三つの物語

「三つの物語」(フロベール 福武書店 1991)

訳は大田浩一。
福武文庫の一冊。

福武文庫はいまはもうなくなってしまったけれど、世界の名作の、ちょっとマイナーなものをいろいろ紹介してくれて、とてもありがたかった。
その恩恵にはいまでも預かっている。
さて、この本は短編集。
収録作は、タイトルどおり3作。

「純な心」
「聖ジュリアン伝」
「ヘロディア」

「純な心」
これは傑作。
ストーリーは、フェリシテという女中の生涯を語ったもの。
フェリシテの無垢さと滑稽さを同時に描きながら、崇高の域に達している。
その文章のはこびは、間隙するところがない。
もし、「ボヴァリー夫人」を読む時間がないというひとがいたら、この作品を読むといいと思った。

訳者あとがきによれば、この作品は友人のジョルジュ・サンドのために書かれたという。
でも、完成するまえにサンドは亡くなってしまった。
サンドに読んでもらえず、フロベールも残念だったのではないか。

「聖ジュリアン伝」
これは聖人伝。
フロベールの故郷、ルーアンの大聖堂に聖ジュリアンの生涯を描いたステンドグラスがあり、フロベールはそこから想を得たと、訳者あとがき。
ストーリーは、「自らの両親を殺めることになるだろう」という予言を得たジュリアンが、その予言に翻弄されるさまを描いたもの。
ぜんたいに血なまぐさい。
フロベールの強い喚起力をもった文章が、幻想的に用いられ、大変な効果をあげている。
狩りというより、殺戮と呼んだほうがいいような、凄惨な狩りの場面が忘れがたい。
また、予言が成就した直後の描きかたも素晴らしい。
静かで、迫真に満ち、こうでなければならないと感じさせる。

「ヘロディア」
「聖ジュリアン伝」が幻想小説だとすると、「ヘロディア」は歴史小説。
ヘロディアというのは、太守ヘロデの妻で、サロメの母のこと。
踊りをおどったサロメが、ヘロディアの差し金でヨカナン(ヨハネ)の首を所望する、その一日が描かれている。
前2作のような、鋼のように張りつめた緊張感にはとぼしいけれど、サロメの踊りの場面はさすがの一言。

サロメ像の変遷を追った「サロメ 永遠の妖女」(山川鴻三 新潮社 1989)によれば、フロベールの「ヘロディア」は、画家モローの「サロメ」に触発されて書かれたものだそう。
ただし、訳者によればルーアンの大聖堂には、サロメの踊りやヨハネの斬首を描いた彫刻があり、フロベールはここから着想を得たのだという。

また、サロメといえば、いちばん有名なのがワイルドの劇だろう。
ワイルドが「サロメ」を書くきっかけになったのが、フロベールの「ヘロディア」だった。
「ヘロディア」は、さまざまな形でワイルドの「サロメ」に受け継がれているけれど、一点、サロメが自分の意思でヨハネの首をほしがったという点で大きくちがっている。

3作のなかでいちばん気に入ったのは「純な心」。
この作品は、完璧にみえる。
こんなのを書いてしまって、これからどうするんだろうと、作者の今後が心配になってしまうような出来映え。
でも、「三つの物語」はフロベールの唯一の短編集にして、最後の作品だった。
心配することはなかったのだけれど、この先もみてみたかったような気がする。


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雨の日はソファで散歩

「雨の日はソファで散歩」(種村季弘 筑摩書房 2005)

「となりの宇宙人」についてメモをとったとき、この本についてふれたのだけれど、もう少し取り上げたい。

種村さんの仕事のうちでは、個人的に短文書評が好きだった。
その要約のうまさ、紹介の無駄のなさ、読み手を本へと導く博識を駆使した誘惑ぶりなどには、いつも感嘆をおぼえた。
…と、ここまで書いて、楽しんで読んだ本の書名を忘れていることに、いま気づいた。
あの図書館の、あの棚にあった、あの本だというのはわかるのに。
まるで、試験のとき、教科書の解答のところだけが空白で、思い出すことができないよう。

