2015年 ことしの一冊たち

1月

「泣き虫弱虫諸葛孔明」「ジャック・リッチーのあの手この手」
「泣き虫弱虫諸葛孔明 第4部」(酒見賢一/著 文芸春秋 2014)
「ジャック・リッチーのあの手この手」(ジャック・リッチー/著 小鷹信光/編・訳 早川書房 2013)

「エッフェル塔の潜水夫」(カミ/著  吉村正一郎/訳 講談社 1976)
岩波新書の「エッフェル塔ものがたり」(倉田保雄/著 岩波書店 1983)を読んでいたら、この「エッフェル塔の潜水夫」が紹介されていて驚いた。


2月

「ウィンダミア公爵夫人の扇」「愛の勝利・贋の侍女」「過去ある女」
「ワイルド全集 2巻」(西村考次/訳 青土社 1981)
「愛の勝利・贋の侍女」(マリヴォー/作 佐藤実枝/訳 井村順一/訳 岩波書店 2009)
「過去ある女」(レイモンド・チャンドラー/著 小鷹信光/訳 小学館 2014)
文学作品と映像作品をならべて鑑賞するのは楽しい。とくに戯曲は、映像に接していたほうがイメージをつかみやすい。そこで、シェイクスピアの、映像化された作品をみてから戯曲を読むということをして、ことしは楽しんだ。「夏の夜の夢」は、トルンカの人形アニメが一番出来映えがよい気がするのだけれど、どんなものだろう。また、ケネス・ブラナー監督の「恋の骨折り損」をみていたら、登場人物が突然、踊りだすのでびっくりした。ミュージカルだとは知らずにみていたのだった。さらにまた、12月に読んだエドマンド・クリスピンの「愛は血を流して横たわる」は、シェイクスピアの未発見戯曲をめぐる物語だった。

「賢人ナータン」(レッシング/著 篠田英雄/訳 1978)
ことしはフランスでテロが起きた。今後、どこかで宗教上のあらそいが起こるたびに、「賢人ナータン」のことを思いだすだろう。


3月

「わが夢の女」(M・ボンテンペルリ/著 岩崎純孝/〔ほか〕訳 筑摩書房 1988)
わが夢の女(承前)
どれか1作選べといわれたら、「細心奇譚」だろうか。奇妙でばかばかしい傑作。


4月

「消せない炎」(ジャック・ヒギンズ/作 ジャスティン・リチャーズ/作 田口俊樹/訳 理論社 2008)
ジャック・ヒギンズが児童書を書いているのでびっくりした。でも、内容はいつもとたいして変わらない。「手元にあるヒギンズ作品をぜんぶ読む」計画は、ことし中には終わらなかった。来年にもちこし。

「米国人一家、おいしい東京を食べ尽くす」(マシュー・アムスター=バートン/著 関根光宏/訳  エクスナレッジ 2014)
ことしは、外国人による日本見聞記ブームがきた。というよりも、もともと好きでよく読んでいた。この本は、幸福感があるのが素晴らしい。


5月

「英国一家、日本を食べる」(マイケル・ブース/著 寺西のぶ子/訳 亜紀書房 2013)
よく取材し、かつ取材したことを簡潔に、ユーモラスに記す。評判になっただけあって、とても面白かった。唯一の欠点は、読んでいるとお腹がすいてくるということだろうか。

「英国一家、ますます日本を食べる」(マイケル・ブース/著 寺西のぶ子/訳 亜紀書房 2014)
この後、同著者による、「英国一家、フランスを食べる」(マイケル・ブース/著 櫻井祐子/訳  飛鳥新社 2015)が出版されたが、まだ読んでいない。「日本を食べる」はよく売れたようだけれど、「フランスを食べる」のほうはどうだったのだろう。「日本を食べる」の100分の1くらいは売れたのだろうか。


