武器製造業者とイシャーの武器店

「武器製造業者」(A・E・ヴァン・ヴォークト 東京創元社 1967)
「イシャーの武器店」(同上 1966)

訳は沼沢洽治。
両方とも創元SF文庫。
表紙がとてもカッコイイ。

ジャンルとしては、スペース・オペラ。
「スター・キング」を読んだ勢いで手にとってみた。
まずは「武器製造業者」
が、これがじつに読みにくい。
冒頭を引用してみよう。

「ヘドロックは、もうスパイ光線のことなどほとんど眼中にない。あい変わらずスパイ光線は輝きつづけ、スクリーンにはイシャー宮殿会議室の情景がくっきり浮かび上がっている。冷然とした表情の若い女性が玉座にすわり、男たちがその女性がさし出す片手の上に、うやうやしく頭をかがめる。一座の声もはっきりと聞きとれ、万事前と同じ情景だった。
 が、ヘドロックは、このきらびやかな大広間、そこに繰りひろげられる殿上風景には、いっさい興味を失っていたのである」
……

うーん、ツライ。
意地になりぜんぶ読んだけれど、なにがなんだかよくわからなかった。
本についているあらすじなどを参考に、ちょっと要約してみたい。

時代は7千年先の未来。
地球は女帝をいただくイシャー王朝の支配下にあった。
この専制に対抗すべく、3千年前に組織されたのが〈武器店〉。
さまざまな特殊兵器を楯に、永遠の監視をつづける地下組織だ。

と、これが基本設定。
「武器製造業者」では、主人公であり、地球唯一の不死人ヘドロックが、王朝と武器店双方から狙われるはめになる。
王朝に狙われるのは、イシャー宮廷に出入りしていたヘドロックが、武器店側の人間でもあると露見したため。
また、武器店に狙われるのは、素性に不明な点が多いため。

追われたヘドロックは、人類初の恒星間動力船に立てこもったすえ、ケンタリウス座へ。
そこで、蜘蛛型の超生物と遭遇。
蜘蛛生物は、人間に興味があり、ヘドロックを監視下に。

その後、ヘドロックは地球にもどり、身長50メートルのロボットを出撃させたり、女帝イネルダと結婚したり、また蜘蛛生物に試されたり……。
もうなにがなにやら。

もし、この要約を読んで、案外わかりやすいじゃないかと思うひとがいたら、それは誤解だといっておきたい。
展開の、飛躍につぐ飛躍はあきれるばかりだ。

ヘドロックが蜘蛛生物にとる対抗手段が面白かった。
蜘蛛生物は、自分たちの存在を知られたくないと思っている。
そこで、ヘドロックは木を円盤状に切り、そこに蜘蛛生物についての説明その他を焼きつけ、反重力圧をかけて、惑星中にばらまくのだ。
これはいったい、ハイテクなのかローテクなのか……。

原書では「イシャーの武器店」のほうが後に出版されているけれど、内容は「武器製造業」のまえの話。
出版年をみるかぎり、この創元SF文庫版では、内容の順番で出版されたらしい。
でも、読んだのは、原書の順番だった。

「イシャーの武器店」は、「武器製造業者」よりも、やっていることがよくわかり、面白かった。
ひょっとすると、この訳文や作者のスタイルになれてきたのかも。
それを思うと、いささか不安をおぼえる。

さて、「イシャーの武器店」は、いくつかのプロットが錯綜するつくり。
まず、冒頭、1951年の世界に、突如武器店があらわれる。
入店した新聞記者マカリスターは、結果的に7千年と時をとびこえ、そのからだに地球を破壊するほどの時間エネルギーをためこんでしまう。
武器店を追い出されたマカリスターは、〈時間シーソー〉となり、時をさまようはめに。

つぎに、グレイ村出身の青年、ケイル・クラークの出世譚。
天才的な策謀能力をもったケイルは、武器店の監視下のもと帝国首都におもむいたのち、ギャンブル場で拉致されてしまう。
ケイルに惚れた監視員のルーシーは、ケイルが連れ去られた〈幻の館〉に潜入する…。
この潜入シーンは精彩に富んでいた。