話がそれた。
本書は、種村さん最後の自選エッセイ集。
最晩年の文章があつめられているためか、死の影が濃い。
なかでも「風々さんの無口」という一文が胸にしみる。
これだけメモしておきたい。

本文は見開き2ページの短文。
でも、短文書評の名手は、ポルトレの名手でもあり、いささかの過不足も感じない。

風々さんというのは俳号。
本名は竹口義之、通称グッちゃん。
種村さんの最初の単行本、「怪物のユートピア」の挿画装丁をしたひとで、「風々さんの無口」は、この竹内さんの晩年についてのエッセーだ。

慢性肝炎を発症してから5年あまり、肝臓ガンも併発したひとり暮らしの風々さんは、俳句仲間による鳩首協議の結果、千葉の某ホスピスに入れられることに。

このホスピスはいいところだったらしい。
「食事も薬もいやなら摂らなくていい。門限はなく、二十四時間院内徘徊もご勝手にどうぞ」
という方針。

「最後はいい先生に恵まれたのだ」と、種村さんはうらやましそうに書いている。
しかも、風々さんが昇天したのち、残したお金で入院費、火葬代そのほか一切、ぴったり帳尻があったのだという。

ところで、種村さんは、風々さんが俳句を作っているとは知らなかったようだ。
風々さんは亡くなる3年前、「風袋」という句集をだした。
ワープロ入力した句に自作のカットを添えた、製本まで一切手作り、限定20部の超稀覯本。

「無口だったグッちゃんは、風々の俳名ではじめて本音らしきものを語った」
と、種村さんは、最後に風々さんの一句を紹介している。
それは、こういう句。

「一生を四の五の言わずところてん」

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となりの宇宙人

「となりの宇宙人」(半村良 徳間書店 1975)

副題はSF短編集①。
カバー絵は宇野蟷螂。

最近、本屋で、河出文庫からこの本が再版されていたのをみたときはびっくりした。
河出文庫は、ここのところだす本が挙動不審で面白い。

それはともかく、この本をみかけたとき、手元に徳間書店版をもっていたのを思い出した。
読まなくては!

作者の半村良さんについては、さすがにその名は知っているけれど、これまで読んだことがない。
この本は、なんとなく初期作品をあつめたような気がするけれど、どうだろう。
作者が、自身の鉱脈をもとめて歩きまわっている感じがする。
収録作は以下。

「ボール」
「ビー」
「超古代の眼」
「罪なき男」
「太平記異聞」
「妙穴寺」
「泪稲荷界隈」
「めぬけのからしじょうゆあえ」
「幻影の階層」
「悪魔の救済」
「となりの宇宙人」

面白かったものは以下。

「ボール」
3人称。
主人公の斉田は、妻とふたりの子をもつ、生活に疲れた会社員。
世間では交通事故が多発していて、免許もないし車を買う金もない斉田は腹を立てている。
そんなおり、世界中の天文台で地球にとびこんでくる物体を確認。
それはボールみたいなものらしい。
まず、アメリカの被害が報じられ、つぎに日本にも上陸。

ボールは直径2~3メートル。
時速50~200キロで転がり、走っている車をみつけるとぶつかってくる。
車は粉々にふきとび、瞬間、その映像が虚空に浮かぶ。
斉田は職場の屋上から、その惨劇の映像を目撃して、日ごろの溜飲をさげる。
ボールは、ボール同士が追突することにより増殖。
ボールにより交通は遮断され、日本は大混乱に。
……

日本は大混乱に、というのは、半分はうそ。
小説は、大混乱の過程をくわしく書いたりしていないからだ。
これが小松左京だったらそう書くのだろうけれど、半村さんは登場人物をほったらかしにしたりしない。
大状況の説明を挿入しながらも、斉田の日常からはなれない。
そして、これは全編通じていえることだけれど、半村さんは所帯じみた生活感をだすのがじつにうまい。

ボールの設定も秀逸。
こういう未知の物体は作者の裁量が大きくて、そのぶん説得力に欠けやすい。
けれど、情報のだしかたのうまさがそれを救っている。
また、交通状況への風刺がリアリティを補強している面もあるかも。

