2021年 ことしの一冊たち

明けましておめでとうございます。
まず去年のまとめです。

1月

なし。

2月

「魔法使いの弟子」(ロード・ダンセイニ/著)
「悪党どものお楽しみ」(パーシヴァル・ワイルド/著)

「魔法使いの弟子」で、主人公ラモンの妹ミランドラは兄に、「錬金術はいらないから惚れ薬つくって」といってくる。もう師匠に自分の影まで渡しちゃったよと思いながらも、ラモンは妹にいわれた通りにする。後半は利発なミランドラの活躍が楽しい。あのラストの爽快感はじつに不思議な感じがする。似たような読後感をもつ作品として、「小人たちの黄金」を思い出す。
パーシヴァル・ワイルドは、通信教育で探偵術を学ぶ迷探偵をえがいたユーモア・ミステリ、「探偵術教えます」もとても面白かった。


3月

DVD「ハリーとトント」(アメリカ 1974)
DVD「気ままな情事」(イタリア・フランス 1964)

コロナ禍で外出が制限されてから、映画のDVDをずいぶんみるようになった。そこで映画のDVDのメモもとることにした。本と同じく、みているジャンルはめちゃくちゃだ。


4月

DVD「ハーヴェイ」(アメリカ 1950)
DVD「セクレタリー 秘書」(アメリカ 2002)

「セクレタリー 秘書」の主人公リーは、いつもお風呂に入っていたり、プールに浮かんでいたりする。リーの不安定さをあらわす描写なのだろう。


5月

「蔵書一代」(紀田順一郎/著)
DVD「運動靴と赤い金魚」(1997 イラン)

紀田順一郎さんの3万冊の蔵書には遠く及ばないけれども、我が家にも雑本がたまっているので、「蔵書一代」は切実な気持ちで読んだ。
「運動靴と赤い金魚」は、たまたま中古で売っていたのをみかけて、またみたくなり買ってきた。前にみた印象と変わらず、素晴らしい映画だった。


6月

DVD「レイヤー・ケーキ」(イギリス 2004)
DVD「トレジャー オトナたちの贈り物」(ルーマニア 2016)

「レイヤー・ケーキ」は、特典として別エンディングが収録されていた。本編でつかわれたエンディングが妥当だと思う。また原作も出版されているけれど、こちらは未読。
「トレジャー オトナたちの贈り物」は、はじめてみたルーマニア映画。いろんな国の映画をみるのは楽しい。


7月

「プラヴィエクとそのほかの時代」(オルガ・トカルチュク/著)
「探偵物語」(別役実)

「プラヴィエクとそのほかの時代」「千日の瑠璃」とくらべてみたけれど、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」などともくらべられるかもしれない。ある土地について書かれた小説ということで。
ナンセンスで、ばかばかしい小説が好きなので、「探偵物語」は面白かった。チェスタトンは最近「知りすぎた男」(東京創元社 2020)を読んだ。上流階級の子弟であるホーン・フィッシャーが探偵役の短篇連作集。犯人の社会的地位が高く、国にとって重要人物と思われる場合、その犯罪に目をつむる。そんなホーンのことを忖度探偵と呼びたくなる。
チェスタトンの文章は視覚的にもかかわらず、位置関係が呑みこみにくい。収録作「少年の心」は別訳(論創社 2008)も参照しながら読んだけれど、うまく理解できずに残念だった。


8月

DVD「ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール」(イギリス 2014)
DVD「人生はシネマティック!」(イギリス 2016)

「ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール」は可愛らしい、少人数ミュージカル映画。
ストーリーが急転直下すぎる気がするけれど、「人生はシネマティック!」は登場人物を丁寧に扱っていてよかった。映画はこのくらい面白ければ充分だ。


9月

DVD「アノマリサ」(2015 アメリカ)
「この湖にボート禁止」(トリーズ 学習研究社 1976)

ロナルド・ダールの短篇集、「来訪者」(早川書房 1989)に収録された「やりのこした仕事」は、「アノマリサ」の性別を変えた別バージョンのようにみえる。主人公の女性アナは交通事故で夫を亡くし、悲嘆にくれたものの仕事につき、出張先のホテルでハイスクール時代のボーイフレンドに電話をかけ、再会する。それにしてもダールの筆致は意地が悪い。マイケルには同情しないけれど、アナには同情をおぼえる。
「この湖にボート禁止」は、児童文学ということばを聞いて思い浮かべるイメージに、ぴったり合ったような作品だった。


10月

「スピリット」(ティオフィル・ゴーティエ 沖積舎 1986)
「死霊の恋・ポンペイ夜話」(ゴーチエ 岩波書店 1982)

中国伝奇小説のフランス版という風に読んだ。艶冶なところが楽しい。

11月

DVD「素敵なサプライズ」(2015 オランダ)
DVD「ボンボン」(2004 アルゼンチン)

