翻訳味くらべ「海の上の少女」 2007.3.26〈再掲〉

「海の上の少女」(シュペルヴィエル 網島寿秀訳 みすず書房 2004)

《水に浮かんでいるこの道はどのようにしてできたのだろう? いったいどんな水夫たちが、どのような建築技師の助力を得て、大西洋の沖合、六千メートルもの深さの海面に、こんなものを作ったのだろう? 赤煉瓦がすでに色褪せて灰色がかった家が並ぶこの長い道、スレートや瓦の屋根屋根、一様に地味なこれらの店はどのようにして築かれたのか? そしてたくさんの小窓がほどこされたこの鐘楼は? それに、中にあるものといったら海の水だけなのに、壁にはしっかりと瓶の破片が埋め込まれ、時々その上を魚がとび跳ねている、庭園とも言いたげなこの一角は? 》

「沖の小娘」(「シュペルヴィエル抄」より 堀口大学訳 小沢書店 1992)

《この、水に浮かんだ道路が、どうして出来たものか? どんな水夫たちが、どんな建築師の手を借りて、大西洋遥か沖合いの海面、六千メートルもある深海の上に、これを造ったものか? 今ではすっかり褪せてしまって、仏蘭西鼠(グリ・ド・フランス)に近い色に見えている赤煉瓦のこれらの家々も、瓦葺きの、スレート葺きのこれらの屋根も、いつ見ても変わりのない貧しげなこれらの店々も? また透し彫りのどっさりしてあるお寺のあの鐘楼も? それから、見たところではただ海の水が満たしてあるだけだが、どうやらそれでも、壁をめぐらしたり、壜の底を置き並べて飾りにしたりした庭のつもりらしく、そこでときどき魚がはねているこの庭も?》

「海に住む少女」(永田千奈訳 光文社 2006)

《この海に浮かぶ道路は、いったいどうやって造ったのでしょう。どんな建築家の助けを得て、どんな水夫が、水深六千メートルもある沖合い、大西洋のまっただなかに、道路を建築したというのでしょう。道に沿って並ぶ赤レンガの家、いえ、もうすでに色あせてフランス風のグレーになっていたけれど、この家や、スレートやかわらで出来た屋根や、地味でかわりばえのしないお店はいったい、どうやって? あの小窓がたくさんついた鐘楼はどうやって? たぶんガラス片のついた塀に囲まれた庭だったのだろうけれど、今や海水でいっぱいになっていて、時たま塀の上を魚が跳ねたりするこの場所は、誰がどうやって?》

読んだ順番で記してみた。
こう並べてみると、最後のセンテンスが、前のふたつと永田千奈訳では距離がある。
永田訳では、壁に囲まれた庭園に海水が入っているというイメージだけれど、前のふたつでは、海水のなかに壁に囲まれた庭園があるといったイメージ。
永田訳では、塀はまだ海水の上にすこし頭をだしているようにみえる。

またタイトルも、「海の上の少女」と「沖の小娘」では、ずいぶんちがう。

ジュール・シュペルヴィエルは詩人で作家のフランス人。
1884年南米ウルグアイの首都モンテビデオで生まれた。
幼くして両親を失い、伯父のもとで育てられる。
学業はパリでおさめるが、その後もウルグアイとパリをいききした。

「シュペルヴィエル抄」には詳しい年譜がついている。
そのうち、1914年、30歳のときの記述が興味をひく。

《第一次大戦に動員される。健康上の理由から経理部に勤務。次いで情報部に配属され、イギリス、イタリア、スペインポルトガルからの郵便物の検閲にあたり、その中で、「ここに接吻します」とだけ書かれた空白のある一通の手紙に注目し、あぶりだしインクで書かれたメッセージを発見、これによって高名な女スパイのマタハリが逮捕されたという》

この話、本当だろうか。

シュペルヴィエルの翻訳は案外たくさんある。
作家のなかには、たとえばライナー・チムニクのように、それほど知られてはいないけれど、編集者なり訳者なりがバトンを渡すようにして、たびたび出版されるものがある。
シュペルヴィエルもそんな作家のひとりだ。

シュペルヴィエルの作品は説明しづらい。
「シュペルヴィエルの作品世界をどう位置づければよいのだろう。SF小説だろうか、童話だろうか、それとも妖精物語だろうか。そのどれでもあり、そのどれでもない」
とは、「海の上の少女」の裏表紙に書かれた一文。

「いちど、彼の作品を読んだことのない人にその魅力を説明しようとして、苦しまぎれに「フランス版宮沢賢治」という言葉を使ったことがある」
とは、「海に住む少女」の訳者あとがき。
「詩人で」
「童話や小説も書き」
「だが、その童話は必ずしも子供むけとは言えず」
「文豪と並び称される大作家ではないが」
「みなに愛される作品を残している」」
から。

シュペルヴィエルの作品が説明しづらいのは、ストーリーがあってないようなものだからだろう。
ストーリーを語るのではなく、ひとつのイメージを――それにしても〈海の上の少女〉というイメージは素晴らしい――散文に定着させようとする。
そのため、たいへん絵画的。