6月

「トーキョー・シスターズ」(ラファエル・ショエル/著 ジュリー・ロヴェロ・カレズ/著 松本百合子/訳  小学館 2011)
フランス女子によるニッポン女子見聞記。日本人が読んで「ほんとかなあ」と思うような記述にぶつかるのも、外国人による日本見聞記を読んでいて面白いところだ。ことし、「北欧女子オーサが見つけた日本の不思議」(オーサ・イェークストロム/著 KADOKAWA 2015)というコミックエッセイが出版されたので読んでみた。作者はスウェーデン女子。内容も面白かったけれど、それ以上に、作者が日本マンガの文法を完全につかいこなしていることに、とても驚いた。

「ニッポン縦断歩き旅」「四国八十八か所ガイジン夏遍路」
「ニッポン縦断歩き旅」(クレイグ・マクラクラン/著 橋本恵/訳 小学館 1998)
「四国八十八か所 ガイジン夏遍路」(クレイグ・マクラクラン/著 橋本恵/訳 小学館 2000)


7月

「ニッポン百名山よじ登り」「西国三十三か所ガイジン巡礼珍道中」
「ニッポン百名山よじ登り」>(クレイグ・マクラクラン/著 橋本恵/訳 小学館 1999)
「西国三十三か所ガイジン巡礼珍道中」>(クレイグ・マクラクラン/著 橋本恵/訳 小学館 2003)
クレイグ・マクラクランさんの本、4冊。どれもみんな面白かったけれど、なかでも「西国三十三か所ガイジン巡礼珍道中」がよかった。相棒の「芭蕉」とのかけあいが楽しい。それにしても、外国人は日本のことをたくさん教えてくれる。

「Japanレポート3.11」(ユディット・ブランドナー/著 ブランドル・紀子/訳 未知谷 2012)
本書は、東日本大震災の被災地を題材としたルポルタージュ。いままで紹介してきた日本見聞記とは、いささか内容が異なる。ことし出版された続編、「フクシマ2013 Japanレポート3.11」も読んだ。前編で登場したときは元気だったひとが消沈しているのは、痛ましいかぎりだ。

外国人による日本見聞記としては、ほかに「みどりの国滞在日記 」(エリック・ファーユ/著 三野博司/訳 水声社 2014)を読んだ。著者はフランス人。さっぱりとした、涼しげな文章で書かれている。この本もルポルタージュ的だ。

外国人が書いたエセーでは、「負け組ジョシュアのガチンコ5番勝負!」(ジョシュア・デイビス/著 酒井泰介/訳 早川書房 2006)が面白かった。安月給のデータ入力係として、くすぶった暮らしをしていた著者は一念発起、腕相撲、闘牛士、相撲、背面走行(後ろ向きにはしること)、サウナ耐久コンテストという、ちょっとばかり奇妙な競技に挑戦する。あちこちに、思いがけなく日本人の姿があらわれるのが、日本人としては面白い。相撲の章では、武蔵丸が登場する。最後のサウナ耐久コンテストは、家族で挑戦。切実かつユーモラスな、心温まるエセーだった。


8月

「長すぎる夏休み」(ポリー・ホーヴァート/著 目黒条/訳 早川書房 2006)
わざわざ、ものごとを劇的にしないように書かれた児童書。洗練されているといえるかもしれない。

「かかし」(ロバート・ウェストール/作 金原瑞人/訳  徳間書店 2003)
この本には驚いた。児童書の範疇を超えた児童書というのがときどきあるけれど、これはそんな一冊だった。

9月

「木の中の魔法使い」(ロイド・アリグザンダー/著 神宮輝夫/訳  評論社 1977)
ロイド・アリグザンダーの作品は、もっと面白いはずだと思いたい。いずれ、ほかの作品も読んでみよう。

「悪魔の舗道」(ユベール・モンテイエ 早川書房 1969)
前半はすごく面白かったんだけどなあ。


10月

「かかしのトーマス」(オトフリート・プロイスラー/作 ヘルベルト・ホルツィング/絵 吉田孝夫/訳 さ・え・ら書房 2012)
プロイスラーも、もっと読んでみなくては。

「幽霊たち」(ポール・オースター/著 柴田元幸/訳  新潮社 1995)
ここから、ポール・オースターがブームとなるが、すぐしぼむ。でも、「幽霊たち」はとてもよかった。