余談だけれど、この短編集では、交通事故の話題がしばしばでてくる。
執筆当時の世相を反映しているのだろうか。

「泪稲荷界隈」
〈私〉によるエッセイ風の作品。
西青山、以前は泪町とよばれた町についての描写が、まるで手にカメラをもって歩いているように続いていく。
この、ゴシップをまじえなが語られる町の描写がじつに楽しい。

リヨンというフランス風のパン屋は、本店は六本木で、自家製のシャーベットがおいしい。
そのとなりが有名な叶宝飾店。
黒っぽいビルは、窒素工業経営連合会。
鈴木酒屋は〈私〉の遠縁がやっている。
角にあるのは山本肉店で、そのとなりはニューヨーク帰りの版画家のママがやっているスナック。
裏手にあるのは泪公園。
以前、八百屋だった場所には、某フォークシンガーの奥さんがブティックをひらき、泪荘アパートにはイラストレーターのKさんが住む。

なにも知らないひとが読んだらうっかり信じこんでしまいそうな描写が続いたあと、最後に奇想天外などんでんがえし。
ほれぼれする。

「となりの宇宙人」
表題作。
宇宙人がでてくる長屋人情話とでもいおうか。

まずはアパートの住人の紹介。
事故を起こし、左腕にギプスをはめて休職中の運転手、田所運一郎。
そのとなりで、彼女3人をかわりばんこにさばいている、区の保健所につとめる男前の貞さん。
反対側はバーテンダーの唯夫と、ホステスの昌子の夫婦。
階下にいるのは七十近い源さん。

そこへ、大きな落下音。
住人がぞろぞろみにいくと、路地に円盤。
なかには緑色の宇宙人が。
自分も事故を起こした田所は、宇宙人に同情して自分の部屋に休ませる。
警察沙汰にするとうるさいので、円盤は近所の八百屋の好意に甘えて、そこの裏手に。

宇宙人は日本語がしゃべれる。
仲間が7人いたというので、仲間がみつかるまで田所のところに厄介に。
田所は左腕にギプスをはめて不自由。
貞さんの彼女のひとり、美容師の見習いをしている淳子が日々手伝いにきてくれる。
田所はこれがまんざらでもない。

そのうち、週刊誌やテレビ局がおしかけてきたり、円盤は政府におさえられたりするけれど、そのへんはクローズアップされない。
本筋は、たとえば宙さん(宇宙人のこと)がなにを食べるかだったりする。
「とりあえず豆腐があたりさわりないんじゃないか」という貞さんの意見が、なにやら可笑しい。
あくまで住人同士のやりとりが話のメイン。
最後は宙さんも仲間と再会して、めでたしとなる。

この本のなかで、半村さんはさまざまな文体をつかっている。
講談調というか、落語調で書かれたタイムとラベル譚、「妙穴寺」
ほとんど会話ですすむ、地球最後の日に「めぬけのからしじょうゆあえ」をつくる板前と見習いの、「めぬけのからしじょうゆあえ」
また、「超古代の眼」「太平記異聞」の2作は伝奇もの。
手をかえ品をかえして、腕をふるっているよう。

ただ、全体の印象は、虚無的なところが強い。
それがもっとも強くでているのは「悪魔の救済」
この作品の主人公である多田は、現在の繁栄をほとんど不条理のように感じている。
いずれ、反動がくると思いつめていて、じっさいそれはやってくる。
その描写にさかれる量と密度からいって、これは作者の半村さんの実感なのかもしれないと思った。

さて、話はとぶ。
作家になる前、半村良さんがさまざまな職業を遍歴したのは有名な話だ。
種村季弘さんの「雨の日はソファで散歩」(筑摩書房 2005)を読んでいたら、デビュー前、酒場でバーテンをしていた半村さんのことがちょっとでてきた。

晩年の種村さんは、山田風太郎のひそみにならったものか、語りおろしを残した。
それがこの本に、「聞き書き篇」として入っていて、無類に面白い。
半村さんがでてくるのは、「聞き書き篇」のなかの、「焼け跡酒豪伝」という章。
種村さんが戦後の酒場で出会った文人たちが活写されている。
半村さんについてはこう。