また、その作品は、読めばわかるのだけれど、叙情的ではあっても、感傷的ではない。
容易な感情移入を受けつけないところがある。
これがもうすこし感傷的だったらもっと読まれるのに、と思わないでもない。

引用した3冊はそれぞれ特徴がある。
まず、「シュペルヴィエル抄」には、堀口大学のシュペルヴィエルに関する訳業が、ひとつにまとめられている。
解説の安藤元雄によれば、堀口大学はシュペルヴィエルの初訳者。
同時代の文学者としての共感をもって伴走しつづけたとのこと。

さらに、シュペルヴィエルも堀口も、ともに早く母を亡くしていることに着目し、堀口の絶唱というべきこんな詩を引用している。

「三半規管よ、
 耳の奥に住む巻貝よ、
 母のいまはの、その声をかへせ。」(「母の声」)

「海の上の少女」では、「シュペルヴィエル抄」にはない、後期の散文作品を読むことができる。
シュペルヴィエルの作品からは、だんだんと叙情性が消えていった。
安藤元雄によれば、「存在の悲劇性がいつか枯淡な表現の中に透明となって行くあたり」の作品。

おなじことを訳者の網島寿秀さんはこう語る。
「…始めのうちは、ユーモアと叙情性が均衡して、しっとりとした雰囲気を作り出したところに傑作が生まれたのが、時とともにユーモアがかちはじめ、それがしだいにファルス(笑劇)のような乾いたものになっていった側面があるように思われる」 。

3冊のなかでは、「海に住む少女」の永田千奈訳だけが、ですます調。
そのせいか、作品の透明度が上がっているように感じる。
訳者あとがきには、訳者が高校生のときに出会ったという、堀口訳のシュペルヴィエルの詩、「動き」(詩集「重力」所収。堀口訳では詩集「引力」の「動作」)が載せられている。
拙訳であるが、と断っているけれど、堀口訳よりもことばが少なくなり、静けさが増したようで、こちらの訳のほうが好みだ。


=追記=

「沖の娘」(「なぞめいた不思議な話」所収 石川清子訳 くもん出版 1989)

《どのようにしてつくられたのだろう、この波にただよう通りは? どんな船乗りたちが、どんな技師の力をかりて、大西洋のはるか沖合いの、六千メートルの深海の上にこの通りをつくったのだろう?
 赤い色がすっかり色あせ、今ではねずみ色にくすんでしまったレンガづくりの家がたちならぶこの長い通りは? スレートやかわぶきのこれらの屋根、かわることのないこれらのみすぼらしい店は? そして、すかし彫りをたくさんほどこしたこの鐘つき塔は? それから、おそらく庭のつもりなのだろう、どろぼうよけのびんの破片をつけた壁で守られ、海水がたまっているだけのこの囲いは? その上ではときどき魚がとびはねている。》

これは児童書での訳。
そうか、壁につけたびんの破片は、泥棒よけのためだったのか。

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フクロウ探偵30番めの事件

「フクロウ探偵30番めの事件」(ジェームズ・マーシャル 童話館出版 1995)

訳は小沢正。
絵も作者が描いている。
ゆるい線で描かれた登場人物たちが、愛嬌がありとてもいい。

本書は、児童書にして推理小説。
舞台は、とある海辺のホテル。
このホテルでは、なにやら奇妙な事件が続発している。
たまたま泊り客としてきていた、探偵エリナー・アウルは、ホテルの主人に頼まれ、捜査を開始することに。

登場人物は、みな、擬人化された動物たち。
ホテルの主人は七面鳥。
名探偵エリナー・アウルはフクロウ。
その助手のポーズは、礼儀正しいネコ。

ほかに泊り客は、世にも美しいメンドリのマリエッタ・チキン。
いやみな金持ちのブタ、フォスター・ピッグ
病弱なコヨーテの紳士、ドン・コヨーテ。
サーフィン好きのふたごのリスに、旅行はいつも小包でする、ものすごく小さいモゾモゾ一家。

それから、チェロケースをもち歩く、女ヒヒ4人組みの弦楽四重奏団に、ホテルではたらくガチョウのマキシン。

この作品、作風がとてもスマート。
まず、いきなりエリナー・アウルが依頼を受けるのではなく、保養先で事件が起こる。
やっと、本書の半分ちかくになって、エリナー・アウルはホテルの主人から依頼を受けるのだ。

それから、ラスト。
「名探偵 みなをあつめて さてといい」という川柳があるけれど、エリナー・アウルはそれをしない。
ラストは余韻を残さず、すっぱりと終わる。
だから、読み返さないとわからない伏線がたくさんある。

こんな作風だから、謎を解く過程でなく、謎めいた雰囲気で読者を引きつけなくてはならない。
それは登場人物のユーモラスな描写によってなされる。
これが、とてもうまい。

たとえば、美女ニワトリのマリエッタの趣味はヨガだ。
美女のニワトリというだけでもよくわからないのに、それがヨガ。
しかも、羽を日焼けさせるために日光浴をしたりする。
もうなにがなんだか。

