「ニッポン縦断歩き旅」「四国八十八か所ガイジン夏遍路」

今回も、外国人による日本探訪記。
著者、クレイグ・マクラクランさんの著書は4冊。

「ニッポン縦断歩き旅」1998(1996)
「四国八十八か所 ガイジン夏遍路」2000(1997)
「ニッポン百名山よじ登り」1999(1998)
「西国三十三か所ガイジン巡礼珍道中」2003

いずれも、出版は小学館。
訳は、橋本恵。
カッコ内の数字は、原書の刊行年。
「珍道中」については未確認。

クレイグさんは、ニュージーランドのひと。
滞日経験が長く、日本語が堪能。
奥さんは日本人。
カバー袖の著者紹介によれば、現在(といっても出版当時)、クイーンズタウンに在住。
トレッキングガイドをしているとのこと。

というわけで、著者はよく日本の社会風俗に慣れ親しんでいる。
だから、日本を訪問したばかりの外国人のように、日本のことがなにもかも新鮮にみえるというようなことはない。
ましてや、なんでもかんでも一般化したりしない。
外国人が、一般化した日本を礼賛するような本を読みたい向きには、本書はものたりないかもしれない。
また、ものごとを一般化するさいに生じるゆがみを楽しみたいひとも同様。

では、本書にはなにが書いてあるのか。
どこそこを歩いて、どこそこに泊まり、なにを食べ、だれに会った――ということが、ずっと書いてある。
つまり、愉快な調子で書かれた移動の記録。
そんなものが面白いのかといわれると、とても面白い。
だいたい、移動の話というのはそれだけで面白い。
ものをつくる話と、移動する話には、まずはずれがないものだ。

ただ、日本人としては読んで面白いけれど、英語圏のひとはこの本を読んで面白いのだろうか。
もう少し、日本社会を一般化して解説するような文章があったほうが、日本を知らない読者にとっては親切ではないだろうか。
そんな、よけいな気をまわしてしまう。

では、一冊ずつみていこう。
「ニッポン縦断歩き旅」
まえがきによれば、著者は1977年に日本を縦断したイギリス人、アラン・ブースの「佐多への旅」を、今回の旅の手本としたとのこと。
(ちなみに、「佐多への旅」の日本語訳は、「ニッポン縦断日記」(柴田京子/訳 東京書籍 1988)ではないかと思う。これは未読。同じ著者の「津軽」(柴田京子/訳 新潮社 1995)は以前読んだことがある。これもまた移動の記録。ちょっと憂いが効いていたように記憶している)

1993年5月20日。
著者は九州の南端、佐多岬を出発。
日本海側を北上していき、99日目、宗谷岬に到着。

著者は大柄な白人男性なものだから、地方を歩いているとたいそう目立つ。
しばしば、子どもたちにまとわりつかれる。
どこにいってもアメリカ人とまちがえられる。
よくひとから食べものをもらう。
車に乗らないかという誘いは、目的を話して断る。

旅の途中、じつにさまざまなひとたちに会う。
しかし、なにしろ旅の途中なので、そのひとたちがどういうひとたちで、その後どうなったということは皆目わからない。
ただすれちがうばかりで、それが余韻を残す。

たとえば、熊本から宮崎のおばあちゃんのところまでいくという、自転車の少年。
会った時点で、宮崎は120キロ先だ。
少年はぶじおばあちゃんのところにいけただろうか。
もちろん、その後のことはわからない。

著者の旅はいきあたりばったり。
事前に宿の手配をしたりしない。
そのため、その日の食事、風呂、寝床の確保がなによりも大切になる。
あるときはテントを張って野宿し、あるときは民宿に泊まり、あるときはゆきずりのひとの好意により、そのひとの家に泊めてもらったりする。

鹿児島で民宿に泊まろうとしたときは、そこの94歳になるおばあちゃんの話すことばがわからなかった。
ヘルパーの女性が通訳してくれるが、著者のいうことも、ヘルパーさんが通訳しておばあちゃんに伝えるのをみて、著者は仰天する。

