ムチャチョ

「ムチャチョ」(エマニュエル・ルパージュ/著 大西愛子/訳 Euromanga 2012)

副題は、「ある少年の革命」

本書は、バンド・デシネと呼ばれるフランスの漫画。

タイトルの「ムチャチョ」というのは、「坊や」という意味。
この言葉は作中にも何度かでてきて、「坊や」「少年」「少女」などに、ムチャチョのルビが振られている。

舞台は、1976年、内戦下のニカラグア。
独裁者であるソモサ一族に対し、サンディニスタ民族解放戦線と呼ばれるゲリラが、武装闘争を展開している頃。
サンディニスタと直接争うのは、アメリカ海兵隊の支援のもと成立した、国家警備隊と呼ばれるニカラグア国軍。
国家警備隊は、その粗暴な振る舞いにより、市民の反感を買っている──。

バンド・デシネにかぎらず、日本に紹介される海外の漫画は、たいていスーパーヒーローものかファンタジーだ。
こんなに社会性のある作品はめずらしい。

さて、こういったニカラグアの国情を背景に、どんな物語が展開するのか。
ひとことでいってしまえば、それは少年の通過儀礼の物語だ。

主人公の名前は、ガブリエル・デ・ラ・セルナ。
政府の高官を父にもつ神学生。
絵が上手なのを見こまれ、サン・ファン村の教会に壁画を描きにやってきた。

冒頭、乗っていたバスが、国家警備隊の検問を受ける。
ライターをもっていた少女がみつかり、兵士に連れ去られる。
なぜ、ライターをもっていてはいけないのか。
独裁者であるソモサがマッチ工場のオーナーであるため。
ライターの使用を禁止しているためだ。

さて、村に到着したガブリエルは、キリストの受難の絵を描くことになる。
事前に準備してきたのだが、教会のルーベン神父はガブリエルが持参した絵が気に入らない。
これは、よく勉強したことがわかるだけの絵だ。
こんな高尚な絵をみせても、村の農民には理解できない。

自分の絵を批判されて、ガブリエルは反発する。
が、ルーベン神父にうながされ、村人をスケッチしはじめる。

「光は金色に輝く後光のなかにあるのではない」
「きみは伝える者だ」
「彼らがどんな人間か教えてやるのだ」

と、ルーベン神父の言葉はじつに力強い。
父親のために村人にうとまれるガブリエルは、スケッチをすることで、村人に溶けこんでいく。

村のなかには、娼婦もいれば、政府に色目をつかう男もいる。
ルーベン神父は、サンディニスタの協力者で、説教壇の下に武器を隠している。
サンディニスタの兵士が、夜、武器をとりにくるのを、たまたまガブリエルは目撃する。

ある日、国境警備隊が教会にやってくる。
サンディニスタの攻撃で、軍事顧問のアメリカ人が誘拐されたのだ。
ガブリエルの機転で、武器のありかを知られることは逃れるが、ルーベン神父は負傷し、気のいい娼婦のコンセプションは暴行を受けてしまう。

その夜、サンディニスタの兵士が再びあらわれる。
ガブリエルに礼をいい、ライターを置いていく。
が、このライターが命とりに。

スケッチがもとで、村の少年に殴られているガブリエルを、近くにいた国家警備隊の兵士たちが仲裁し、保護する。
国家警備隊は、もちろんガブリエルの味方だ。
しかし、悪いことに、ガブリエルが殴られたときに落としたライターを、国家警備隊に見つけられてしまう。

このライターは、もともと冒頭のバスの検問で、少女がもっていたもの。
それを、アメリカ人の軍事顧問が手に入れ、そしてサンディニスタの男がガブリエルに渡したものだった。
つまり、このライターをもっているということは、誘拐されたアメリカ人のことをなにか知っているのではないかと疑われるということだ。

最初、ライターは少年のものだと思われる。
国家警備隊は少年を手荒く扱おうとするが、ガブリエルはライターは自分のものだと名乗りでる。
しかし、ガブリエルは司令官に痛めつけられ、口を割ってしまう。
その結果、ルーベン神父は逮捕され、コンセプションは殺されてしまう──。

