タナカの読書メモです。
一冊たちブログ
エッフェル塔の潜水夫
「エッフェル塔の潜水夫」(カミ/著 吉村正一郎/訳 講談社 1976)
「エッフェル塔の潜水夫」を読んだのは、もうだいぶ前のことだ。
そのときは、ちくま文庫版(1990)で読んだのだった。
解説は、たしか赤川次郎さんだったかと思う。
とにかく、とても面白かった。
ここ最近、カミの作品がたて続けといっていい速度で翻訳された。
ひとつは、「機械探偵クリク・ロボット」(早川書房 2010)
それから、「三銃士の息子」(早川書房 2014)
4年に1作だけれど、ちくま文庫版「エッフェル塔…」からの20年を思えば、たて続けといいたくなる。
――まさか、いまになってカミの本が読めるなんて。
と、カミのファンとしては、勇躍して読んだものだ。
「クリク…」など、文庫版(2014)に追加収録されているコントがあるというので、そちらも買ってしまった。
単行本ももっているというのに。
カミの作風は、ひとことでいえばユーモア活劇。
そのユーモアは、ずいぶん枯れてしまっている。
いま、佐々木邦の小説を読む感じだといえばいいだろうか。
ユーモア活劇というより、のんき活劇といったくらいがふさわしい。
内容はすっかり古びてしまっているけれど、でもその奇抜な設定と愉快なストーリー展開は珍重に値すると思う。
さて。
先日、古本屋をのぞいたら、「エッフェル塔の潜水夫」の講談社文庫版が売られていた。
講談社文庫からもでていたとは知らなかった。
「エッフェル塔の潜水夫」は、とにかく面白かったというおぼえがあるものの、ストーリーはほぼ忘れてしまっている。
そこで、なつかしさにかられて買って読んでみた。
裏表紙には、本の要約が記されている。
これを引用してみよう。
《1929年、パリ、エッフェル塔下のセーヌ河へ一人の青年が飛込み自殺。潜水夫が死体を引き上げるが、いつしかまたセーヌ河へ。そして潜水夫も死体で発見――「さまよえるオランダ人」の故事を下じきに、革命ソ連の陰謀とエッフェル塔の怪、そして複雑奇異な幽霊船の謎を鮮やかに解く、謎解きミステリー且つ風味豊かな《シャンソン文学》の傑作》
この要約は、まちがってはいない。
けれど、これだけでは、「シャンソン文学」というレッテルが目を引くばかりでなんのことやらわからない。
「シャンソン文学」とは、訳者あとがきで吉村正一郎さんが、そう書いているところからとったものだろう。
吉村さんはあとがきで、こんなことを書いている。
《シャンソンのあの風味をもし文学化するとしたら、カミの小説、とりわけ、この「エッフェル塔の潜水夫」は《シャンソン文学》だといっていいかもしれない》
なんだか、わかったような、わからないような……。
では、もう少し詳しくストーリーをみていこう。
冒頭、まず登場するのがファンファン・ラ・トゥール。
この名前は、「塔の子ども」という意味。
ファンファンは、エッフェル塔に捨てられていた、捨て子だった。
塔の有料トイレの経営者、シルヴィオのおかみさんに拾われて、文字通り、塔の子どもとして成長。
17歳になったいま、エッフェル塔の2階のレストランで給仕をしている。
同じレストランには、古胡桃(ヴィエイユ・ノワ)というあだ名の、ジュール・ラノワがいる。
ジュールの仕事は皿洗い。
ファンファンと同じく17歳で、同じく捨て子。
2人は親友のあいだがらだ。
さて、最近さる英国の青年が、世をはかなんでセーヌ河に身投げするという事件が起こった。
ファンファンとジュールが見物にいくと、警察の依頼をうけた潜水夫が、セーヌ河に潜るところ。
潜水夫は、ヴァランタン・ムーフラールという、この道30年のベテラン。
ヴァランタンは、ぶじ青年の遺体を発見し、引き上げる。
ところが、青年の手には奇妙な筒が。
筒のなかには羊皮紙が入っている。
そこには、こんな文章が。
「『飛び行くオランダ人』号の船長たる余ペテル・マウスは、チャーリー・スミスなる者を今日より向う七年間水夫として雇傭するものとす」
うんぬん。
見物の群衆がばかばかしさにあきれていると、「幽霊船は実際にあるのですぞ」と、荘重な声で訴える、古風な身なりをした紳士があらわれる。
そうこうしているうちに、なぜか遺体が再びぼちゃんとセーヌ河のなか落ちてしまう。
文句をいいながら、また潜ったヴァランタンは、こんどは手ぶらでもどってくる。
