昔々の昔から(承前)

続きです。

ある日、ついにマルーンはヴィェスト爺さんを殺してしまおうとリュティシャにもちかける。
リュティシャは断る。
が、話しあいのすえ、ヴィェスト爺さんを焼き殺すことに。
兄弟は、外から戸に突っかえ棒をして、小屋に火をつけ、ヴィェスト爺さんの助けを呼ぶ声を聞かなくてすむように森へいく。

いっぽうポティェフ。
泉で再びスヴァロジッチに出会う。
「お伝えになったお言葉を教えてください」と、ポティェフがいうと、スヴァロジッチは頭を振る。
わたしはきみに、おじいさんを置いていってはいけないといったのだ。

「わたしはきみが兄弟のうちで一番賢い子だと思っていたが、それどころかきみは一番愚かな子だ」

スヴァロジッチは去り、ポティェフは呆然とする。
が、ともかく真実にはめぐり着いた。
急いで顔を洗って、大好きなおじいちゃんのところにとんでいこう。
ところが、顔を洗おうと泉に身をかがめたポティェフは、泉に落ちてしまう。
そして、溺れ死んでしまう。

さて、ポティェフが死んで、ポティェフにとりついていた小鬼は大喜び。
「やれやれ、兄弟たちよ。今日やっとおれは帰れるぞ!」

しかし、小鬼はポティェフのそばにいることにすっかり慣れてしまっていた。
この1年間、だれにも邪魔をされなかったし、だれの指図も受けることがなかった。
それなのに、またビェソマールとその手下の悪鬼どものところに帰らなくてはいけない。
それまで喜んでいた小鬼は悲しくなり、大声で泣きだす。

すると、森にやってきたマルーンとリュティシャにとりついていた小鬼たちが、その声を聞きつけ、思わず助けにいってしまう。

おかげで、2人の兄はわれに返る。
2人は急いで小屋にもどり、火柱が上がっている建物に入って、ヴィェスト爺さんを助けだす。
──

このあとも、ストーリーは2回転くらいする。
でもまあ、この辺で。
それにしても、ブルリッチ=マジュラニッチの作品は、1行1行非常に緊密に組み立てられている。
全てのできごとが歯車のように組みあわさっているので、本来であれば要約できない。
要約したのは無謀だったと、つくづく思い知った。

だいたい、なぜスヴァロジッチが3人の前にあらわれたのか。
まだ朝早く、夜が明けていなかったので、3人がスヴァロジッチに呼びかける歌をうたったからだ。

また、なぜ3人は森にいったのか。
「前の年に野生のミツバチがあつめておいたハチミツを調べるため、またミツバチが冬眠から目覚めたかどうかをみてくる」よう、ヴィェスト爺さんに頼まれたからだ。

解説によれば、この作品の時代背景は、スラヴ人が森からすべての恵みを得ていた狩猟時代。
ハチミツといえば、野生のミツバチが樹木の空洞にたくわえた蜜を採集してくることだった。
が、物語が進み、マルーンは富み栄えるためにミツバチの巣箱をたくさんあつめるようになる。
おじいさんを殺し、養蜂場をつくろうとする。

人物の行動についての説明も洞察に富む。
マルーンがリュティシャに、ヴィェスト爺さんを殺そうともちかけるとき。
リュティシャはすぐにはそれに応じない。
ここで、こんな説明文が挿入される。

「リュティシャは殺害や略奪の生活を送っていたにもかかわらず、金持ちになることだけを望んでいるマルーンほど心は残酷ではありませんでした」

また、マルーンとリュティシャにとりついていた小鬼がはなれたのは、ポティエフにくっついていた小鬼が泣きさけんでいたため。
そのときの説明はこんな風だ。

「マルーンとリュティシャは誰かが泣き叫ぶ声を耳にし、声のするほうを見てポティェフのコージェフ(羊の毛皮のコート)があるのに気がつき、弟の身になにか不幸があったことをすぐ理解しました。しかし二人は弟のことをあまり悲しむこともありませんでした。というのは、この二人にそれぞれ小鬼がくっついているかぎり、人を憐れむ気持ちは起こらなかったのです」

