漫画 吾輩は猫である

心理学者の河合隼雄と、詩人の長田弘が、子どもの本について語りあった、「子どもの本の森へ」(岩波書店 1998)という本がある。
その本のなかに、以下のような一節がある。

長田 (…)夏目漱石の『吾輩は猫である』というのも、ぼくにとっては二つあるんです。一つは、もちろん夏目漱石の『吾輩は猫である』で、「吾輩は猫である。名前はまだない」という有名な一行から始まる。もう一つは、昭和の初めの新潮文庫ででた近藤浩一路(畫)という『漫画吾輩は猫である』で、その始まりは「吾輩は猫である。名前は無い」。漫画のうほうは「まだ」がないんです。

河合 持っておられるんですか?

長田 はい。右頁は全頁、簡潔で、無駄のまったくない要約が十行くらい。この要約が何ともいえず傑作なんです。左頁は全頁、線画で、ユニークきわまりない漫画だけ。「まだ」という未練のない、その漫画版の書き出しが、ぼくは大好きですね(笑)。》

このくだりを読んだとき、ぜひ「漫画 吾輩は猫である」を読んでみたいと思った。
それから、月日は流れて、ことし岩波文庫からこの本が出版された。
ことしは漱石生誕150周年だそうだから、それに合わせたものだろう。
長らく読めなかった本が読めるのは、なんともうれしいことだ。

「漫画 吾輩は猫である」を手にとってまずしたのは、長田さんの指摘の確認。
たしかに「まだ」は省かれている。
そして、右ページに簡潔きわまりない要約があり、左ページにユニークな漫画が描かれている。
漫画とはいうけれど、コマ割りはされていない。
滑稽なイラストといった風。

もともと「吾輩は猫である」は、漫文調というか戯文調で書かれている。
だから、漫画と相性がいいのかもしれない。
それにしても、全編1ページに収まる要約をつくり、イラストをつけるというのは、なかなか大変だったのではないか。

《たしかに読みやすい。が、これは翻案というべきだろう。当然著作権者の許諾が必要だが、当時そんなことがあったかどうか怪しい》

とは、巻末の夏目房之介さんによる解説。
漱石の孫にして、漫画研究者の夏目房之介さんは、この本の解説者としてまさに適任だ。
ふたたび解説によれば、「漫画 吾輩は猫である」は、1919(大正8)年、新潮社より、文庫サイズのハードカバーで刊行されたとのこと。
昭和のはじめではなかった。

そして、原本の表紙にも奥付にも、漱石の名前は載っていないという。
あるのは、近藤浩一路の名前だけ。
これはまた、じつに神経が太い。
今回の岩波文庫版もそれを踏襲してか、漱石の名は、表紙・奥付ともに記されていない。

「漫画 吾輩は猫である」の〈吾輩〉は、白ネコとして描かれている。
これは少々以外だった。
〈吾輩〉は勝手に黒ネコだと思っていた。
でも、俥屋の黒は黒ネコだから、絵にするなら黒ネコ以外がいいだろう。
黒ネコだと思っていたのは、「『坊っちゃん』の時代」(関川夏央/著 谷口ジロー/著 双葉社)の印象が強かったせいかもしれない。

「吾輩は猫である」は、全編通して読んだことがない。
読めば、〈吾輩〉の容姿に触れた箇所があるのだろうか。
黒ネコが駄目なら、〈吾輩〉は三毛猫にちがいないと、また勝手に考えているのだけれど。

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鷲は飛び立った

「鷲は飛び立った」(ジャック・ヒギンズ/著 菊池光/訳 早川書房 1997)
原題は“The Eagle Has Fiown”
原書の刊行は1991年。

本書は「鷲が舞い降りた」の続編。
また、ドゥガル・マンロゥ准将がシリーズ・キャラクターとして登場する、第2次大戦秘話ものの一作。
さらに、解説によれば、ヒギンズの長編50作目に当たるとのこと。

香山二三郎さんは、この解説でヒギンズのインタビューを紹介している。
そのインタビューによれば、ヒギンズは50作目の作品を特別なものにしたいと考えていた。
アイデアを得たのはロンドン塔を訪れたとき。
衛士のひとりから、ロンドン塔に収容されていたドイツ軍捕虜についての話を聞いたこと。
では、ストーリーをうごかすための触媒としてのドイツ軍捕虜を、どんな人物にするか。
ここで、「鷲は舞い降りた」に登場した、クルト・シュタイナ中佐のことが閃いた。
シュタイナ中佐は「鷲は舞い降りた」で死亡したけれど、それにこだわることはない。