ヴァランタンの顔は真っ青。
青年の遺体は、2人の潜水夫にはさまれながら去っていったという。
そして、2人の潜水夫の顔は、この世のものではなかったという。
その晩、ファンファンとジュールが酒場で夕食を食べていると、店に潜水夫のヴァランタンがあらわれる。
それから、古風な身なりをした紳士もあらわれる。
哲学の教授だという紳士は、ファンファンとジュールに、神を呪ったために永遠に海上を漂流するはめになったペテル・マウス船長と、飛び行くオランダ人号の話をする。
ペテル・マウス船長は、7年ごとに上陸を許され、もしそのとき船長を愛する女性があらわれれば、永遠の眠りにつけるという。
それからまた、別の登場人物が。
トゥールズ生まれの青年詩人、アシール・カピストル。
目下、もちまえの美声でエッフェル塔のアナウンサーをつとめている。
20歳のカピストルは、みやげもの屋の店員、ジネット・ブラヴリル嬢にぞっこん。
ところが、もうふた月もジネット嬢のもとへ、花束をもって通っている男がいるとファンファンに聞かされて、カピストルは顔色を変える。
その男の名は、アントワーヌ・モンパパ。
ボールみたいにまんまるい小男で、金利生活者。
カピストルが問いつめると、モンパパは、ダイエットのために日に2回ずつ、エッフェル塔の1710段の階段をのぼっているという。
訳者吉村さんのお遊びだろうか、なぜか大阪弁を話すモンパパは、カピストルに弁明。
「最初登った時からわては上にいる人にみんな知られてしまいましてな。それで誰にもわけを知られんようにと、こない思うて――ていさいが悪いよってな――おみやげを売ってる娘に気があるようなふりをしていましたのや」
モンパパは、こんどから喫茶店の娘に花束をあげることにすると、カピストルに約束する。
こんな話をしていると、エッフェル塔の4階で、首つり騒ぎがもち上がる。
ぶら下がっているのは、潜水服を着た人物。
なんと、ヴァランタン・ムーフラール。
しかも、警察医がきて調べたところ、死因は溺死。
さらに、例のペテル・マウス船長の雇用契約書までもっている。
一体、なぜ溺死した人物の死体がエッフェル塔にぶら下がっているのか。
なにがなにやら、さっぱりわからない。
ともかく、死体検案書をつくるために、警察官と一同はぞろぞろと階下へ。
すると、潜水夫が空中を落下し、地面にたたきつけられる。
落下したのは、潜水服のみ。
ヴァランタンの遺体は行方不明になってしまった。
潜水服の謎はひとまず置いて、ストーリーは別方面に――。
エッフェル塔のレストランの主人、マジュレー氏は、亡くなった伯母さんの遺産として、大きく立派な衣装タンスを相続することになった。
日頃からファンファンに目をかけているマジュレー氏は、ファンファンに、セーヴルの町から衣装タンスをはこんでこないかともちかける。
おこづかいがもらえるというので、ファンファンはジュール・ラノワを誘い、荷車を引いてセーヴルへ。
途中、2人は洗濯船に乗った船乗り風の男と出会う。
男の名前は、マチュラン・ル・フロック。
洗濯船「王虎(チーグル・ロワイヤル)号」の船長。
もう15年も「王虎号」の船長をつとめているフロックの夢は、隠居仕事として、海へでて船長をすることだ。
けっきょく、ファンファンとジュールは、その日のうちにパリに帰ってこられなかった。
2人は、空き地で野宿することに。
衣装タンスを地面に置き、そのなかで眠ろうとする。
すると、この土地のもち主である青年があらわれる。
青年は、なかなか気持ちの良い人柄で、2人の野宿をこころよく認める。
この青年の名前は、フィリップ・ダンブラン。
大戦中は18機の敵機を撃墜した英雄。
名もあり、財産もある、ことし30になったばかりの人物。
このダンブランは現在、大金持ちの英国人ジェレミー・スコットの姪、エディス嬢と熱烈恋愛中。
だが、誇り高いダンブランは、財産目当てでエディス嬢と結婚したと思われたくない。
財産が、2人の結婚の障害となっている。
ジェレミー・スコットの屋敷は、タンブランの屋敷のすぐそばにある。
翌朝、衣装タンスのなかでのん気に目をさました2人は、この大金持ちの訪問を受ける。
大金持ちは、自分の屋敷の目の前に、衣装タンスがあるのが我慢できない。
2人に、「イクラデスカ?」ともちかける。