いっぽう、小鬼たちは自分たちの仲間が泣き叫ぶのを聞いて落ち着きをなくす。

「なにしろ、仲間が不幸に陥ったとき、この世で小鬼ほど仲間に対して厚い友情と強い信頼をよせる生き物はほかにいなからです」

かくして、マルーンとリュティシャにとりついていた小鬼たちは、ポティェフの小鬼を助けに馳せ参じる。
小鬼には小鬼の事情があり、かれらはその事情にもとづいて行動している。
物語が厚みを帯びているのは、登場人物の各事情がよくえがかれているためだ。
そして、それでいて筋が乱れていないためでもある。
その手さばきは本当に見事。

物語がしばしば急展開を迎えるのも興味深い。
まず、せっかくスヴァロジッチから大事なことを教わったのに、それをすっかり忘れてしまうという展開がすごい。

また、正直者の末っ子ポティェフは、小鬼の誘惑をしりぞけ、ひとり森へいき、ついに忘れていたことを知る。
でも、知ったからといってどうにもならない。
逆に、なぜおじいさんのもとをはなれたのかとスヴァロジッチに怒られてしまう。
さらに、そのあとすぐ泉に落ちて死んでしまう。
ものすごい展開だ。
なかなか、こういうストーリーは思いつかない。
思いつけても、かたちにすることはできない。

それから、文章の話をしたい。
本書の訳文は、骨格は好みなのだけれど、語句の選択で首をかしげるところがある。
たとえは、小鬼にとりつかれたマルーンが、せっせとミツバチの巣箱をたくわえるところ。

「マルーンは毎日森から新しい蜜蜂の巣を運んできて、丸太を削り、組み立て、ついに新しい小屋を建てました。それに加えて、十本の計算用の棒に貸付金の額を刻み付けて、毎日数え直して、満期が来る日を心待ちにしていました」

うーん。
狩猟採集時代に「貸付金」に「満期」かあ。

幸い、本書には別の訳がある。
「昔むかしの物語」(山本郁子/訳 冨山房インターナショナル 2010)
こちらで、同じ箇所はどう訳されているだろう。

「マルンは毎日、森から次々に蜜蜂を運んできました。そして、木をきれいに製材し、新しい家を建てました。また、十個もの符木(しるしぎ)に毎日傷をつけては、これがいついっぱいになるのだろうと、わくわくしながら何度も何度もその傷を数えるのが、何よりの楽しみでした」

「昔むかしの物語」は児童書なので、「昔々の昔から」にくらべると、ことばづかいがやさしい。
ただ、今度は符木というのがわからない。
注釈によると、「勘定のために刻み目をつけていく木」だという。
「しるし」はミツバチのいる木につけるものだとばかり思っていたけれど、どうもそうではないよう。

でもまあ、意味はわかる。
マルーンは預金通帳の金額が増えていくことばかりを気にする人間になってしまったのだ。
意味はわかるのだから、細かいことは気にしないようにしよう。

「昔むかしの物語」の目次も引用してみる。

「ストリボルの森」
「漁師パルンコとその妻」
「小さな姉弟ルートビッツァとヤグレナッツ」
「巨人レゴチュ」
「末っ子ポティエフ」
「ぶらつきトポルコと九人の知事の息子たち」
「太陽と花嫁さん」
「ヤゴルの家(うち)」

なぜ「昔々の昔から」と順番がちがうのかはわからない。
固有名詞の訳がちがうのは、クロアチアの物語は訳されることがそうないだろうから、訳語が確定していないためだろう。

