爆弾魔(結び)

続きです。
今回もまた、各短編の内容に触れていますので、未読のかたはご注意ください。

「デスボローの冒険――茶色の箱」
失業者のデスボローが間借りしているのは、クイーンズ広場の小児病院の隣の建物。
ある日、テラスでつながっている別の部屋にご婦人が入居する。
セリョリータ・テレサ・バルデビアという名前で、父は英国人、母はキューバ人だという。
デスボローは、このご婦人に夢中になる。

「美わしきキューバ娘の話」
そのテレサが、デスボローに語った身の上話。
父はスペイン大公の血を引き、母はアフリカの王族の血を引いていたという。
母は奴隷で、父の愛人だった。
父はハバナで宝石の仕事をしており、母はテレサが16歳のときに亡くなった。

テレサが暮らしていたのは、キューバから舟で30分ほどもこげば着く島。
そこには父の家族と農園しかない。
島の8割は農園で、ほかは密林と有害な湿地。

ある日、この島にマダム・メンディザバルという女があらわれる。
父に話を聞くと、メンディザバルは20年前、一番美しい奴隷だったそう。
いまでは結婚しており、自由で金持ち。
フードゥーの儀式によって奴隷のあいだに強い影響力をもっているという。

さらに父は思いがけないことを話す。
金を貯めたら家族で英国に渡るつもりだった。
が、母が亡くなってしまった。
それに母の病気のために、部下に仕事を任せた結果、破産してしまった。

こうなると、父の農園でのんびり暮らしていたものの、テレサの身分は奴隷なので、債権者のものになってしまう。
そこで、島から逃げだすよう、父は娘に告げる。

島にはいま、英国からの快走船がきている。
もち主は、サー・ジョージ・グレヴィルといって、グレヴィルは(不当に手に入れたと思われる)宝石を売りさばいていたことで、父に弱みをにぎられている。
夜になったら湿地を抜け、北の港にでて、そこで快走船に乗る。
途中の湿地には、あらかじめ宝石を隠しておく。

その晩、脱出する予定だったが、湿地に入ったため父の具合が悪くなり、亡くなってしまう。
翌朝には、父の逮捕状をもった役人たちと、新しい主人が到着。
新しい主人であるコルダ―氏は、父が隠した宝石をさがしていた。
そこでテレサは、コルダ―氏にとりいる風を装って嘘をつく。

マダム・メンディザバルが島にきてから、島の奴隷は反乱寸前であること。
宝石のある場所まで、テレサが案内すること。
宝石をみつけたら、すぐに危険な島をはなれ、本土に逃げだすこと。

テレサはコルダ―氏を案内し、湿地へ。
が、父と同様、湿地の毒気にやられてコルダ―氏は亡くなってしまう。
黒人の血が流れているテレサは無事だった。

宝石と、コルダ―氏の拳銃や、遺書が書かれた手帳などを手に、密林を抜けると、空き地にある礼拝堂ではフードゥーの儀式がおこなわれている。
儀式をとりおこなっているのは、マダム・メンディザバル。
テレサの旧知である奴隷娘のコーラがいけにえにされようとしており、テレサは金切り声をあげる。
同時に、竜巻が起こり、なにもかも消え去ってしまう。

翌朝、意識をとりもどしたテレサは快走船に。
その後も細ごましたことがいろいろとあるのだが、ともかくテレサは英国に上陸。
現在は弁護士のとり計らいで――というのもコルダ―氏の息子から、宝石を奪ったと告発されたからなのだが――下宿に隠れ、キューバの密偵を恐れて暮らしている。

「茶色の箱(結び)」
キューバ娘に恋をしたデスボローは、どうしたら彼女にふさわしい人間になれるかと思い悩む。
テレサからことづけを頼まれたものの、その任務を果たせなかったり、密偵から守ろうとテレサのあとを尾けたところ、ばれてしまったりと、デスボローは失敗ばかり。

ある日、あごひげの男が茶色い箱をテレサのもとにもってくる。
これは怪しいとデスボローは思うが、あごひげ男は弁護士の事務員だとテレサ。
茶色い箱には、宝石や書類などキューバとの結びつきを証明するものが入っている。
この箱を、ホーリーヘッドまではこび、アイルランドいきの郵便定期船に乗せてもらえないかと、テレサはデスボローに頼む。
ここで、デスボローはテレサに恋心を披露。

《「僕は人から利口な男と思われていませんし、思いをハッキリ言うことしかできません。あなたが好きです」》

テレサは大いにうろたえる。
翌日、デスボローは箱を辻馬車にのせ駅へ。
箱からは、なにやらカチカチ音がする。
駅にいると、テレサがあらわれて計画は延期になったとデスボローに告げる。
2人は箱とともに部屋にもどり、テレサはこれまでのことを告白する――。

「余分な屋敷(結び)」
サマセットがゼロの部屋にいくと、ゼロはすっかり落ちこんでいる。
最後の爆弾が失敗に終わってしまった、とゼロ。
しかし、床に置かれた箱からはカチカチと音がする。
5、6個始動させたと、ゼロはいう。
自分の腕前をすっかり見限っているゼロは、あわてる必要はないとサマセットをさとす。
でも、手下が不手際をしたのではないかと、まだいくぶん未練がましい。

荷物をまとめて去るとゼロはいうので、サマセットは大喜び。
去るにあたり、ゼロはダイナマイトをもっていこうとする。
サマセットがとがめると、単なる過去の記念品ですと、鞄にすべりこませる。
2人が表を歩いていくと、屋敷で爆発が起こる。
ゼロは大喜び。
サマセットは怒る。

《「大馬鹿野郎め!」とサマセットは言った。「一体何をしたんだ? 罪もない老婦人の家と、おまえと親しくするほど間抜けだった唯一の人間の全財産を吹っ飛ばしたんだぞ!」》

ゼロは爆弾魔ではあるが、死を恐れないわけではない。
ダイナマイトで吹き飛ばされるのは怖いし、私刑や暗殺には反対。
そのくせ爆弾づくりに励んでいるところが妙で、また不気味でもある。
サマセットはゼロにいう。

《「僕は今日まで、愚かなことは愉快だとずっと思っていた。今はそうじゃないことを知っている。」》

《「おまえが僕から若さを奪ったのか?」》

サマセットは、ゼロがアメリカにもどる金を飢え死に覚悟で立て替えてやる。
駅の露店では、さきほどの爆発が早くも紙面に踊っている。
ゼロが、それを買おうと身を乗りだしたところ、鞄が露店のすみにぶつかり、ダイナマイトが爆発。
サマセットはあわててその場を去る。
ゼロが抹殺されたからには、多少の慰めをもって飢え死にできると思いながら。

午後、サマセットはゴッドオール氏の煙草屋へ。
あなた、何かお困りなんじゃありませんかと、ゴッドオール氏に声をかけられ、サマセットはわっと泣きだす。

「「シガー・ディヴァーン」のエピローグ」
エピローグなので、チャロナー、サマセット、デスボロー、それにクララとラクスモア夫人が、ゴットオール氏の煙草屋「シガー・ディヴァーン」で一堂に会する。
でも、これまでも内容をいささか書きすぎた。
ここは省略しておこう。

本書はスティーブンソン夫妻の合作小説。
どのあたりに奥さんの影響があるのかは、巻末の訳者解説が教えてくれる。

《実際、この作品にはスティーブンソンの小説らしからぬ著しい特徴がある。すなわち、女性の描き方だ。しばしば言われるように、スティーブンソンの世界は男の世界であり、女ももちろん出て来るけれども、個性のない脇役にすぎない。それがこの小説では役回りがほぼ逆転して、御覧の通り、クララとその母親という自由奔放な二人の女性が大活躍するのに対し、フロリゼルと爆弾魔ゼロはまあ別格としても、チャロナー以下三人の青年は木偶人形と言うに等しい。》

木偶人形といわれては、3人が気の毒だ。
サマセットは本書の中で成長をみせるし、なによりユーモア小説を支えているのは、3人のような気のいい青年たちだろう。
本書の登場人物はみな、ウッドハウスの書くユーモア小説の登場人物のようだ。

また解説では、本書が影響をあたえたと思われる作品にも触れている。
ひとつは、爆弾テロリストがでてくるユーモア小説として、オスカー・ワイルドの短編「アーサー・サヴィル卿の犯罪」

それから、明らかに影響が認められるのが、アーサー・マッケンの長編「三人の詐欺師」と、コナン・ドイルの、「緋色の研究」だという。
「三人の詐欺師」では、クララと同様の役回りをする女性が登場することが、「緋色の研究」では、アメリカ西部でのモルモン教がらみの物語が、それぞれ本書からの影響だと書かれている。

最後に、なぜ本書がこれまで翻訳されてこなかったのか考えてみたい。
これはあくまで想像だけれど、その理由は、たぶん読んだひとが、この本を面白いと思わなかったからではないかと思う。
全体にユーモア小説仕立てだし、男性登場人物の影が薄い。
こわもての悪漢がでてこないし、なにかと対決するといった劇的な場面にもとぼしい。
スティーブンソンのほかの作品のようなつもりで手にとると、大いにあてがはずれてしまう。