アメリカで巨万の富を築いた鉄道王は、なんでもお金で解決しようとするのだ。
「1人について1万フランずつ賠償金をおだしになれば、この連中だって、よそへ引っ越しするのをウンといいますよ」
と、横からあらわれたタンブランが口をだすと、「ソレダケデスカ」と、スコットは2人に金を払う。
おかげで、ファンファンとジュールは大喜び。
ところで、大金持ちのスコットは、心霊術に凝っている。
サミュエル・ヴァンという怪しげな霊能者をそばに置き、毎夜、交霊術にふけっている。
姪のエディス嬢は、そんな伯父が心配。
が、エディス嬢の心配をよそに、スコットは潜水夫の霊を呼びだそうと、深夜エッフェル塔で交霊術をおこなおうとする――。
長ながと紹介してきたけれど、このあたりでちょうど全体の4分の1ほど。
主要登場人物が出そろったところだ。
このあと、物語の舞台は再びエッフェル塔へ。
スコットたちは、深夜、交霊術を実施する。
交霊術はもちろんインチキ。
そのことをスコットに知らしめてやりたいダンブランたちは、妨害工作をほどこす。
具体的には、幽霊役の男を部屋に閉じこめる。
にもかかわらず、当夜、なぜか潜水夫が出現。
さらにコンコルド広場には、空飛ぶ幽霊船があらわれ、パリの町は大混乱に――。
この小説は、提出された謎が振るっている。
エッフェル塔に潜水服を着た死体があらわれたという謎は、じつに出色だ。
また、多視点で話が進み、新しい登場人物が次つぎと登場。
語り口は軽妙で、読む者を飽きさせない。
全体に陽気な雰囲気が満ちているのが、なにより素晴らしい。
本書は、エッフェル塔を中心として物語が展開していく。
今回、再読してみて、黄金像をもとめてマンハッタンを右往左往する、ウェストレイクの「踊る黄金像」や、戦前の東京を右往左往する、久生十蘭の「魔都」を思い出した。
どうも、ひとつの舞台を大勢の人物が右往左往するたぐいの小説が、昔から好きだったようだ。
提出された謎が出色であればあるほど、その解決はむつかしくなる。
その点、本書は解決法も見事だ。
ただ、見事なのは一部だけ。
他の部分では、新発明の装置などというものがあらわれる。
新発明の装置が、謎の原因でしたというのは、推理小説としては失格だろう。
でも、ユーモア活劇としてなら許されるのではないかと、この小説のファンとしてはいいたい。
新発明の装置などというものをつかってでも、作者は物語を盛り上げたかったのだ。
後半、物語の中心人物はもっぱらダンブランとなる。
ファンファンやジュールの影は薄くなる。
いろいろあって大金持ちのスコットは、幽霊船の船長ペテル・マウスと接触するのだが、こともあろうに船長はエディス嬢に懸想する。
いっぽうエディス嬢は、ダンブランとのささいないきちがいから船長の求婚を承諾して――と、話は続く。
あの気のいいファンファンたちが、後半登場しなくなるのは、いささかさびしい。
でも、まったく消え去るわけではない。
あの忘れがたいモンパパや、洗濯船のフロック船長とともに、脇役として顔をだす。
また、ラストがハッピーエンドで終わるのも嬉しいところだ。
昔読んで面白かった本を読み直す。
登場人物たちは相変わらずそこにいて、自分たちの役割を果たしている。
その姿を確認して、こちらも喜ぶ。
昔読んで面白かった本が、いま読んでも面白い。
じつに愉快なことだ。
「エッフェル塔の潜水夫」を読んだのは、もうだいぶ前のことだ。
そのときは、ちくま文庫版(1990)で読んだのだった。
解説は、たしか赤川次郎さんだったかと思う。
とにかく、とても面白かった。
ここ最近、カミの作品がたて続けといっていい速度で翻訳された。
ひとつは、「機械探偵クリク・ロボット」(早川書房 2010)
それから、「三銃士の息子」(早川書房 2014)
4年に1作だけれど、ちくま文庫版「エッフェル塔…」からの20年を思えば、たて続けといいたくなる。
――まさか、いまになってカミの本が読めるなんて。
と、カミのファンとしては、勇躍して読んだものだ。
「クリク…」など、文庫版(2014)に追加収録されているコントがあるというので、そちらも買ってしまった。
単行本ももっているというのに。
カミの作風は、ひとことでいえばユーモア活劇。
そのユーモアは、ずいぶん枯れてしまっている。
いま、佐々木邦の小説を読む感じだといえばいいだろうか。