せっかくなので、「ストリボールの森」と「ストリボルの森」の、冒頭の訳文をならべてみよう。

「ストリボールの森」(「昔々の昔から」)
「ひとりの若者がストリボールの森に入り込みました。その森は魔法をかけられた森であり、そこではいろいろ不思議なことが起こりますが、若者はそんなことはまったく知りませんでした。その森の中では良い奇跡も起こりましたが、反対に悪いことも起きました──幸・不幸は人によってちがうのです。
 このストリボールの森は、この世のどんな幸福よりも自分の不幸のほうがその人にとって大切であるという人がそこに入り込むまでは、魔法から解放されないことになっておりました」

「ストリボルの森」(「昔むかしの物語」)
「若者がストリボルの森に入って行きました。それはふしぎなことがいろいろ起こる、魔法の森であることを知りませんでした。そこではいいことも悪いことも起こりました。それは、そこに入った人によるのでした。いい人間にはいいことが、心の曲がった人間には悪いことが起きたのです。
 この森には、この世のどんな幸福よりも不幸を望む者が入るまでは、魔法が解けず、ふつうの森にはなりませんでした」

「いい人間にはいいことが、心の曲がった人間には悪いことが起きる」という意味のことは、「ストリボールの森」のほうにはない。

さらにもうひとつ。
「レゴチ」については、「巨人レーゴチ」(ツヴィエタ・ヨブ/絵 中島由美/訳 福音館書店 1990)という絵本が訳され、出版されている。
そこで、3つの訳文をならべてみたい。

この「レゴチ」の物語も波瀾万丈。
引用するのは、妖精のコーシェンカが、巨人のレゴチと地下世界に入りこんだすえ、道が埋まり、分かれ分かれになって閉じこめられてしまうという場面。

「レゴチ」(「昔々の昔から」)
「コーシェンカは泣き出しました。レゴチのところへ行きたくてたまらず、めそめそと泣き悲しみました。コーシェンカには、抜け道がないこと、自分の命の綱である真珠のはいった小袋は土の下に埋まってしまい、もはや救いがないことが分かってきました。
 この状況を理解したとき、コーシェンカは泣くのを止めました。コーシェンカはたいへん誇り高い妖精(ヴィーラ)であったので、覚悟してこう思いました」

「真珠」というのは、コーシェンカが地上にくるときに、お母さんからもらった魔法の真珠のこと。
それにしても、「この状況を理解したとき」はいかにも硬い。

「巨人のレゴチュ」(「昔むかしの物語」)
「コシェンカは泣き出してしまいました。そして泣き声を張り上げて、レゴチュの所まで行く道を探しました。でも、どこにも抜けられる道はなく、もうどうにもならないことがわかりました。コシェンカを救うことのできる真珠の袋も、うまってしまったのです。
 すべてを悟ったコシェンカは、自分の誇りのために、泣くのをやめて考えました」

「巨人レーゴチ」
「コーシェンカは泣きべそをかきながら、なんとかしてレーゴチのほうへもどる道はないかとあちこちさがしてみましたが、ほんのわずかのすきまさえありませんでした。もうおしまいです。あの真珠のさえあればなんとかなるでしょうが、それもどこか土の下に埋まってしまいました。
 もう助かる道はないと、とさとると、コーシェンカは泣くのをやめました。なんといってもほこり高い妖精の女の子でしたから」

この「レゴチ」には、地下を流れる川がでてくる。
解説によれば、作者ブルリッチ=マジョラニッチの生まれ故郷であるオグリンには、ドブラ川という、水が地中に消えてゆく川があるそう。
「レゴチ」には、この故郷の川が反映されているにちがいない。

さて。
全体として。
長ながと書いてきたけれど、おさめられた物語はどれも起伏に富み、大変面白い。
いろんな訳文を引き合いにだして、細部をながめたのは、どの訳で何度読み返しても面白いから、ついそうしたまでのことだ。