また、金持ちブタのフォスターが、絹でできた自慢の海パンをはき、鏡のまえでうっとりする場面。
海パンの柄は、腰みのをつけたハワイのブタたちが、ヤシの木の下でフラダンスを踊っているというもの。
さらに、フォスターはぐるぐるからだを回して、「えもいわれん」とつぶやいたりする。

この本は、訳文が素晴らしくこなれている。
「えもいわれん」なんて、感心する。
じつは、本屋で立ち読みしていたさい、購入を決意したのは、この場面だった。

謎そのものは児童書らしく、じつにくだけたもの。
洗練された作風は、仕掛けに気づいた子どもたちをきっと喜ばせるだろう。

ところで、本書は「フクロウ探偵30番めの事件」というタイトルだから、シリーズ物かと思っていたけれど、どうもちがうよう。
いきなり「30番め」からはじまるところも、スマートさのひとつだ。

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翻訳味くらべ「不思議の国のアリス」 2007.2.4〈再掲〉

「不思議の国のアリス」(キャロル 吉田健一訳 河出書房新社 1993)。

《アリスは川べりで、お姉さまのそばにすわって、なんにもしないでいるのが、あきあきしてきました。一、二度、お姉さまの読んでいらっしゃる本をのぞいてみましたが、それには、さし絵も会話も、入っておりませんでした。
「さし絵も会話もない本が、なんになるんでしょう」
と、アリスは思いました。》

「ふしぎの国のアリス」(ルイス・キャロル 北村太郎訳 集英社 1992)。

《アリスは、あーあ、つまんないなと思い始めていたんだ、土手に姉さんと並んですわってばかりいて、なんにもしないものだからさ。一回か二回、姉さんの読んでいる本をのぞきこんでみたけれど、絵もなけりゃカギかっこでくくった会話もなくて、文章べったり。「絵ぬき、会話ぬきの本なんて、どこがおもしろいんだよ」とアリスは、声に出さずにつぶやいた。》

引用箇所は冒頭。
出版年は、手元にある本の初版年を引用したもの。
北村太郎訳は、集英社文庫におさめられる以前、1987年に王国社から出版されている。
吉田健一訳も、この本以前に出版されているにちがいないけれど、本のどこにもそのことが書かれていなかった。

それにしても、吉田訳と北村訳は相当にちがう。
もちろん、正統的な訳は吉田さんのほう。
「翻訳はあとだしジャンケンのようなもの」と、だれかがいったけれど、北村さんはこんなふうに「あとだし」をしたということだろう。
解説で、北村さんは自身の訳について、こう述べている。

「この『ふしぎの国のアリス』の翻訳は、話し手(地の文を述べている人)を男の人と設定することで成り立っています。それから主人公のアリスを「あたし」と自ら呼ばせることで、いままで日本で出ていた大半の訳書に登場していたアリスの上品さを故意(傍点あり)に打ち消しました。作者のキャロルも、主人公のアリスも、上層中流階級(アッパーミドル)の英語を使っていることは百も承知で、ごらんのようにしたのです。」

北村さんは自身の仕事に対して、とても自覚的だ。
でも、なぜ故意に上品さを打ち消し、「ごらんのように」したのか。
いままでの童話の翻訳は、「子どもことばの文語体」が多すぎた、と北村さん。

「日本の子どもたちが日常ほとんど使っていないような「文語体」が、とくに翻訳のおとぎ話や童話などでいまでもなお用いられているのはまったくおかしいといわなければなりません」

とはいっても、本を一冊生き生きとした口語体に訳すというのは、たいへんな離れ技だ。
北村さんは、荒地派の詩人だけれど、この翻訳に詩人的感性が発揮されていると考えるのは自然なことだろう。

北村さんの詩はひとつも読んだおぼえはないのだけれど、、なんの拍子か、ひとことだけおぼえている。
これがいかにもアリスふうなので、ここに書いておきたい。
北村さんは、こんなことを書くひとだった。

「どこからこないで、どこへいかないか」

こういうことを書くひとがアリスを訳すのは、じつにふさわしいことのように思える。

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寓話

「寓話」(スティーヴンスン 牧神社 1976)

訳は枝村吉三。
絵はハーマン。

手元にあるのは、丸裸の本で、これを絵にしても白い四角にしかならない。
で、すこし工夫をこらしてみたのだけれど、なんとなく豆腐っぽい仕上がりになってしまった。
豆腐好きなのがあらわれてしまったのだろうか。

ハーマンのさし絵は、ビアズリーを思わせる白と黒のコントラストが効いた精緻なもの。
最初、この絵を真似しようと思ったのだけれど、細かすぎて、すぐに断念した。

さて、本書は寓話集。
収録作は以下。

「沈みかけた船」
「二本のマッチ」
「病人と消防士」
「悪魔と宿屋の主人」
「悔悟者」
「黄色い塗り薬」
「エルドの家」
「四人の改革者たち」
「男とその友人」
「読者」
「市民と旅人」
「異国からきた貴賓」
「乗馬と馬車馬」
「おたまじゃくしと蛙」
「なにかがある」
「信、半信、不信」
「試金石」
「みすぼらしいもの」
「あしたのうた」
付録「物語の人物たち」