鹿児島から宮崎に入ったところで、温泉に入る。
すると、一緒に温泉につかっていた年配者に声をかけられる。

《「鹿児島弁わかった? 宮崎にきてほっとしただろう。ここなら、日本語がまともだからねえ」》

島根の醸造所を訪れたときは、日本語がわからないふりをして、味見コーナーでワインを堪能。
ここに、著者にしてはめずらしく、日本人の「外人恐怖症」についての解説めいた文章があるので引用したい。

《最初は誰も、話しかけてくれない。誰かに日本語で話しかけてはじめて、見るからにほっとした様子で、恐怖症の垣根が取り除かれ、ごく普通の人間として扱ってもらえるようになる》

《レストランに入るときには、天気について二言三言いえば、たいていはうまくいく。もっとも、バックパックを背負った、背の高い半ズボン姿の外人が、田舎の小さな食堂にやってくるとは、誰も予想していないにちがいない》

《のちに梅雨入りしてからは、宿探しで「外人恐怖症」にはずいぶん泣かされたが、そのころはもう慣れていて、苦労の種の一つと見なせるようになっていた》

米子駅近くのビジネスホテルに泊まったとき。
朝食の席に浴衣姿でいったところ、ほかの客はスーツにネクタイ。
「外人が浴衣を着ている」と苦笑する。

《「そっちこそ、日本人のくせにスーツを着ているじゃないか」と内心毒づきながら、わたしも笑い返した。》

高山のあるお寺に泊まったときのこと。
朝食にゆで卵がでた。
外人は生卵が苦手だと思い、ゆでてくれたのだ。
でも、著者は生卵も食べられる。

《親切のつもりで卵をゆでてくれたのだろうが、わたしは特別扱いされることに、いい加減うんざりしていた》

この寺には、ほかの外国人も泊まっていた。
「あなたの卵、ゆでてあるんですよ」と訴えると、その外国人は「ああ、それはありがたい」と喜ぶ。
そこで、著者はまたしても毒づく。
《「この外人め!」》

こんな著者は、福岡県の途上で一度、中年女性に、「にいちゃん、何時ごろでしょうか?」とたずねられた。

《これには、驚いた。時間を聞かれたからではない。「にいちゃん」と呼ばれたことに、である。「にいちゃん」とは直訳すれば「兄」という意味だが、この場合は「そこのお若いの」という意味になる。非常にくだけた、親しげな呼びかけの言葉で、そのように呼ばれたのは初めてだった》

著者は大いに喜ぶのだが、この一件を奥さんに話すと、奥さんはにべもなくこたえる。
《「きっと目が悪くて、あなたが日本人に見えたのよ」》

著者が日本を縦断したのは、1993年。
期せずして、本書は当時の世相を映している箇所があり、味わい深い。
《皇太子の結婚式まで、あと三日。日本中が興奮の渦につつまれている》

長野オリンピックはまだ開催されていなかった。
《長野は、来るべき冬季オリンピックに備えて、建設ラッシュに沸いていた。…脚光を浴びる日が待ちきれなくて、町全体が浮足立っているのは、はた目にも明らかだった》

福井県で道連れとなった49歳の男性は、東京で力仕事をしていたものの、不景気のため建設現場の仕事が激減。
故郷にもどるところだった。
《敦賀までの電車賃で蓄えを使い果たし、ここ三日間ほど歩き続けているという。荷物はなく、イカの干物を入れたビニール袋を持っているだけだ》

酒田の路上でマスクメロンを売っていたおばさんはいう。
《「バブルがはじけったって言うけどさ、あたしにゃ何のことだか、さっぱりわからない。わかるのは、誰もメロンを買わないってことだけ。バブルとやらと、どういう関係があるんだろうねえ」》