また、物語はどれも家族の大切さについて語っている。
これが全体をつらぬくテーマだろうか。
「レゴチ」にあわられる伏流水ではないけれど、スラヴ神話が、作者を通してほとばしっているよう。
作者は、スラヴ民族の物語を書いていることに大変自覚的だったようで、解説には作者によるこんな手紙が引用されている。

「私の『昔々の昔から』は、本当は私のものではなく、スラヴ民族の魂の物語、予見、希望、信仰、支柱なのです」

思うに傑作というのは、「私のものでない」物語のことをいうのではないだろうか。
だとすると、イヴァーナ・ブルリッチ=マジュラニッチは幸せな作家だ。

そうそう。
「昔々の昔から」は、ウラディミル・キーリンによる挿絵が素晴らしい。
このことも、忘れずにいいそえておこう。


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昔々の昔から

「昔々の昔から」(イヴァーナ・ブルリッチ=マジュラニッチ/著 栗原成郎/訳 ヴラディミル・キーリン/挿画 松籟社 2010)

さがしている本があって本屋にいく。
しかし、みつからない。
これはもう、本当によくあることなので驚きもしない。

で、せっかくきたのだからと、本屋の棚をながめる。
そのうちに、思いもかけなかった本を手にとり、ながめ、うっかりと買ってしまう。
これも、本当によくあることだ。

もはや、本屋はさがしている本をみつける場所ではない。
たまたまみつけた本をうっかり買う場所になっている。
──新刊本しか置いていない古本屋
とでもいったらいいだろうか。

そんな風にして買ったのが、本書、「昔々の昔から」。
タイトルがいいし、トレーシングペーパーをつかった装丁が瀟洒。
きれいな本だったので、なんにも知らないのに買ってしまった。
装丁は西田優子というひと。
帯にはこんな文句が。

《ひとりの母親が、物語を語りはじめる。わが子のために。そして、すべての子どもたちのために。

「クロアチアのアンデルセン」と称されるブルリッチ=マジョラニッチがスラヴの民間伝承から材を採って作り上げた、神話的幻想の物語集》

作者のイヴァーナ・ブルリッチ=マジョラニッチのことはまったく知らなかった。
クロアチアのアンデルセンと称されていることも知らなかった。
解説にあるように、ノーベル文学賞の候補になったことがあるということも知らなかった。
なんにも知らなかったのだけれど、読んでみたら、この本は当たりだった。
とても面白かった。
こういうときは本当にうれしい。

本書は短編集。
収録されている作品は8編。

「ポティェフが真実にたどり着くまで」
「漁師パルンコとその妻」
「レゴチ」
「ストリボールの森」
「姉のルトヴィツァと弟のヤグナレッツ」
「うろつきっ子ポルコと九人の王子」
「婚礼介添えの太陽とネーヴァ・ネヴィチツァ」
「ヤゴル」

それから、作者と作品についての詳しい解説。
この解説がありがたい。

物語から小説にいたるグラデーションがあったとして、本書の作品はかなり物語のほうに針が振れている。
神様や妖精や巨人や小鬼が、自然に人間と交流する。

最初、本屋でこの本を手にしたとき、クロアチアの民話をもとにした小説なのかなと思ったけれど、その想像はちがっていた。
作者は、スラヴ神話から、人物やら固有名詞やらを借りて、この物語を創作したのだそう。
そもそも、スラヴ神話は物語としては残っていないのだという。
解説で、そのあたりの事情はこんな風に触れられている。

「スラヴ神話の再建は学者の課題ではあるが、イヴァーナ・ブルリッチ=マジョラニッチの『昔々の昔から』は、イヴァーナの豊かな文学的想像力によって独自に再構築されたスラヴ神話の幻想世界である」

