WATER

「WATER」(井上雄彦 講談社 2006)。

マンガ「バガボンド」のカラー画集。
書店で見つけて衝動買い。
一緒に「墨」というタイトルの画集も売っていたけれど、カラーのほうが観たかった。

このひとの絵はこんなふうにいえると思う。

水彩画で、
輪郭線を強調せず、
しかしかたちは明快。

こんなふうに描けるひとは、そうはいない。

画集では、絵を超クローズアップしたものもあり、筆の運びや色のおきかたまで察することができる。
これが観ていて飽きない。

細部を書きこむ部分と、省略する部分のメリハリが気持ちいい。

よく「水彩画の描き方」なんて本があるけれど、「水彩の人物の描き方」なんて本はあまり見ない。
そういうことをしたいひとには、いいお手本になりそう。

描き下ろしもいくつかあって、どれも軽い感じでとてもよかった。

それにしても、こんなに描けたら楽しいだろうなあ。
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赤いおおかみ

「赤いおおかみ」(F.K.ヴェヒター 古今社 2001)。

訳は小沢俊夫。

これは絵本。
立ち読みして、あんまりよかったので、うっかり買ってしまった。

内容は大人向け。
一匹の犬が、人間とはぐれ、オオカミの仲間となって育ち、人間に撃たれてまた人間とともに暮らして死ぬ。…という話。

絵本はストーリーを紹介しても、なにも語ったことにならないなあ。
簡潔で、叙情に富み、とてもいい。

気に入ったあまり、いろんなひとに見せて歩いてしまった。
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マルコとミルコの悪魔なんかこわくない!

「マルコとミルコの悪魔なんかこわくない!」(ジャンニ・ロダーリ くもん出版 2006)読了。

訳は片岡樹里。

これも児童書。
ロダーリはイタリアの高名な児童文学者。

以前、このひとの「二度生きたランベルト」(平凡社 2001)を読んだことがあるのだけれど、これはあんまり肌にあわなかった。

しかし、ここのところ、このひとの本が立て続けにでる。
ならいま一度、と思い読んでみた。
結果は……
面白い!

この本は短編集。
マルコとミルコを主人公とした物語が7つおさめられている。

マルコとミルコはふたごの兄弟。
ふたりともカナヅチ(イタリア語だとふたりの名前と語呂が合うのだそう)をもっている。
マルコはもち手が白のカナヅチ。
ミルコはもち手が黒のカナヅチ。

このカナヅチは、「ブーメラン・カナヅチ」。
投げると、もどってくる。
ふたりは根気よくカナヅチをしつけたのだ。

このナンセンスな前提を受け入れれば、あとは口のへらないふたごの痛快な活躍を楽しめばいい。

あるとき、ふたりで留守番しているところにガスの修理屋がくる。
「ガスの修理屋さんだなんてあやしいね」
「どうせ、あっちこっちの家をまわって盗みをしてるんだろう」
と、ふたり。

はたして、修理屋はほんとうに泥棒。
でも、ふたりのカナヅチにやられてあえなく降参。
警察にでもどこにでも電話してくれ。

「おじさん、考えがころころ変わりすぎるんじゃないの」
「もう少し自分の考えをしっかりともちなよ」

ふたりは家のなかのいらないものをどんどん泥棒にもたせる。
趣味の悪い置物や絵や引き出物や教科書など。
「つぎくるのは2年後くらいがいいかな」

こんなふたりにも弱点がある。
これがまた、カナヅチなみにナンセンス。

ふたごの両親が、ふたご以上に食えない人物なのもよかった。
作品に安定感をあたえている。
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のんきなりゅう

「のんきなりゅう」(ケネス・グレアム 徳間書店 2006)読了。

訳は中川千尋。

立て続けに児童書を読む。
ケネス・グレアムは児童文学の古典「たのしい川べ」を書いたひと。
このひとの作品も読んだことがなかったので、新刊がでたのをいい機会だと読んでみる。

訳者あとがきによれば、この本はグレアムの文章そのままではないそう。
さし絵をかいたインガ・ムーアと出版社が、文章を刈り込んだ版の翻訳とのこと。

さて内容。
ある羊飼いの男の子が一匹の竜と出会う。

この竜のキャラクターがいい。
竜は文学趣味があり、あらそいごとはきらい。
のんきで、ものぐさ。
しかもお調子者。

「ご近所のかたもきみのように気さくなひとばかりだといいのだが」
なんてしゃべる。

しかし、なにしろ竜は目立つ。
村人の噂の種になり、ついに退治をしに聖ジョージがやってきて…

さし絵はすべてカラー。
絵は緻密だけれど、親しみがありユーモラス。

絵と文章のバランスがとてもいい。
「絵は原書のものをすべて生かしつつ、長めの文章がよみやすい縦組みの児童文学の体裁にしました」
と、訳者あとがきにあるけれど、その作業は報われたように思う。

物語はオフビートでとても楽しい。
ほとんどパロディだけれど、ちゃんと話がまとまっているところが好みだ。

なにごとも一面的でなく、それをひと筆でさらっと書いている手際がまたみごと。
あと、村人のあつかいが辛辣。
児童書にも皮肉を効かせるのがイギリス風というものだろうか。