なにより、クララの話す物語が、全体の構成とあんまり関係がないというところが致命的。
あれだけたくさん読んだのに、それが全体の事件とほとんど関係がないなんてと、読んだひとたちはほとんど怒ったのではないか。
(ここで、ポール・オースターの「闇の中の男」のことを思いだした。この小説も、作中内で語られる物語が中途半端で終わってしまう。でも、オースターには腹を立てたけれど、スティーブンスンには腹が立たない。読者というのは勝手なものだ)

まあでも、最初から古風なユーモア小説だと思えば腹も立たない。
クララが語る長い長い脱線もそれなりに楽しめる。
それに、なにより懐かしいフロリゼル王子に再会できたことが嬉しい。
本書は、ゴットオール氏となったフロリゼル王子の温かい言葉で幕を閉じる。


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爆弾魔(承前)

続きです。
今回もまた、各短編の内容に触れていますので、未読のかたはご注意ください。

「サマセットの冒険――余分な屋敷」
次は、サマセットの物語。
シガー・ディヴァーンをでて、冒険をもとめてロンドンを歩きまわったサマセットは、白い手袋を優雅にはめた手に手招きされ、馬車に誘われる。
そこにいたのは老婦人。
老婦人はサマセットを邸宅に連れていき、一緒に夕食をとったあと、自身の身の上話をはじめる。

「気骨のある老婦人の話」
牧師の娘で、継母と折りあいが悪かった老婦人は、従兄のジョンと駆け落ち。
ところが、ロンドンのホテルで落ちあうはずだったのに、けっきょく相手がこなかった。

父の弁護士を訪ねると、二度と家に帰れなくなったものの、わずかな手当てをもらえることに。
そのお金を使いはたしたり、うっかりテムズ川に投げこんでしまったりして、ついには下宿代も払えなくなる。
夜逃げを決意するが、トランクが重くてうごかない。
そこで、街で大金持ちそうな紳士の腕のなかに突撃。

紳士は下宿まできてくれ、トランクを外にはこびだしてくれる。
さらに辻馬車で自分の邸宅に連れていってくれる。
紳士の名はヘンリー・ラクスモアといい、事情を聞いたヘンリーは求婚。
こうして老婦人は、ラクスモア夫人となった。

ヘンリーとは20年間連れ添うことに。
娘のクララが生まれたが、クララはいま家出中。
なんでも反体制派となり、ラクスモア、レイク、フォンブランクといった名前をつかって、なにやら活動しているらしい。

さて、ヘンリーが亡くなったあと、ラクスモア夫人は7つの屋敷をもつ身となり、借家人を追いだそうとして裁判に負けたりしている。
サマセットが連れてこられたこの屋敷は、なんと以前、ジェラルディーン大佐とフロリゼル王子に貸していたのだと夫人は話す。

ある8月、夫人がこの屋敷を訪れてみると、鎧戸が閉まっていた。
そこに立派な馬車で立派な格好をした連中がやってきて、食器類などをはこび入れ、食事の支度をして去っていった。
貸した家がきちんと管理されていないのではないかと、夫人は立腹。
夜、屋敷を見張っていると、男が3人、別べつに屋敷に入っていった。
なにか恐ろしいことが起きているにちがいないと、夫人も屋敷へ。

2人の男たちは食堂で談笑しており、もうひとりの男は配膳室で聞き耳を立てている。
食堂にいたのは、フロリゼル王子と見知らぬ青年。
青年は王子に、すぐこの場をはなれるように告げるが、王子が相手をしないでいると、ポケットから小びんをとりだし中身を飲んで倒れる。

夫人は王子の前に姿をあらわし、毒を飲んだ青年を助ける。
王子と2人で配膳室にいってみると、さっきの男は自殺していた。

一方、助かった青年は弁明する。
社会を良くしようと思っていたのに、仲間とともに恐ろしい手段に訴えることになった。
仲間から逃げだし、一時パリに潜伏したが、みつかり、組織に服従することになった。
王侯への憎しみから、今夜はフロリゼル王子を殺害しにきたのだったが、けっきょくそれは果たせなかった、うんぬん。

しかし、青年の煩悶とは異なり、夫人はたいそう実際的。
青年には死体を片づけるようにいいつけ、王子には賃貸契約を解消するように告げる。
身分の高い方に貸せば、低い者に貸したときのごたごたがないだろうと思っていたけれど、偉いひとには危険がつきまとう。

《殿下のお人柄には心から感服いたしましたが、土地建物の問題に関しては、感情に左右されるわけにはまいりません。》

賃貸契約は解消するが、この屋敷には二度と借家人を置かない。
そう、夫人は王子に約束をする。

「余分な屋敷(承前)」
話はもどって。
夫人はサマセットに、自分はエヴィアンに旅行にいくから、この屋敷をつかってほしいとサマセットに提案する。
サマセットは承諾。

なぜか絵描きになるときめたサマセットは、屋敷で画業に専念。
また、屋敷の一部をひとに貸すべく貼紙をする。
かくして下宿人があらわれる。
ジョーンズという病弱な紳士で、アイルランド人の後家の看護婦がついている。

下宿人本人は姿をみせない.
しかし、人相の悪い連中が訪ねてくるように。
下宿人は確実に犯罪者だと思われ、部屋を貸したサマセットは思い悩む。

さらに下宿人ジョーンズ氏の友人だという若い娘が部屋を借りにくる。
娘とジョーンズ氏が外出すると、サマセットはアイルランド人の看護婦を酔いつぶし、下宿人の部屋に侵入。
そこには、部品やら、時計やら、つけひげやら、アザラシの外套やらが。
そこに、ジョーンズ氏が帰宅。

《「お察しの通り、あの懸賞金はわたしにかかっているんです。それで、どうしますか?」》

お人好しのサマセットは、なぜかジョーンズ氏と2人で酒を飲み、語りあうことに。
ジョーンズ氏は、自分はゼロと呼ばれている爆弾魔だという。
ろくに成功したことがないが、爆弾をつくり、無差別テロを起こそうと、日夜奮闘しているのだという。

「ゼロの爆弾の話」
ゼロは、30分後に爆発する仕掛けをほどこした爆弾を、仲間のマクガイアにもたせたときの話をする。

マクガイアは、レスター広場にあるシェイクスピア像のところに爆弾をもっていったが、警官隊がいたために断念。
それから気が遠くなりながら、子どもに渡そうとしてみたり、親切な夫人に託そうとしてみたり、辻馬車に忘れようとしてみたり。

辻馬車に乗ったものの、マクガイアはお金をもっていなかった。
たまたま、河岸通りを歩いていた煙草屋の主人ゴッドオール氏をみかけ、以前店で買い物をしたよしみから、お金を借りようとすると、あなたの顔は見おぼえがありませんと、ゴッドオール氏にいわれてしまう。
でも、ゴッドオール氏はマクガイアのあごひげのことはおぼえていた。
そのあごひげが嫌いなので、剃るようにと、ゴッドオール氏は1ソヴリン貸してくれる。
けっきょく、爆弾は川に投げこんで爆発。

「余分な屋敷(承前)」
話を聞いた翌朝、サマセットはゼロに立ち退きを要求する。
が、ゼロは従わない。
それどころかサマセットは、うっかりゼロと一緒に朝食をとったりしてしまう。
この無邪気な爆弾魔を警察に突きだすか、そうせずに説得するかで、その後もサマセットは悩み続ける――。

もう1回続きます。


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爆弾魔

「爆弾魔」(R・L・スティーヴンスン&ファニー・スティーヴンスン 国書刊行会 2021)

原題は、”The Dynamiter More New Arabian Night”
原書の刊行は、1885年。
訳者は、南條竹則。

本書は、「新アラビア夜話」の続編。
長年、名ばかり知っていたが訳書がなく、読めなくて残念に思っていた。
なので、今回の訳出はとてもうれしい。
昨年刊行された本のなかで一番うれしかったといってもいいくらい。
訳者と出版社にお礼をいいたい。

本書は短編連作。
ひとつひとつの短編がつらなって大きな絵を描いている。
そのため、構成が少々ややこしい。
そこでまず、目次を引用しておこう。

・「シガー・ディヴァーン」のプロローグ
・チャロナーの冒険――御婦人方の付添い役
  破壊の天使の話
・御婦人方の付添い役(結び)
・サマセットの冒険――余分な屋敷
  気骨のある老婦人の話
・余分な屋敷(承前)
  ゼロの爆弾の話
・余分な屋敷(承前)
・デスボローの冒険――茶色の箱
  美わしきキューバ娘の話
・茶色の箱(結び)
・余分な屋敷(結び)
・「シガー・ディヴァーン」のエピローグ