大野をでて、九頭竜峡に向かう途中の、ひなびた食堂に入った著者は、そこで恐るべきものをみる。
食堂のなかは、動物のはく製でいっぱい。
さらに女主人は、冷凍庫から冷凍タヌキをもちだしてくる。

《「これはね、お客様に見せるためにとってあるの。みなさん、たぬきを見たがるから」》

このときの印象がよほど強かったのだろう。
著者は、のちの「百名山」の旅の途中、この食堂を再訪している。

このあとも、痛めた足を手術したり、パイロットをしている友人のアンディと一緒に歩いたり――アンディは1日歩いただけで足を痛めて帰ってしまう――小学校を訪れたり、知的な障害をもつ子どもたちと一泊したり、青森でねぷたに参加したりしながら、旅は続く。

「四国八十八か所 ガイジン夏遍路」
こちらは、1995年、四国八十八か所を徒歩でめぐった旅の記録。

以前から、著者は四国巡礼をしてみたいと思っていた。
そこで、以前から娘がほしいと思っていた奥さんは、著者の希望を逆手にとる。
お遍路は、肉食、飲酒、情交を断たなければならない。
――はめられた。
と思いながら、著者はお遍路に出発する。

出発は7月なかば。
お遍路といえば春だが、仕事の都合で夏しかいけない。
スタートは、徳島市にある一番札所(ふだしょ)の、竺和山霊山寺(じくわさんりょうせんじ)から。
白衣(びゃくえ)を着て、金剛杖をもち、菅笠をかぶり、いざ出発。

本書は、八十八か所のお寺について、くわしく書かれている。
ガイドブックとしてもつかえそうだ。
また、当節のお遍路事情を知ることができる。

お遍路には序列があるという。
一番えらいのが、著者のような歩き遍路。
次が、自転車遍路。
以下、バイク遍路、カー遍路、タクシー遍路、バス遍路と続く。
歩き遍路でも、野宿をするとえらい。
野宿をした遍路は、泊まり遍路を見下す。

しかし、歩き遍路のほうがタクシー遍路より上だと、いい切っていいものかと、著者は疑う。
《タクシー遍路だって、旅の足と宿に相応の時間と費用をかけて、行脚を終えようとそれなりに努力しているではないか。》

これは、すべてのエセーについていえることだろうけれど、エセーを面白くするのは、この自己批評性だろう。

外国人の歩き遍路である著者に、地元のひとたちは優しい。
ほうぼうで、お布施をもらい、えらいえらいとほめられる。

《今回の旅は、数年前の日本列島縦断の歩き旅とは、がらりと趣向が異なりそうだ。八十八か所の霊場巡りという目的があるし、白衣という出立ちだけに、通りがかりの人にもお遍路さんだとすぐにわかる。歩き遍路は精神的に、あるいは食料や金銭という目に見える形でさまざまな支援を受けられる。これは、実にありがたい。》

旅をはじめて4日目(だと思う)。
二十一番札所、舎心山太龍寺(しゃしんざんたいりゅうじ)で、タケゾウという若い僧侶と出会う。

このタケゾウ、じつにろくでもない。
金がないと開き直って、他人の善意にすがることを、お遍路だと確信している。
民宿にただで泊まろうと計略を練り、まず風呂を借りようとする。
が、民宿の主人はその手には乗らない。
タケゾウはしつこく食い下がるが、主人はその申し出を断る。
この光景をみて、著者は、これまで千年間、托鉢僧にたかられてきた四国のひとたちを気の毒に思う。

こうして、しばらく著者とタケゾウの珍道中が続くのだが、タケゾウは著者の健脚についていかれない。
ついにタケゾウを置いて、著者は先に進む。

牟岐(むぎ)町で一泊したときは、ちょうどお祭りをしているときだった。
そこで、今回の旅ではじめて外国人に会う。
その若い女性は著者に、スペイン語は話せますかと聞いてくる。
女性は、漁師をしている夫と故郷のウルグアイで出会い、日本にやってきたのだった。
著者と女性は日本語で話しあう。