《狼男は映画のたびにラストではっきりと殺されるにもかかわらず、かならず次の映画に現れる。シャーロック・ホームズは読者の要望に応えて生還した。ならば、シュタイナだっていいではないか》

かくして、本書は書かれることに。

物語は、1975年のロンドンから。
登場するのは、「鷲が舞い降りた」で成功をおさめた〈私〉――ヒギンズ自身。
〈私〉はルース・コーエンという若い女性の訪問を受ける。
コーエンは、ハーヴァード大の学生。
ロンドン大学で博士課程修了後の研究をしていたところ。
コーエンは〈私〉に、クルト・シュタイナは教会墓地に埋められてはいないと告げる。

コーエンがそういう根拠はなにか。
公立記録保管所で、偶然100年間非公開に当たる文書を手に入れた。
文書はコピーをとり、元のほうは保管所に返却した。
そのコピーを、コーエンは〈私〉にみせる。

ヒギンズのもとを去ったコーエンは、すぐ車にひかれて死んでしまう。
巡査に乞われ、〈私〉は死体置き場におもむきコーエンンを確認。
家にもどると、コーヒーテーブルに置いておいた例のコピーが消えている。

コーエンは死に、ファイルは保管所にもどり、唯一のコピーは回収された。
しかし、あの内容を立証しなければならないと、〈私〉は決意。
まだ、内容を裏付けできる人物がひとり残っている。

〈私〉は、ロンドンにおけるIRAの政治活動面を担う、シン・フェイン党の男を訪ねる。
これから、ヒースロゥ空港にいき、ベルファストのユーロパ・ホテルに泊まる。
リーアム・デヴリンに連絡してくれ。
かれにぜひとも会う必要がある。

ベルファストのユーロパ・ホテルで待っていると、タクシーがきていると連絡が。
タクシーに乗ると、カトリック地区の教会に連れていかれる。
ヒギンズが子ども時代をすごしたという地区。
女性の運転手にいわれたとおり、教会の告解室に入ると、デヴリンがあらわれる。

「鷲が舞い降りた」で活躍したデヴリンは、いまや67歳。
2人は聖具室で再会を祝う。
あのコピーの話は事実なのかとたずねる〈私〉に、デヴリンは話はじめる――。

というわけで、プロローグは終了。
以下、本編に。

1943年のロンドン。
ドゥガル・マンロゥ准将と、副官のジャック・カーターは、「鷲は舞い降りた」以後の状況について確認。
この2人の会話のおかげで、前作を知らないひとにも状況が飲みこめる。

「鷲は舞い降りた」でおこなわれたチャーチル誘拐作戦を指示したのはヒムラーだった。
ヒムラーは、カナリス提督にも、総統にも知らせず全計画を実行した。
だから、この失敗した作戦のことをヒムラーは公にしたくないはずだ。

また英国も、ドイツの落下傘部隊員が、英国の田舎でアメリカのレインジャー部隊と交戦したなどという話は広げたくない。

デヴリンはオランダの病院に入院したあと、そこを抜け出し、現在はリスボンにいる。
大使館付き武官アーサー・フリア少佐が、リスボンのデヴリン監視に当たっている。
そして、シュタイナ中佐はロンドン塔に収容されている。

マンロゥ准将は、スペイン大使館付き商務官、ホセ・バルガスを通じ、シュタイナ中佐がロンドン塔にいると、カナリスとヒムラーの双方に情報が届くよう指示。
バルガスには、ベルリンのスペイン大使館付き商務官をしているファン・リベラといういとこがいる。
外交郵袋をつかって連絡をとりあい、金を多くだすほうにつく。

マンロゥ准将の指示はドイツに波紋をひろげる。
ヒムラーに呼ばれたヴァルター・シェレンベルグ少将は、ヴェヴェルスブルグ城へ。
シェレンベルグ少将は、第三帝国をお粗末な喜劇とみている人物。
「もはやメリーゴーラウンドから降りるのには遅すぎるよ、ヴァルター、もう降りることはできない」
などと、自分にいいきかせている。
シェレンベルグ少将は、「ウィンザー公掠奪」にも登場しているらしいけれど、これは未読。