「区役所通りには新藤凉子さんという女性詩人がやっていた「トト」というお店があってね。講談社系の水上勉とか中村真一郎という人たちが来ていた。そこにバーテンと称して奥のほうで本ばかり読んでいる男がいてね。それがデビュー前の半村良だな。ママが店を空けるときは彼に任せて、後で営業日誌を書かせるんだけど、一から十までデタラメばかりだったという話だね(笑)」

さらに、種村さんはうまく話をまとめてみせる。
(いや、これは聞き手の手際かも。聞き手は田村治芳、皆川秀)

「半村も戦災孤児だろう。野坂もそうだ。学者にも多いね。親父に商売があるとか、サラリーマンならそのための便宜があるとか、普通の家庭なら一応家業の蓄積があるんだな。だけど地盤がないとユダヤ人と同じで、金貸しになるか、活字という空々漠々たるもので食うしかないんだね」

「それに当時の連中は自ら選んだんじゃないってとこもある。それしか食う道がなかったんだよ。ウソばかりついて世渡りするような(笑)。でもね、それが戦後の日本を支えてきたんじゃないかな」


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イスラームから考える

「イスラームから考える」(師岡カリーマ・エルサムニー 白水社 2008)

カバーにつかわれている写真は、トプカピ宮殿ハレムの壁装飾。
じつに精緻で美しい。
それを生かすためか、装丁が大胆。
背の、本のタイトルも写真にかからないよう横組みにしている。
装丁は三木俊一(文京図案室)。
編集者は岩堀雅巳。

本書は、イスラームについてのエッセー集。
文章は憂いをおび、明晰でおだやか。
詩やコーランの翻訳についての話もあるけれど、それよりもイスラームをめぐる社会情勢についてのエッセーが心に残る。
この本が、どんな幅をもっているか、目次を引いてみよう。

・悪の枢軸を笑い飛ばせ
・表現の自由という原理主義
・「いつアラブの自由を宣告するのか」
・「ベールがなんだっていうの?」
・懲りずにフランクフルト
・原理を無視する「原理主義」
・青年よ、恋をせよ!
・翻訳を読むことのむずかしさ
・愛国心を育成するということ
・私の九・一一
・対談 私たちが前提にしている現実とはなにか(著者と酒井啓子による)

最初この本を読むひとは、巻末の対談から読むのがいいかもしれない。
とっつきやすいし、この本のテーマが集中的に取り上げられている。
なにより、つかわれている日本語がすごい。
日本語は、こんなふうに対話的につかえるんだと目を見張る。

以下、気になった章のメモを。

悪の枢軸を笑いとばせ
アラブ系アメリカ人のスタンダップ・コメディアンを紹介したもの。
FBIに指名手配されているテロ容疑者と同姓同名という、アハマド・アハマドのギャグはこう。

「白人はいいよな。空港に行くときは、どうだい、出発の1時間半とか2時間前に行けばいいんだろ? 僕は1ヶ月半前から行くぜ」

近年、中東系アメリカ人コメディアンをあつめたツアーがおこなわれたそうで、アハマド・アハマドもそのひとり。
ツアー名は、その名も「悪の枢軸ツアー」。
2007年冬、「悪の枢軸ツアー」はアラブ公演を果たし、大成功をおさめたという。

中東のひとたちはアメリカのエンターテインメントに親しみ、英語がわかるひとも大勢いる。
アメリカの中東政策に強い反感を抱いていても、アメリカの娯楽まで否定するようなことはしない。
しかし、かれらが反戦デモをおこなえば、メディアからは反米デモのレッテルを貼られてしまう、と著者。

「悪の枢軸ツアー」のアラブ公演には、ウォン・ホー・チュンという韓国人がくわわった。
アハマド・アハマドによるひとを食った紹介はこうだ。

「悪の枢軸ツアーであるからには北朝鮮の人をメンバーに加えたかったのだが、ユーモアのセンスがある北朝鮮の人が見つからなかったので、妥協して韓国人を入れた」

ウォンは父が韓国人で、母がベトナム人。
サウジのジェッダで生まれ、ヨルダンで教育を受けた。
ネイティブのアラブ語を話すので、その顔つきとのギャップから、だれもが過剰に反応する。