11月

「闇の中の男」(ポール・オースター/著 柴田元幸/訳 新潮社 2014)
納得がいかないなあ。

「ミスター・ヴァーティゴ」(ポール・オースター/〔著〕 柴田元幸/訳  新潮社 2001)
巧みな語り口で、最後までファンタジーを維持する、その剛腕に感服。空を飛ぶ少年の話としては、ロアルド・ダールの「ヘンリー・シュガーのわくわくする話」におさめられた「白鳥」を思い出す。また、アメリカの黒人民話をあつめた「人間だって空を飛べる」(ヴァージニア・ハミルトン/語り・編 ディロン夫妻/絵 ディロン夫妻/絵 金関寿夫/訳  福音館書店 1989)の表題作を思い出す。みな、虐げられた者が空を飛ぶ話だ。


12月

「愛は血を流して横たわる」(エドマンド・クリスピン/著 滝口達也/訳 東京創元社 2010)
ことしはエドマンド・クリスピンの本をもう1冊読んだ。「列車に御用心」(エドマンド・クリスピン/著 冨田ひろみ/訳 論創社 2013)。この本は短編集。面白かったけれど、「苦悩するハンブルビー」という話がよくわからなかった。

以上。
あと、ことしの最後にうれしい出版物が2冊あったので書いておきたい。

1冊は、「チューリップ」(ダシール・ハメット/著 小鷹信光/編訳解説 草思社 2015)。
本書は、ハメットが書いた中短編をあつめたもの。
まさか、「チューリップ」が本になるとは。
雑誌に訳出されたとき読んだけれど、この分量では本にならないだろうと思っていたから、この刊行はうれしくてならない。
とはいうものの、一体だれがこの本を読むのだろうという気もする。
熱心なハメットの読者以外、手にとるひとはいないのではないか。
にもかかわらず刊行してくれたとしたら、ありがたいことだ。

もう1冊は、「12人の蒐集家/ティーショップ」(ゾラン・ジヴコヴィッチ/著 山田順子/訳 東京創元社 2015)。
ゾラン・ジヴコヴィッチはセルビアのひと。
以前、「ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語」(ゾラン・ジフコヴィッチ/著 山田 順子/訳 黒田藩プレス 2010)を、kazuouさんのサイトで教えてもらい、読んでみたところ、その豊かな奇想に満ちた作品に感激した。
今回の本は、本邦初訳である連作集「12人の蒐集家」に、「…不思議な物語」所収の「ティーショップ」を再録したもの。
ゾラン・ジヴコヴィッチの本がまた読めるなんて思ってもみなかった。
本当にうれしい。

来年も、面白い本に出会えることを祈りつつ。
では、皆様よいお年を――。


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愛は血を流して横たわる

「愛は血を流して横たわる」(エドマンド・クリスピン/著 滝口達也/訳 東京創元社 2010)
原書の刊行は1948年。

古本屋でこの本をみつけたときはうれしかった。
勇んで買って、家に帰った。
ページを開いたそのとき、本棚の片隅が目に入った。
同じタイトルの本がそこにある。
またもや、2冊目の本を買ってしまったのだった。

今回買ってきたのは、文庫本。
本棚にあったのは、この文庫本の元になった、1995年に国書刊行会から出版された単行本のほうだ。

せっかくだから、2つの本をくらべてみよう。
訳者あとがきの内容は、まあ同じ。
が、あとがきの末尾につけられた、《この翻訳書は、小池滋先生にあまりにも多くのものを負っている。》うんぬんといった謝辞は、文庫版ではすっかり姿を消している。
国書刊行会編集部藤原氏への謝辞もなくなっているけれど、これは版元が変わったのだから仕方がないだろうか。

単行本の解説は、小林晋さん。
文庫版の解説は、宮脇孝雄さん。
どちらも、クリスピンの経歴、作品、作風について、わかりやすく記している。
単行本版では、クリスピンの全長編についての解題がついているところが、マニアック。

文庫版の解説では、宮脇さんが、クリスピンの長いブランクについてこう説明している。
黄金時代のミステリが時代遅れになり、リアルな犯罪小説が好まれるようになったとき、クリスピンはその時流に乗り切れなかった。
もしくは乗る気がなかった。
長いブランクが生まれたのはそのせいではないか。

