闇の中で

「闇の中で」(シェイマス・ディーン/著 横山貞子/訳 晶文社 1999)

短い章立てを積み重ねて組み立てられた自伝的小説。
舞台は、アイルランドのデリー。
あるカトリックの一家の物語。
章のタイトルには年月も一緒に記されていて、主人公の〈私〉がいま何歳なのか、世の中ではなにが起きていたのかを察することができる。

はじまりは、1945年2月から。
〈私〉は5歳。
〈私〉の兄弟は、姉のイーリスと兄のリアム。
下には、ジェラルド、エイモン、小さなうちに亡くなってしまうウーナ、デアドラと続く。

家族には秘密がある。
1922年4月。
IRAと警官が撃ちあいをし、父の兄であるエディーおじさんが消えた。
おじさんは、シカゴにいるとか、メルボルンにいるとかの噂がある。
南アイルランドにいき、IRAに加入したという噂もある。

父は4人兄弟。
父の両親は、父が12歳のときに亡くなり、それから大変な苦労をする。
プロテスタントの金物屋に小僧として雇われる。
5年目に、はじめて給料の値上げをもとめたら店主に殴られる。
その後、父はボクサーになり、海軍基地の電気技師の下ばたらきで生計を立てる。

父の妹であるイーナとベルベットは、親戚の家にあずけられた。
そこで女中あつかいされ、鶏小屋で寝起きさせられた。
家は売られ、親戚にはお金が入ってきたはずなのに、子どもたちは無関係でおかれた。

母の妹のケイティ―の夫は、トニー・マキヘルニーという。
ひとり娘のメーヴが生まれる前、1926年にアメリカにいき、それきり音沙汰がなくなってしまった。

〈私〉の一家は、なんとなく警察に目をつけられている。
母方の祖父が警官を殺したため。
疑われながらも、祖父は警官に捕まらなかった。

なぜ、祖父は警官を殺したのか。
1921年、デリー動乱のころ、酔っぱらった警官が銃でカトリック信者狩りをした。
そのとき一番の友だちを殺された。
祖父はその復讐をしたのだ。

〈私〉は、病気の祖父のそばにいるように命じられる。
祖父と話をした母が、大変に動揺しているのを、〈私〉は目撃する。
同じ話を、〈私〉も祖父から聞く。

エディーはアメリカにいったのではない。
警察側の密告者として殺されたのだ、
しかし、エディ―は密告者などではなかった。
本当の密告者は別にいた。

父は、エディーが密告者として殺されたと思っている。
そうではないと知っているのは、祖父がなくなったいま、〈私〉と母だけだ。
秘密には母もかかわっており、そのため母の精神は病みはじめる――。

子や孫の代まで続く、紛争の傷をえがいた作品だといえるだろうか。
本当の密告者と母には因縁があり、〈私〉はその秘密を知ることになる。
結果、〈私〉は母にうとまれることに。
なんとも痛ましい話だ。

家族にまつわる秘密がストーリーの核だけれど、この作品はそればかりではない。
子ども時代の豊かな回想が、物語にみずみずしさをあたえている。
秘密と生活がすっかり一緒になっている。

作中、印象に残るのは、寡黙な父の姿だ。
自分の知らないことがあると勘づきながら、それをみつけようとしなかった父。

《内服すると、カプセルの中の成分が時間をかけて体内にしみだし、命取りになる毒。父はそういう毒がまわることから結婚生活全体を守り、その仕事を全うしたのだ。》

物語の最後のほう。
北アイルランドで公民権運動が起こった1968年。
IRAの狙撃兵に撃たれたイギリス兵が、玄関のドアの前で倒れていた。
その2日後、その兵隊の父親と名乗る男があらわれる。
ヨークシャーの炭鉱夫で、息子がどんな風に死んだのか聞きにきたという。
イギリスのひとが去ったあと、父はいう。
「気の毒に。あの息子さんが敵がただったにしろ、おれは同情するね」

物語は痛ましいけれど、同時に美しい。
《「今日のアイルランドが生んだ小さな大傑作」と絶賛された、心ふるえる連作小説。》
と、カバー袖に紹介文があるけれど、かけ値なしにその通りだ。

本書を読んでいて、「美しい鹿の死」というチェコの小説のことを思いだした。
「闇の中で」とくらべると、ぜんぜん雰囲気がちがうけれど、これも傑作。
どうして遠いアイルランドやチェコの家族小説に打たれるのか。
きっと、家族小説というジャンルは、普遍性をもちやすいのだろう。




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