前作「新アラビア夜話」の主人公、フロリゼル王子は本作にも登場。
前作の末尾で語られたとおり、国を追われた王子は、ソーホーのルパート街にある「ボヘミアン・シガー・ディヴァーン」という煙草屋の主人になっている。
王子の名前も、いまではシオフィラス・ゴッドオールに変わってしまった。

この煙草屋で、3人の窮迫した若者が顔をあわせる。
ひとりは、26歳のポール・サマセット。
一応、法廷弁護士だが、親ゆずりの財産を蕩尽して、残りの財産は100ポンド。
偶然だが、もうひとりの若者チャロナー・エドワードの全財産も残り100ポンド。
さらにもうひとりの、ハリー・デスボローは100ポンド以下。

くすぶっている若者たちは、新聞に載っている、賞金200ポンドをかけられたアザラシの毛皮の外套をまとった男をみつけだそうかなどと相談する。
加えて、サマセットは、チャロナーが生活に無能なのは冒険心が足りないからだと決めつける。

《「…冒険が向うからやってきたら、両腕に抱きしめてくれ。それがどんな様子をしていても、汚らしくても、ロマンティックでも、そいつをつかんでくれ。僕もそうする。そいつの中には悪魔がひそんでいるが、少なくとも面白く遊べるだろう。…」》

そして、自分たちの出逢った運命のことを、ゴッドオールに聞かせるんだと、サマセット。

《「二人共、約束してくれるかい? やって来たチャンスをすべて歓迎し、あらゆる隙間に勇敢に飛び込み、用心深く目を見開いて、冷静な頭脳で起こったことをすべて吟味し、つなぎ合わせることを?」》

ここまでがプロローグ。
このあと、それぞれチャロナー、サマセット、デスボローの冒険が語られる。
ただ冒険が語られるのではない。
冒険の話のなかに、ご婦人が語る長い物語が挿入される。
ではまず、チャロナーの冒険から。

(本書は短編連作ということもあり、以下、作品の内容やオチに触れている場合がありますのでご注意ください)

「チャロナーの冒険――御婦人方の付添い役」
住宅地をのんびりと歩いていたチャロナーは、突如聞こえてきた爆発音にびっくり仰天。
爆発音がした家からは、2人の男とひとりの婦人が逃げだしていく。
チャロナーもあわててその場をはなれたが、逃げる方向が一緒だったのか、逃げだしたご婦人と再会。
チャロナーは公園のベンチで、ご婦人の身の上話を聞くことに。

「破戒の天使の話」
ご婦人の名前はアシーナスという。
英国生まれの父は合衆国に渡り、西部の奥地で出会ったモルモン教徒の母と結婚。
近所に住んでいたのは、なにかの研究に没頭している、医者のグリアソン博士。

アシーナスが17歳になったころ、父が脅迫の手紙を受けとる。
事業に成功していた父は、監視され、もっと教会に金を払うよう脅されたのだ。
一家はこの土地から逃げだそうとするが、すでに包囲されているのを感じてあきらめてしまう。

こののち、父はモルモン教徒に連れていかれ殺され、望みを失った母はグリアソン博士の手にかかり亡くなる。
グリアソン博士は、アシーナスをロンドンに送り、自分の息子と結婚させるという計画をアシーナスに打ち明ける。
グールド嬢という偽名を名乗ったアシーナスは、さまざまなひとの手引きにより、大西洋を渡ってロンドンの下宿屋へ。

その後もいろいろあるのだけれど、ここは省略。

「御婦人方の付添い役(結び)」
身の上話を聞いたチャロナーは、警察にいくようにご婦人にいうが、そんなことをしたら殺されるとご婦人。
チャロナーは、従姉妹に届けてほしいと、ご婦人から手紙とお金を預かり、グラスコーへ向かう。

指示された住居を訪ねると、でてきたのはあごひげを生やした男。
俺がフォンブランク嬢だと、あごひげ男はいう。
――本書は、この種のユーモアにこと欠かない。

渋っているチャロナーに、あんたを使いにだしたのは、きっとクララにちがいないと、あごひげ男。

あごひげ男が合言葉を知っていたので、チャロナーは預かっていた手紙と金を渡す。
あごひげ男はすぐさま逃げだし、残されたチャロナーは自分がはこんできた手紙をみる。
なかにはだいたいこんな内容が。

親愛なるマグワイア。
隠れ家は知られている。
わたしたちはまた失敗した。
時計仕掛けが30分進んでしまった。
ゼロはすっかり落胆している。
この手紙とお金を届けるのに、あのうすのろしかみつけられなかった。

気がつくと住居は警官にかこまれており、チャロナーもあわてて逃げだす。
チャロナーのことを仲間だと思った一味に助けられ、翌日チャロナーはよろよろとロンドンに戻る。

チャロナーの冒険は以上。
続くサマセットの冒険は次回に。


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探偵ダゴベルトの功績と冒険(承前)

続きです。

「ある逮捕」
最近貴族に列せられたヴァイスバッハ男爵に招待された祝賀会での出来事。
この祝賀会の席で、ダゴベルトは得意の探偵術で失敗し、ヴァインリヒ博士にしてやられたのだと、グルムバッハはヴィオレット夫人に話す。
しかし、実際はそうではなかったとダゴベルト。
事の真相を、ダゴベルトは夫人に話す。

祝賀会で、ダゴベルトは控室にかけてある上着から、だれかがシガレットケースを盗んでいるところを目撃した。
その男は、トラウトヴァインという庭師。
が、ダゴベルトはたまたま知っていたのだが、トラウトヴァインは本当の名前をアントン・リーダーバウアーといって、元強盗殺人犯だった。
ヴァインリヒ博士は、現在もこの男の行方を追っている。

いまはパーティー中でもあるので、荒事は避けたい。
リーダーバウアーの捕り物は優雅におこなおうとダゴベルトは決意。
ダゴベルトは会食の席上で、シガレットケースは自分が盗んだと告白し、ヴァインリヒ博士を呼んで、博士が真相にたどり着くようにとりはからう。

「公使夫人の首飾り」
X国公使アームストロング家の自宅でおこった盗難事件。
アームストロング夫妻は、きのう避暑にでかけたのだったが、前の晩にパーティーがあり、そのとき身につけた装身具をまだしまっていなかった。
召使いが夫妻を馬車まで見送り、もどってくると、一番大きく高価なダイヤモンドの首飾りがなくなってしまっていた。

警察を呼び捜索してもらうと、なぜか邸内にいたカヘタン・モーハルトという大学生が発見される。
モーハルトは裏庭の鍵までもっていたのだが、容疑を否認。
この事件の担当は、無能なシュクリンスキーであり、シュクリンスキーはこのモーハルトを逮捕してしまった。

ヴァインリヒ博士は官吏のため、担当しているシュクリンスキーに余計な口出しはできない。
そこで、民間人であるダゴベルトに協力をもとめる。

モーハルトは、アームストロング家の所有である、大きな碧玉(ジャスパー)がはめられているロゼットをもっていた。
この碧玉についての迷信から、ダゴベルトは真相にいたる。

「首相官邸のレセプション」
首相邸の夜会に出席したグルムバッハ夫妻は、ダゴベルトが案内役をつとめてくれなかったことに立腹。
パーティーの最中は仕事中だったのですと、ダゴベルトは弁明する。

ダゴベルトに仕事を頼んできたのは首相夫人。
夜会のときだけものが盗まれるという。
盗めるものはなんでも、金や銀のスプーン、コートまで盗まれたこともある。
夫人の甥も鎖を切られ、時計を盗まれた。
主人にはまだつたえていないし、できれば騒ぎを大きくしたくないという。

ダゴベルトは鎖の切り口から、犯人は国際的なスリ、ヴァインシュタインと推理。
ヴァインシュタインは、ラカセ侯爵と名乗り、その夫人とともに社交界に出入りしては窃盗をくり返している。

ダゴベルトは騒ぎを起こさないように配慮しながら、ヴァインシュタインが盗んだものをさらに盗みとる。

「ダゴベルトの不本意な旅」
2か月ぶりに姿をあらわしたダゴベルトから、ヴィオレット夫人はそのあいだのダゴベルトの冒険を聞く。

医者に病気を指摘されたダゴベルトは、毎朝散歩をするように。
散歩のときに目にする果物市の売り手のなかに、ひときわ優美な女性の姿を認める。
彼女の店で何度も買いものをするが、相手の気を引けない。
警察の手づるをつかい、素性を調べてみると、女性はアンナといって、夫は漁師。
アンナはなかなか育ちが悪いよう。
無作法な客を𠮟りつける、その悪口雑言にダゴベルトはおじけづく。

アンナの店に悪党面の紳士があらわれ、両替をしていく。
ダゴベルトは紳士のあとをつけ、警察で犯罪者写真帳を閲覧。
さらに指紋を手に入れ調べたところ、紳士はマックス・グランという押しこみ強盗だったことがわかる。
2週間前にも、証拠はないものの陸軍中尉の家に押しこみ、手さげ金庫を奪ってきた疑いがある。
ダゴベルトは、グランを捕まえるべく策を練るが、相手は姿をくらませてしまう。