オランダ映画はほかに、「ネコのミヌース」(2001)をみた。同名の児童文学を映画化したもので、なぜか人間になってしまった元猫の女性が青年記者の手助けをする。猫が吹き替えでしゃべるのだけれど、口元がうごいていて、ちゃんとしゃべっているようにみえるのがすごい(もちろん特撮なのだろうけれど)。猫たちも名演技をみせている。でも子猫たちはそんなことにはおかまいなしに、画面の奥でじゃれあっている。
アルゼンチン映画はほかに、スペインとの合作の「ゲット・アライブ」(2017)をみた。美人局をしている青年がギャングの殺人を目撃し、加えてある書類を手に入れてしまったことからギャングに追われ、ユダヤ教徒に化けてかれらの集会に身を隠すというコミカルな犯罪映画。後半ちょっと雑だった。


12月

DVD「乱闘街」(1947 イギリス)
2019年 ことしの一冊たち

「ヒッチコックに進路を取れ」はとても面白い。ヒッチコック作品をみるたびに、この本と、ヒッチコックの「映画術」(晶文社 1990)とを読み返している。


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2019年 ことしの一冊たち

1月

「装飾庭園殺人事件」(ジェフ・ニコルスン/著)
「試行錯誤」(アントニイ・バークリー/著)

「試行錯誤」は素晴らしい。いま手に入らないようなので再版されるといい。最近、同著者の「ジャンピング・ジェニイ」を読んで、これもとても面白かった。いずれメモをとりたい。


2月

「トーニオ・クレーガー」(トーマス・マン/著)
「コディン」(パナイト・イストラティ/著)

芸術家を主人公にした小説はいろいろある。アンソロジーをつくるとしたらどんな作品がいいだろうかと、ときどき考える。


3月

コディン(承前)
「モリーのアルバム」(ロイス=ローリー/作)

知らない国の小説を読むのは楽しい。「コディン」の作者はルーマニアのひと。ルーマニアの小説ははじめて読んだ。
「モリーのアルバム」は傑作。新訳がでるといいのに。


4月

「死のかげの谷間」(ロバート・C・オブライエン/著)
「さらば、シェヘラザード」(ドナルド・E・ウェストレイク/著)

「死のかげの谷間」は緊張感に満ちたきびしい作品。先日DVDをみかけて、映画化されていたのかとびっくりした。どんな映画になっているのだろう。
ウェストレイクはユーモア犯罪小説の名手だけれど、「さらば、シェヘラザード」はそうではない。無理にジャンル分けするとすれば、ただのユーモア小説だろうか。どんどん窮地におちいっていく主人公が可笑しくも気の毒。


5月

「リリー・モラハンのうそ」(パトリシア・ライリー・ギフ/作)
「ひみつの白い石」(グンネル・リンデ/作)

2冊とも児童書。海外の児童書はストーリーの骨格がしっかりしていて、結末もたいてい明るく、読んでいて楽しい。おそらく、もっともはずれの少ない分野ではないかと思う。


6月

「見習い職人フラピッチの旅」(イワナ・ブルリッチ=マジュラニッチ/作)

これも児童書。傑作中の傑作。


7月

「灼熱」(シャーンドル・マーライ/著)
「マラマッド短篇集」「喋る馬」「レンブラントの帽子」(バーナード・マラマッド/著)

「灼熱」の凝縮力はものすごい。
なぜかマラマッドブームがきて3冊読んだ。「天使レヴィン」をもう一度読み返したくなる。

8月

「ミサゴのくる谷」(ジル・ルイス/作)
「オンブレ」(エルモア・レナード/著)

「ミサゴのくる谷」には、格差と自然環境とインターネットがストーリーにうまく用いられている。
エルモア・レナードが売れないなんて知らなかった。いわれてみれば最近古本屋でもみかけない。読んでいないレナード作品をみかけたら、必ず買っておこう。
いま思ったが、児童書とレナードを一緒に読むひとはあまりいないかもしれない。


9月

「星に叫ぶ岩ナルガン」(パトリシア・ライトソン/作)
「シスターズ・ブラザーズ」(パトリック・デウィット/著)

だれが読むのかわからないという児童書はけっこうある。「星に叫ぶ岩ナルガン」もそのひとつ。そして、だれが読むのかわからないような本は、つい読んでみたくなってしまう。


10月

「シーグと拳銃と黄金の謎」(マーカス・セジウィック/著)
「おいしいものさがし」(ナタリー・バビット/作)

「シスターズ・ブラザーズ」「シーグと拳銃と黄金の謎」は、いわばゴールドラッシュ小説といえるだろう。「ぼくのすてきな冒険旅行」もゴールドラッシュ小説として忘れられない。


11月

「こわがりやのおばけ」(ディーター=グリム/作)

2019年にメモをとった本は以上。
2020年は仔細あって更新をしなかった。
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乱闘街

DVD「乱闘街」(1947 イギリス)