《「日本には、八年前に来たんですよ。でもこのあたりじゃあ、スペイン語を話せる人なんていなくて。みなさん英語で話しかけてきては、通じないと知って驚くんです。あなたが日本語を話せて、よかった!》

お遍路さんは、霊場に着くと納経所にいく。
そこで、納経帳に寺の名前を書いてもらい、朱印を押してもらう。
そのため、どこの納経所にもドライヤーが置いてあるという。
納経帳が汚れないためにだ。

観光バスがずらりと並んだある寺の納経所では、なにごとにも無関心を貫くお坊さんしかいなかった。
《思うにこれは観光業がもたらした、「坊さん燃え尽き症候群」なのではあるまいか。》

また、別の寺で。
護摩を見物した著者は、事務室で住職と話しあう。
そのとき、護摩で助手をつとめた2人の尼さんがやってきて、タイムレコーダーを押す。

1995年は、フランスがムルロアで核実験をした年だった。
著者がニュージーランド人だと知ったある男性は、「フランスはムルロアで何てことをするんだ!」と怒る。

《核問題についてはおなじ意見を、道中で何度も耳にした。現実に核爆弾を投下された唯一の国家として、核問題で激高しない日本人はまずいない。反核の気運が高まって反核の立場を明確に示したニュージーランドに、わたしが出会ったおおかたの日本人が拍手喝采してくれた。》

スーパーに入ると、外国人ということで、たいそう驚かれる。
著者はいたずらっぽく書いている。

《道を行く場合は、はるか遠くからでも姿が見えるから、遍路が来たぞと相手にも構える余裕がある。少なくとも、落ち着いた顔を装うことならできる。しかしスーパーマーケットとなると話は別で、面白いこと請け合いである。商品がならんだ棚に挟まれて、通路も狭く、誰もこちらに気づかない。買い物客がひょいと角を曲がったら、不意に奇怪な予想外の恐ろしいもののけが登場するというわけだ》

著者はときどき、スーパーにいき、地元のひとを驚かせては楽しんでいたようだ。

このあとも、足摺のユースホステルでアホ少年と同宿するはめになったり、学校のプールを借りてひと泳ぎしたり、一泊1500円の民宿に泊まったり、タケゾウと再会したりしながら歩き続ける。

それにしても、著者は観察が細かい。
どこの納経所に美人がいたかなんてことを、よく書いている。
毎日40キロほど歩いて、さらにメモをとっていたのだろうか。
それとも、みんな記憶で書いたのだろうか。
どちらにしても、たいしたものだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

トーキョー・シスターズ

「トーキョー・シスターズ」(ラファエル・ショエル/著 ジュリー・ロヴェロ・カレズ/著 松本百合子/訳  小学館 2011)

今回も外国人による日本探訪記。
われながらよく読んでいるなあ。

本書は、ラファエル・ショエルさんと、ジュリー・ロヴェロ・カレズさんの、2人による共著。
カバー袖の著者紹介によれば、ラファエルさんはフランスのひと。
1997年、フランスのリヨン生まれ。
幼いころから、世界中を転てんとする生活だったそう。
2006年、夫とともに来日し、フランスのTV局の東京特派員として2年ほど日本に滞在したとのこと。
2児の母。

ジュリーさんは、1974年パリの郊外生まれ。
2005年から、家族とともに日本に滞在。
現在(この本が出版された2011年ということか)、ジュネーブに住み、雑誌の副編集長しているとのこと。
2児の母。

東京で出会った2人は意気投合。
日本の、おもに女性についての本を書き、2010年フランスで出版。
それを、大幅に加筆改稿し、日本語訳したのが本書という。

つまり、本書はフランス女子がみた、日本とニッポン女子についての本。
ニッポン女子にかなり焦点を絞っているところが、類書と一線を画するところ。
フランス女子とニッポン女子の、エール交換のような本ともいえるだろう。

本書でラファエルさんは、ニッポン女子についてこんなことをいう。
(この本は、ときどき思いついたように対談形式になり、このときもそう)

ラファエル 私たちにはニッポン女子のような、控えめで、しなやかな物腰がないじゃない……完全に打ち負かされているよね。ニッポン女子と並ぶと、なんかすごく自分が不器用でぎこちなくなったように感じるんだけど、わかる? 日本に来てから自分が磁器のお店で売られているゾウになったような気分なの。》

しかし、ニッポン女子は、フランスやパリが大好きだ。
著者たちもそのことはよく承知している。

《(ファッション雑誌のスナップ写真は)ミラノとパリでのスナップが圧倒的に人気というから嬉しい。とはいっても、日本の雑誌のスタッフは、かなり私たちのことを過大評価してくれていると思うのだけれど。私たちは「一見」とってもおしゃれに見えるらしいが、詳細に大写しにされると、実はポケットがほつれていたり、ボタンがひとつ欠けていたり、靴が汚れていたり、ニッポン女子の完璧さからはほど遠い……。》

また、ニッポン女子は高級ブランドも大好き。
《マクドナルドの店で会計を待っているとき、誰がどう見ても、おしゃれではなく、ただ薄汚い格好をした若い女の子がダブルバーガーを買おうとレジに向かった。ジーンズの後ろのポケットから取り出したのは、本物のヴィトンのお財布。フランスでは、まず、ありえない。》

「高級ブランドの国で育った私たちが、それほど身につけないのに、ニッポン女子はなぜこんなにも贅沢品に執着するのだろう」
という著者たちの疑問に、あるニッポン女子はこう答える。

《「贅沢品を身につけること、それは『西洋』をちょっと身につけることでもあるの。私にとって、本当の意味で大人の女性になるのは、ヴィトンのバッグを持つことだったの。フランスは大人の女性のお手本なのね」》

日本では、フランス人はフランス人というだけで一目置かれる。
そのフランス人ブランドの恩恵に、ちゃかり浴することにしたのが、夫の転勤に伴い日本にやってきた、カミーユさん。
カミーユさんは、ニッポン女子のお教室好きにも目をつけ、フランス料理教室を立ち上げた。

《「初めの頃は、けっこう繊細な料理を作っていたのよ。帆立貝のカルパッチョ、ライムとオリーブオイル、ウズラのロティ、ベーコンとオニオンコフィ添え。フロマージュの盛り合わせ。デザートはポルト酒でカラメリゼしたイチジクのロティ、とかね。でもすぐに、この手のメニューは日本人には受けないって理解したの。日本人の生徒さんたちが圧倒的に好むのは、キッシュ、フラン、それにケーキ・サレとか、そういう単純なものなの」》

著者たちは、ニッポン女子とフランス女子のファッションをジャンル分けして分析。
「ギャル」というジャンルは、フランスではめったにお目にかかれないそう。
《あえて比較するなら、マルセイユの街にいるような下品すれすれのセクシーな女の子たちだろうか》

また、フランスにいるのは「ボヘミアン」。
《いつでもどんなときでもジーンズにコンバース。化粧っけはほとんどなく、せいぜいチークを入れる程度。革のバッグとパナマ帽、ウルトラ級にカジュアルでありながらエレガントでいられるパリジェンヌたちの象徴》

日仏の決定的なちがいは、フランスには「カワイイ系」が存在しないことだと著者たちは結論する。

《フランス女子は、ぬいぐるみを卒業するのと同時に、いわゆる女の子のかわいらしさともさよならしてしまう。それはなぜかと言えば、ある年齢に達すると、フランス男子が圧倒的にセクシーな女を好むことをよく知っているからだ。よって服装は少しでも「セクシー」に見せられるものを選ぶようになる。ところがこのセクシーさ、ここ日本では、しばしば「いやらしさ」や「下品」と混同される》

美容にも洋の東西がある。
美白ケア商品は、ヨーロッパではみつけにくいそう。
《太陽に関しては、UVカットのニッポン女子とUVゲットのフランス女子は正反対と言える》

《ここ日本では、「わあ、きれいに焼けてるわね。ブルーの瞳が引き立って素敵よ」という褒め言葉は聞こえてこない》

著者のひとり、ジュリーさんは、電車内で化粧をするニッポン女子が嫌いだ。

ジュリー 化粧品の匂いとか粉とか自分では気づかなくても人の迷惑になるってこと、彼女たちはわかってない。まったくもって恥ずべき行為だわ。
ラファエル まあまあ落ち着いて。確かにパリのメトロでは見ない光景だけど、車内でのんびりお化粧できるなんて、それだけ東京って安全な街ってことだよね。》

それから、髪。
《ニッポン女子は顔だけでなく、髪の手入れも大好きだ》

《50歳を過ぎると何か法律でもあるのだろうか、髪型はいっせいにショートに変わる》

外国人女性とって、日本の美容院をつかうことは思わぬ落とし穴が。
《アスリッドは、知り合いの日本人にすすめられて初めて行った美容院でクラシックなメッシュを頼んだら、2時間後、髪が変貌していた。なぜか? 彼女を担当した美容師さんが西洋人の髪に慣れていなかったのだ。一本一本に厚みがあってカラスのごとき黒い髪と同じように、ブロンドの細い髪にも同じ時間、液体を寝かせてしまったのだ》

「カワイイ」にかんしては、さすがの著者たちもいささかあきれ顔だ。
著者たちのことばに、ニッポン男子は深くうなずくのではないか。

《かつては赤ちゃんや幼い少女を指す言葉だったらしいが、今ではどういう基準かは不明だが、ありとあらゆるものを指す。私たちの目にはシックな洋服、エレガントなバッグ、最先端の靴、スマートな文房具、美味しそうなお菓子、この辺まではいいとして、ブス顔の犬や、むさくるしいクマのようなおじさんまでカワイイとは……》

《そして、カワイイものを前にしたときの日本女子の熱狂ぶりには、私たちフランス女子は呆然と立ち尽くすしかない》

日仏女子の比較は、恋愛事情や結婚事情、夫婦事情にまでおよぶ。

ニッポン女子の結婚事情
《突進する彼女たちを見ていて気づくのは、結婚は論理的思考に基づいた選択であるということだ。まるで優秀な新入社員を採用するような基準で未来の夫を探し、選んでいるのではないかと思えてくる。その証拠に、男は非の打ちどころのない履歴書を提出しなければいけない》

《フランス女子が婚約者の教育レベルに執着するとしたら、ニッポン女子にとって譲れない基準は金銭的保障だ。お金は必要不可欠であって、それを望むことはタブーではない。つまり、これからふたりで貯めていこうね、ではなく、最初からすでに貯金のある人を探すのだ》

赤ちゃん
《フランスではどんなに小さなアパートでも、夫婦と子供のベッドは別。部屋がひとつしかないときは、カーテンなどで仕切るのがふつうだ。だから、「川の字」になるのは、週末の朝、朝寝坊している夫婦のあいだに子どもが割り込んでくるときくらいしかあり得ない》

パパ、ママ
《日本の若き夫婦はお互いを「パパ」「ママ」と呼び合う。私たちフランス人も子供と一緒にいるときには、「パパに聞きなさい」といった使い方をしても、夫婦ふたりでいるときに相手を「パパ」と呼んだら、それは相手をバカにしたりからかったりしていることになる》