そこで、アンナの夫ブルクホルツァーを訪問。
ブルクホルツァーのそばで釣りをすることで、徐々に親しくなる。
アンナはブランと一緒になるはずだったが、ブランが監獄送りとなったのでブルクホルツァーと結婚した。
が、ブランが最近出所してきたので、自分は殺されるのではないかとブルクホルツァーは恐れている。
狙い通りブルクホルツァーのもとにあらわれたブランのあとを、ダゴベルトは尾行するのだが――。

本編は、めずらしく上流階級が関係しない。
タイトルにある「不本意な旅」とは、このあとダゴベルトがハードボイルド小説の登場人物のような思いがけない目に遭うためだ。

解説は大変充実。
ダゴベルトは探偵とはいうものの、上流階級の不祥事を処理するのがおもな役割の、いわゆる忖度探偵だ。
そのため、真相をあばくだけでなく、真相をどんなふうに隠蔽するかも面白さのひとつになっている。
(これは少々意地悪な見方。ダゴベルトに隠蔽に対するうしろめたさはない(と思う)。ここが、たとえばチェスタトンの「知りすぎた男」(東京創元社 2020)とはちがうところだ)

では、ダゴベルトは真相を隠蔽して一体何を守ろうとしていたのだろう。
ひとことでいえば、崩壊寸前の二重帝国の社会ということになるだろう。
このあたりのことを、解説はこう表現している。

《(…)ダゴベルトが探偵活動と称するものの多くは、弥縫と揉み消しにほかならない。》

《(…)ダゴベルト・トロストラーは崩壊寸前の二重帝国において最適化された探偵であった。ちょうど諸権力が抗争するロサンジェルスでフィリップ・マーロウが最適化された探偵であったように。あるいは因習渦巻く田舎町で、金田一耕助が最適化された探偵であったように。》

でもここは、ダゴベルトが守ろうとしたのはヴィレット夫人との優雅な会話だとしておきたい。

また、こうして一作ずつみていくと、本書の配列の妙にも気づかされる。
最初に、主要な登場人物たちの知人にかんする作品を並べたあと、一番長い「ダゴベルト休暇中の事件」を置く。
その後3作並べたあと、いささか毛色のちがう「ダゴベルトの不本意な旅」をもってくる。
見事な配列だ。


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探偵ダゴベルトの功績と冒険

「探偵ダゴベルトの功績と冒険」(バルドゥイン・グロラー 東京創元社 2013)

訳は、垂野創一郎。

本書は、20世紀初頭のウィーンを舞台に、素人探偵ダゴベルトの活躍をえがいた短編集。
解説によれば、1910年から1912年に書かれた全6冊18篇のなかから、9篇を訳出したとのこと。
なお、「世界短篇傑作選」(江戸川乱歩/編)にも一篇ダゴベルト物が収録されているという。
本書の収録作は以下。

「上等の葉巻」
「大粒のルビー」
「恐ろしい手紙」
「特別な事件」
「ダゴベルト休暇中の仕事」
「ある逮捕」
「公爵夫人の首飾り」
「首相邸のレセプション」
「ダゴベルトの不本意な旅」

ダゴベルトは独身で、一線から身を引いた道楽者で、音楽と犯罪学に情熱をもつ資産家。
《手を染めたいかなる分野でも、彼はアマチュアであり、情熱的なディレッタントのままでいた。》
という人物。

作品はおおむね、ダゴベルトが古い友人であるグルムバッハと、その夫人ヴィオレットに、自分が手がけた事件を語って聞かせるという形式をとっている。
解説では、このダゴベルトの語りを、《ダゴベルトものの持ち味であるシェエラザード性》と呼んでいる。
会話が多いため、全体として読みやすい。
その会話は古い探偵小説らしく、含みが多く率直でない、いささか迂遠と感じられるような高雅なものだ。
では、簡単に各作品のメモを。

「上等の葉巻」
ダゴベルトとグルムバッハ、それにヴィオレット夫人についての説明が冒頭にあるので、この作品は全18篇のなかの最初の作品なのではないかと思う。

本作は、ダゴベルトがシェエラザードのように話す形式の作品ではない。
喫煙室の葉巻箱から、葉巻が何本かなくなったことをグルムバッハから聞かされたダゴベルトは、一本の毛と、葉巻の吸殻から犯人を推理する。
その結果は、夫人の貞節についての微妙な問題で、ダゴベルトは自身の判断で、この問題を手早く片付ける。

「大粒のルビー」
グルムバッハの知人、フリーゼ男爵が巻きこまれたトラブル。
妻が保養中、友人たちと野外の舞台をみにいった男爵は、ある女優と知りあいに。
昨日は女優の家で、その母親と一緒に晩餐をとったのだが、今朝になり女優の使いがやってきて、男爵がルビーを盗んだという手紙をもってきた。
調べてみると、なんと知らぬ間に上着にルビーの指輪が入っている。

女優にそれを返却すると、いいかげんにしてください、この指輪は偽物ですという返事。
そして、あっという間に話がこじれ、指輪を返却するか、6000クローネ支払うかしなければ、法廷に訴えると女優は宣言する。

明らかに脅迫。
ダゴベルトは男爵につきそい相手方と会見することに。
その会見の模様は、直接には書かれない。
事件が解決したあと、ダゴベルトと男爵によって、グリムバッハとヴィオレット夫人に語られる。

「恐ろしい手紙」
今回は、ヴィオレット夫人の友人、ケーテ伯爵夫人のトラブル。
元女優のケーテ夫人は、展覧会で古い知りあいの、オスカル・フェルト弁護士と出会う。
じつは、フェルトはある事件で弁護士資格を剥奪され、いまは詐欺師をしていた。
この詐欺師は、昔夫人が書いた手紙をネタに、夫の個人秘書の職を要求する。

前回に引き続き、上流階級のスキャンダル。
ダゴベルトは、この詐欺師を自分の個人秘書にしたうえで罠にかける。

本書には、ときどきユーモラスな表現があらわれる。
秘書として有能だった詐欺師について、ダゴベルトはこんなことをいう。

《わたし自身にしても、このような秘書がいてくれて、天国にいるような気持ちです。(…)いずれは彼と別れなければなりませんが、ほんとうに残念なことです。》

「特別な事件」
いつものように、グルムバッハ家にいたダゴベルトのところに、警察顧問のヴァインリヒ博士から電話がかかってくる。
ダゴベルトが博士のもとを訪ねると、夜の2時、ゼンゼン小路で撲殺死体が発見されたとのこと。

この事件を担当したのが、無能なシュクリンスキー上級警部。
ダゴベルトはシュクリンスキーを大いにおだてながら、事件の概要を聞く。

被害者は、富裕層の医学生。
帽子には、打撃の痕(あと)が鮮やかについている。
また学生は、婦人用の柄付き眼鏡(ロルニヨン)をもっていた。

シュクリンスキーは、体操用の棍棒をもっていた被害者宅の管理人を確保する。
が、ダゴベルトの見解では、棍棒では、帽子にあるような打撃の痕はつかない。
新聞などがうるさくなってきたので、とりあえず事故か自殺の線でおさめるよう、ダゴベルトは提案する。

それから8か月後のグルムバッハ家。
事件を解決したダゴベルトは、ヴィオレット夫人やヴァインリヒ博士に真相を語る。

今回も、上流階級のスキャンダルにからむ事件。
恐るべき無能さを誇るシュクリンスキー上級警部がユーモラス。
ダゴベルトの活躍により事件はすっかり揉み消され、ヴァインリヒ博士はその如才ない沈黙により勲章を授与される。

「ダゴベルト休暇中の仕事」
本書中、一番の長さ。
ダゴベルトは、ヴィオレット夫人に、この2か月の休暇中に起こった出来事について話す。

ことの起こりは、ダゴベルトのもとに手紙が届いたことから。
60年前、自分の母が、別の子どもととりちがえられたのではないか。
真相が解明されたら、母に少なからず遺産がもたらされるのではないか、という内容の手紙。
興味をおぼえたダゴベルトは、この母子のいるロートホーフ村を訪ねる。

母親のローデヴァルド夫人によれば、養父は1848年の革命の前から、庭師としてあるハンガリー貴族に雇われていた。
養父と養母は、子どもに恵まれなかった。
革命の余波で、伯爵の家は崩壊せんばかりになり、サルミゼゲトゥシャからドイツへ引っ越しするさい、わたし(ローデヴァルド夫人)をもらい子として連れていった。

ローデヴァルト夫人は、その後牧師と結婚し、息子のフリッツを産む。
子どもが生まれてから、宙に浮いた富が気にかかるようになり、受洗証明書を手がかりに、かのサルミゼゲトゥシャを訪れたが、父というのはただの酔っ払いだった。

フリッツは、パリとスイスで修業した時計職人で、新しい卓上時計を発明し、このロートホーフ村を時計職人の村にしようとしている。
しかし、いかんせん資金が乏しい。
フリッツがダゴベルトに手紙をだしたのもこのため。

