真幸駅近くのおうちのタマ

2009-02-17 11:26:21 | 塾あれこれ
肥薩線は熊本県八代から人吉盆地をぬけ鹿児島湾の
隼人までのローカル線。
川内を通る現在の鹿児島本線とは違うルートです。

人吉までは1時間に一本くらいあるようですが
その先は一本逃すと3時間待ちの世界です。

人吉から南下した鉄路は宮崎県をかすめて鹿児島に
入りますが、手前、宮崎県に真幸駅があります。
近年は鉄道ファンに有名だとか。

駅に近いトンネルで終戦時に起きた大事故はもう知る
人も少なくなった・・私にとっても歴史上の話。

さまざまな理由からこの駅の辺りは人が減り
ついには現在駅の近くには人家がなくなっています。

いまでは珍しいスウィッチバックで入る駅舎の周りは
自然がいっぱい。
懐かしい田舎の空気が残っていますね。

人気が出たのは真幸駅の名前、そしてそこにある鐘。
鳴らすと幸福になれるんだとか。

無人の駅舎に近くの人が集まってサービスをされて
います。ちょっとした農産物とか宮崎の焼き鳥とか
を販売もされて、ね。

駅へ集まる方の一人にTVがお宅拝見です。
ヤクルトオバサンのバイクみたいなので山道を
進むそのご婦人は77歳、ご主人は84歳でした。
お子さん達は独立され、お二人で山間地農業です。

その昔、長男ではなかったご主人が山を開拓して
棚田を作られたのだそうです。

猪が出る、鹿が出る・・

このお家にいる同居人がネコのたま。
タマかな?玉?珠?・・

やはりネコはたま、犬はポチ。
こうこなくちゃ日本じゃありませんね。

(我が家はチドリとカラスか。。。)

自然の中で暮らすセイか、たくましい。
自分の体ほどの野ウサギを捕まえるそうですから
どこかのデブネコとは大違い。

狩に大切な前足が長くて丈夫です。

田植えをしているオバ(ア?)さんの背中に畦から
飛び乗ったりして遊びます。
秋の取り入れでは稲の棒かけに乗っていました。

家の中は畳もフスマもバリバリです。

いや、ほんと、ネコはこうでなくちゃ。

中川大臣!それはない

2009-02-16 18:55:38 | 塾あれこれ
我々の想像をこえ大変な仕事とは思います。
また政治の敵方が揚げ足をとるのに加担する積り
もありません。

しかし、飲酒か薬か複合作用か、などで済む話では
ありません。
直前の飲酒でなかったからよい、とは言えません。

そんな体調で会見に臨んではいけないという事です。
仕事を何と考えているか?
しかも日本全体に関わることです。

G7の会議でもどうも眠っていた疑いがあると写真
報道されていますね。

ご当人は「きちんと話ができた」と言われてるようで
すけれどもね。


今国会の財務演説でもミソをつけましたし、国会の
審議中でもイネムリ疑惑があります。
TVに写ってるのにどういう神経だろう?

まあもう一人のN大臣よりマシか?
彼はそのうちイスから落ちるんじゃないか知らん。

『李下に冠を正さず、仕事中は目を閉じず』
疑われるようなことをしてはなりません。


イタリアといえばサミットでM首相が体調を崩すなど
どうも鬼門になっているようです。

そうじゃなくて日本が生ぬるすぎるのか。

今回も海外のメディアが騒いだから日本もそれに
乗っかっている気味があります。

今まで眠っていても叩いていなかった日本のメディア
に問題はないのでしょうかね。
政治家も国民もみんな何も感じなかったわけで。。


またナニサマ風に威張ったことをしゃべっていますが
下品といわれようと威張りたいだけだと言われようと
文句も言わないで追随し自らの平安を祈る人間には
なりたくないですね。

続きです

2009-02-16 18:30:44 | 塾あれこれ
昨日の続きです。

今日メイルが届き、12日にご案内を頂いていた
そうです。
私が見落としていたらしい。
お恥ずかしい話で、お詫び申し上げます。

広島へ1冊でも大丈夫との話でした。

注文のし方は
1 代引き
2 先払い
があるそうです。

代引は本体一冊1000円に代引手数料1100円

先払いは一冊千円+送料740円

郵便振替用紙を生協が送って来、こちらの入金を
確認したのち発送されるとのこと。
なお送料740円は5冊までのものです。

暫く先になると思いますが現物の感想は後日。

『白川静博士の漢字の世界へ』

2009-02-15 11:22:01 | 塾あれこれ
案外遠いなあ、という話です。

2.2の当ブログを読んでくださった立命館大学の
方がわざわざ電話を下さいました。(2/10)
コメントで知らせようとされたのですがgooのIDで
のみ受け付けていますのでダメだったようです。
申し訳ありませんでした。