「僕たち中東系アメリカ人も他のみんなと同じだということをわかってほしい」

と、インタビューなどで、メンバーはこう抱負を語っているそう。
「笑いで偏見を打ち砕く、実に頭の切れるパフォーマーたちだ」と、著者は共感を記している。

「いつアラブの死亡を宣告するのか」
もし、この本なかから1章だけ取り上げろといわれれば、これになる。
著者はまず、1998年に亡くなった、ここ数十年間アラブでもっとも高い人気を誇ったという、ニザール・カッバーニーの詩を紹介。

「2万人の女を愛した
 2万人の女を試した
 そして愛しい人よ、君と出会ったとき
 すべては今、始まったばかりなのだと感じた」

こんなふうに、愛を謳いあげる詩人だったニザールは、1967年、イスラエル空軍の奇襲攻撃ではじまった、いわゆる第3次中東戦争でアラブが惨敗したことで、武力によるイスラエル打倒の姿勢を鮮明にしていく。

そのことに、著者は違和感をおぼえる。
同時に、こう自問もする。

「私にはブルドーザーで壊される心配のない家がある。私には国が2つもあって、夜中に突然連行されたり、毎日のように検問所で屈辱的な目に合うこともない。私の言い分もまたきれいごとなのかもしれない」

「圧倒的な武力を持ち、国連が非難決議すら出せない相手を前に、敗者であることに甘んじろなどと言う権利は、私にはないのかもしれない」

こんなふうに自問自答していた著者は、「イスラームによる非暴力」を訴える思想家、ジャウダト・サイードの文章や、「イーリアス」を評したボルヘスのことばに光明をみいだす。
ボルヘスは、ハーバード大学でおこなった講義のさい、こう語ったという。

「『イーリアス』の真のヒーローは、勝利するギリシア人ではなく、敗北するトロイ人である。なぜなら敗北には、勝利にはない尊厳があるからである」

こういう文脈のもと、パレスチナの大詩人、マハムード・ダルウィーシュの詩を紹介。
ダルウィーシュは、主義主張ではなく、ひとの尊厳を謳いあげることで状況に抵抗する。
著者はそこに、ボルヘスのいう「敗者の尊厳」をみいだす。

「記録しろ
 私はアラブ人だ
 私は苗字なき名だ
 すべてが怒りで溢れかえる国で
 耐えている男だ
 私の根は
 私が生まれる前から
 時代が開かれる前から
 糸杉やオリーブより早く
 草が育つより早く
 ここに根付いていたのだ
 父は、農家の生まれだ
 高貴な身分ではない
 祖父は百姓だった
 家柄なんかない
 彼は読書より先に
 太陽の高揚を教えてくれた
 私の家は、小さな見張り小屋だ
 木の枝と葦でできている
 さあ、私の身分に文句があるか
 私は苗字なき名なのだ」

ここでは検問所、あるいは留置所でイスラエル兵の取り調べをうける若者の静かなる抵抗が謳われていると、著者。
つづけて、著者はいう。

「私はただパレスチナ人であるがために検問所で取り調べを受ける若者を思った。そのとき彼らの心の中に、この一編の詩があるのとないのとでは、彼らの孤独感はどんなに違うことだろう」

こいういう詩を書くダルウィーシュは、「敵を人間化する」として一部の批判にあった。
それに対し、ダルウィーシュはこう答えたという。

「敵を怪物ではなく、人間として見つめ理解するとによってしか、私たちパレスチナ人の主張を実現することはできないのだ」

…たった2章紹介しただけなのに、ずいぶんな分量になってしまった。
自分がよく知らないことを手際よくまとめるのはむつかしい。

「ベールがなんだっていうの?」
フランスの公立学校における、イスラーム教徒のヒジャーブ着用禁止についてのエッセー。
ヒジャーブとは、ベールと長袖、長いスカートを着た服装のこと。
仲の良いパレスチナ人とフランス人の議論を著者が聞くという形式で、著者は議論をうまく妥当なところに落としこんでいる。
ヒジャーブは十字架のネックレスとは性質がちがう。
「長い間隠してきた体の一部をいきなり人目にさらせと言われても、人間はほとんど生理的な抵抗を感じる」
という、理念だけでなく、人間性についての考察が盛りこまれているのが好ましい。