つまり、本書はブルリッチ=マジョラニッチによる創作民話。
神話の再構築──。
これは、ひとことでいえばロマン派の仕事だろう。

以下、解説から要約するけれど、1874年に生まれ、1938年に亡くなったブルリッチ=マジョラニッチの生涯において、クロアチアは独立国家ではなかった。
第1次世界大戦以前は、ハプスグルグ帝国の一部だったし、第1次大戦終結後は、「セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国」(1929年に「ユーゴスラヴィア王国」と改称)の一部だった。

当然、クロアチアには民族運動が起こり、そこにロマン派の仕事があらわれる。
ロマン派の作品といっても、本書の作品は、ロマン派の諸作品のように、やたらと憂愁に満ちたややこしいものではない。
もっと素朴で、溌剌としている。
これは、民話の手法をつかったおかげだろう。
また、作者が子ども向けの本として書いたためでもあるだろう。

祖父はクロアチア総督にして詩人、父は弁護士にして郷土史家という、よいお家に生まれたイヴァーナは、18歳のときに法律家と結婚。
6人の子ども(うちひとりは生まれてすぐ亡くなる)の母親となる。

そして、自身の創作欲と子どもたちへの義務感とが一致する場所を児童文学の領域にみいだす。
自分の仕事をみいだしたイヴァーナは、大きな喜びをおぼえる。
「自叙伝」には、こんなことが書いてあるそう。

「私は自分の子どもたちのために読書の案内人になるのであり、あの素晴らしい彩り豊かな読書世界へ子どもたちが第一歩を踏み入れようとするときに、そこへいたる扉を私が開けてやることになり、私自身がまず一番に注目して決して見失ってはならないと思う人間の生きかたの良い面に、子どもたちの澄んだ、好奇心に輝く目を向けさせてやることができる──」

本書の特徴をひとことであらわすなら、母親が書いたロマン派の本といえるかもしれない。

さて。
各作品は短いながらも興趣に富み、要約するのがむつかしい。
うまく紹介できるかわからないけれど、ひとつひとつ簡単にメモをとっていこう。

「ポティェフが真実にたどり着くまで」
遠い昔。
森のなかに、ヴィェスト爺さんと、マルーン、リュティシャ、ポティェフという3人の孫が暮らしていた。
ある春の日、ヴィェスト爺さんのいいつけで森に入った3人は、太陽神スヴァロジッチに出会う。
スヴァロジッチは3人を金色のマントに乗せ、世界の全てをみせてやる。
そして、こう助言する。

「きみたちは、おじいさんのほうがきみたちを見捨てて出ていくまでは、おじいさんを決して置き去りにしてはならない。そして、きみたちがおじいさんに恩返しできるまでは、良い仕事のためであれ、悪い仕事のためであれ、決して世間にでてはならない」

ところで、森にはビェルソマールという、悪霊たちの支配者がいた。
ビェルソマールは、この一部始終を見聞きして、すっかり憤慨する。
というのも、ヴィェスト爺さんが森のなかの開墾地に聖火をともしたため、その煙のせいで、ひどく咳がでるようになってしまったのだ。

そこで、ビェルソマールは手下の悪鬼から、3匹の小鬼をえらびだし、それぞれ孫にとりついて、ヴィェスト爺さんに危害を加えるように命じる。

いっぽう3人の孫たち。
あんまりいろんなことが起きたので、自分たちがみた世界ののことも、スヴァロジッチにいわれたことも、すっかり忘れてしまう。
小屋にもどり、ヴィェスト爺さんにたずねられても、なにも答えられない。
その隙に乗じ、2匹の小鬼は2人の兄にとりつく。

1番上の兄であるマルーンは、小鬼にそそのかされ、ヴィェスト爺さんにこうこたえる。
「スヴァロジッチはぼくに、きみは兄弟のなかで一番金持ちになるといった」

2番目の年上のリュティシャはこう。
「スヴァロジッチは、きみは兄弟のなかで一番強い人間になるといった」

ところが、一番下のポティエフは、真実を愛する少年だったので、小鬼のささやきには耳を貸さず正直にこたえる。
「おじいちゃん。ぼくは何をみたのか、何を聞いたかまったくおぼえていないんだよ」