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ブラッカムの爆撃機

「ブラッカムの爆撃機」(ロバート・ウェストール 岩波書店 2006)

宮崎駿/編。
訳は金原端人。

ウェストールは名高い児童文学作家だけれど、読んだことがなかった。
で、再刊されたのをいい機会だと読んでみる。

長めの短編がふたつと、エッセイがひとつ。
それをはさんで宮崎監督のマンガがついている。
最後に、ウェストールさんのパートナーだったリンディ・マッキネルさんによる、ウェストールの生涯の解説。

ふたつの短編は、どちらも戦時を舞台にしたゴースト・ストーリー。

まず表題作の「ブラッカムの爆撃機」
無線士ゲイリーが語り手。
パイロット養成学校を出たばかりの新米たちが、「親父」と呼ばれるベテラン・パイロットのもとドイツへの夜間爆撃に参加する。

機体はウェリントン爆撃機、通称ウィンピー。
布張りの飛行機で、ゲイリーいわく、「テントみたいなもんさ」。
逆さ飛行をすると簡易便所がふっとぶ。

ある爆撃からの帰路、味方のブラッカム機がドイツ軍機を撃墜する。
そこに居合わせたゲイリーたちは、インターカムから撃墜された乗組員の断末魔(と撃墜したブラッカム機の笑い声)を聞いてしまう。

その後、ブラッカム機に妙なことが…。

ラストのゲイリーの語りが切ない。
全文引用したいくらいだ。

もうひとつは「チャス・マッギルの幽霊」

戦争がはじまり、家族とある屋敷にいくことになったチャス少年。
チャスのとなりの部屋は、あかずの間のはずなのだが、夜には明かりがもれ、窓には人影が映る。

壁のくずれたところを広げて、となりの部屋にいってみると、そこには第一次大戦中の脱走兵が…。

両短編とも、ぱっとはじまり、ぱっと終わるというつくりではない。
小さいながらも門があり、何歩か歩いて玄関にたどり着くという感じ。

構成はどちらもストレート。
ディテールの押さえかた、エピソードの挿入、伏線などは、どれをとってもみごとなもの。
とくに伏線は、ディティールが自然と伏線に育っていったよう。
それくらい作品に溶けこんでいる。

それから宮崎マンガ。
とんでもなく絵がうまい。
あたりまえかもしれないが、何度おどろいてもいいほど。

マンガもゴースト・ストーリーになっているのは、短編とあわせたのだろうか。
いまは亡きウェストールさんと話をするのだけれど、遅れてきた軍国少年としての自身を投影しているようで、ほとんど分身と話をしているぐあいになっている。

マンガは物語を読む手引きとして、たいへん役立つもの。
でも、前後編にして短編をはさむ構成にしたことは判断がむつかしい。
マンガの印象ばかり強くなってしまうというひともいるだろうと思う。


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危険学のすすめ

「危険学のすすめ」(畑村洋太郎 講談社 2006)読了。

副題は「ドア・プロジェクトに学ぶ」
著者の畑村さんは失敗学の第一人者。

2004年3月26日――。
六本木ヒルズの森タワー正面玄関に設置されていた大型自動回転ドアに、6歳の男の子が頭をはさまれて死亡するという事故が起こった。

著者は有志をつのり、この事故の原因究明を独自にはじめる。
それがドア・プロジェクト。
活動期間は1年。
本書はその記録をまとめたもの。

まず実験。
ダミー人形をつかう。
ダミー人形をつかうのは、ただはさまれた衝撃を数値化するよりも、視覚的にインパクトが強いため。

その結果。
はさまれたときの力は560キログラム重。
スタッフいわく、「殺人機械とよばれてもおかしくはない」。

回転するドアの自重は2.7トン。
非常停止スイッチを押しても15~20センチほどうごいてしまう。

なんでこんなものがつくられることになったか。
回転ドアの発祥はヨーロッパ。
冬の寒さ対策のため、気密性の高い回転ドアが重宝された。

ところが日本に移入されると、ビル風流入をふせぐためとか、見栄えをよくするためにステンレスをつかうとかで、自重がどんどん増えていった。
その技術が、どういう経緯でつちかわれてきたかということに、まるで無頓着だった。

また、ヨーロッパには回転ドアの安全基準があったが、当時の日本にはなかった。
この事故を受けてできた。

プロジェクトはさらに、電車のドア、自動車のドア、学校のシャッターなど、さまざまなドアで実験をする。

さて。
著者はなぜ独自に事故の原因究明をはじめたのか?
この説明が、技術にうといこちらにはもっとも面白かった。

公的な事故調査委員会では、背後に検察が控えているため、真相究明に必要な情報が隠されてしまう。

それに事故調にはお役所仕事特有の厳密さがもとめられる。
だれもが納得できる無難な意見が採用された結果、なにがいいたいのかわからない報告書ができあがってしまう。

似たようなことは社内調査でも起こる。
だれもが承諾するかたちのものを客観的事実として結論づけてしまう。

これもみな、原因究明と責任追及を混同してしまう制度や風土のため。
そこで、ドア・プロジェクトという勝手連を立ち上げたのだと著者。

さらに、今回得られた知見から「危険学」という考えかたを提唱しているけれど、これは省略。

感心するのはプロジェクトに情報発信のスケジュールが組みこまれていること。
用意周到だ。

文章はじつに明快。
部品が気持ちよく組み合わさっているよう。
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レクトロ物語