それから、本編では、主人公のフェン教授が自分を呼ぶときの人称がちがっている。
単行本では、「おれ」だが、文庫では「ぼく」だ。

さて。
2冊目を買ってしまったのは、前に買ったとき、読まないで本棚に突っこんでしまったからだ。
そこで、3冊目を買わないよう、今回はちゃんと読むことに。
さらにメモもとっておこう。

本書は、3人称多視点。
主人公は、クリスピンが創造した名探偵、オックスフォード大学の英文学教授である、ジャーヴァス・フェン。
主人公はフェン教授だけれど、語り手はフェンに密着してはいない。
少し、登場人物から浮いている。
この距離感が、皮肉やユーモアを生み、「笑劇ミステリ」と呼ばれるクリスピンの作風を決定している。

舞台は、カスタヴェンフォード校と、その界隈。
終業式を翌日にひかえてた校長のもとに、カスタヴェンフォード女子高校長、パリィ先生がやってくる。
終業式では、女子高と合同で演劇を上演することが、カスタヴェンフォード校のならわし。
ことしの演目は、「ヘンリー5世」。
その芝居でキャサリン役を演じることになっている、ブレンダ・ボイスという娘の様子が変だ――というのが、パリィ先生が校長を訪ねてきた理由。

芝居の稽古をきっかけに、男女の生徒が妙なことになったのではないか。
しかし、ブレンダは奔放な娘なので、たとえ青少年の性的行動の実際例にでくわしても、そう動揺するはずがないと、パリィ先生。
校内で、なにかそれ以上の不都合が起こったのではないか。
校長は、ともかく調査してみると返答。

ちなみに、今年の終業式の賞品授与は、知人のオックスフォード大学の英語英文学教授に頼んだと、今後登場するフェンについて、校長は抜かりなく触れている。
また、観察力と皮肉に富んだクリスピンの文章の例として、パリィ先生についての描写を引用しておこう。

《机の向うから見つめる校長は、いかにもみじめであった。彼は常々、パリィ先生の有能さに辟易させられていた。歯に衣着せない、怖いもの知らずの、有能な中年女性、こういう人種はイギリス上流ブルジョア階級に特有のもので、チャリティー・バザーをひらいたり、病人や生活保護者を見舞ったり、経験の浅い家政婦を仕込んだり、なにか恨みでもあるように庭仕事をしまくったりする。この手の女性あいてのときは、いわば威風堂々、潔く、後塵を拝するにかぎる。》

学校という舞台は、登場人物を手際よく紹介していくのに、じつに便利な場所だ。
校長はすぐ、芝居の監督をしているマシーソン先生を訪ねる。
それから、ヘンリー5世役をつとめる、6年級のウィリアムズを呼びだす。
ウィリアムズは、その晩、芝居の稽古が終わったあと、理科校舎でブレンダと待ちあわせしていたことを告白。
が、待ちあわせ場所にいこうとしたところ、パージントン先生にみつかり、連れもどされてしまったと、ウィリアムズはいう。

そこに、別件の苦情が校長に舞いこむ。
苦情の主は、化学教師のフィルポッツ。
化学実験室の戸棚がこじ開けられ、何者かが酸を盗んでいったという。
いろいろ考えたすえ、校長はしかたなく警察に電話。
スタッグ警視にきてもらうことに。

こんな状況のなか、フェンがカスタヴェンフォード校に到着。
その後、事態は急変。
奔放な娘ブレンダは、駆け落ちを思わせる手紙を残して消えてしまう。
加えて、殺人事件が発生する。
それも、2件も。

1件目の被害者は、古典と歴史の教師、アンドルー・ラヴ。
厳格で、どんな些細なこともゆるがせにしないという人物。

もう1人の被害者は、英文学教師マイケル・サマーズ。
ラヴの愛弟子といえる人物だった。

サマーズが殺されたのは、ハバート校舎にある教員控室。
ここで、通知表をつけている最中に殺されたよう。
おかしいのは、この暑いのに電熱器のスイッチが入っていたこと。
また、腕時計の位置がおかしい。
いつもサマーズは手首の内側につけるのに、外側についている。