寓話の定義というのは、よくわからないけれど、物語のエッセンスを凝縮させたものだとしよう。
物語を遠心分離機にかけ、ぐるぐる回して残ったもの。
短くて、アイロニカルで、かつ、教訓をたやすく抽出できないような両義的なもの。

本書におさめられているのは、そんな寓話だ。
例として、「二本のマッチ」を挙げよう。

強い貿易風が吹く、カリフォルニアの山のなか。
旅人が一服しようとしたところ、マッチが2本しかみつからない。
まず、1本こするが、火がつかなかった。
そこで、旅人は火がついたときのことを考える。
吸殻を捨てると、それが草に燃えうつるだろう、火は燃え広がり森は焼け、泉は涸れ、農家は滅んでしまうだろう。
もう1本のマッチをこすると、はたして火はつかない。
よかったと、旅人は安堵する。


解説によれば、本書がいつ書かれたのか、その詳細はわからないそう。
スティーブンスンの文筆活動の、初期から晩年にいたるまで、断続的に書かれたのではないかと訳者は見当をつけている。
出版されたのは、スティーブンスンが亡くなってからだ。

本書に収められた寓話の配列が、年代順なのかどうかわからないけれど、前半のものはまだ読者に意味を解読しろとせまってくるようなうるささがある。
アイロニカルさが勝ちすぎている。
後半にいたると、それが薄まり、澄明さが増す。
もはや、作者の名前を冠する必要もないのではないかというくらい、寓話として最高の完成度をみせる。
個人的には、「試金石」と「みすぼらしいもの」が好きだけれど、「あしたのうた」の完成度もすさまじい。
解説では、「禅味」ということばがつかわれていたけれど、そんなことばがつかわれるのもわかる気がする。

ところで、この本の作者スティーヴンスンは、「宝島」の作者の、あのスティーヴンスンだ。
寓話というのは、物語の細部を徹底的に削いだ果てにあらわれるものだから、ロマネスクな想像力とは相対するものだろうとかってに思っていたのだけれど、どうもスティーヴンスンにこの事情はあてはまらないらしい。

本書の最後におさめられている付録「物語の人物たち」では、「宝島」の登場人物である海賊シルヴァーとスモレット船長が、第32章と第33章のあいだの楽屋裏で話をするという形式で書かれたもの。
作中、シルヴァーはこんなことをスモレット船長にいう。

「もし創造者という者があるとすれば、私は彼の気に入りの人物だということです。彼はあなたよりも、私の方をずっとうまく書いています」

スモレット船長も負けずにこんなことをいう。

「彼は正しい方の味方なのだ。だから注意したまえ。まだ、この物語の終わりまで行っていないのだ。これから君には厄介なことが起るぞ」

こんなに批評性があるのにもかかわらず、スティーヴンスンの小説にはいつも物語の力があふれている。
じつに不思議だ。
ふつう、批評性があるひとが小説を書くと、うるさくて読みにくいものができあがるんじゃないだろうか。

スティーヴンスンのことを見損なっていたと、本書を読んで思った。
いずれ、スティーヴンスンの小説を読み返してみないといけないか。

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翻訳味くらべ「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」(翻訳入門版) 2008.12.29〈再掲〉

面白い本をみつけた。
「翻訳入門」(松本安弘・松本アイリン 大修館書店 1986)
と、いう本。

どのへんが面白いかというと、原文と既訳をならべたうえで、誤訳・拙訳を指摘し、著者による改訂訳をのせているところ。
とり上げられている作品の多くは小説だけれど、そればかりでなく評論や詩、児童文学まである。
このバラエティの豊富さは、めずらしい。

著者の考えかたにはわかるところもあるし、首をかしげるところもある。
いくつか例をあげたいのだけれど、以前この欄でもとり上げたことのある「郵便配達は二度ベルを鳴らす」が載っていたので、まずはそれをとり上げよう。

本書の構成は、原文をのせ、つぎに既訳をのせたのち、いろいろ指摘したうえで改訂訳をのせるというもの。
それにならい、まずは原文を。

Postman Always Rings Twice
《They threw me off the hay truck about noon. I had swung on the night before,down at the border,and as soon as I got up there under the canvas. I went to sleep. I needed plenty of that,after three weeks in Tia Juana,and I was still getting it when they pulled off to one side to let the engine cool. Then they saw a foot sticking out and threw me off. I tried some comical stuff,but all I got was a dead pan. so that gag was out. They gave me a cigarette,though,and I hiked down the road to find something to eat》

じつはもうひとつパラグラフがあるのだけれど、これは省略。
つぎに既訳がくる。
ハヤカワ・ミステリ文庫から引用したとあるから、小鷹信光訳のはずだけれど、訳者の名前にはふれられていない。
これは本書ぜんたいをつらぬく方針でもある。
出版社が記されているのだから、すぐ訳者はわかるのだけれど、あえて名をふせているのは、 たたき台にされる訳者を慮ってのことかもしれない。
(しかし、訳者名をふせるほうが失礼だという考えかたもある。いまは著作権についてうるさいから、かならず訳者の名前をのせるだろう。この本が出版された1986年当時は、まだそのあたりがゆるやかだったのかもしれない)

小鷹信光訳は以前この欄でとり上げたけれど、便宜をはかって、もう一度引用。

「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」(ジェイムズ・M・ケイン 小鷹信光訳 早川書房 1981)

《ちょうど昼頃、乾草を運ぶトラックから放りだされた。前の晩、南の国境近くで飛び乗り、覆いの下にもぐりこむと同時に眠ってしまった。ティワーナの町での三週間のあとだったからあたりまえだ。エンジンを冷やそうと連中が車を寄せたときも、ぐっすり眠っていた。それで、突きでていた片足を見つけられ、放りだされたのだ。道化てみせたが、相手はむつつりしていたので、おふざけは幕にした。煙草を一本恵んでもらい、食いものを探しに歩きはじめた。》

この訳にたいして、著者によるさまざまな指摘がなされる。
どんな指摘をしているのか、すこし引用してみよう。

ちょうど昼ごろ
「ちょうど」は「端数がなくぴったり何時」である。「ころ」は「だいたい何時前後」である。したがって両者は相容れない。「昼ごろ」が正訳。

Tia Juana
「ティーアワーナ」。地名の正しい発音については『固有名詞英語発音辞典』があるとよい。また町の説明は世界地名辞典や外国旅行案内を読めばよい。Tia JuanaはTijuanaとも綴り、メキシコの国境町で、米国カリフォルニア州サンディエゴ市の数十キロ南にある。両市の間には太平洋岸に沿ってパシフィックハイウェーが走っている。この国境の町は米国側からはパスポートもいらず、酒と女とバクチの歓楽地である。
〈略〉
the borderやTia Juanaは、日本人読者にも代わるよう、ただ「南の国境」とせず、「南に下ったメキシコ国境」とし、ただ「ティーアワーナの町に3週間いた後では眠い」とせず、「酒と女とバクチの歓楽地ティーアワーナで3週間も居続けたので眠い」とする必要がある。
それがストーリーの筋と全然関係ない場合はそう神経質にならなくてもよいが、この場合は、行きずりの浮浪者の青年の性格や、メキシコ料理エンチラーダを注文したり、ティーアワーナで無一文になり、安食堂で無銭飲食を計画し、キャディラックの友人と待合せしていると嘘をつく場面などが読者に納得できる程度の説明が必要。

dead pan
普通panは「フライパン」「平なべ」の意味だが、スラングで「人間の顔」をこう呼ぶ。したがってdead panは「無表情な顔」。原訳(小鷹訳)の「むっつりした顔」では「黙りこくって陰気な顔」の意になり、この場合正訳とはいえない。

食いものを探しに歩きはじめた
I hiled down the road to find something to eat.は「道路に沿ってハイキングのように歩いて行った」。原訳は「道路に沿って」を訳し忘れている。そうでないと道路脇の食堂にぶつからない。物語はつじつまが合わないと真実味が薄れる。

指摘はまだまだあるけれど、これくらいに。
著者の改訂訳はこうだ。

《昼ごろ、おれは干草を積んだトラックから追っ払われた。前の晩、南のメキシコ国境でこのトラックの荷台に飛び乗り、キャンバス覆いの下にもぐり込むとすぐ眠りこけてしまった。酒と女とバクチの国境町ティーアワーナに3週間も居続けたあとだったので、おれは睡眠が必要だった。エンジンを冷やすためトラックが道路脇に寄ったとき、まだむさぼるように眠っていた。そのときトラックの連中はおれの片足が外につき出しているのに目をとめて、おれをトラックから追い出した。おれは少々おどけてみせたが、相手からは無表情な顔しか返ってこなかったので、ギャグはやめにした。それでも連中はタバコを一本くれ、おれは何か食うものを探さねばと、ハイウェーをてくてく歩いた》

これは小鷹訳でこの本を読んだ愛着のせいかもしれないけれど、個人的には改訂訳は説明過多にすぎると思う。
「ちょうど昼ごろ」についても、原文の口語的な要素を反映させたのだと考えたい。
また、「道路沿いを歩いた」は、訳さなくてもわかりそうだ。
読者の読解力にたいする見積りが、小鷹訳と改訂訳では大きくちがっているところが、面白いところ。

つぎのパラグラフであらわれる、食べ物を列挙する文章について、著者はこんなこともいっている。

《「 A、B、そしてC」「A、B、またはC」のような直訳調では美しく自然な日本語とはいえない。〈略〉。日本の有名作家の小説を気を付けて読むと分かるが、日本語では、A、B、Cの全部の助詞に「と」「も」または「か」をつけるか、一切つけないか、英語と逆に「Aと、B、C」とする。接続詞「そして」「あるいは」はなるべく使わない方が美しい日本語になる。》

個人的には「A、B、そしてC」は、もう日本語になっている気がするけれど、どんなものだろう。

この本を読むと、翻訳入門というのは文章読本でもあるということがよくわかる。
ほかにも、興味深いことが書かれているので、いずれとりあげてみたい。

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翻訳味くらべ「郵便配達は二度ベルを鳴らす」 2007.1.4〈再掲〉

「郵便配達は二度ベルを鳴らす(ジェームズ・ケイン 中田耕治訳 集英社 1981)。

《正午(ひる)ごろ、おれは干草を積んだトラックから抛りだされた。前の晩、国境のところで飛び乗って、ズック・カヴァーの下にもぐりこんだとたんに眠ってしまったのだ。ティファナで三週間すごしたあとで、ひどい寝不足だったから、エンジンの熱をさますために車が一方へ寄ったときにも、まだ眠りこんでいる始末だった。たまたま、かたっぽの足がつきだしているのを見つけられて、つまみだされてしまった。おれとしてはせいぜいご機嫌をとりむすぼうとしたわけだが、相手はまるで表情を変えない。そこでギャグはやめることにした。それでも、たばこを一本めぐんでもらって、何か食いものをさがそうと道路を歩きだした。》

「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」(ジェイムズ・M・ケイン 小鷹信光訳 早川書房 1981)。

《ちょうど昼頃、乾草を運ぶトラックから放りだされた。前の晩、南の国境近くで飛び乗り、覆いの下にもぐりこむと同時に眠ってしまった。ティワーナの町での三週間のあとだったからあたりまえだ。エンジンを冷やそうと連中が車を寄せたときも、ぐっすり眠っていた。それで、突きでていた片足を見つけられ、放りだされたのだ。道化てみせたが、相手はむつつりしていたので、おふざけは幕にした。煙草を一本恵んでもらい、食いものを探しに歩きはじめた。》

引用箇所は、この小説の冒頭。
なぜか、この本も手元に2冊あった。
けっきょく、呼んだのは小鷹信光訳。
こうくらべてみると、おんなじ文章を訳したのに、ずいぶん量に差がある。

以下は余談。
ときおり、古本屋で著者のサイン本を見つけることがある。
たいていは、「謹呈」とか「恵存」とか書かれ、著者の名前が記されたもの。

また、おなじじ内容が書かれた栞が挟まれていることも。
著者が気をつかい、本をもらったひとが手放しやすいようにと、栞にしたのだろうけれど、、もらったひとはそんなことには気づかず、そのまま古本屋に売ってしまったのだろう。

こういう本を見つけると立ち去りがたくなり、つい買ってしまうという悪い癖がある。
それで読むことになったのが、小鷹信光訳の「コンチネンタル・オプの事件簿」(ダシール・ハメット 早川書房 1994)だ。

これが素晴らしく面白くて、何度も読んだほど。
以来、ハメットはひいきに。

本もひととおなじで、どこに縁があるのかわからない――という話。


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猫とともに去りぬ

「猫とともに去りぬ」(ロダーリ 光文社 2006)

訳は関口英子。
光文社古典新訳文庫の一冊。

古典新訳文庫は2006年にはじまったシリーズ。
その第一弾に、「リア王」や「カラマーゾフの兄弟」や「飛ぶ教室」」などとならんで出版されたのが本書。
ラインナップのなかにロダーリの名前をみつけたときは、清新な思いがしたものだった。

本書は短編集。
収録作は以下。

「猫とともに去りぬ」
「社長と会計士 あるいは 自動車とバイオリンと路面電車」
「チヴィタヴェッキアの郵便配達人」
「ヴェネツッアを救え あるいは 魚になるのがいちばんだ」
「恋するバイカー」
「ピアノ・ビルと消えたかかし」
「ガリバルディ橋の釣り人」
「箱入りの世界」
「ヴィーナス・グリーンの瞳のミス・スペースユニバース」
「お喋り人形」
「ヴェネツィアの謎 あるいは ハトがオレンジジュースを嫌いなわけ」
「マンブレッティ社長ご自慢の庭」
「カルちゃん、カルロ、カルちゃん あるいは 赤ん坊の悪い癖を矯正するには……」
「ピサの斜塔をめぐるおかしな出来事」
「ベファーナ論」
「三人の女神が紡ぐのは、誰の糸?」

ロダーリで読んだことがあるのは、「二度生きたランベルト」(平凡社 2001)と、「マルコとミルコの悪魔なんかこわくない!」(くもん出版 2006)だ。
「二度生きた…」は面白く思えなかったのだけれど、「マルコとミルコ…」はとても面白く、メモもとった

というわけで、面白さは一勝一敗。
自分にとってのロダーリの評価は、この本で決するのだ、という意気込みで読んでみた。
結果は…。
面白い!

内容は、コント集。
ドラマ的な面白さではなく、奇想天外な面白さ。
人間と動物と無機物のあいだに境がない。
おじいちゃんは猫になるし、一家は水没にそなえて魚になる。

また、物理法則も往々にして無視される。
郵便配達人は、あまりにも急いで眠ったので、月曜日に逆もどり。
保安官と対決したピアノ・ビルは、そのピアノの腕前でみごと保安官を倒す。

昔から、こういうバカバカしい作品に弱い。
こちらの幼児性に訴えるところがあるのだろうと思う。

ナンセンスなコント集だから、収録作のどれがいちばん面白かったということは、まあいえない。
そこで、表題にもなっている、第一作目の「猫とともに去りぬ」のストーリーを紹介しよう。

元駅長で、いまでは年金暮らしのアントニオ氏。
家庭での地位が下落したことに憤りを感じ、家出を決行。
いき先は、古代ローマの遺跡に多くの猫がすみついている、アルジェンティーナ広場。
道の鉄柵を越えると、アントニオ氏は猫の姿に。

猫になったアントニオ氏に話しかけてきたメス猫は、むかいに住んでいた元小学校教師。
なんと、ここにいる猫の半分は、もと人間だった。
その晩、猫先生による天文学の講義が。
猫座がないのに腹を立てた猫たちは、大規模な抗議デモを敢行。

そうこうしているうちに、孫娘のダニエラがアントニオ氏を呼びもどしにくる。
けっきょくアントニオ氏は、人間にもどり、うちに帰ることに。

解説によれば、本書はロダーリの「ファンタジーの文法」(ちくま文庫 1990)の実践編としても読めるそう。
「猫とともに去りぬ」は、子どもたちとのかけあいから生まれたものだそうで、子どもたちに結末をどうしたらいいかたずねたところ、また柵をくぐらせて、おじいさんをもとにもどしてあげるべきだと、ほとんどの子どもたちがこたえたという。

この、「また柵をくぐる」というところが、ロダーリのいう「ファンタジーの対称性」。
柵をくぐって、猫になったおじいさんは、柵を逆にくぐって人間にもどる。
そうでなければならない。

本書のおかげで、好きな作家のほうに針が振り切れた。
今後も機会をみつけてロダーリを読んでいこうと決意した次第だ。


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翻訳味くらべ「ジーヴズの事件簿」ほか〈再掲〉 2006.9.29

つねづね翻訳をくらべたサイトがあるといいなと思っていた。
訳がたくさんあってどれを手にしてよいかわからないとき、このサイトを見れば、自分の気に入った訳を見つけられる。
そんなサイト。

ネットにはなんでもあるから、こんなサイトももうあると思う。
でも、まあ思いついたので自分でやってみたい。

で、基本方針。
――訳のおなじ部分を引用してならべるだけ。
以上。

それから、手元にある本を優先すること。
なぜか訳のちがう2冊の本をもっていたりするので、それについてメモをとる。
訳本さがしは面倒だし、本によってはきりがなくなるのでやらない。
けっして完璧を期さないことをモットーとしたい。

では、さっそくやってみよう。
まずは、両方の訳を買ってしまった「ジーヴス」もの。

「ジーヴズの事件簿」(P・G・ウッドハウス 岩永正勝・小山太一編訳 文芸春秋 2005)より、
「ジーヴズと白鳥の湖」から。

《その朝僕は、ハートフォードシャーのウーラム・チャーシーにあるアガサ叔母の屋敷にたっぷり三週間泊まりに行くことになっていた。朝飯のテーブルに座った僕の心は、はっきり言って重く沈んでいた。われわれウースター家の男どもは鋼鉄の強さを誇るが、そのときは、僕の勇敢な外面の下に名状しがたい怖れが潜んでいたのだ。
「ジーヴズ」僕が言った。「今朝はいつもの楽しい気分になれない」
「さようでございますか?」
「そうだ、ジーヴズ。いつもの楽しいぼくからは程遠い」
「お気の毒でございます」
ジーヴズはかぐわしいベーコンエッグの蓋をとり、僕は力なくフォークで突き刺した。
「なぜ――これが分からないんだ、ジーヴズ――なぜ叔母はぼくを田舎屋敷に呼ぶんだ?」
「分かりかねます」
「ぼくが好きだからじゃない」
「それはありえません」 》

「でかした、ジーヴス !」(P・G・ウッドハウス 森村たまき訳 国書刊行会 2006)より、
「ジーヴスと迫りくる運命」から。

《それはハートフォードシャーにあるウーラム・チャーシーのアガサ伯母さんの邸宅に、たっぷり三週間滞在する予定で出かけようという、その日の朝のことだった。朝食の席に着く僕の心はただひたすら重かったと告白するに、僕は少しもやぶさかでない。我々ウースター家の者は鉄の男である。しかし、恐れを知らぬがごとき我が外貌(がいぼう)の下には、名状しがたい恐怖が宿っていた。
「ジーヴス 」僕は言った。「今朝の僕はいつもの陽気な僕じゃないんだ」
「さようでございますか、ご主人様?」
「そうなんだ、ジーヴス。全然まったく陽気な僕じゃない」
「さようにお伺いいたしましてたいそう遺憾と存じます、ご主人様」
彼は薫り高きエッグス・アンド・ベーコンの蓋を外し、僕はもの憂げにフォークを一刺し突き立てた。
「どうして――僕が自問せずにいられないのはこれなんだ、ジーヴス――どうしてアガサ伯母さんは僕を田舎の邸宅に招待なんかしてくれたんだろう?」
「お答え申し上げかねます、ご主人様」
「僕のことが好きだがらじゃあるまい」
「おおせのとおりと存じます、ご主人様」 》