さて、ヒムラーはシェレンベルグ少将に、「鷲作戦」の顛末について説明。
その上で、シュタイナ中佐を救いだすよう命令を下す。

「彼はドイツ帝国の英雄、真の英雄だ。イギリス人に捕えられたまま放っておく訳にはいかない」

しかもヒムラーは、その仕事をする人物にリーアム・デヴリンを指定する。

また、4週間後、総統はノルマンディの海辺の城、ベル・イルへいく。
そこで、ロンメル元帥をB軍団司令官として正式に任命する予定。
それにより、ロンメル元帥は大西洋沿岸防衛の全責任を負うことに。
この会議で、シュタイナ中佐を総統に引きあわせたいと、ヒムラー。
つまり、シュタイナ中佐を救出する猶予は4週間しかない。

なぜこうまで、シュタイナ中佐を奪回することが重要なのか。
シェレンベルグ少将はいまひとつ腑に落ちない。

ともかく、シェレンベルグ少将は、ファン・リベラに会い、いとこから可能な限り情報を入手するよう指示。
また、シェレンベルグ少将はカナリス提督にも会う。
カナリス提督も、この戦争は負けだと思っているひとり。
そもそも鷲作戦は、総統の思いつきだった。
いつものように、2、3日たてば忘れるだろうと思い、カナリス提督は放っておいた。
現に総統はすっかり忘れたのだが、ヒムラーはおぼえていて、カナリス提督に恥をかかせるために鷲作戦を実行に移したのだった。

その後いろいろあって。
シェレンベルグ少将は、リスボンの酒場でデヴリンと接触。
デヴリンは仕事を引き受け、シュタイナ中佐を救出するためイギリスへの潜入を計画する。

このことは、すぐにマンロゥ准将の耳に入る。
そこで、シュタイナ中佐をセント・メリイ小修道院に移すことに。
そして、その情報をドイツ側に流し、救出しにきたデヴリンと、その協力者を一網打尽にすることをたくらむのだが――。

各国を股にかけたスピーディーな展開は、のちのショーン・ディロンを主人公とした作品群をほうふつとさせる。
デヴリンの斜にかまえた言動は、ディロンそっくりだ。
また、マンロゥ准将は、ファーガスン准将と同一人物のようにみえる。

じつは、デヴリンはシェレンベルグ少将の申し出をすぐには受け入れない。
考える時間が必要だし、クリスマスに友人の闘牛牧場にいく約束があるので3日後にもどってくるとこたえる。
しかし時間がないという少将を、デヴリンはなだめる。

「気を取り直せよ、ヴァルター、リスボンでのクリスマスだろう? 照明、音楽、美女たち。しかも、今のこの瞬間、ベルリンでは灯火管制をしていて、きっと雪が降っているにちがいない。あんたはどっちがいいんだ?」

こういわれて、シェレンベルグ少将は大笑い。
そして3日後、デヴリンは少将の申し出を引き受ける。
この一連の場面は気に入っている。
なんとも余裕のあるえがきかただ。
こういう場面が、本書には随所にある。

シュタイナ大佐救出のさい、デヴリンはドイツ側の情報源であるバルガスとは接触しないことにする。
「バルガスがこちら側の人間だ、という前提に基づいて計画をたて、おれが行ったらそうではなかった、ということになると、おれはまるで馬鹿者の見本になってしまう」

そこで、デヴリンのIRA関係の個人的なつてを頼ることに。
イギリスへは、まずアイルランドにパラシュート降下。
国境を越えてアルスターに入り、ベルファストへ。
そこから船で、ランカシャーのヘイシャムいき、さらにロンドンへ。
メーキャップで容姿を変え、イギリス市民に化ける。
シュタイナ大佐を救出したあとは、協力者のもとへ逃亡し、迎えにきた飛行機で脱出。
が、もちろん、ものごとは予定通りにははこばない。

最後には、なぜヒムラーがシェレンベルグ少将にこんな命令をだしたのか、その理由が明かされる。
また、この事件が100年間の非公開となった理由も。
「あのときはいい考えのように思えたのだが」とヒギンズにいうデヴリンのことばには余韻がある。

いつものことだけれど、生頼範義さんの表紙がまた素晴らしい。
これしかないという瞬間をえがいた、見事な挿画だ。


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