上手に伝える術

2009-02-13 14:18:52 | 塾あれこれ
私の下手な俳句作りを例にお話を始めましょう。

自作の句を見ると、表現したかった情景や心情が
ぱっと浮かんできます。
それで、良い出来の句に思えてしまいます。
少なくとも他者に伝わらないなんて思えない(OH・・)
もちろんひどい勘違い。

これを記号を使って説明してみます。
なるべく面倒にしないつもりですのでヨロシク。

Aを見てそれを表現するのにaと書いた積りだけど
実際には似て非なる表現a'を書いているのです。

この間違いに当人はなかなか気づきません。
Aを表現しようとして書いたものだからa’でも
それを見た瞬間に初めのAを想起するのですね。
それが邪魔をするわけです。

Aが浮かぶわけですから、実際に書いたのは本来のa
ではなくa’なのにそれでも十分と思うのですね。
aを書いたつもり=錯覚もあるかもしれません。

a’だぞ、と気づけばaへ修正も可能です。
もっと上手な表現が出来ているかもしれません。


夕焼けがキレイであったので俳句を作ろうとしたとき
表現に苦労したあげく「トマトの如き夕日かな」と
ひねったとしましょう。(俳句は捻ると言います)

いくら何でもですが、これが上記のa’です。
これで当人にはくだんの美しい夕陽が浮かぶのです。
そのレベルで止まってしまいますよね。

もっと違う表現を探さねばならないのに自分では
なかなかそのことに気づかないのです。
洒落た表現ができた、程度に思ってしまうのです。

苦笑されているあなた、いやホントなんです。
ことは「創造」だけに限りません。

会社で書く文章にも、理系の論文でもありうる。
(それを防ぐために型どおりの文章で書くのです)

書くことだけではありません。
話すことだって、絵を書くことだって
自分の頭が邪魔をして客観的になれなくなるのです。

(冷静になれない私)は俳人にはなれないわけです。
廃人・・・・


表現されたものを読む側も似ています。

Aでa”が浮かぶタイプの人がいるとします。

夕焼けといったらカンザスに限る、なんてね。
「カンザスの草原に沈む夕日はよかった・・」

ドロシーがロスの方向を夢見たかもしれない
農場の夕日。。

そういう人にトマトというとグリーントマトを
思い出してフライにすると案外いけるなんて
感想を持たれてしまうかもしれません。

a’でAを=トマトで美しい夕日を描く、という
のは作者以外には意味がないことかもしれませんね。

aをαと間違えるとか上記以上のミスも起き得ます。

差し出す方にもミスがあり受け取るほうにもミスが
ある、バスの中で耳打ちしながらの伝達ゲームって
やりましたよね。


表現、伝達は上記のように難しいものです。

そこで一生懸命に正確さを追求して沢山のことを
細かく書く人がいます。
読むほうは今度は分らなくなるのですね。

書いているほうは「正確を期している」のだから
読むほうが分らないなんて、つゆ思いません。
もし伝わらないならば読む側に責任がある、くらいに
しか思わないようです。
そんな人は直りませんからね。

文のコツは削ることにあるとよく言われるのは
こういう経緯からではないでしょうか。

けれども削りすぎるとそれはそれで分らなくなる。

按配が難しいですね。
やはり冷静でなくちゃならない。

(もう少し続けますがスミマセン時間切れ)

追伸
 カンザスのドロシーって『オズの魔法使い』です。

 なお『フライドグリーントマト』はカンザスから
 遠く離れた南部アラバマ州でした。
 ちょっと勘の悪い文でスミマセン。
 景色も違ったよね。