もうひとつ。
先日、「笑う大英帝国」(富山太佳夫 岩波書店 2006)に、やはりジーヴス物の引用をみつけた。
なにも書いていないから、おそらく訳は著者自身だろう。
その部分の訳を三つ、上記の訳者たちとともにならべてみる。

「笑う大英帝国」

《「ジーヴズ!」
「はあ?」
「車を出してくれ!」
「はあ?」
「ヤバイんだ!」
「はあ?」
ウースターは足をばたばたさせた。
「そこに突っ立って「はあ?」はやめてくれ。ヤバイと言ってるだろ。超ヤバイ! ロスしていい時間はないんだよ」》

「ジーヴズの事件簿」(岩永正勝・小山太一編訳 文芸春秋 2005)より、
「バーティ君の変心」から。

《「ジーヴズ!」
「はい、何で?」
「車のエンジンを入れろ!」
「は、何でしょうか?」
「逃げるんだ!」
「何でございます?」
ウースター様は地団太を踏まれました。
「馬鹿みたいにつっ立って『何、何』とほざくのはやめろ。逃げると言ってるんだ。いいから行くんだ! 一刻の猶予もならん。… 》

「それゆけ、ジーヴス !」(森村たまき訳 国書刊行会 2005)より、
「バーティー考えを改める」から。

《「ジーヴス!」
「ご主人様?」
「車を出してくれ!」
「ご主人様?」
「出発だ!」
「ご主人様?」
ウースター様は何歩か踊るように足をおすすめあそばされました。
「そこに立ったまま〈ご主人様?〉なんて言い続けるのはやめるんだ。出発だ。とにかく出発だ!一刻たりとも無駄にはできない。… 》

――こうならべてみると、「笑う大英帝国」訳のジーヴズが、いちばんご主人をバカにしているようだ…。


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巨人ぼうやの物語

「巨人ぼうやの物語」(デュボア 偕成社 1978)

訳は渡辺茂男。
さし絵も作者。

作者は、「三人のおまわりさん」(学習研究社 1965)を書いたひと。
「三人のおまわりさん」での表記は、「ウィリアム=ペン=デュポア」。
でも、「巨人ぼうやの物語」では、「ウィリアム=ペーヌ=デュポア」。
外国人名の表記はむつかしいものだけれど、でも、訳者が同じなのに、なんでちがっているのか。

作者が書いた、いちばん有名な本はたぶん「ものぐさトミー」(岩波書店 1977)。
ここでもまた作者の表記が変わり、「ペーン・デュボア」。
また作者は、「ねずみ女房」(ルーマー・ゴッデン 福音館書店 1977)のさし絵を描いたことでも有名(ここでも人名表記が変わる。まったくもう)。

さて、ストーリー。
主人公は作家の〈わたし〉、ビル。
「クマさんの世界おたのしみ旅行」という旅行ガイドを書くために、各地を歴訪中。
ヨーロッパのとある都市のホテルに着くと、そこに手紙が。
差出人はエル=ムチャーチョ・イ・コンパニーア。
スペイン語で少年協会というような意味。
内容は、貴下はただちにほかのホテルにうつられたし、というもの。

ビルは手紙にしたがわず、部屋に逗留。
すると、怪しいことに、真向かいの建物は歩道から屋上まで、板塀ですっかりかこってあることに気づく。
また、発電所が爆撃されたという想定の、夜間防空演習がはじまる。
向かいの建物に、なにかうごきがあるにちがいないと、ビルはバルコニーで見張りをするものの、サーチライトを浴びせられ、けっきょくなにもわからず。

翌日、怪しい建物では、前で式典がおこなわれたり、サーカスのトラックが入っていったり。
さらに、真向かいにある窓から巨大な目がのぞいているのに気がつき、ビルは卒倒。
その後、少年協会からは昼食の招待状が。
事務局長のフェルナンドは、ビルをほかの場所にうつそうと買収をしにきたのだけれど、ビルが巨大な目をみたことをいうと、巨人ぼうやの生い立ちについて話はじめる…。

作者が描くさし絵は、絵のなかにちゃんと重力が感じられような、空間が表現された絵。
ぼうやの巨大感がよくでている。
それと同じ想像力が、文章のなかでもみられる。
ぼうやと会ったビルは、ぼうやにつまみ上げられるのだけれど、そのスピードのためビルは目をまわしてしまう、とか。

また、あるとき、建物のまえでご婦人の髪の毛が逆立ち、紳士のカツラが舞い上がるというできごとが。
これは、ぼうやが髪をとかしたさいにおこった静電気のため。
作者の想像力は、絵を描くひとにふさわしく、空間的、物理的によくいきとどいたはたらきぶりをみせている。

ぼうやがスペイン語しかできず、英語しかできないビルと話ができないという設定はうまい。
ビルとぼうやのあいだにフェルナンドが入ることにより、作品にリアリティが生まれるし、想像力はおもに空間的なことに限定されるから、統一感が生まれる。
ビルとぼうやが話ができたら、たぶん収集がつかなくなっていたんじゃないだろうか。

後半のストーリーの焦点は、ぼうやが街のひとに受け入れられるかどうかというもの。
もちろん、児童書らしいあたたかいラストが待っている。

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