「青年よ、恋をせよ!」
これは、アラブの恋歌についてのエッセー。
知らないことばかりで、読んでいて楽しかった。

「翻訳を読むことのむずかしさ」
これはタイトルが面白い。
「翻訳をすること」ではなく、「翻訳を読むこと」のむずかしさとされている。
ここで取り上げられている翻訳は、クルアーン(コーラン)についてのもの。
翻訳を読んでも、クルアーンの原文がもつ音の響きはつたわらない。
それを「読むことのむずかしさ」としている。

さて。
この本では、「青年よ、恋をせよ!」と「翻訳を読むことのむずかしさ」以外は、みな、最近の政治状況を反映したものだ。
最近の政治状況について発言するとき、著者の立場はむつかしくなる。
「いつアラブの死亡を宣告するのか」でも取り上げたけれど、著者自身は、加害者でもなければ被害者でもない。
けれど、その状況は深く著者の存在を揺るがす。
「第3の当事者」というべき立場だ。

「第3の当事者」であるひとの発言は、目にみえる加害者や被害者の発言が瞬時に社会性をもつのにくらべ、決定的に異なっている。
どうしても、身の上話としてしか相手の耳に届かない。
しかも、聞くほうがその状況について無関心なほど、その度合いは増す。
それは著者もよくわかっているから、全体として、著者はとても語りにくそうにしている。

「どうしたら身の上話がたんなる愚痴にならず、社会性をもつことができるのか?」
と、いうことを、読んでいるあいだ考えさせられた。

でも、これは読み手であるこちらがかってに考えたこと。
本書のテーマにかんしては、「あとがき」で明快に述べられている。
この本が生まれたきっかけは、デンマークに端を発した預言者ムハンマドの風刺漫画騒動。
この騒動について、著者はこういう。

「私が問いかけたかったのは、「なぜイスラーム教徒はこれほどに反発するのか」を論じる前に、「死者とはいえ生身の人間を侮辱することを表現の自由として称揚することが本当に人の品位にふさわしいか」を考えるべきではないかということでした」

イスラームが絡む事件はイスラーム問題として捉えられがちだけれど、それらは多くの場合、イスラーム云々以前の問題。
イスラーム以前の問題だとすれば、それらはじつは、一般に考えられるほどの難問ではない。

「イスラームをめぐるいくつかの時事問題をイスラーム問題としてではなく、言葉は大げさですが、もっと広く単に人間の問題として捉え直してみようというのがこの本のテーマです」

また、話はとぶ。
この本を読んでいたら、コピーをとっておいたある文章のことを思い出した。
そのコピーはみつからなかったのだけれど、代わりに筆箱からイスラエルの詩人についての新聞の切抜きがでてきた。
詩人はどこにでもいるから、パレスチナにもいればイスラエルにもいる。
最後に、それを紹介しよう。

切り抜きは「海外の文学」というコラムで、書いているのは英文学・ヘブライ文学の専門家、村田靖子というひと。
いつの何新聞なのか、ばかなことに日付を書きとめておかなかったのでわからない。
紹介されているのは、イェフダ・アミハイ。
イスラエル人ならだれもが学校で習う詩人。
でも、その詩は愛国的ではないという。
「ああ慈愛に満ちた神よ」ではじまる詩の末尾はこんなふうだ。