ユーモア活劇というより、のんき活劇といったくらいがふさわしい。
内容はすっかり古びてしまっているけれど、でもその奇抜な設定と愉快なストーリー展開は珍重に値すると思う。
さて。
先日、古本屋をのぞいたら、「エッフェル塔の潜水夫」の講談社文庫版が売られていた。
講談社文庫からもでていたとは知らなかった。
「エッフェル塔の潜水夫」は、とにかく面白かったというおぼえがあるものの、ストーリーはほぼ忘れてしまっている。
そこで、なつかしさにかられて買って読んでみた。
裏表紙には、本の要約が記されている。
これを引用してみよう。
《1929年、パリ、エッフェル塔下のセーヌ河へ一人の青年が飛込み自殺。潜水夫が死体を引き上げるが、いつしかまたセーヌ河へ。そして潜水夫も死体で発見――「さまよえるオランダ人」の故事を下じきに、革命ソ連の陰謀とエッフェル塔の怪、そして複雑奇異な幽霊船の謎を鮮やかに解く、謎解きミステリー且つ風味豊かな《シャンソン文学》の傑作》
この要約は、まちがってはいない。
けれど、これだけでは、「シャンソン文学」というレッテルが目を引くばかりでなんのことやらわからない。
「シャンソン文学」とは、訳者あとがきで吉村正一郎さんが、そう書いているところからとったものだろう。
吉村さんはあとがきで、こんなことを書いている。
《シャンソンのあの風味をもし文学化するとしたら、カミの小説、とりわけ、この「エッフェル塔の潜水夫」は《シャンソン文学》だといっていいかもしれない》
なんだか、わかったような、わからないような……。
では、もう少し詳しくストーリーをみていこう。
冒頭、まず登場するのがファンファン・ラ・トゥール。
この名前は、「塔の子ども」という意味。
ファンファンは、エッフェル塔に捨てられていた、捨て子だった。
塔の有料トイレの経営者、シルヴィオのおかみさんに拾われて、文字通り、塔の子どもとして成長。
17歳になったいま、エッフェル塔の2階のレストランで給仕をしている。
同じレストランには、古胡桃(ヴィエイユ・ノワ)というあだ名の、ジュール・ラノワがいる。
ジュールの仕事は皿洗い。
ファンファンと同じく17歳で、同じく捨て子。
2人は親友のあいだがらだ。
さて、最近さる英国の青年が、世をはかなんでセーヌ河に身投げするという事件が起こった。
ファンファンとジュールが見物にいくと、警察の依頼をうけた潜水夫が、セーヌ河に潜るところ。
潜水夫は、ヴァランタン・ムーフラールという、この道30年のベテラン。
ヴァランタンは、ぶじ青年の遺体を発見し、引き上げる。
ところが、青年の手には奇妙な筒が。
筒のなかには羊皮紙が入っている。
そこには、こんな文章が。
「『飛び行くオランダ人』号の船長たる余ペテル・マウスは、チャーリー・スミスなる者を今日より向う七年間水夫として雇傭するものとす」
うんぬん。
見物の群衆がばかばかしさにあきれていると、「幽霊船は実際にあるのですぞ」と、荘重な声で訴える、古風な身なりをした紳士があらわれる。
そうこうしているうちに、なぜか遺体が再びぼちゃんとセーヌ河のなか落ちてしまう。
文句をいいながら、また潜ったヴァランタンは、こんどは手ぶらでもどってくる。
ヴァランタンの顔は真っ青。
青年の遺体は、2人の潜水夫にはさまれながら去っていったという。
そして、2人の潜水夫の顔は、この世のものではなかったという。
その晩、ファンファンとジュールが酒場で夕食を食べていると、店に潜水夫のヴァランタンがあらわれる。
それから、古風な身なりをした紳士もあらわれる。
哲学の教授だという紳士は、ファンファンとジュールに、神を呪ったために永遠に海上を漂流するはめになったペテル・マウス船長と、飛び行くオランダ人号の話をする。
ペテル・マウス船長は、7年ごとに上陸を許され、もしそのとき船長を愛する女性があらわれれば、永遠の眠りにつけるという。
それからまた、別の登場人物が。
トゥールズ生まれの青年詩人、アシール・カピストル。
目下、もちまえの美声でエッフェル塔のアナウンサーをつとめている。
20歳のカピストルは、みやげもの屋の店員、ジネット・ブラヴリル嬢にぞっこん。
ところが、もうふた月もジネット嬢のもとへ、花束をもって通っている男がいるとファンファンに聞かされて、カピストルは顔色を変える。