このあたりまでが第1章。
このあと、第2章とエピローグが続く。

バンド・デシネはたいていそうだけれど、本書もカラー。
水彩でえがかれた絵は、大変美しい。
写実的だけれど、映像的な誇張もふんだんにほどこされ、かつ調和がとれている。

また、この作品はテーマが興味深い。
内戦下のニカラグアを扱うだけでも、じつに野心的。
さらにこのあと、同性愛のテーマがもちだされる。
じつは、ガブリエルは同性愛者なのだ。
父親が高官であるガブリエルは、村人から二重に疎外された人物として造形されている。

ガブリエルが、村人とコミュニケーションをとる手段は絵を描くことだ。
絵を描くことで村人と接し、現実を知り、自分を知る。
仲間を売るという屈辱をそそぎ、自分を確立しようとする。
さまざまなテーマを、成長という大きなテーマが包み、この作品を普遍的なものに押し上げている。

絵は見応えがあるし、構成は緊密。
何度読んでも楽しめる。
大変な力量だ。

第2章では、サンディニスタにかくまわれることになったガブリエルが、ゲリラとともにジャングルをひたすら逃げ回る姿がえがかれる。
ゲリラたちも、決して一枚岩ではない。
過去のしがらみや感情のいきちがいから、たびたび衝突が起きる──。

さて、日本で同じような漫画を描くひとがいるだろうか。
そう考えていたら、安彦良和さんの作品が思い浮かんだ。
歴史に材をとり、少年の成長物語を主軸におき、オールカラーの漫画を描く。
両者とも映像的な表現を駆使するところもよく似ている。

もちろん、ちがいもあって、読み手と登場人物との距離は、「ムチャチョ」のほうがはるかにはなれている。
まあこれは、日本の漫画と海外の漫画のちがいかもしれない。
ガブリエルは、物語のなかでコテンパといっていい扱いをされるのだけれど、登場人物とのあいだに一定の距離がある。
そのため、安心して読むことができる。
これが、日本の漫画だったら、ガブリエルに肩入れしすぎて、読むのがキツイものになったのではないかと思う。

安彦良和さんは、最近チェ・ゲバラの漫画(週刊マンガ世界の偉人 2013年1月27日号)を描いていた。
くらべて読むと、たいそう面白い。


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「迷宮の暗殺者」

「迷宮の暗殺者」(デイヴィッド・アンブローズ/著 鎌田三平/訳 ソニー・マガジンズ 2004)

これはへんてこ小説。
なんといったらいいのだろう。
へんてこサスペンス小説とでもいったらいいだろうか。

冒頭、ストーリーは2つの筋で進む。
ひとつ目の筋の主人公は、チャーリー・モンク。
アメリカ合衆国につながる秘密組織の特殊工作員。
〈コントロール〉と呼ばれる男の指示に従い、暗殺の任務を次つぎとこなしていく。

もうひとつの筋の主人公は、医学博士のスーザン・フレミング。
夫のジョンも医学博士。
2人のあいだには、6歳になる息子のクリストファーがいる。
スーザンの研究は、記憶障害の治療。
映像を目を通さず、脳に直接記憶させる技術を開発した。

さて、開巻まもなく、スーザンの夫は飛行機事故で亡くなってしまう。
国際援助機関ではたらくジョンは、シベリアで発生した流感の調査にでかけ、そこで事故に遭ってしまったのだ。
すると、たスーザンの前にジャーナリストを名乗る、ダン・サンプルズという男があらわれる。
「ご主人を殺したのはだれか、ぼくは知っています」
と、サンプルズ。

スーザンの研究は、「ピルグリム財団」という組織の援助を受けている。
財団は、一種の洗脳ともいえるスーザンの研究の成果ほしさに援助した。
ジョンは、サンプルズからその話を聞いたために殺されたのだ──。

もちろん、スーザンはこの話を一笑に伏す。
とはいえ、気にもなってサンプルズと今一度連絡をとろうとする。
すると、すでにサンプルズは死んでいる。

スーザンは飛行機事故の現場をみにシベリアへ。
現地のホテルで、サンプルズがフロントに預けていた書類をみつける。
その後、スーザンは不穏な男たちに連れ去られ、ピルグリム財団の運営責任者ラティマー・エストと対面し──。