第2次大戦後の、まだガレキの山が残っているロンドンを舞台にした、ジュブナイル・ミステリ映画。
冒頭、クレジットが壁に書かれた落書き風にあらわれるのが、なかなか洒落ている。

下町で暮らす少年ジョーは、「トランプ」という新聞に連載されている、「名探偵セルヴィン・パイクの新しい冒険」という読み物を夢中になって読んでいる。
ジョーが読んでいるとき、その内容がマンガの吹きだしのようにジョーの脇にあらわれるのが可笑しい。

そうやって道を歩きながら読んでいると、小説にでてきた悪漢が乗っているトラックと、同じナンバーのトラックにでくわす。
――これはなにかある。
と、ジョーはトラックの荷物がはこびこまれた店に押し入る。
が、死体があると思った木箱には、毛皮があるだけ。
けっきょく、ジョーはやってきたフォード警部の世話で、警部の知人である青物商のナイチンゲール氏のもとではたらくことに。

遊び場になっている廃墟で、ジョーは仲間たちに会う。
車のナンバーを控えるのを趣味にしている少年が、けさ、ジョーがみたトラックのナンバーをみたという。
そんな番号は存在しないと、フォード警部はいったのに。

そこで仲間たちは活発に議論。
そのトラックは、車庫で死体をとりかえたのにちがいない。
いや、小説の「死体」というのは暗号かもしれない。
店のひとが悪いことをしてるなら、なぜ警察を呼んだんだ。
警察が、ジョーのいっていることを信用しないと踏んだのさ。
小説は、じつはボスからの指令で、悪党どもはそれを読んで悪事をおこなうのかもしれないぞ。
うんぬん。

こうなると、小説を書いている作家が怪しい。
ジョーたちは作家のウィルキンソンを訪ねる。
ウィルキンソンは、通りに架空の名前をつかうのが流儀。
しかし、掲載された小説には、実在の通りがつかわれていた。

加えて、ウィルキンソンが小説のなかでつかった暗号が、実際につかわれている模様。
怖くなったウィルキンソンは、私を巻きこむなとジョーたちを追いだす。
この結果を、ジョーはナイチンゲール氏とフォード警部につたえるが、2人ともとりあわない。

ジョーは、トランプを発行している出版社へ。
そこではたらいている、同じ年頃の少年ノーマンにわけを話す。
会社に物語を変えているひとはいないと、ノーマン。
しかし、まだ発行されていない来週号の暗号を解読してみると、入れ墨ジャックとその一味がデパートに押し入ることがわかる。

ここで視点が変わり、悪党たちが点描される。
今回は出番じゃないから映画にいけるわね、などという奥さんとのやりとりなど。

ジョーたちは警察に連絡。
そして、昼間デパートに入り、あちこちに隠れる。
夜、少年たちは大騒動のあげく、悪漢をとり押さえる。
と思ったら、警官を捕まえてしまい、大あわてで逃げだす。
包囲されるも、下水道をつかって脱出。

翌日、少年たちは仲間割れ。
すると、ノーマンがあらわれ新情報をもたらす。
上司の指示で、ノーマンはウィルキンソンのところに原稿をとりにいったのだが、ウィルキンソンは日曜日に郵送したという。
でも、郵便物は火曜日まで届かなかった。
それに、原稿はミス・デイヴィスが開けて、上司に渡していた。

となると、今度はミス・デイヴィスが疑わしい。
彼女は月曜日に原稿に手を入れたのち、会社に送り返しているのではないか――。

字幕の翻訳がいまいちのせいか、ストーリーがうまく呑みこめない。
少年たちは、ろくな証拠もないのに乱暴なことばかりして、みていてハラハラする。
少年たちがみんなはたらいているのも、戦後すぐという時期が反映しているのだろうか。
同じ時期を舞台にした、似た雰囲気をもつ小説として、「オタバリの少年探偵たち」を思いだした。

このあと、少年たちはミス・デイヴィスの家へ押しかける。
さらにいろいろあって、意外な黒幕が判明。
そこで、少年たちはウィルキンソンに悪党が全員登場する小説を書かせ、悪党たちを一網打尽にする計画を練る。
最後はタイトル通り、街中の少年たちがあつまって大乱闘。
ジョーは黒幕と一騎打ち。

少年向けの連載小説が、悪党たちの連絡手段だったというアイデアが、ジュブナイル映画として愉しい。
加えて、冒頭からラストまでテンポがよく、盛りだくさんの展開をみせる。

作家のウィルキンソンを演じているのは、アリステア・シム。
シムは、ヒッチコックの「舞台恐怖症」にも出演している。
山田宏一・和田誠の両氏による、「ヒッチコックに進路を取れ」(草思社 2016)という愉快な対談集のなかで、和田誠さんは、中学生のとき「乱闘街」をみて、変なおじさんだとアリステア・シムの名前をおぼえたと語っている。


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