その男の名は、アントワーヌ・モンパパ。
ボールみたいにまんまるい小男で、金利生活者。
カピストルが問いつめると、モンパパは、ダイエットのために日に2回ずつ、エッフェル塔の1710段の階段をのぼっているという。
訳者吉村さんのお遊びだろうか、なぜか大阪弁を話すモンパパは、カピストルに弁明。
「最初登った時からわては上にいる人にみんな知られてしまいましてな。それで誰にもわけを知られんようにと、こない思うて――ていさいが悪いよってな――おみやげを売ってる娘に気があるようなふりをしていましたのや」
モンパパは、こんどから喫茶店の娘に花束をあげることにすると、カピストルに約束する。
こんな話をしていると、エッフェル塔の4階で、首つり騒ぎがもち上がる。
ぶら下がっているのは、潜水服を着た人物。
なんと、ヴァランタン・ムーフラール。
しかも、警察医がきて調べたところ、死因は溺死。
さらに、例のペテル・マウス船長の雇用契約書までもっている。
一体、なぜ溺死した人物の死体がエッフェル塔にぶら下がっているのか。
なにがなにやら、さっぱりわからない。
ともかく、死体検案書をつくるために、警察官と一同はぞろぞろと階下へ。
すると、潜水夫が空中を落下し、地面にたたきつけられる。
落下したのは、潜水服のみ。
ヴァランタンの遺体は行方不明になってしまった。
潜水服の謎はひとまず置いて、ストーリーは別方面に――。
エッフェル塔のレストランの主人、マジュレー氏は、亡くなった伯母さんの遺産として、大きく立派な衣装タンスを相続することになった。
日頃からファンファンに目をかけているマジュレー氏は、ファンファンに、セーヴルの町から衣装タンスをはこんでこないかともちかける。
おこづかいがもらえるというので、ファンファンはジュール・ラノワを誘い、荷車を引いてセーヴルへ。
途中、2人は洗濯船に乗った船乗り風の男と出会う。
男の名前は、マチュラン・ル・フロック。
洗濯船「王虎(チーグル・ロワイヤル)号」の船長。
もう15年も「王虎号」の船長をつとめているフロックの夢は、隠居仕事として、海へでて船長をすることだ。
けっきょく、ファンファンとジュールは、その日のうちにパリに帰ってこられなかった。
2人は、空き地で野宿することに。
衣装タンスを地面に置き、そのなかで眠ろうとする。
すると、この土地のもち主である青年があらわれる。
青年は、なかなか気持ちの良い人柄で、2人の野宿をこころよく認める。
この青年の名前は、フィリップ・ダンブラン。
大戦中は18機の敵機を撃墜した英雄。
名もあり、財産もある、ことし30になったばかりの人物。
このダンブランは現在、大金持ちの英国人ジェレミー・スコットの姪、エディス嬢と熱烈恋愛中。
だが、誇り高いダンブランは、財産目当てでエディス嬢と結婚したと思われたくない。
財産が、2人の結婚の障害となっている。
ジェレミー・スコットの屋敷は、タンブランの屋敷のすぐそばにある。
翌朝、衣装タンスのなかでのん気に目をさました2人は、この大金持ちの訪問を受ける。
大金持ちは、自分の屋敷の目の前に、衣装タンスがあるのが我慢できない。
2人に、「イクラデスカ?」ともちかける。
アメリカで巨万の富を築いた鉄道王は、なんでもお金で解決しようとするのだ。
「1人について1万フランずつ賠償金をおだしになれば、この連中だって、よそへ引っ越しするのをウンといいますよ」
と、横からあらわれたタンブランが口をだすと、「ソレダケデスカ」と、スコットは2人に金を払う。
おかげで、ファンファンとジュールは大喜び。
ところで、大金持ちのスコットは、心霊術に凝っている。
サミュエル・ヴァンという怪しげな霊能者をそばに置き、毎夜、交霊術にふけっている。
姪のエディス嬢は、そんな伯父が心配。
が、エディス嬢の心配をよそに、スコットは潜水夫の霊を呼びだそうと、深夜エッフェル塔で交霊術をおこなおうとする――。
長ながと紹介してきたけれど、このあたりでちょうど全体の4分の1ほど。
主要登場人物が出そろったところだ。
このあと、物語の舞台は再びエッフェル塔へ。
スコットたちは、深夜、交霊術を実施する。
交霊術はもちろんインチキ。
そのことをスコットに知らしめてやりたいダンブランたちは、妨害工作をほどこす。
具体的には、幽霊役の男を部屋に閉じこめる。