「もし神が慈愛に満ちていなければ
 慈愛は世界にもあったかもしれない
 丘からたくさんの死体を運んだ私は知っている
 世界には慈愛のかけらもないことを」

「アミハイは現実に生身を生きる「個人としての私」を書いた。大胆に日常語で表現したアミハイの詩は、イスラエル文学に新風を送り、人びとの心にすっと染みこんでいった」

と、コラムでは紹介されている。

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連なる黒アリの箱

社団法人家の光協会が、毎年読書にまつわるエッセイを募集している。
優秀作品は冊子にしていて、図書館に配っているようだから、パンフレットがあるあたりなどに、ひと知れず置かれているかもしれない。
寄せられた作品は力作ばかり。
読むと、読書という体験はどれほどひとに多くのものをあたえられるのか考えさせられる。

今回は第7回。
大賞にあたる「家の光読書エッセイ賞」にえらばれたのは、マハット・ラリットさんの「連なるアリの箱」。
ネパール出身の女性だ。

子どものころ、町にいく父に本をお土産に頼んだ。
お菓子とかを頼めばいいのにと姉に笑われたが、そして5歳の子どもが本をほしがるのはたしかにめずらしいことだったが、でも本がよかった。
村長さんの家で、同い年くらいの娘さんが読んでいた、青い表紙の四角いもの。
絵が描いてあり、黒いアリが並んでいるようなもの。
2日遅れて父は帰ってきた。
でも父は、本をもってくるのを忘れていた。
……

しかし、1年後、マハット・ラリットさんは学校にいけるようになる。
「この子は本が読みたいらしい」と、周囲の反対を押し切って、お父さんが学校にいれてくれたからだ。
学校ではじめて手にしたのは国語の教科書。

「あの連なる黒いアリの正体は文字だったと分かった時は、それまでになかった不思議な喜びを感じたのだった」

こうしてマハット・ラリットさんは学び続けて、長じて来日した。
冊子の最後に、受賞者のマハット・ラリットさんの声がよせられている。
それによれば、このエッセイはご自身で、日本語で書いたものだそう。

「私の日本語が、本に寄せる思いが誰かに伝わったのだ!」

と、マハット・ラリットさんは喜びを記している。

冊子に載せられているエッセイは、お年寄りが書かれたものが面白い。
内容に密度がある。
若い者とは苦労の質量がちがうのだとつくづく感じる。

佳作に入っている、森田文さんの「寿限無(じゅげむ)の思い出」も面白かった。
いや、面白かったというより、感銘をうけたといったほうが正確。

子どものころ、家にあった落語の本が好きだった。
とくに、「じゅげむ」は子ども心にも面白い話で、あの長い名前をおぼえては、寝るまえ天井を見上げながら大声でいった。
あるとき、体育が雨で休みとなり、指名されて「じゅげむ」を話した。
うまく話せてほめられるかと思ったら、兵隊さんたちがお国のためにたたかっているときに不真面目な話をしてはいけないと、先生にたしなめられた。
それから、寝るまえの「じゅげむ」は口のなかでもごもごいうだけにした。

夏休みのある日、空襲を受けた。
母と姉と、庭に掘った防空壕にころがりこんだ。
怖くて怖くて、大声で「じゅげむ」をいった。
じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょ すいぎょうまつ くうねむところ すむところ…
すると姉に指摘された。
「すいぎょうまつのあと、うんらいまつ、ふうらいまつが抜けてる」
ちゃんといったよ、いってないよといいあっていたら、母がぷっと吹きだした。
防空壕のなか、空襲を受けながら、三人で笑って大声で「じゅげむ」をいった。

それから六十余年。
「声に出してよみたい日本語」に「じゅげむ」が入っているのを見たときは、胸がふるえた。
その晩、天井をみながら「じゅげむ」をいってみたら、なんとちゃんといえるのだった。

「物忘ればかりしているこのごろなのに、なんと、ひとこともまちがえずに、いえたのである。忘れていなかったのである」
……

よく思うのだけれど、ことばというのは、突き詰めるとからだのことをいうんじゃないだろうか。
「じゅげむ」を声にだしたとき、ほとんどからだの一部をとりもどしたような感じだったのではないか。

うっかりほとんど紹介してしまった。
以上の読書エッセイは、みんな家の光協会のサイトでみられる。
と、思ったら、第7回はリンク切れしてるみたいだ。

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