死因は射殺。
38口径の拳銃で撃たれている。
学校には、軍事教練用の兵器倉庫があり、そこにサマーズが軍隊にいたときに、フランスかドイツのどこかで拾ってきたサイレンサーがしまってあった。
事件には、倉庫の拳銃と、そのサイレンサーがつかわれたのかもしれない。

一方、アンドルー・ラヴが殺されたのは、自宅の書斎。
死因はやはり、38口径の拳銃で頭を撃ち抜かれたこと。
ラヴの生活習慣は時計のように正確だったので、それを知っていれば殺すのは容易だっただろう。

その後、調査が進み、兵器倉庫からコルト一挺とサイレンサーが消えていることが判明。
凶器は特定できたとして、一体だれが、なんのために。

「なんのために」は、思いがけない方角からあらわれる。
ちょうど作品のなかばのこのあたりで、突然視点は学校をはなれる。
そして、ロンドン保険会社事務員、ピーター・プラステッドなる人物に焦点があてられる。
夏季休暇中、2週間の徒歩旅行を楽しんでいたプラステッドは、ある古い田舎家を見物していたところ、その家のなかから短い叫び声があがったのを聞いた。
そこで、家に入ってみると、老女の死体が。
さらに、プラステッド自身は、何者かに後頭部を強打され失神してしまう。

しばらくして、意識を回復したプラムテッドは、近所の家を訪ね、そこから警察に連絡。
こうして、フェンとスタッグ警視は、第3の現場におもむく。

殺人が3件に、失踪が1件、加えて酸とサイレンサーの窃盗が2件。
もちろん、すべてはつながっていて、それが最後明らかに。

本書の登場人物は20名ほど(プラス、メリソートという名前の犬が一匹)。
戯画化しながら、全員を書き分ける、クリスピンの手腕はたいしたもの。

さきほど、文章の例として、パリィ先生についての描写を引用したけれど、本書の文章の魅力はそればかりではない。
戯画化しながらも感動的という、不思議な性質の文章をクリスピンはあやつる。
ちょっと長くなるけれど、事件と同時進行でえがかれる、終業式についての描写をみてみよう。

《右にも左にも親がいる――鼠みたちにこそこそした親、喧嘩早そうな親、偉そうにした親、もったいぶった親、おとなしい親、はしゃいでいる親、その親の集団が、光輝く磁器のような空のもと、群れが群れを呼ぶようにして膨れあがっていく――いったい何のために? 校長は不思議に思った。(終業式を)愉快に思っている親なんかいないはずだ。ましてやその倅(せがれ)どもがたのしいはずはなかろう。それなのに、そこには不思議な、血を沸き立たせずにはおかない何かがあって、校長でさえ、この光景を目の当たりにしては、まったくの無感動ではいられなかった。》

こういう文章を読めるのが、本書の愉しいところだ。

名探偵役のフェン教授は、推理の途中経過を口にしない。
ひとり合点ばかりしていて、真相を明かすのは最後までとっておく。
それまでは、犯人を「あの男」というばかりなので、読んでいてずいぶんやきもきさせられる。

このあと、フェン教授は、犯人にたいし罠をかける。
失踪した娘をさがしに、娘の友人とともに森に入り、そこで九死に一生を得る思いをする(このとき犬のメリソートが大活躍する)。
最後はドタバタのカーチェイス。

カーチェイスは捧腹絶倒のドタバタぶりなのだけれど、解説によれば本書は、以前のクリスピン作品よりも、ドタバタぶりは大人しくなっているそう。
本書以前に書かれた、クリスピンの代表作である「消えた玩具屋」(エドマンド・クリスピン/著 大久保康雄/訳 早川書房 1978)のドタバタぶりは、どうだっただろうか。
読んだのはだいぶ前のことなので、すっかり忘れてしまった。
こんど、本棚から引っ張りだして読み返してみよう。
たしか、「消えた玩具屋」も2冊もっていたはずだ……。



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