にもかかわらず、当夜、なぜか潜水夫が出現。
さらにコンコルド広場には、空飛ぶ幽霊船があらわれ、パリの町は大混乱に――。
この小説は、提出された謎が振るっている。
エッフェル塔に潜水服を着た死体があらわれたという謎は、じつに出色だ。
また、多視点で話が進み、新しい登場人物が次つぎと登場。
語り口は軽妙で、読む者を飽きさせない。
全体に陽気な雰囲気が満ちているのが、なにより素晴らしい。
本書は、エッフェル塔を中心として物語が展開していく。
今回、再読してみて、黄金像をもとめてマンハッタンを右往左往する、ウェストレイクの「踊る黄金像」や、戦前の東京を右往左往する、久生十蘭の「魔都」を思い出した。
どうも、ひとつの舞台を大勢の人物が右往左往するたぐいの小説が、昔から好きだったようだ。
提出された謎が出色であればあるほど、その解決はむつかしくなる。
その点、本書は解決法も見事だ。
ただ、見事なのは一部だけ。
他の部分では、新発明の装置などというものがあらわれる。
新発明の装置が、謎の原因でしたというのは、推理小説としては失格だろう。
でも、ユーモア活劇としてなら許されるのではないかと、この小説のファンとしてはいいたい。
新発明の装置などというものをつかってでも、作者は物語を盛り上げたかったのだ。
後半、物語の中心人物はもっぱらダンブランとなる。
ファンファンやジュールの影は薄くなる。
いろいろあって大金持ちのスコットは、幽霊船の船長ペテル・マウスと接触するのだが、こともあろうに船長はエディス嬢に懸想する。
いっぽうエディス嬢は、ダンブランとのささいないきちがいから船長の求婚を承諾して――と、話は続く。
あの気のいいファンファンたちが、後半登場しなくなるのは、いささかさびしい。
でも、まったく消え去るわけではない。
あの忘れがたいモンパパや、洗濯船のフロック船長とともに、脇役として顔をだす。
また、ラストがハッピーエンドで終わるのも嬉しいところだ。
昔読んで面白かった本を読み直す。
登場人物たちは相変わらずそこにいて、自分たちの役割を果たしている。
その姿を確認して、こちらも喜ぶ。
昔読んで面白かった本が、いま読んでも面白い。
じつに愉快なことだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
「泣き虫弱虫諸葛孔明」「ジャック・リッチーのあの手この手」
明けましておめでとうございます。
本年も月2回くらい更新していくつもりです。
どうぞよろしくお願いします。
お正月は、「泣き虫弱虫諸葛孔明 第4部」(酒見賢一/著 文芸春秋 2014)を読んでいた。
思えば、昨年に引き続き、お正月は三国志ものを読んでいる。
本書は、劉備軍団が蜀を手に入れるところから、劉備、関羽、張飛が亡くなるところまで。
このペースだと、あと1冊で完結するだろうか。
このシリーズは、自己言及的な、三国志の記述を茶化すような、登場人物たちにツッコミを入れるような筆致が面白い。
本書も相変わらず面白かった。
でも、こういう書き方は万人には向かないかとも思う。
本シリーズは、北方謙三版「三国志」の10分の1も売れていないのではないか。
個人的には、「泣き虫弱虫諸葛孔明」のほうがずっと好きだけれど。
それから、もう1冊。
「ジャック・リッチーのあの手この手」(ジャック・リッチー/著 小鷹信光/編・訳 早川書房 2013)
本書は短編集。
全23編を5つのジャンルに分け収録している。
収録作は以下。
前口上 小鷹信光
謀之巻(はかりごと)
「儲けは山分け」(高橋知子/訳)
「寝た子を起こすな」(高橋知子/訳)
「ABC連続殺人事件」(高橋知子/訳)
「もう一つのメッセージ」(高橋知子/訳)
「学問の道」(松下祥子/訳)
「マッコイ一等兵の南北戦争」(松下祥子/訳)
「リヒテンシュタインの盗塁王」(小鷹信光/訳)
迷之巻(まよう)
「下ですか?」(小鷹信光/訳)
「隠しカメラは知っていた」(高橋知子/訳)
「味を隠せ」(高橋知子/訳)
「ジェミニ74号でのチェスゲーム」(小鷹信光/訳)
戯之巻(たわむれ)
「金の卵」(高橋知子/訳)
「子供のお手柄」(松下祥子/訳)
「ビッグ・トニーの三人娘」(松下祥子/訳)
「ポンコツから愛をこめて」(松下祥子/訳)
驚之巻(おどろき)
「殺人境界線」(小鷹信光/訳)