にもかかわらず、改めて私の電話番号を調べたうえで
教えてくださるとは、本当に有難いことであります。

小学校のうちから漢字の本質にふれることの大切さ
をよくご存知だから、たとえ小さな塾であれ、情報を
教えてあげようというお考えでしょう。

その情報とは、福井県教育庁が白川静博士の学問を
小学生に教えようと教材を作られ、県下の小学校で
使われているということです。

他県では購入できないので、教育庁のサイトを覗く
ようにと教えて下さいました。

さっそく福井県教育庁のウェブサイトを覗きますと
(生涯学習)のところに本の案内が載っています。

『白川静博士の漢字の世界へ』

チラシのダウンロードもできるようになっています。


その翌日が祝日でしたから12日に問い合わせ先の
教育庁生涯学習課あてにEメイルをしました。
(ウェブサイトにアドレスがあります)

「広島の者である、一冊でも送ってもらえるか?」

すると、丁寧なご返事を頂戴しました。

県庁の生協に連絡をとれば有償で分けていただける
とのこと、生協の電話・ファクス・メルアドまで
書いてあります。

電話代をケチってEメイルにしました。(2/12)

福井県庁のサイトには電話で申し込めるとして
各生協の電話番号がのせてあります。

・・さて。
案の定、13日一杯にはご返事を頂けませんでした。
14日、土曜日に電話をしましたが休みらしく不通。

明日月曜に、電話を再挑戦です。

一冊は面倒だしねえ。

まあどうなりますか、結果はまた報告します。

折角教えていただき途中までは皆様大変親切で
したので、ここは本を自分で確認し、その上で
皆に宣伝をしなければねりません。

でも送料が高いだろうなあ・・

引用について

2009-02-14 10:37:31 | 塾あれこれ
文章の作法として学生に教えることの一つに
気取った表現をするな、ということがあります。

中学生くらいで、稀有とか未曾有とか一国の総理でも
読めないような言葉を使ってはいけません。
身の丈にあった表現が好ましいのです。

新聞の投書欄等で、どう考えても大人それも年配者の
手が入ったような小学生の文を見かけます。
もしかすると手は入っていないのかもしれませんが
少なくとも好ましくはありません。

私個人の例で恥ずかしいのですが小学2年の時作文で
「いまごろは放射能の雨が降る。
 春雨じゃ濡れてゆこう、なんて言ってられない」
と書いて、先生に母親がオタクは家でどういう教育を?
と叱られたことがあるそうです。

大人びた表現を知っている場合もあるが好ましくはない
という例ですね。

ちなみに私は「月さま、雨が」「春雨じゃ・・」と
セットで知っておりました。
まあそこだけなんですけれども。


洒落たつもりの引用も難しいものです。

多くは軽いレトリックとして使われるようですが
「それくらいなら引用はするな」と私は教えますね。

引用というのは、どこまでが偉い人の言葉・考えで
どこからが自分のものか、分りにくいのです。

通常は、引用→アナロジー→自分の考え、という順に
書くはずですが、それらの境目が不透明です。

書いているほうも客観的になれないのでしょう。
昨日書いた、自分の頭が邪魔をするというやつですね。

こういうことに意識的でない人も多いようです。
偉い人の名前を出して引用しながら、途中から自分の
意見にすり替わってしまっているのです。
マルクスがいつの間にか現代政治を分析しているとか
自分の話にすればよいのに自信がないのか?