そこで、ダゴベルトは助力を申しでる。
これで生産向上のための機械が導入できるし、恋仲になっている身分が上のお嬢さんと結婚ができるだろう。

話はこれで終わらない。
ロートホーフを去ったダゴベルトはデュッセルドルフに寄り、展覧会を見物。
そこで偶然みたハンガリー貴族の肖像画が母子にたいそうよく似ている。

このアドリアン伯爵の家系について調べあげたダゴベルトは、サルミゼゲトゥシャにいき、パリウス城に住む現在の女伯爵を訪ねる。

ダゴベルトのシェエラザード性がよくあらわれた一編。
物語にハンガリー革命がからんでいるのも興味深い。
巻末の傍注にはこう書かれている。

《作者グロラーがハンガリー生まれだったせいか、作中の描写にはひときわ熱がこもっているようだ。》

――長くなってきたので続きは次回に。


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ジャンピング・ジェニイ

「ジャンピング・ジェニイ」(アントニイ・バークリー 国書刊行会 2001)
訳は、猪狩一郎。

アントニイ・バークリーは、「毒入りチョコレート事件」の作者として名高い。
ほかにも傑作がたくさんある。
なかでも、「試行錯誤」は最高だった。

本書は3人称。
だいたい、探偵役のロジャー・シェリンガム視点。
ロジャー・シェリンガムは、バークリーのシリーズ・キャラクターで、本書の冒頭には、「ロジャー・シェリンガムについて」という一文が載せられている。

物語は、シェリンガムが平屋根の上につくられた絞首台からぶら下がった女性のわら人形みて、ジャンピング・ジェニイの説明をするところからはじまる。
R・L・スティーヴンスンの小説「カトリアナ」では、縛り首の死体をジャンピング・ジャック――手足や胴についている紐を引っ張ると飛んだり跳ねたりする人形と注釈がついている――と呼んでいるそうで、その女性版だからジャンピング・ジェニイだとシェリンガム。

それにしても、なぜ屋根の上に絞首台がつくられているのか。
これはパーティの趣向のため。
探偵小説家のロナルド・ストラットンが自分の屋敷で催した仮装パーティのためで、シェリンガムもこのパーティに呼ばれたのだった。
ちなみに仮装のテーマは、史上有名な殺人者か犯罪者に扮装するという悪趣味なものだ。

このパーティの席上、殺人事件が起こる。
シェリンガムの目にもだんだんわかってくるのだが、一座のなかでひんしゅくを買っている女性がいる。
ロナルドの弟デイヴィッドの妻、イーナがそう。
周りの注目を終始あつめていないと気がすまない。
だれにでも――シェリンガムにも――いいより、平気で嘘をつく。
そのくせ、いつも被害者ぶる。
周囲は閉口するけれども、本人はおかまいなし。
「試行錯誤」もそうだったけれど、こういう女性をえがくときバークリーの筆は輝く。

離婚したロナルドには、婚約者がいる。
相手は、ミセス・ラフロイという既婚女性で、現在離婚の仮判決を受けたところ。
ところが、イーナは国王代訴人に手紙を書き、ミセス・ラフロイの離婚の邪魔をすることをほのめかす。

当然のことながら、一座の全員がイーナの夫デイヴィッドに同情的。
デイヴィッドは、妻とは別の女性に心ひかれているらしい。

こんな状況のなか、イーナの死体が発見される。
場所は、平屋根の上の絞首台。
人形の代わりに、首つりになったイーナがみつかったのだ――。

ところで。
この小説は全部で15章あるのだけれど、第2章のタイトルは、「いけすかない女」だ。
続く第3章は、「殺されてしかるべき人物」。
第4章は、「ぶらさがった女」。
いずれもイーナを指しているのは明白。
ミステリで、ここまできびしい評価を受ける被害者女性もなかなかいない。

そしてここから、この小説はトリッキーな展開をみせる。
当初、イーナの死は自殺と思われた。
イーナ自身、パーティで自殺について匂わせてたりしていたので、それを実行に移したのだと皆が思っていた。
ところが、あるべき場所に椅子がないことから――でないと、イーナは飛び上がって輪のなかに首を突っこんだことになる――シェリンガムは、これは殺人だと確信する。

とはいえ、シェリンガムは警察の捜査に協力したりしない。

《ああいう人類社会の表面にできた無用の吹き出物のために、立派な人物が絞首刑になるのを見たくはなかった。》

というわけで、そっと椅子を本来あるべき位置に置く。

パーティには、ロナルドがよく寄稿している週刊紙の副編集長、コリン・ニコルスンもきていた。
シェリンガムとも旧知のなかで、後半はシェリンガムとコリンによる会話でおおむね話が進む。

ある理由からコリンが犯人なのではないかと思ったシェリンガムが、その理由についてとうとうと語ると、逆にコリンはシェリンガムこそ犯人ではないかといいだす。

コリンは、シェリンガムが椅子をうごかしたことに勘づいていた。
犯行を隠すためにシェリンガムがそうしたのだと思っていた。
そして、シェリンガムを助けるつもりで、椅子の指紋を拭きとっておいたと、コリンはいう。

コリンから犯人扱いされ、その論拠を述べられたシェリンガムは、ぐうの音もでない。
こうして、シェリンガムは自分への嫌疑を晴らすため、ほとんどなりふりかまわず、ほかの容疑者を仕立て上げようとする。
このシェリンガムの、なりふりかまわなさぶりがすごい。
ここまでする探偵もめずらしいのではないか。

このあと、事件には警察が介入。
検死審問がおこなわれる。

シェリンガムは、ああでもなくこうでもないと考えたすえ、もっとも強力な動機をもつデイヴィッドが犯人ではないかと思いいたる。
(もちろんコリンは納得しないが)

こうしてデイヴィッドを助けるため、検死審問ではこういう風に話をするようにと、シェリンガムはパーティの参加者に助言をしたり、念押しをしたりしてまわる。
第12章のタイトルは、「名探偵の破廉恥な行為」だ。

「試行錯誤」同様、本書もただの探偵小説には終わっていない。
パロディであり、探偵小説というジャンルを笑いのめしている。

そして、ジャンルを笑いのめしながらナンセンスに陥らず、探偵小説の枠内にもどってくる。
その手際はあざやかだ。

巻末には、若島正さんによる、「バークリーと犯罪実話」という文章が収録されている。
ただ東京創元社の文庫版には、この文章は収録されていないようだ。


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かくして殺人へ

「かくして殺人へ」(カーター・ディクスン 東京創元社 2017)
原題は、And So to Murder”。
原書の刊行、1940年。
訳者は、白須清美。

カーター・ディクスンは、またの名ジョン・ディスクン・カーといって、推理小説の巨匠。
本書は、カーター・ディスクンのシリーズ・キャラクター、ヘンリ・メルヴェール卿(H・M卿)が登場する一作。
映画の撮影所を舞台にした、スクリューボール・コメディ風なミステリだ。

3人称多視点。
主人公は、モニカ・スタントン。
モニカは、田舎牧師スタントン師のひとり娘。
はじめて書いた、小説「欲望」で大当たりをとった、22歳の女性。

「欲望」は、イタリアの伯爵や地中海クルーズ、バケツ一杯のシャンパンがでてくるような、少々官能的な小説。
ヒロインのイヴは、2万ポンドのダイヤのネックレスと引き換えに純潔を売ったりする。

モニカは、小説のことを家族に黙っていたのだが、じきばれてしまう。
一緒に住むフロッシー伯母さんには、さんざん当てこすりをいわれるはめに。
そこで、モニカは一念発起。
脚本家としてはたらくため、ロンドンのアルビオン・フィルム社を訪ねる――というところから物語ははじまる。

当初、モニカは自作を脚本化するのかと思っていたが、そうではないとプロデューサーのトマス・ハケット氏。
脚本化するのは、ウィリアム・カートライト作の、「かくして殺人へ」。

ちなみに、カートライトは父や伯母の知人であり、モニカは伯母から、どうせなら探偵小説を書けばよかったと何度もいわれてきた。
そのため、当初モニカは「かくして殺人へ」の脚本化に難色をしめす。

ところで、スタジオにはモニカの「欲望」を脚本化するためカートライトも雇われていた。
カートライトは、「欲望」を手に、こんな本は脚色できないといいながら、モニカとハケット氏の前に登場。
カートライトはモニカに脚本の書き方を教えながら、「欲望」の脚色をする役回りだとハケット氏は説明するのだが、こんな出会いをした2人は、たがいを毛嫌いするようになる。

ともあれ、カートライトの案内でモニカはスタジオを見学。
現在、ハワード・フィスク監督が「海のスパイ」を撮影中。
助監督は、クルト・ガーゲルンといって、ナチスに国を追われる前はドイツの映画会社ウーファで監督をしていた人物。
「海のスパイ」では、海軍本部を抱きこんで、本物の海軍基地をロケにつかわせてもらったという。