《ある日、「パパ」「ママ」と呼び合うようになったら、その日は、カップルの終焉と思っていいだろう》

本書は、日仏女子の比較だけでなく、日本の生活についても点描している。
その愉快な記述を、いくつか引用してみよう。

ジュリーの快適な一日
これは、ジュリーさんの一日を通して、快適な東京生活をえがいたもの。

寝坊したので、自販機でコーヒーを購入。
娘をつれて地下鉄の駅でトイレ。
トイレには、ベビーシートがついている。
便座はハイテク。

《TOTOの技術は、便器のロールスロイスといえるだろう》

デパートで買いもの。
《愛想のいい店員さんが、まるで銀行の窓口のように、お札を目の前で数えて間違いがないか確かめさえする》

ランチの時間は10分しかない。
牛丼ですます。
《札を滑り込ませると、機械がすぐさま飲み込み、一瞬のうちにお釣りとチケットが出てくる。そのチケットをシェフに渡すと、まるで魔法のように3分後には少し甘く煮た牛肉をのせたご飯、牛丼が私の前に出される》

シェフなんて呼ばれたら、牛丼屋の店員も驚くのではないか。

髪をととのえるために千円カットへ。
《ここは10分でカットしてくれるスピード美容室。1000円札を自動販売機に差し込み、スツールに腰かけて待つこと35秒。美容師さんから「こちらへどうぞ」と案内される。そして娘をひざに乗せたまま髪をそろえてブラッシングもしてもらい、10分きっかり経ったときには、私は生まれ変わったように生き生きしている》

――自販機でコーヒーを飲み、昼食は牛丼、千円カットで髪を切る。
日本人にとっては、決して自慢できるような生活ではないけれど、それが肯定的に書かれているところが面白い。

レストランの閉店時間
著者たちにいわせると、日本のレストランの閉店時間は異常に早い。
そして日本人らしく、時間に厳格。

《22時半とか23時には閉店するだけでなく、ラストオーダーが22時だとしたら、22時1分にビールを追加したくても、不可能》

《しかも、閉店時間が近づいているのに、いつまでもぺらぺらおしゃべりしていようものなら、店員さんから「お客様、閉店時間でございます」と言って、お店を「追い出される」ことも稀ではない》

《深夜2時には閉店が義務付けられてはいても、客側の「常識」で閉店時間が決まるパリのレストランに慣れているフランス人は、東京に来てこのひと言を最初に聞くと、少なからぬショックを受ける。が、慣れてしまうと、このひと言に押されるように、すっと席を立てるので、ありがたくもある》

携帯灰皿
東京は歩きタバコをしているひとが多いわりに吸殻が落ちていない。
一体なぜか。
吸殻まで食べてしまうのか。

ラファエル まさか! 信じられないことに、それぞれ、小さな携帯灰皿を持ってあるいているんだって。
ジュリー マイ・アシュトレーってわけ? 信じられない! すごいこと考えつくね。ひとりひとり個性的な灰皿を持っていたりして。ていうか、ヴィトンの灰皿とか、絶対にあると思う。》

さらに2人は、犬も携帯トイレを隠しもっているのではないかと怪しむ。

ラファエル だって、東京の街で、一度も犬の落とし物を見たことないもの。》

カラオケ
《みんなで歌うコーラス喫茶状態がカラオケの正統と信じていた私たちは、初めて東京でニッポン女子たちとカラオケを共にしたとき、好きな曲が掛かったので思わず空いていたマイクを握り、人の歌に割り込んでしまい、ひんしゅくを買った。この晩の苦い経験から、日本のカラオケは個室にこもるだけでなく、歌もデュエットは別として、ひとりひとりが一曲を歌い通すものなのだと理解した》

日本の保育園
《この(保育園の)規則といったら、フランスの教授資格試験を取るために必要な教科書一式に匹敵するくらいぶ厚い内容だ》

そして、大量のもちものと、耳を疑いたくなるほどの細かな指示。
しかも、もちものにかんするルールは日に日に厳しくなる。
《タオルの大きさは75センチ×130センチで記載する子どもの名前は、10センチ×30センチ以内に収めること……》

その月のランチメニューは、行事予定と一緒に郵送で送られ、ご丁寧にカロリーまで明記されている。
《日本人がほっそり体型でいられるのは、こうして幼い頃から食育がなされているからなのだろうか》