「最初の客」(小鷹信光/訳)
「仇討ち」(松下祥子/訳)
「保安官が歩いた日」(高橋知子/訳)
怪之巻(あやし)
「猿男」(松下祥子/訳)
「三つめの願いごと」(小鷹信光/訳)
「フレディー」(松下祥子/訳)
「ダヴェンポート」(小鷹信光/訳)
それから、巻末に収録作品改題。
ジャンル分けの表題や、前口上が凝っている。
というよりも、凝りすぎている。
ミステリの編者は、こういうところで、どうもつい凝りすぎてしまうようだ。
ジャック・リッチーは短編の名手。
とぼけた語り口が、そのまま伏線を隠す目くらましとなっている、見事な短編を書く。
それに、どの作品も読みやすい。
「寝た子を起こすな」「ABC連続殺人事件」「もう一つのメッセージ」の3編は、迷探偵ターンバックルもの。
ターンバックル物は、ほんとうに素晴らしい。
これだけで、一冊編んでくれないだろうか。
つねに過剰な推理を披露するターンバックルは、大変な読書家でもある。
「ABC殺人事件」のなかで、相棒のラルフはこう語っている。
「かつて燃えさかる建物に、図書館のカードを取りに戻った刑事はこいつくらいだ」
それに対するターンバックルの反応はこうだ。
《何年も前の話だが、この一件を持ち出されると、わたしはいまだに赤面する。カードは簡単に再発行してもらえるとあのとき知っていたら、眉毛を犠牲にしなくてもすんだのだ》
とぼけた味わいをたもちながらも、鋭く孤独さを感じさせる一連の作品も忘れがたい。
本書のなかでは、「学問の道」や「三つの願いごと」がそれに当たるだろう。
「三つの願いごと」は、悪魔が3つの願いごとをかなえてくれるという話の、無数にあるバージョンのひとつだ。
でも、こんな手はかつてつかわれたことがあっただろうか。
さて。
さきほど書いた通り、ジャック・リッチーの作品は読みやすい。
でも、あんまり読みやすくて、読むはしから忘れてしまう。
お正月に読んだのに、もうほとんどなにもおぼえていない。
唯一、おぼえていたのは「リヒテンシュタインの盗塁王」。
リヒテンシュタインからの留学生、ラドウィックは、留学して半年あまりたってから、寄宿先の〈ぼく〉に、自分の特技は盗塁だと打ち明ける。
「自分の能力と適性を分析して、それがきみたちの国の偉大な国技である野球に向いていることがわかり、ぼくの出番もありそうだと気がついたのさ。盗塁にかけては飛びぬけた成績をあげられると思う。ぼくは機敏でカンがいいし、静止状態からたったの二歩で全速力にまで加速できるんだ」
というわけで、ラドウィックは〈ぼく〉が所属するチームに参加。
じっさい、ラドウィックは素晴らしい足の持ち主。
とはいえ、バッターとしてはうまくバットをボールに当てるものの、飛距離がでない。
そこは足でカバーして、内野安打にもちこむ。
そして、塁にでれば盗塁する。
ラドウィックはチームの切り札に。
〈ぼく〉のチームは、その年のリーグで快進撃を続ける。
が、じき相手チームはラドウィックの弱点に気がつき、ラドウィック・シフトを敷くようになり――。
解題によれば、本作品はボーイ・スカウトの雑誌に掲載されたとのこと。
意外性には欠けるけれど、語り口は愉快で、後味はさわやか。
少年向けの短編として、過不足がない。
眠る前に読むと、いい気持ちで眠りにつける。
そんな1編だった。
本年も月2回くらい更新していくつもりです。
どうぞよろしくお願いします。
お正月は、「泣き虫弱虫諸葛孔明 第4部」(酒見賢一/著 文芸春秋 2014)を読んでいた。
思えば、昨年に引き続き、お正月は三国志ものを読んでいる。
本書は、劉備軍団が蜀を手に入れるところから、劉備、関羽、張飛が亡くなるところまで。
このペースだと、あと1冊で完結するだろうか。
このシリーズは、自己言及的な、三国志の記述を茶化すような、登場人物たちにツッコミを入れるような筆致が面白い。
本書も相変わらず面白かった。
でも、こういう書き方は万人には向かないかとも思う。
本シリーズは、北方謙三版「三国志」の10分の1も売れていないのではないか。
個人的には、「泣き虫弱虫諸葛孔明」のほうがずっと好きだけれど。
それから、もう1冊。
「ジャック・リッチーのあの手この手」(ジャック・リッチー/著 小鷹信光/編・訳 早川書房 2013)
本書は短編集。
全23編を5つのジャンルに分け収録している。