また、ガーゲルンは美人女優フランシス・フルーアの2番目の夫でもある。
フルーアは、モニカが「欲望」のイヴのモデルにしたひとだ。

カートライトは、「海のスパイ」についての無駄づかいを指摘する。
脚本を書き直すため、ハリウッドから脚本家を呼びよせている。
その脚本家がまだ到着していないのに、元の脚本で「海のスパイ」を撮影している。

2人が、「海のスパイ」のスタジオを訪れると、現場はなにやら不穏な空気に包まれている。
水差しのなかに硫酸が入っており、うっかりひっくり返したところ、ベッドに穴が開いてしまったという。
小道具係のミスだと、フィスク監督。

さらに、ハケット氏の伝言により、19世紀末の医者の家のセットにやってきたモニカは、送話管から流れでた硫酸を危うく浴びそうになる。
まぬがれたのは、カートライトの機転のおかげだ。

それにしても、スタジオにきたばかりのモニカが、なぜ狙われなければいけないのか。
それに、送話管から硫酸が流れでたとき、スタジオにいたのは、モニカ、カートライト、ガーゲルン、フルーア、フィスク監督、ハケット氏の5人だけだ。
「海のスパイ」は反ナチ映画だから、これは破壊工作なのではないかとハケット氏は見当をつけるのだが――。

これが、8月23日木曜日のこと。
その後、イギリスも第2次世界大戦に参戦。
灯火管制がはじまり、ガソリンは配給制に。
映画スタッフは、カントリークラブや近所のコテージに寝泊まりするようになる。

ハリウッドからは、世界一高給とりの脚本家、ティリー・バーンズがやってくる。
50代はじめの、小柄で丸まるとした女性。
モニカとカートライトとティリーは、それぞれ並んだ部屋に引きこもって脚本を執筆。

ここで再びモニカに事件が。
今回も未遂だったが、事態は切迫している。
じつは、モニカにすっかり夢中になってしまったカートライトは、知人のスコットランド・ヤード主席警部を通じ、陸軍省情報部長ヘンリ・メルヴェール卿を来訪する。
H・M卿を前に、カートライトはこれまでの経緯と、自身の推理を披露するのだが――。

カー作品は、誇張されたシチュエーションに、誇張された登場人物がでてくるのが特徴。
そのドタバタぶりにはあきれることがあるけれど、本作の場合は舞台が撮影所ということがあり、あまりドタバタぶりが気にならない。

また、気にならないのは作風が明らかにコメディであるため。
なにしろ後半、撮影所を訪れたH・M卿は、かねがね映画スタジオを訪ねてみたかったと、こんなことをいう。

《「わしには名優の素質があるんじゃ。わしならリチャード三世を演じられると常々思っておる」》

当初、反目しあっていた男女が親しくなっていくという、恋愛コメディの定石がつかわれているのも楽しい。
モニカとカートライトの、2人の仲をとりもつのは、ハリウッドからきた脚本家のティリー。
ティリーは2人をくっつけるだけではない。
物語にも深くかかわっている。

《「このおばさんにだって人生ってものがあるのよ」》

とは、ティリーが発する、作中の名セリフだ。

話はそれるけれど。
簡単にスクリューボール・コメディの復習をしたい。

「ビリー・ワイルダー自作自伝」(ヘルムート・カラゼク/著 文藝春秋 1996)によれば、大ヒットした最初のスクリューボール・コメディは「或る夜の出来事」(フランク・キャプラ監督 1934)だという。

《この作品によって、活気にあふれたコメディーの一ジャンルが確立された。そこでは勝ち気な女性が、大混乱と取っ組み合いの大喧嘩の末に、恋愛に関しては不器用な若い男を捕まえる。》

また、「ヒッチコックに進路を取れ」(山田宏一・和田誠/著 草思社 2016)では、スクリューボールコメディについて、山田宏一さんがこんな説明をしている。

《(スクリューボールは)形容詞としては、一風変わった、奇妙奇天烈な、狂ったという意味で使われる言葉らしい。》

《男と女の関係が逆転したり、常軌を逸した変人・奇人が出てくる洒落たタッチの都会派のソフィスティケーテッド・コメディをスクリューボール・コメディと言ったらしいのね。不況時代に現実ばなれした結婚・離婚騒ぎで現実逃避の映画というような意味もあったらしい。》

まとめると、1930~40年代に流行した、少々イカれたひとたちが登場する、都会的な恋愛結婚喜劇といったところだろうか。
このジャンルの代表作として、よく名前が挙がるのが、ハワード・ホークス監督の「赤ちゃん教育」(1938)や、「ヒズ・ガール・フライデー」(1940)。
なので、本書に登場するハワード・フィクス監督は、ホークス監督のもじりなのではないかと思えてくる。

また、この分野の巨匠のひとりにエルンスト・ルビッチがいる。
監督作として一番有名なのは、「ニノチカ」(1939)だろうか。

このルビッチ監督作に、「青髭八人目の妻」(1938)という作品がある。
本書の解説で霞流一さんが言及している、ビリー・ワイルダーのアイデアは、この映画でつかわれている。
すなわち、パジャマの上だけほしい男性と、下だけほしい女性がデパートで出会うというアイデア。
ビリー・ワイルダーは脚本家のひとりとして、「青髭八人目の妻」に参加していた。

そして、スクリューボール・コメディというジャンルにおける最高傑作は、ビリー・ワイルダー監督の「お熱いのがお好き」(1959)ではないかと思うけれど、どんなものだろうか。

話をもどして。
カートライトがH・M卿に面会したところから、ストーリーは大きく旋回する。
犯人が、水差しに硫酸を入れた意図は何か。
送話管から流れでた硫酸と、次の襲撃と、モニカが二度に渡り狙われたのはなぜか。
それから、「海のスパイ」で撮影された海軍基地のフィルムが紛失してしまうのだが、フィルムはどこに消えたのか。
後半の毒入りタバコのトリックはいかにして実行されたのか。

数かずの謎を、(『リチャード三世』のスクリーンテストが受けられてご満悦な)H・M卿が解き明かす。

もうひとつ。
この作品には全編に渡って、何度もくり返されるギャグがある。
背が低く太っていて葉巻を吸っている男と、背が高くメガネをかけた若い男との会話。
2人は、ワーテルローの戦いについての映画をつくっているらしいのだが、監督らしき葉巻男のほうがおかしなことをいって、若い男が困惑するというのが、そのパターン。

お色気がたりないから、リッチモンド公爵夫人をピアノの上にすわって歌わせると、葉巻男がいえば、公爵夫人がそのようなことをしたとは思えませんと、若い男はこたえる。

この一見、話の本筋とはかかわりないと思われるギャグも、ストーリーにかかわってくることには感服。
カーのサービス精神には頭が下がる思いだ。

さらにもうひとつだけ。
本書は舞台の日時が明確。
なにしろ、モニカがはじめてスタジオを訪れた日が、1939年8月23日木曜日だと、作中に書かれている。

その後、9月1日にドイツがポーランドに侵攻。
9月3日には、英国はドイツに対し宣戦する。
つまり、本書は戦時下を背景にしたミステリなのだ。

そして、本書の出版は1940年。
この時点で、早くも灯火管制という戦時下の日常をトリックにつかっていることには驚いてしまう。

ミステリ評論集、「夜明けの睡魔」(東京創元社 1999)のなかで、瀬戸川猛資さんは、同じく戦時下を舞台とした「爬虫類館の殺人」(東京創元社 1980)を引きあいにして、作者カーの筋金入りのミステリ精神に感動している。

やはり本書でも、カーのミステリ精神には讃嘆の念をおぼえてしまうものだ。


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七つの伝説(承前)

「聖母と修道尼」
山の上に修道院があり、そのなかで一番美人の修道尼の名をベアトリスクといった。
ベアトリスクは役僧をつとめていたが、修道院の外の世界への憧れがやみがたい。
ある日、祭壇の上に鍵束をのせ、聖母に断りを述べて、外の世界にでていった。

さて、修道院を出奔したベアトリスクは、森の泉でひとりの騎士と出会う。
このヴォンネボルトという騎士とベアトリクスはともに暮らすように。

ところが、あるとき外国の男爵が城を訪れたさい賭けごとがおこなわれ、ベアトリクスは賞品となってしまう。
そして、賭けごとの結果、男爵のものとなってしまう。
そこでベアトリクスは、今度は自ら男爵相手に賭けをいどむ。

最後、ベアトリクスはなにごともなかったかのように修道院にもどっていく。

「破戒の聖僧ヴィタリス」
8世紀はじめのアレクサンドロス。
娼婦を改心させることを自分の使命と考えている、ヴィタリスという僧がいた。
ヴィタリスは、娼婦の名前と住所を書きつけた羊皮紙をもっており、その女たちを訪れ、声高く読経し、明け方にそこを去るということをくり返していた。

女たちには、自分がなにをしていたのか口止めしておいたので、ヴィタリスの悪評は高まったのだが、それこそヴィタリスの望むところだった。
ヴィタリスとしては、ただ聖母を称えるために、こんなことをしているのだった。

こんな妙な苦行に精をだしていたヴィタリスは、娼婦の客とあらそって殺してしまい、牢屋につながれるはめに。
牢屋からでてきてからは、口先だけ改宗するという女に金品を巻きあげられる。

さて、この娼婦の家の向かいには、金持ちのギリシャ商人が住んでおり、商人にはヨーレという娘がいた。
ヴィタリスの行状を知ったヨーレは、好んで悪評を得ようとするヴィタリスに対し、不満と同情をおぼえ、ヴィタリスをもっと穏当な道にみちびこうと決意する。
父の財力で娼婦を立ちのかせ、自分がその家に入り、ヴィタリスと対決。
というか誘惑する――。

「七つの伝説」中一番の長編。
娼婦を改心させていた僧が、娘に改心させられてしまうという話。
ヨーレに対し、だんだん弱気になっていくヴィタリスの姿が可笑しい。

「ドロテヤの花籠」
ローマ時代、ポントス・オイクシヌス(黒海)の南岸。
貴族の娘ドロテヤは、カパドキヤ州の代官ファブリチウスに熱心にいいよられている。
が、ファブリチウスはキリスト教徒を迫害しており、一方ドロテヤの両親はキリスト教徒。
またドロテヤは、ファブリチウスの初期であるテオフィルスに好意をもっている。

テオフィルスは若い頃に苦労をしたせいで、なかなかひとに打ちとけない。
それに、ドロテヤにはカパドキヤで一番身分の高い男が求婚している。
そのためファブリチウスとドロテヤをあらそって、滑稽な役を演じたくはない。

あるとき、公用で海岸地方に滞在することになったテオフィルスを、ドロテヤは追いかける。
そして、美しい花瓶を相手にみせる。
テオフィルスは打ちとけた様子をみせるが、そのときドロテヤは戯れに、花瓶はファブリチウスにいただいたのだといってしまう。
テオフィルスは、うっかり花瓶を落として割ってしまう。

その後、ドロテヤは両親の信仰になぐさめを見出すように。
ファブリチウスの求婚も拒みつづける。

テオフィルスは、ファブリチウスを拒むドロテヤに驚く。
しかし、ドロテヤの信仰については理解できない。

キリスト教徒迫害の新しい勅令を盾にとり、ファブリチウスはドロテヤとその両親を捕縛。
ドロテヤは鉄の台であぶられたのち、刑場につれていかれる。
が、神の花嫁になると決めているドロテヤは、足どりも軽やか。
主の薔薇の園にいくのだと、駆けつけたテオフィルスにドロテヤはいう。
そこへいったら薔薇や林檎を送ってほしいとテオフィルスがいうと、ドロテヤは愛想よくうなずく。

ドロテヤは処刑され、テオフィルスが床に伏していると、手籠をひとつもった美しい童児があらわれる。
手籠には、薔薇と林檎が3つ。
これをドロテヤさんからいいつかってきましたといって童児は去る。
林檎を食べ、信仰に目ざめたテオフィルスも、けっきょく首をはねられる。

《このようにしてテオフィルスは、その日のうちに永遠にドロテヤと一緒になりました。》

「舞踏の伝説」
良家に生まれた可憐な乙女であるムーサは、聖母を厚く信仰し、また踊りが大好き。
お祈りをしていないときは、必ず踊っているといってもいいほど。

ある日、教会の祭壇の前でひとり踊っていると、見知らぬ紳士があらわれ、ムーサとともに踊りだす。
さらに合唱檀のほうから、小天使が弾く楽器の音が響いてくる。

踊りが終わると、見知らぬ紳士は、自分はダビデ王で、マリアのお使いとしてきたのだと正体を明かす。
そして、ムーサに、絶えず歓喜の踊りをおどりながら、永遠の幸福を得て暮らしたくはないかとたずねる。
それ以上の望みはありませんと、ムーサが即答すると、ダビデ王はいいう。
それなら、おまえは地上の生活を送るあいだは、すべての快楽とすべての踊りを断念して、ただ懺悔と勤行とに身を捧げることに専念しなければいけない。

これを聞き、ムーサは驚き、かつ悩む。
あまりあてにならないごほうびのために、すぐ踊りをやめるのはつらい。
しかし、ダビデ王が天上の音楽を聞かせると、ムーサはこれを受け入れる。

粗末な服を着て、庵室にこもり、祈祷に専念する。
跳びはねないように細い足を軽い鎖で結わえつけ、ときには、わが身に鞭をあてるという苦行者ぶり。
ムーサは線所と称えられ、やせ細り、透きとおるばかりになり、3年後に亡くなる。
このあと、天上の詩神へと話は移るけれど、これは省略。

「仔猫シュピーゲル」
50ページ以上もあり、本書では一番の長編。
内容は、つやつやした毛皮をしていたので、シュピーゲル(鏡)と呼ばれた猫の物語.。
大人向けのメルヘンといった趣きがある。

親切な女主人のもとで、裕福な礼節のある暮らしを送っていたシュピーゲル。
ある日、女主人が亡くなり生活は一変。
すっかり零落し、卑屈な野良猫に成り下がってしまう。

そんなとき、町の魔術師のビナイスに声をかけられる。
魔術をやるには、猫の脂がいる。
それは、契約によって猫が自ら進んで提供した脂にかぎる。
わしのところにきたら、どっさりごちそうをやろう。

シュピーゲルは契約書に署名し、かくして契約は成立。
ビナイスの歓待を受け、シュピーゲルは豪奢な生活をし、ふたたび精神力をとりもどす。
こうなると、太ってはいられない。
シュピーゲルは節制にはげむ。
思うように太らないシュピーゲルに、ビナイスは腹を立てるのだが、シュピーゲルはこう抗弁する。

《「私は契約書の中にただひと言も、私が節制や健康上有益な行状をやめろなどと書いてあるのを知りませんね」》

その後、雌猫を追いかけて、すっかりやせこけてしまったシュピーゲルは、檻に入れられ、太らされるはめに。
そしてすっかり太り、いよいよ首をはねられそうになったとき、シュピーゲルは、亡くなった女主人がある場所に金貨1万グルテンを隠したという話をしはじめる。

この話は、女主人の不幸な恋物語がからんで、まあ長いのだが、貧しいために結婚の申しこめ手のない美人がいて、その乙女が貧しいにもかかわらず妻にしたいと思うような男がいたら、井戸のなかの1万グルテンを持参金として花嫁にあたえておくれと、女主人はシュピーゲルにいい残していたのだった。

シュピーゲルは、1万グルテンと、花嫁を世話することで、ビナイスに契約の破棄をもとめる。
こうして虎口を脱したシュピーゲルは、ビナイスのために花嫁――じつは魔女――を、捕まえにいく。

全体として。
「七つの伝説」が官能的なところがあるのは、男女の話というばかりでなく、変装があり、別の人生への憧憬があり、すなわちサスペンスがあるためだろう。
それは、犯罪小説のサスペンスではなく、童話的なサスペンスだ。
また、女性の元気がいいというのも、官能性の盛り立てにひと役買っているかもしれない。
それにケラーの文章は、優美で、潤いがあり、読んでいて楽しかった。


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七つの伝説

「七つの伝説」(ケラー 岩波書店 1950)

訳者は、堀内明。
原書の刊行は1872年。

作者のケラーはスイスのひと。
1819年に生まれ、1890年に亡くなった。
当初、画家を志すが挫折。
詩集を出版し、劇作家を志すがこれも挫折。
のち小説家として立ったという。

代表作は「緑のハインリッヒ」だろうか。
解説によれば、ケラーは、

《19世紀ドイツ小説界の第一人者であり、就中ドイツ短篇小説の完成者と呼ばれている。》

とのこと。
「七つの伝説」には、キリスト教伝説に基づいた、7つの短編が収録されている。
どの短編も面白い。
収録作品は以下。


「オイゲニア」
「聖母と悪魔」
「騎士に扮した聖母」
「聖母と修道尼」
「破戒の聖僧ヴィタリス」
「ドロテヤの花籠」
「舞踏の天使」

以上に加え、本書には「仔猫シュピーゲル」という短編がおさめられている。

「七つの伝説」はすべて3人称のですます調。
キリスト教の伝説をもとにした話というわりには、官能的な雰囲気の話が多い。
タイトルを、「七つの誘惑」にしたほうがいいのではないかと思うほど。
また解説に頼ると、この作品は、

《…ベッティ・テンデリング嬢――才色兼備の女性であったという――との不幸な恋愛体験が根底となって、男女関係のさまざまなヴァリエーションを一連の短編に描写しようとしたものである。》

とのことなので、男女関係の話ばかりなのもうなずける。
では、作品をひとつひとつみていこう。

「オイゲニア」
アレクサンドリアに住む、ローマ人の娘オイゲニアは、男まさりの学問好き。
同じ年頃の2人の男の子を引きつれ、アレクサンドリアの街を闊歩している。
ちなみに、2人の男の子は、オイゲニアの父親が解放した奴隷の息子たちで、お嬢さまのお相手をするために教育された美少年だ。