着物
《渋谷の街では、ルーズソックスにミニスカートをはいたギャルの隣に伝統的な着物を着こなした和装の美女が立っていたりする。しかもこの和装の美女はためらうことなくスタバに入り、カフェラテをすすりながら片方の手で携帯をあやつり、ネットショッピングしたりするのだ》

《お尻が半分見えそうなジーンズをはいた若者が集まるパリのレ・アールで、レースや刺繍をふんだんにあしらった絹織物のドレスを着たマリー・アントワネットのごとき女性と出くわすことを想像してみてほしい》

日本の食べ物事情
《ニッポン女子は、なぜか、おいしいものを食べながら、眉間にしわをよせて、辛そうにする……》
うーん、そうか。
面白い観察だ。

そば
《そばはそば粉からつくる麺で、ほんのり甘みのある醤油ベースのソースで、冷たい状態で食べることが多い》
そばつゆを、ソースというのが面白い。

著者たちは、音を立ててそばをすすることができない。
《音を立てるのは無礼、下品と、さんざん頭に叩き込まれて育ってきた私たちにとっては、この習慣に屈することは至難の業だ》

コンビニのおでん

ジュリー や、何、この匂い! 変な匂い、吐きそう。
ラファエル 何だろう、あ、あれだ。見て、オモシロ~イ。食べ物が浮いてる!
ジュリー げっ、食べ物なの? なんでレジの横にあるの? 絶対食べたくない。
ラファエル そんなこと言わないで、ちょっと食べてみようよ。
ジュリー ノー・サンキュー! 私は黒いサラダ、なんだっけ、あ、ひじきのサラダと巻き寿司をいただくわ。
ラファエル 平凡な選択ね。私は食べてみるわよ。あ、スミマセン、そこに浮いている長方形のもの(コンニャク)と、四角いの(豆腐)と丸いの(大根)をお願いします。
ジュリー ……で? どう?
ラファエル はっきり言って、おいしい! 大根はとろとろだし、豆腐はスポンジみたい。それにこのコンニャク。めちゃくちゃ面白い食感。まるで硬いゼリーみたい。》

花火
《花火を鑑賞する日本人の情熱も、想像を超えるものがある。フランスでも革命記念日の花火は国民の楽しみのひとつではあるけれど、どちらかというと、子供たちに見せるもの。ところがここでは老若男女みんなが夏の花火に熱狂する》

《天真爛漫な笑顔が広がり、花火に彩られる夜空と同じくらい地上も盛り上がる様子を見て、私たちは考える。人々は花火を見ながら、子供心を取り戻しているのだろうか。それとも単純に、こうした場におけるマナーなのだろうかと》

温泉
《温泉とは日本人にとって若返りの泉のようなものだ》

ジュリー ほんとにほんとに、なんにも身につけずに、みんなで一緒にお風呂に入るわけ?
ラファエル そうよ、だってそういう習慣なんだもの。日本人は休みを利用して、家族や仕事の仲間と一緒に行くのよ。
ジュリー 仕事の仲間と? 上司と素っ裸で向き合うの? ありえないわよ、ちょっと!!
ラファエル だから温泉っていうのは日本の伝統なんだってば。昔からそうなの。》

というわけで、ラファエルさんは別の友人ソフィーさんを誘い、日本人の友人の案内で温泉へ。
ところが、いった先の温泉は混浴。

《コンヨク、つまり男女ミックスでお風呂に入るということだ。ソフィーはすでに後ずさりし始め、温泉を楽しみにしていた私の笑顔も凍り付いた》

しかし、2人とも勇気をだして温泉に入る。
《あれだけ抵抗していたソフィーも、このお湯の魔法に掛かったようで、翌朝、赤ちゃんみたいによく眠れたわ、と打ち明けてくれた》

興味深い記述はまだまだあるのだけれど、これくらいに。
本書が刊行されたのは、2011年。
東日本大震災があった年。
ニッポン女子へのエールで、本書は締めくくられている。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )