、ことば遊びなどの処理を、その場その場で知恵をしぼってクリアしていく。
たとえば車の名前は国によって変わっていたりするし、カタカナ語はどう漢字にするかで苦労をする。
ことばをひのひらに乗せて、重みをはかるようにして訳すさまは、ことばに対する敏感さとはどういうものかを教えてくれて、とても興味深い。

ワークショップ2では、村上作品が各国でどう受容されているかを、社会科学的にとらえたもの。
作品ではなく、現象についての議論。
その国と日本との関係や、政治的経済的環境、また世代によって、それぞれ受けとめかたが変わってくる。
どうも、村上作品は、政治変動後の喪失感をもった世代にアピールするらしい。

以上がシンポジウムの報告。
あとは、「シンポジウムを終えて」という、あとがき的な文章や、舞台裏の報告、アンケートなど。

「シンポジウムを終えて」で、沼野さんはこのシンポジウムを、「普段あまり恵まれず、表に名前が出ることも少なく、感謝されることもあまりない翻訳家たちが一堂に会するお祭り」として考えたそう。
そして、「今回の企画ではほぼ全面的に実現したといえるのではないかと思う」。

たしかに、表紙カバーくらべや、翻訳ワークショップからは和気藹々とした感じがつたわってきて、読んでいて楽しかった。

4名のアドバイザーのなかで、もっとも批評的な立場をとっているのが四方田さん。
村上作品の現象に興味はあるけれど、作品には興味はないということを率直に記している。
シンポジウム中でも、あえて野暮に徹したような発言が目立った。

でも、国際交流基金の佐藤幸治さんによる「舞台裏報告」によれば、企画の発案者は、この四方田さんというのだから面白いものだ。

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新年度の目標

またネット接続が不調に。
業者にきてもらう時間がなかったので、ほったらかしにしておいたら、一週間ほどしてかってに復旧。
うーん、ケーブルTVってこんなに不安定なのか。
それとも、うちだけ?

そんなわけで、しばらく更新が滞っておりました。
また、ぽつぽつ更新していきます。

さて、いつのまに4月に入ってもう10日。
新年度の目標は、「本はなるべく買わない」。
あるいは、「買った本はちゃんと読む」。

とにかく読んでいない本があまりに多いので、それを消化していかなくては。
積読本消化年間にしたいと思っていますが、うまくいくかどうか…。

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