オイゲニアは類まれな美少女に成長。
そのオイゲニアに、若い地方総督のアクイリヌスが恋をする。
2人は対面するけれど、オイゲニアの高慢さから話は決裂。

2年たっても状況は変わらず。
オイゲニアは相変わらず、2人の従僕を連れ、アクイリヌスは妻帯をせず職務にはげむ。

あるとき、田舎の別荘にでかけたオイゲニアは、僧院からもれてきたキリスト教徒の讃美歌に心打たれ、男の振りをして2人の従僕とともに僧侶になることを決意する。

《オイゲニアは美しい、天使かと見まごうばかりの僧になり、オイゲニウスと呼ばれ、また二人のヒヤツィントスも否応なしに修道僧にされてしまいました。》

ヒヤツィントスというのは、2人の従僕の名前。
2人とも同じ名前なのだ。

《二人は今度は今までとは全く比較にならぬ静かな生活ができ、もはや学問をする必要もなく、命ぜられるままにただ唯々諾々としてさえおればよかったので、僧院の生活はけっして不愉快ではありませんでした。》

女主人につき従うだけの、主体性のまったくない2人の存在も味わい深い。

このあと、オイゲニアは高名な僧になり、僧院長にまでなるのだが、その美しさが災いしスキャンダルに巻きこまれる。
もちろん、最後はアクイリヌスと結ばれるのだけれど、それまでは二転三転。
劇的な場面も多く、たいそう楽しい作品だ。

「聖母と悪魔」
この作品と、次の「騎士に扮した聖母」は、どちらもマリア様が活躍する前後編となっている。
まず「聖母と悪魔」から。

昔、ゲビツォという伯爵がいた。
お城と、莫大な財産をもっていたが、キリスト教の慈善事業をやりすぎて、財産をすっかりつかい果たしてしまった。
ただ、妻のベルトラーデの美しさは、旧と変わらないままだった。

さて、復活祭の日のこと。
山のなかの湖で、わが身を憐れんでいた伯爵の前に、舟に乗ったひとりの男があらわれる。
男は悪魔。
財産の代わりに妻をさし上げたいという伯爵の訴えを、悪魔は喜んで受け入れる。
ワルプルギス祭の前夜に、妻をこの場所に連れてくるようにと悪魔はいう。

城に帰り、悪魔にいわれた通り、伯爵が妻の枕の下を調べてみると、一冊の古ぼけた本がでてくる。
ページをめくると、なかから金貨が次つぎとこぼれ落ちてくる。
こうして、伯爵はふたたび君主のように慈善をほどこすように。

そして、ワルプルギス祭の前日。
伯爵は妻を連れて、例の湖へ。
妻のベルトラーデのほうは、どこに連れていかれるのかと不安で仕方がない。

途中、小さな礼拝堂にさしかかる。
そこは、ベルトラーデが貧しい職人に仕事をあてがうためにつくらせた礼拝堂だった。
伯爵の許しを得て、礼拝堂のマリア像にお祈りをささげているうちに、ベルトラーデは眠ってしまう。
すると、マリア像がうごきだして、ベルトラーデの姿に――。

《聖母は祭壇から跳び下りて眠っている女の姿に変わり、その衣裳をまとって元気よく扉の外に出て、馬に跨り、そのまま伯爵の側に並んでベルトラーデの代わりに道を続けて行きました。》

マリア様は、なにやら溌溂としており可愛らしい。
このあと、マリア様は悪魔と対決する。

「騎士に扮した聖母」
「聖母と悪魔」の続き。
未亡人となったベルトラーデは、莫大な伯爵領の所有者となり、その財産と美貌により、ドイツ国中に名が広まる。

ここで登場するのが、ツェンデルワルトという、愚図でのんきな若い騎士。
皇帝の親書を届けるという任務でベルトラーデを訪れたツェンデルワルトは、すっかりベルトラーデに夢中になってしまう。

一方、ベルトラーデのもとには皇帝が逗留。
武芸大会を開き、優勝者をベルトラーデの夫にするという。

ツェンデルワルトには、故郷の城に口やかましい母親がいる。
手をこまねいてなにもしない息子に、母親は腹を立てるばかり。

《「いますぐその幸福をつかみにでかけないなら、お前を呪ってやる」》

と、母親に尻を叩かれ、ツェンデルワルトはようやく出発。
ベルトラーデの城にゆく途中、ツェンデルワルトはベルトラーデが眠ってしまった例の礼拝堂に立ち寄る。
そして同じように眠ってしまう。
すると、マリア様はふたたび祭壇を降り、騎士の姿になって城へと馬を走らせる――。

コメディ色が強い一編。
気の強い母親と、愚図な息子のやりとりが楽しい。

このあと、物語は武芸大会に。
もちろん、マリア様は連戦連勝。
みごと優勝し、ベルトラーデを射止める。
そして、ツェンデルワルトと入れ替わり、本人はどうしたことかと目を見張る。

長くなったので、続きは次回に。


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悪魔の麦

「悪魔の麦」(ロス・トーマス 立風書房 1980)

訳者は、筒井正明。
原題は、”The Money harvest”
原書の刊行は、1975年。

ロス・トーマスの作品は、どんなストーリーが進行しているのか、読んでいる最中でも皆目見当がつかない。
かといって、つまらないわけではない。
シチュエーションが興味深く、会話が面白いので、章ごとは楽しく読める。
ただ、全体のストーリーはどんなものなのか、ちっとも見通せない。

本書も、終わりの数章にいたるまで、なにが起きているのかさっぱりわからなかった。
思えば、全体のストーリーがわからないのに面白く読めるというのは、すごいことだ。

3人称多視点。
93歳になるクローダット・ジルモアが、ある朝、2人の黒人の強盗により射殺されてしまう。
ジルモア老人は弁護士であり、政界の黒幕といった人物だった。
ジルモア老人に縁のある人物は3人のみ。

ひとりは、老人の事務所で後継者としてはたらいていた、アンセル・イースター。
2人目は、孫娘のフェイ・ヒックス。
もうひとりは、ジェイク・ポウプ。

ポウプは、ロサンゼルスで俳優を志望していたが、すぐ見切りをつけ、判事のもとで調査員としてはたらき、頭角をあらわす。
のち、上院委員会調査官になり、ジルモア老人と知りあい、老人が後見していた女性と結婚。
が、結婚から10日しないうちに、事故により女性は亡くなり、ポウプは多額の遺産を相続することになった。

ところで、ジルモア老人は亡くなる前日、イースターと連絡をとっていた。
クラブのトイレで2人の陰謀者の話を立ち聞きしたというのがその内容。
7月11日になにかが起きるという。
イースターは、ジルモア老人に会って詳しく話を聞く予定だったが、その前に老人は亡くなってしまった。
イースターからその話を聞いたポウプは、かくして調査を開始する――。

本書は3人称多視点であり、悪事側の人物の行動もえがかれる。
ひとつは、無軌道な強盗をくり返す黒人2人組の動向。
ジルモア老人を射殺したのもこの連中だ、

それから、ドクター・ハックスという人物。
ハックスは農業経済学を専門とする、農務省に勤める36歳の官僚。
子どもはなく、妻のアミーリアと2人暮らし。
アミーリアは大変な浪費家であり、ハックスはよく妻を殴っている。

このドクター・ハックスを中心として、悪事が渦を巻く。
ノア・ドグラフェンライトという、いかがわしい詐欺師的人物がハックスに接触。
ハックスの窮状と、鬱屈した上昇志向につけ入り、ある行為をもちかける。

ドグラフェンライトの後ろには、カイル・タ―という元下院議員がいる。
そして、カイル・ターの後ろには、フルビオ・バルベシィというマフィアが。
選挙のとき、ターはバルベシィから寄付を受けていた。
が、その金を申告していなかったのだ。

ポウプとイースターによる調査が進み、ハックスの身元や状況が徐々に判明していく。
7月11日というのは、農務省が小麦の推定生産量を発表する日だった。
報告書は、厳重に保管されており、その鍵のひとつをもっているのがハックス。

――だれかが、小麦相場を操作して大収穫をたくらんでいる。
と、イースターは農務長官に情報を提供する。

というわけで、本書のアイデアの中心は、小麦の相場操作だ。
しかし、このアイデアをこんなプロットに展開できるのは、ロス・トーマスだけだろう。

本書は訳が古くなっている点も興味深い。
単語の日本語訳が奇妙なことになっている。

《フレンドリー酒店の店主は金銭登録器のほうに行くと、ソフトドリンクのキーで八十三セントを打ち、登録器に一ドル紙幣を入れて、十七セントの釣りを出した。》

この、「金銭登録器」というのは、きっとレジのことだろう。

《ひとつの窓には灰色の板すだれがつき、すだれの小板は開いていた。》

この「板すだれ」は、きっとブラインドのことにちがいない。
板すだれとはよく訳したものだ。

本書の刊行は1980年。
レジやブラインドはまだ普及しきっていない単語だったのだろうか。


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