さて、小鬼にとりつかれた2人の兄は、富を得よう、強くなろうとさまよいだす。
いっぽう、ポティエフは忘れたことを思いだそうと森へいくことを決意する。
ヴィェスト爺さんは大変悲しんだものの、ポティェフのいうとおりにさせてやることに。

森にいったポティェフのもとには、小鬼がついてきて、ことあるごとに考えごとの邪魔をする。
あんまりうるさいので、ポティェフが小鬼とそのほか悪鬼の連中を泉に閉じこめてから──そして閉じこめていてもうるさいので解放してやってから──小鬼はポティェフに一目おくようになる。

そして1年がたち──。
マルーンとリュティシャは、ヴィェスト爺さんの世話をいっさいしなくなる。
あいさつすらしない。
マルーンは、ミツバチの巣をはこんできて金持ちになることばかり考え、リュティシャは猟と略奪にいそしむように。


……なんだか長くなりそうなので、続きは次回に。

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ナボコフの文学講義、ナンジャモンジャの木、小説家のマルタン

去年の秋から冬にかけて、ディケンズの「荒涼館」を読んだ。
面白かったのだけれど、なにしろ大長編だから、いまひとつ全体が見渡せない。
なにかいい解説書を読みたいと思っていたところ、ことしに入って「ナボコフの文学講義」が文庫で出版された。
素晴らしいタイミングだ。

「ナボコフの文学講義 上下」(V・ナボコフ/著 野島秀勝/訳 河出書房新社 2013)

上巻
・編者フレッドソン・バワーズによる前書き
・ジョン・アプダイクによる序文

・良き読者と良き作家
・「マンスフィールド荘園」ジェイン・オースティン
・「荒涼館」チャールズ・ディケンズ
・「ボヴァリー夫人」ギュスターヴ・フロベール

・付録(「荒涼館」と「ボヴァリー夫人」に関するナボコフの試験問題の見本)
・解説 池澤夏樹

下巻
・「ジキル博士とハイド氏の不思議な事件」ロバート・ルイス・スティーヴンソン
・「スワンの家の方へ」マルセル・プルースト
・「変身」フランツ・カフカ
・「ユリシーズ」ジェイムズ・ジョイス
・文学芸術と常識
・結び

・訳者あとがき
・新装版訳者あとがき
・解説 沼野充義

本書はタイトル通り、ナボコフが亡命先のアメリカの大学で教えていた、文学講義の講義録。
解説で、池澤夏樹さんも沼野充義も書いているけれど、ナボコフ先生は小説にたいする姿勢がじつにはっきりしている。

「小説はお伽噺だ」

と、いいきる。
小説はつくりものなのだ。
だから、どんな風につくられているか、ていねいに読んでいかなくてはいけない。
作品がどう構築されているか、注意深く点検する必要がある。

「なによりも細部に注意して、それを大事にしなくてはならない」

作品は作品自体を味わうもので、それ以外は扱うに価しない。
一般論や、イデオロギーや、抽象的な議論で作品を裁断するのは愚の骨頂。

さらに、小説はどこで読めばいいか。
「背筋で読め」と、ナボコフ先生はいう。
ぞくぞくとした戦慄が走る背筋で読め。

「本を背筋で読まないなら、読書なんかまったくの徒労だ」

この断言。
細部への愛着。
作品以外のあれこれを考慮しない潔癖。
これは自らも創作するひとが書く批評の特徴だろう。
だから、批評家の批評よりも、創作者の批評のほうが面白いのだ。
というのは、あんまり一般化しすぎだろうか。

さて。
本書を手にとって、まず読んだのは、もちろん「荒涼館」の章。
あの長大な作品を、よくこう手際よく扱える。
その手さばきに、すっかり感心。
細部と全体の照応など、教えられてはじめて気がついた箇所がたくさんある。
おかげで、より細かく作品を味わえた気がする。
それに、ナボコフ先生もディケンズが好きなのが嬉しい。