「レクトロ物語」(ライナー・チムニク 福音館 2006)読了。

児童書。
福音館文庫の一冊。

チムニクは「クレーン男」を読んでひいきになった。
(読んだのは福武文庫のものだったけれど、現在手に入るのはパロル舎のもの)
絵と文章がきっちり組み合わさった作風で、「レクトロ物語」もそうだけれど、孤高感というか孤立感があって忘れがたい。

「レクトロ物語」は短編連作。
主人公のレクトロが、さまざまな職業につき、首になったりやめたりする。
話は幻想的、かつせちがらい。

面白いのは、最後まで読んでも、レクトロがどういうひとかわからないこと。
絵が、そのぶんを補っている。

作家のなかにはキャラクターや人間関係を書く気がないひとがいて、そっちのほうが読みやすくて好きなのだけど、これはあまり一般的じゃないだろうなあ。

「レクトロ物語」は期待通り。
とても面白かった。
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パスファインダー

「パスファインダーを作ろう」(石狩管内高等学校図書館司書業務担当者研究会 2006 学校図書館協議会)読了。

「最近目にするパスファインダーとはなんぞや?」
と、思い読んでみる。

本書は学校図書館入門シリーズの一冊。
こんなシリーズがあるとは知らなかった。
テキストっぽい、薄いぺらぺらの本。
表紙には、なぜかタヌキが本をさがしている絵が描かれている。

「パスファインダーとは「特定のトピック(主題)に関連する資料の探し方をまとめた1枚の印刷物で、インフォメーションガイド、トピカルガイドともよばれています」

なるほど。
要は、探しかたが書かれたチラシのことなんだ。

パスファインダーには、検索するさいのキーワードから、参考図書、新聞雑誌記事、URL、AV資料、施設紹介までも載せられている。

主題に対しての本のリストではないところがミソ。
大量にヒントを用意して、あとは自分でさがしてね、という姿勢。

学校のように、大勢を相手に一度に資料の探しかたを教える場合、こういうものが絶対必要なのだろう。

ひな型や作成例が載っているのが、なにも知らない身には助かる。

でもこれ、自分でつくるとなったら相当大変そうだなあ。
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六枚のとんかつ

「六枚のとんかつ」(蘇部健一 講談社 1997)読了。

くだらない小説がとても好き。
小説はくだらないものにかぎる。
で、ばかばかしいと名高いこの本を読んでみました。

推理小説の短編集。
保険調査員小野由一が、友人の推理作家古藤や、後輩の巨漢早乙女とともに難事件を解決したりしなかったりする。
ぜんたいに、謎と解決の距離が短くて、小説というより、クイズのよう。
読むのがラクでいい。

面白かったのは、駄洒落ネタの「音の気がかり」。
三段オチが楽しい「黄金」。
じつに労力をつぎ込んだ怪作「しおかぜ⑰号四十九分の壁」。

ほかに表題作や「「ジョン・ディスクン・カーを読んだ男」を読んだ男」も面白かった。
あと、エピローグも。

一編読み終わるたびに、なんともいえないほのぼのした気持ちになりました。

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私家版「ぐっとくる題名」

ぱっと思いついたのが、
「人類の星の時間」(シュテファン・ツヴァイク みすず書房 1996)。

偉人たちの運命的瞬間を描いた作品。
じつは読んだことがない。
でも、タイトルはカッコよくて忘れられない。

同じ本を、
「歴史の決定的瞬間」
と訳したものもある。
でも、これはどう考えても「人類の星の時間」でしょう。

ほかには、
「暗黒太陽の浮気娘」(シャーリン・マクラム 早川書房 1999)。

こんなタイトルなのに、SFではなくてミステリ。
あんまり素晴らしいタイトルなので、うっかり買ってしまった。
でも、まだ読んでいない。

忘れられないタイトルではこんなのも。
「恋の粗挽きネル・ドリップ」(斑鳩サハラ ビブロス 2001)。

これはボーイズ・ラブものだったと思う。
この手のタイトルには秀作が多いけれど、なかでもこれは脳裏から去らない。
すごいタイトル。
いや、べつにぐっときたわけじゃないですよ。

もうひとつ。
いま本棚をながめていたら目に入った。
「どうして僕はこんなところに」(ブルース・チャトウィン 角川書店 1999)。

人間生きてきてこれを思わないことがあろうか、という名タイトルだ。
中身はエッセイ集。じつに濃厚な内容で面白かった。

「ぐっとくる題名」探しを自分でやってみると楽しくてやめられない。
ブルボン小林さんは、タイトルを技法別に分けていたけれど、たとえばSF、時代劇、ミステリなどと、ジャンルベル別に分けても、また面白いかも。

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