このあたりまでは、まあ普通のサスペンス。
父親と息子を人質にとられたスーザンは、ピルグリム財団の仕事を手伝うはめになる。
もちろん、暗殺者チャーリー・モンクはピルグリム財団ではたらいていた。
チャーリーには、脳裏に焼きついたキャシーという女性がいる。
紆余曲折のすえ、キャシーと再会できたと思ったら、キャシーは自分のことをスーザンと名乗って──と、話は続く。

大技がくりだされるのはこのあと。
だから、これ以上ストーリーの説明はできない。
この大技と、その後の展開は、ひとによっては怒りだすだろう。
テーマとしては、フランケンシュタインものと、ヴァーチャル・リアリティものをあわせたようなものだ。
よくまあ、このネタで一冊書き上げたなあ。

中盤でこんな大技をくりだされると、読んでいて疑りぶかくなる。
またひとをかつぐ気だな、と思って読んでしまう。
こんなに用心して読んでいるのに、それでも後半、小さな驚きがあちこちに仕掛けられているのには感心した。
ラストは、ヴァーチャル・リアリティものだから仕方がないといったところ。

この小説、設定がかなりゆるい。
秘密組織がどんな組織なのか、皆目わからない(秘密組織なのだからそれでいいのか?)。
そして、文章がこなれすぎて、すべすべしている。
スーザンの夫、ジョンを紹介する文章はこんな風だ。

「大学に入学する以前から、自己中心主義はジョンにとって重要ではなかった。といって、急進的でもなければ、政治的に目覚めていたわけでもない。成功と高収入を追い求める人々を批判することもなかった。特別な信仰や教義や哲学的観点を貫くほどかたよってもいなかった。ただ、善と悪のちがいはつねに自明であり、それを見誤ることは他人にとっても自分にとっても摂理に反することで、有害だと信じていただけだった」

なんだか、ハーレクイン小説のよう。
異様に読みやすいこの文章によって、サスペンスは保持され、物語は語られる。
この文章はよく役割を果たしているといえるだろう。
それだけではない。
最後まで読むと、設定がゆるいのも、すべすべした文章も意図されたものかと思ってしまう。
ここがすごいのだけれど、でもまあ、これは、考えすぎかも。


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岩波書店創業100年記念「読者が選ぶこの一冊」

国書刊行会に引き続き、アンケートの話。

岩波書店が創業100年を迎えたそう。
それを記念し、呼びかけたアンケートの結果が、岩波書店のPR誌「図書」(たしか2013年2月号)に掲載されていた。

今回のアンケートは、岩波文庫・岩波現代文庫・岩波新書・岩波ジュニア新書・岩波少年文庫の5つのシリーズから、それぞれ1冊を選ぶというもの。
応募総数は3471通とのこと。
記事には、各シリーズの上位10冊が載せられている。
引用してみよう。

岩波文庫
 1「こころ」夏目漱石
 2「君たちはどう生きるか」吉野源三郎
 3「銀の匙」中勘助
 4「忘れられた日本人」宮本常一
 5「古寺巡礼」和辻哲郎
 6「論語」金谷治/訳注
 7「寺田寅彦随筆集」(全5冊)小宮豊隆/編
 8「坊ちゃん」夏目漱石
 9「武士道」新渡戸稲造
10「モンテ・クリスト伯」(全7冊)

岩波現代文庫
 1「ご冗談でしょう、ファインマンさん」(全2冊)R・P・ファインマン
 2「白い道」吉村昭
 3「現代語訳 論語」宮崎市定
 4「私にとっての二〇世紀」加藤周一
 5「中勘助『銀の匙』を読む
 6「「赤毛のアン」の人生ノート」熊井明子
 7「読書術」加藤周一
 8「文学部唯野教授」筒井康隆
 9「獄中記」佐藤優
10「高木仁三郎セレクション」佐高・中里/編