本当は引用ももともとの文脈を抑えているべきで、
「名言集」などから引いてはいけません。
自分の都合のよい解釈になるからです。

エラそうに言ってますが私自身もミスが多い筈です。
気づかないんですよね。
昨日の「夕焼けトマト」と同様です。


客観的になれない、ほかに動機の不純さも問題です。
自分の言うことにハクをつけ、ホントっぽく見せる
のです。

ええ、私もよく使うテで。。。
人間のセコさが滲みますねえ。

安物の政治家が人気のある党首と写真を撮りたがる
あれに似ていますね。
(それがナンボのもんじゃ?なのですが)

偉い人の言葉である、人口に膾炙しているから正しい
ということで引っ張って、ついでにそんなことまでは
言ってないことを付け足します。

多くは無邪気な勇み足でしょうが、自分では気づかな
いけれど悪意に近いものがあることもあるようです。

冷静になることも難しいですね。
もう一人の自分を育てなければなりません。


冷静に、とかもう一人の自分とか抽象的に過ぎます。

若い人は「べからず集」を作ってはどうでしょう。
否定表現から入るのはいかにも日本的ですがね。

引用はするな
長い文章は書くな
気取った表現はするな
知ったかぶりするな

・・等々自分でオリジナルを作りましょう。


何を気持ち悪いと思うか
自分の倫理はいかにあるべきか、そんな「個」の
確立も必要ですが、道徳や哲学の世界ですね。

ところで引用は失敗をする恐れがあることを
書き漏らしていました。

間違っているとか怪しいものを引用すると自分の
文章全体がダメに思われます。

近くはベストセラー「○○汚染」
私は読んでいませんがTVで宮崎さんが専門家は
首をひねってると言ってました。

そんなものから引用などしないほうが無難です。

上手に伝える術

2009-02-13 14:18:52 | 塾あれこれ
私の下手な俳句作りを例にお話を始めましょう。

自作の句を見ると、表現したかった情景や心情が
ぱっと浮かんできます。
それで、良い出来の句に思えてしまいます。
少なくとも他者に伝わらないなんて思えない(OH・・)
もちろんひどい勘違い。

これを記号を使って説明してみます。
なるべく面倒にしないつもりですのでヨロシク。

Aを見てそれを表現するのにaと書いた積りだけど
実際には似て非なる表現a'を書いているのです。

この間違いに当人はなかなか気づきません。
Aを表現しようとして書いたものだからa’でも
それを見た瞬間に初めのAを想起するのですね。
それが邪魔をするわけです。

Aが浮かぶわけですから、実際に書いたのは本来のa
ではなくa’なのにそれでも十分と思うのですね。
aを書いたつもり=錯覚もあるかもしれません。

a’だぞ、と気づけばaへ修正も可能です。
もっと上手な表現が出来ているかもしれません。


夕焼けがキレイであったので俳句を作ろうとしたとき
表現に苦労したあげく「トマトの如き夕日かな」と
ひねったとしましょう。(俳句は捻ると言います)

いくら何でもですが、これが上記のa’です。
これで当人にはくだんの美しい夕陽が浮かぶのです。
そのレベルで止まってしまいますよね。

もっと違う表現を探さねばならないのに自分では
なかなかそのことに気づかないのです。
洒落た表現ができた、程度に思ってしまうのです。

苦笑されているあなた、いやホントなんです。
ことは「創造」だけに限りません。

会社で書く文章にも、理系の論文でもありうる。
(それを防ぐために型どおりの文章で書くのです)

書くことだけではありません。
話すことだって、絵を書くことだって
自分の頭が邪魔をして客観的になれなくなるのです。

(冷静になれない私)は俳人にはなれないわけです。
廃人・・・・


表現されたものを読む側も似ています。

Aでa”が浮かぶタイプの人がいるとします。

夕焼けといったらカンザスに限る、なんてね。
「カンザスの草原に沈む夕日はよかった・・」

ドロシーがロスの方向を夢見たかもしれない
農場の夕日。。

そういう人にトマトというとグリーントマトを
思い出してフライにすると案外いけるなんて
感想を持たれてしまうかもしれません。

a’でAを=トマトで美しい夕日を描く、という
のは作者以外には意味がないことかもしれませんね。

aをαと間違えるとか上記以上のミスも起き得ます。

差し出す方にもミスがあり受け取るほうにもミスが
ある、バスの中で耳打ちしながらの伝達ゲームって
やりましたよね。


表現、伝達は上記のように難しいものです。

そこで一生懸命に正確さを追求して沢山のことを
細かく書く人がいます。
読むほうは今度は分らなくなるのですね。

書いているほうは「正確を期している」のだから
読むほうが分らないなんて、つゆ思いません。
もし伝わらないならば読む側に責任がある、くらいに
しか思わないようです。
そんな人は直りませんからね。

文のコツは削ることにあるとよく言われるのは
こういう経緯からではないでしょうか。

けれども削りすぎるとそれはそれで分らなくなる。

按配が難しいですね。
やはり冷静でなくちゃならない。

(もう少し続けますがスミマセン時間切れ)

追伸
 カンザスのドロシーって『オズの魔法使い』です。

 なお『フライドグリーントマト』はカンザスから
 遠く離れた南部アラバマ州でした。
 ちょっと勘の悪い文でスミマセン。
 景色も違ったよね。

チャーハンって油多すぎない?

2009-02-12 14:32:38 | 塾あれこれ
品が悪いというか老化というかTVにツッコム。
料理番組などにもいつも文句を言って。
もちろん、大変に感心するものも多いですが。

夕刻仕事が始まる前に少し食事をします。
そのときTVの料理の時間なので見てしまいます。

昨日は年配の料理研究家。広島、地元の方です。
チャーハン。

ご飯二人分にタマゴ2個油大匙3杯と具材、
これにアンをかけるというものでした。

通常の中華のチャーハンはタマゴを炒めすぐに
ご飯を投入、それゆえ初めの油が多くなります。

ナベに入れる前にご飯をタマゴかけ状態にしておくと
油が少なくてすみます。

信じられない程パラパラの炒め上がりにもなります。


初めて知ったのは程一彦さん、
お母様が台湾でやっておられたとか。
多分十年以上前のNHKです。

その時は空豆のチャーハンでした。

かなりたって辻の小阪さんが上沼の番組で何度か
(タマゴかけ)チャーハンを紹介していました。

程さんの方法は油が小さじ1~2くらいです。
不安ですがやってみると必ずうまくいきます。
多少手がダルイけれどね。
テフロン加工だときっと小さじ1ですむのでは
ないでしょうか。
普通の中華鍋でも油が少なくてよいのですから。

それが昨日の番組ではご飯が茶碗2杯くらいに
タマゴ2個、まずこれが多すぎます。
コーティングするだけですから溶き卵1個分で
大丈夫でしょう。

油大匙3は論外。
普通の中華の炒飯と混同されているかも。

それをテフロンのフライパンで調理されました。

固定観念でおやりになるより研究家はそれらしく
よりよいものを研究されるべきじゃあないかな。

これに限らず「おい、それだけかよ、誰でも知ってる
事をTVでやるか?もっと良いのがあるのに」という
のがいろいろな料理番組でもしばしばあります。
初心者向けコーナーならいざ知らず。

こういう次第で、下品にあたりちらす私ですが
皆がいろいろ言うから例えば大阪は食べ物のレベルが
高いのではないかと思うのです。
質を落とすとテキメンに客が離れる、そういう町は
美味しいものを安価に入手できます。

食文化にも批判精神を、といえばリクツっぽいですが
レベルを上げておかないと良いものが高価になって
しまうのでやむを得ず(?)のワルクチです。。


写真はセリ。セリ上がる、なんちゃって。

カミサンが買ってきたセリの根を残し水耕?
窓辺の小さな緑にはなりますね。

旗日(はたび)

2009-02-11 15:14:26 | 塾あれこれ
旗日(はたび)ってもう言わなくなってしまいました。
旗を立てて祝う日のことです。
祖父母は「はたび」ってよく言ってましたね。

昭和20年代後半から30年代前半くらいまで
尾道でも祝日には日の丸を掲げている家が多く
ありました。
最近は少ないですね。

私んちでも国旗がありません。
愛国者から叱られそうです。

子供の頃、ボクが立ててあげる、と家の門口に
勇ましく走っていった私ですが、旗竿の先にある
(竿頭)の金色の飾りを落としてしまったことがあります。

今はプラスチックだから構わないのでしょうが
当時はガラスで出来ていました。
電球みたいなものです。

竿の先からひゅっと抜け出たものだから落ちて粉微塵!

(金色のボールですが漢字で書くと・・)

ま、それはさておき、そのとき叱られていません。

きっと、だから今でも覚えている、うかつな乱暴な
行為は失敗する、と。

叱られていればバツを受け、代償を払ったので
罪の意識が消えてしまうと思います。

わー!とか騒いで直ぐに叱るのはあまり上手な
教育ではないかもしれない、という話でした。

トシヨリ臭~

美しい書き出し

2009-02-10 13:44:56 | 本の話
Aujourd'hui, maman est morte.今日ママンが死んだ。
英訳ではToday mama died.

昨日触れたカミュ全集では中村光夫さんは
「今日、ママが死んだ」と訳されています。

カミュの『異邦人』ちょー有名な書き出しですね。

日本人なら読まずとも川端の『雪國』の書き出しを
知っていますが、世界ではそれ以上に有名でしょう。

大学生のときに読みました。
もちろん日本語で。
高校生のときじゃなかったと思います。

『シシュホスの神話』や『ペスト』ほど感動しなかった。
というか、それ以前で、何のことやら分からなかった、
ようです。
大学生だから分かってもよさそうなものですが
不条理などという高級な思索には付いてゆけなかった
に違いありません。

ルキノ・ビスコンティの映画化もありました。
マストロヤンニ主演でしたがこれも・・
ファーストシーンからして余り暑そうでなかったし。
(本来とても暑い日じゃなきゃいけない場面でした)

有名な書き出しも「どこが?何で有名?」でした。

自分の身におきないとピンとこないアホな私で
ヒトサマの母上がお亡くなりになっても通り一遍の
「大変ですね」程度しか思えなかったのです。
我が身に起きて初めて「堪える」

それが分ると、「今日ママンが死んだ」で始まって
そんな一大事なのに主人公は冷たくて、という小説の
流れの理解が深まると思います。

またラストの「いま母の気持ちが分る」というところも
沁みてきますね。

若者にはそれなりの読み方があり年配にはまた別の
分り方がありそうです。
いろいろ読み直す時期かもしれません。


年取って余裕が出来たらゆっくりと本を読みたいね、
が多くの人の実感でしょう。

でも実際にそれが近づいてくると
目は悪い、気力がない、時間だってそんなにない
日々のあれこれに追われ
結局リッチでないとダメみたいです。

今読むと分るかもしれないのにねえ・・

あの本屋今もあるのだろうか

2009-02-09 18:15:44 | 塾あれこれ
辺見庸がTVで昨年の秋葉原事件などを語り
アルベール・カミュの『ペスト』を引用して
おられました。

これこそが正しい引用であり、またアナロジーが
成立している典型であると思いました。

カミュが『ペスト』で描いた人間社会の無力さと
それでも最後は人間だというメッセージから
辺見さんは現代日本の人間がいかに荒んでいるか
人間同士の関係や社会のありかたについて
無関心になってしまっているかを
深い絶望感とともに、けれども最後はやはり人間の意
思を信じるしかないという信念の強さを滲ませながら
少し不自由そうな口でぽつぽつと話されていました。

人間として生まれてきて、そのことを考え何らかの
生き方を選択しないでよいのだろうか、と無責任に
なってしまったかに見える多くの日本人に向けて
けっして声高にではなく、小声だけれどしっかりと
悲観的なことは承知の上で、まるでカミュのシシュ
ホスの神話を思わせる口調で(君らはどうか知らん
けれど、オレはこう思うよ)と限りなく続くリハビリ
にも似た発信をされていました。

因みにペストは今でも治療法がないと思います。
鼠を駆除するしか対処法がない大変に怖い病気です。
ネコを大切にしましょう。


六巻までで買うのを止めてしまったカミュ全集を
引っ張り出すと、第二巻『異邦人・シーシュポスの神
話』の箱の中の本にカバーがしてあるのです。
本屋さんでサービスにつけてくれるあれです。

箱装の中にカバーをつけてくれてましたっけ?
小川書店とゴム判があります。
たいへん不器用な私が自分でカバーをつけることは
ありえないのでやはり当時はそんなサービスをされ
ていたのでしょう。
文庫本しか買えなかったのでハードカバーや箱装は
よく分からない世界です。

ただ、その本屋がどうもウロ覚えなのです。

外神田の小川書店・・どうだったかなあ。

他の本にはカバーがないので第二巻だけをそこで
買ったのでしょうね。
1972年10月5日発行の本ですからその頃
勤め先から地下鉄で一駅ほど離れたそこで買った
のです。

今はもうなくなっているでしょう。


本屋さん、良いものでした。
ネットで買うのはやはりさびしい。

あのころはドコソコの本屋で買ってたなあ、という
懐かしい思い出が本には必要です。
本屋のカバー、ほとんどを捨ててしまったけれど
今思えば勿体ないことかもしれません。

なおこの第二巻、カミュの写真は黒ネコを抱いた姿
です。似合うんだなあ。。