「出来ることなら、わたしは毎授業その五十分の時間を静かに黙想し、精神を集中して、ディケンズを賛美することに費やしたい気持ちである」

「荒涼館」の章を読んだあとは、「ボヴァリー夫人」の章を読んだ。
「ボヴァリー夫人」は細部を愛しやすい小説だろう。
ナボコフ先生は、「…食卓の上では、蝿が飲みさしのコップを伝って這いあがり、底に残っている林檎酒に溺れてぶんぶんと羽音を立てていた。…」という「ボヴァリー夫人」の一文に、こんな注釈をつけている。

「訳者たちは「這う」と訳しているが、蝿は這いはしない、歩き、そして手をこする」

いやあ、細かい。
このあとは、カフカの「変身」。
「荒涼館」「ボヴァリー夫人」「変身」は読んだことがあったので、なるほどと思いながら講義を読んだ。
でも、「ユリシーズ」と「スワンの家の方へ」は読んだことがない。
おそらく今後も読むことはないだろう。
そう思って、ナボコフ先生の講義を読了。

「マンスフィールド・パーク」と「ジキル博士とハイド氏」の講義は読まずにとってある。
たぶんいつか両作品を読むと思うからだ。
両作品を読み終わったあと、ナボコフ先生の講義は読むのがいまから楽しみで仕方がない。

あとは、メモ。
「なつかしい時間」(長田弘 岩波書店 2013)という本を読んでいたら、「ナンジャモンジャの木」というのがでてきた。
井伏鱒二の「在所言葉」という本に書かれているらしい。

「名称不詳の木にナンジャモンジャの木というこの名称を与えるしきたりがあるのだろうか」

このナンジャモンジャの木と呼ばれているのは、甲州天神峠と塩山にある木。
どちらもナンジャモンジャの木と呼ばれているけれど、同じ木ではなかったようで、井伏さんは上のような感慨をもらしている。

で、たまたま、「股旅新八景」(長谷川伸 光文社 1987)を読んでいたら、またナンジャモンジャの木がでてきた。
この短編集の第2編、「頼まれ多九蔵」のところ。
このナンジャモンジャの木があるのは、銚子街道神崎宿(こうざきじゅく)。

「神崎三百軒といってな、繁昌している宿だ。川向うは押砂河岸といって、安波大杉神社へ参詣のものは、神崎から渡し舟で渡るのだ、神崎明神様の森というのは、もうやがて見えるが、大小二つの山があるところから、雙ヶ岡ともいうのだ。高いところに御神木がある。門前には、なんじゃもんじゃの樹というのがある」

と、おそらく船頭が多九蔵に説明している。
週に2度もナンジャモンジャの木に出くわしたので、メモをとっておきたくなった。
それにしても、長谷川伸はずいぶん調べて書いたんだろうなあ。

それから。
「史談蚤の市」(村雨退二郎 中央公論社 1976)という本をぱらぱらやっていたら、マルセル・エーメの名前がでてきてびっくりした。
この本は歴史および歴史小説についてのエセー。
エーメの名前がでてきたのは、最後の「小説の悲劇的結末」という文章。
どうしても作中人物を殺さずにはいられない、エーメの「小説家のマルタン」の一節をこんな風に引いている。

「このマルタン先生の考えによると、「人生は死の外に結末はない――そして死は明らかに悲劇的結末だ」そして「深く考えてみれば人生そのものが悲劇的である」という観念が小説の悲劇的結末をとらざるを得ない基礎になっている」

で、著者はこのマルタンの考えに異議をとなえているのだけれど、文章が不明瞭でなんだかよくわからない。
まあ、それはともかく。
こんなところにエーメがあらわれるとは思ってもいなかったので驚いたものだ。


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