岩波新書
 1「万葉秀歌」(全2冊)斎藤茂吉
 2「日本の思想」丸山真男
 3「羊の歌」(正・続)加藤周一
 4「知的生産の技術」梅棹忠夫
 5「自由と規律」池田潔
 6「零の発見」吉田洋一
 7「日本人の英語」マーク・ピーターセン
 8「ヒロシマ・ノート」大江健三郎
 9「歴史とは何か」E・H・カー
10「ルポ貧困大国アメリカ」堤美果

岩波ジュニア新書
 1「詩のこころを読む」茨木のり子
 2「〈銀の匙〉の国語授業」橋本武
 3「砂糖の世界史」川北稔
 4「漢詩入門」一海知義
 5「ヨーロッパ思想入門」岩田靖夫
 6「正しいパンツのたたみ方」南野忠晴
 7「フランス革命」遅塚忠躬
 8「社会の真実の見つけかた」堤美果
 9「パスタでたどるイタリア史」池上俊一
10「地球をこわさないための生き方の本」槌田劭

岩波少年文庫
 1「モモ」エンデ
 2「星の王子さま」サン=テグジュペリ
 3「ライオンと魔女」ルイス
 4「トムは真夜中の庭で」ピアス
 5「ドリトル先生アフリカゆき」ロフティング
 6「あのころはフリードリヒがいた」リヒター
 7「クマのプーさん」 ミルン
 8「床下の小人たち」ノートン
 9「三国志」(全3冊)羅貫中
10「エーミールと探偵たち」ケストナー

岩波文庫で、「こころ」が1位というのはわかるけれど、「モンテ・クリスト伯」が10位というのは、大いに驚いた。
去年、夢中になって「モンテ・クリスト伯」を読んでいた知人にこのことを知らせたら、とても喜んでいた。
「モンテ・クリスト伯」は手元にあるけれど、まだ読んだことがない。
よし、ことしの個人的な課題図書はこれにしよう。

記事には、各シリーズの書目数も載っている。
それによれば、岩波少年文庫が173点と一番少ない。
これは、決まったタイトルに票が集中したということだろう。
だいたい、岩波少年文庫を書店でみつけるのがむつかしい。
岩波ジュニア新書はもっとむつかしい。
以前、岩波ジュニア新書でほしい本があって、書店をめぐり歩いたことがあるけれど、5軒以上まわっても、シリーズ自体みつけられなかった。
岩波ジュニア新書の書目数は408点。
票が割れるということは、シリーズがよく読まれているということだ。
そう考えるなら、思ったより読まれているのかもしれない。

さて。
自分でも、各シリーズを1冊ずつ選んでみた。
まず、岩波文庫。
岩波文庫は1冊に絞るのは不可能だ。
だいたい、外国の古い小説を読もうと思ったら、岩波文庫以外に頼れるものはない。
そこで、ぱっと思いついた外国の小説として、「バラントレーの若殿」(スティーヴンスン 1996)を挙げよう。
岩波文庫には、今後とも外国文学を充実させてほしいと願うばかりだ。

岩波現代文庫はむつかしい。
ほとんど読んだことがない。
最初に思いついたのは、3位に入った宮崎市定の「現代語訳 論語」。
でも、入賞した本は選ぶのは、なにやらシャクだ。
そこで、本棚をごそごそさがしたら、「曲説フランス文学」(渡辺一夫 2000)がでてきたので、これに。

岩波新書も該当作がありすぎる。
で、これもぱっと思いついた、「小説の読み書き」(佐藤正午 2006)。
近・現代日本文学の、細部の、文章の書き振りのみに、やたらとこだわったエセー。
その筆致が素敵に面白く、「図書」連載時に愛読していたものだ。

岩波ジュニア新書は、記事も書いた「クモの糸の秘密」(大崎茂芳 2007)に。
これは、アンケート全体にいえることだけれど、理系の本はあんまり人気がないみたいだ。

岩波少年文庫はこれ。
「台所のおと みそっかす」(幸田文 2003)
一体どこの少年がこの本を読むのか。
――岩波少年文庫はつくづく渋い。
と、この本がシリーズに入ったとき、感じ入ったものだった。


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