さらに、ケイルの父、ファーラ・クラークの物語。
イシャー王朝への忠誠心にあふれたファーラは、村にあらわれた武器店に猛反発。
しかし、銀行そのほかの陰謀により、自分の店を手放すはめに。
そこで、ファーラは毛嫌いしていた武器店を訪れる。
このエピソードは、てきぱきしていて、とても面白かった。

これら3つのプロットをつなぐように、ヘドロックと女帝イネルダの物語が語られる。

「イシャーの武器店」は、1995年版で読んだ。
これには、「スター・キング」同様、高橋良平さんによる素晴らしい解説がついている。
わけがわからない読後感を得た者にとっては、こんなにありがたいものはない。

この解説で、ヴォークトがつかった手法について紹介されているのだけれど、なかでも「ハングアップ(宙吊り)というのが興味深かった。
これは、「一から十まで説明しないことで読者の想像力を刺激する」というもの。
「SFのミソ」だという。

世の中には、宙吊りにされて、想像力が刺激されるひとと、わけがわからないというひとがいる。
前者はSFのよい読者になれるのだろう。

さらに、文体について。
ヴォークトは、まだSFを書くまえ、告白体小説を書いているときに文章の秘訣を身につけたという。
それは、つねにエモーション(情感)をこめること。
解説から、ヴォークトのことばを引用すると、こう。

「彼女はブラウン・ストリート1234番地に住んでいた、なんてのはいけない。エモーションがないからね。どう書くかというと、ブラウン・ストリート1234番地の小さな部屋のことを思い出すと、彼女の目に涙があふれた、とやるんだ」

ところで、外国の小説を読んだとき、これを日本人が書いたらどんなものになるだろうと考えることがよくある。
不死人のヘドロックが日本の小説にあらわれたら、どんなものになるだろう。
きっと、時間がすぎてゆく感慨などをもらすのではないだろううか。

しかし、じっさいのヘドロックはそんなことは微塵も口にしない。
そんなところも、読んでいて面白いところだった。


コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
クセが (kazuou)
2007-11-03 09:03:16
ヴォークトの作品は、へんにクセがありますよね。
僕も「武器製造業者」は、ダメでした。
他の訳者のものでも、読みにくかったので、原文もかなありクセがあるんじゃないかなあ、と思います。
この人の短篇はけっこう好きなんですけどね。

「日本人が書いたらどんなものになるだろう」というのは面白いですね。たしかに日本人が同じ題材を書いたら、かなり情緒的なものになりそうな気がします。
小松左京あたりだったら、そうでもないかもしれないけど。
 
 
 
不死人をだしておきながら (タナカ)
2007-11-05 00:55:58
あ、ほかの訳者でも読みにくいんですか。
てっきり訳者が悪いのだとばかり思っていました。
どうも、ヴォークトにも責任の一端がありそうですね。

じつは、今回の文章を書くのはとても大変でした。
なにが大変って、要約が大変。
本のうしろにある、あらすじを書いたひとは天才です。

「日本人が書いたらどんなものになるだろう」と考えるのはしょっちゅうです。
あとは、「これと同じ傾向の小説は日本にあるかなあ」とか。
あと、主人公の性別や年齢を変えて読んでみたりだとかもよくやります。
くせですね。

「武器店」の場合、不死人をだしておきながら、時のすぎゆく感慨をもらさないなんて、日本の小説ではありえないなあと思いながら読んでました。

 
 
 
Unknown (トシ坊)
2021-07-05 20:26:27
確か52年前。当時の創元推理文庫は週一で新刊だった。真面目に訳した結果かなあ。
祖父に強請って、全部買ってた。
 
 
 
すごいお宝 (タナカ)
2021-07-15 21:03:53
週イチで買っていた創元推理文庫を今も全部お持ちでしたら、大変なお宝です。
当時の創元推理文庫は、定番のSFや推理小説を出版しようと頑張っていたんですね。

その当時の創元推理文庫は、まだカバーがなかった気がします(パラフィン紙がかかっていたかも)。
古本屋で買ったものが多少手元にありますが、いまの本にくらべると字が小さくて…。
 
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