収録作は以下。
前口上 小鷹信光
謀之巻(はかりごと)
「儲けは山分け」(高橋知子/訳)
「寝た子を起こすな」(高橋知子/訳)
「ABC連続殺人事件」(高橋知子/訳)
「もう一つのメッセージ」(高橋知子/訳)
「学問の道」(松下祥子/訳)
「マッコイ一等兵の南北戦争」(松下祥子/訳)
「リヒテンシュタインの盗塁王」(小鷹信光/訳)
迷之巻(まよう)
「下ですか?」(小鷹信光/訳)
「隠しカメラは知っていた」(高橋知子/訳)
「味を隠せ」(高橋知子/訳)
「ジェミニ74号でのチェスゲーム」(小鷹信光/訳)
戯之巻(たわむれ)
「金の卵」(高橋知子/訳)
「子供のお手柄」(松下祥子/訳)
「ビッグ・トニーの三人娘」(松下祥子/訳)
「ポンコツから愛をこめて」(松下祥子/訳)
驚之巻(おどろき)
「殺人境界線」(小鷹信光/訳)
「最初の客」(小鷹信光/訳)
「仇討ち」(松下祥子/訳)
「保安官が歩いた日」(高橋知子/訳)
怪之巻(あやし)
「猿男」(松下祥子/訳)
「三つめの願いごと」(小鷹信光/訳)
「フレディー」(松下祥子/訳)
「ダヴェンポート」(小鷹信光/訳)
それから、巻末に収録作品改題。
ジャンル分けの表題や、前口上が凝っている。
というよりも、凝りすぎている。
ミステリの編者は、こういうところで、どうもつい凝りすぎてしまうようだ。
ジャック・リッチーは短編の名手。
とぼけた語り口が、そのまま伏線を隠す目くらましとなっている、見事な短編を書く。
それに、どの作品も読みやすい。
「寝た子を起こすな」「ABC連続殺人事件」「もう一つのメッセージ」の3編は、迷探偵ターンバックルもの。
ターンバックル物は、ほんとうに素晴らしい。
これだけで、一冊編んでくれないだろうか。
つねに過剰な推理を披露するターンバックルは、大変な読書家でもある。
「ABC殺人事件」のなかで、相棒のラルフはこう語っている。
「かつて燃えさかる建物に、図書館のカードを取りに戻った刑事はこいつくらいだ」
それに対するターンバックルの反応はこうだ。
《何年も前の話だが、この一件を持ち出されると、わたしはいまだに赤面する。カードは簡単に再発行してもらえるとあのとき知っていたら、眉毛を犠牲にしなくてもすんだのだ》
とぼけた味わいをたもちながらも、鋭く孤独さを感じさせる一連の作品も忘れがたい。
本書のなかでは、「学問の道」や「三つの願いごと」がそれに当たるだろう。
「三つの願いごと」は、悪魔が3つの願いごとをかなえてくれるという話の、無数にあるバージョンのひとつだ。
でも、こんな手はかつてつかわれたことがあっただろうか。
さて。
さきほど書いた通り、ジャック・リッチーの作品は読みやすい。
でも、あんまり読みやすくて、読むはしから忘れてしまう。
お正月に読んだのに、もうほとんどなにもおぼえていない。
唯一、おぼえていたのは「リヒテンシュタインの盗塁王」。
リヒテンシュタインからの留学生、ラドウィックは、留学して半年あまりたってから、寄宿先の〈ぼく〉に、自分の特技は盗塁だと打ち明ける。
「自分の能力と適性を分析して、それがきみたちの国の偉大な国技である野球に向いていることがわかり、ぼくの出番もありそうだと気がついたのさ。盗塁にかけては飛びぬけた成績をあげられると思う。ぼくは機敏でカンがいいし、静止状態からたったの二歩で全速力にまで加速できるんだ」
というわけで、ラドウィックは〈ぼく〉が所属するチームに参加。
じっさい、ラドウィックは素晴らしい足の持ち主。
とはいえ、バッターとしてはうまくバットをボールに当てるものの、飛距離がでない。
そこは足でカバーして、内野安打にもちこむ。
そして、塁にでれば盗塁する。
ラドウィックはチームの切り札に。
〈ぼく〉のチームは、その年のリーグで快進撃を続ける。
が、じき相手チームはラドウィックの弱点に気がつき、ラドウィック・シフトを敷くようになり――。
解題によれば、本作品はボーイ・スカウトの雑誌に掲載されたとのこと。
意外性には欠けるけれど、語り口は愉快で、後味はさわやか。
少年向けの短編として、過不足がない。
眠る前に読むと、いい気持ちで眠りにつける。
そんな1編だった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )