文章の作法として学生に教えることの一つに
気取った表現をするな、ということがあります。
中学生くらいで、稀有とか未曾有とか一国の総理でも
読めないような言葉を使ってはいけません。
身の丈にあった表現が好ましいのです。
新聞の投書欄等で、どう考えても大人それも年配者の
手が入ったような小学生の文を見かけます。
もしかすると手は入っていないのかもしれませんが
少なくとも好ましくはありません。
私個人の例で恥ずかしいのですが小学2年の時作文で
「いまごろは放射能の雨が降る。
春雨じゃ濡れてゆこう、なんて言ってられない」
と書いて、先生に母親がオタクは家でどういう教育を?
と叱られたことがあるそうです。
大人びた表現を知っている場合もあるが好ましくはない
という例ですね。
ちなみに私は「月さま、雨が」「春雨じゃ・・」と
セットで知っておりました。
まあそこだけなんですけれども。
◎
洒落たつもりの引用も難しいものです。
多くは軽いレトリックとして使われるようですが
「それくらいなら引用はするな」と私は教えますね。
引用というのは、どこまでが偉い人の言葉・考えで
どこからが自分のものか、分りにくいのです。
通常は、引用→アナロジー→自分の考え、という順に
書くはずですが、それらの境目が不透明です。
書いているほうも客観的になれないのでしょう。
昨日書いた、自分の頭が邪魔をするというやつですね。
こういうことに意識的でない人も多いようです。
偉い人の名前を出して引用しながら、途中から自分の
意見にすり替わってしまっているのです。
マルクスがいつの間にか現代政治を分析しているとか
自分の話にすればよいのに自信がないのか?
○
本当は引用ももともとの文脈を抑えているべきで、
「名言集」などから引いてはいけません。
自分の都合のよい解釈になるからです。
エラそうに言ってますが私自身もミスが多い筈です。
気づかないんですよね。
昨日の「夕焼けトマト」と同様です。
○
客観的になれない、ほかに動機の不純さも問題です。
自分の言うことにハクをつけ、ホントっぽく見せる
のです。
ええ、私もよく使うテで。。。
人間のセコさが滲みますねえ。
安物の政治家が人気のある党首と写真を撮りたがる
あれに似ていますね。
(それがナンボのもんじゃ?なのですが)
偉い人の言葉である、人口に膾炙しているから正しい
ということで引っ張って、ついでにそんなことまでは
言ってないことを付け足します。
多くは無邪気な勇み足でしょうが、自分では気づかな
いけれど悪意に近いものがあることもあるようです。
冷静になることも難しいですね。
もう一人の自分を育てなければなりません。
◎
冷静に、とかもう一人の自分とか抽象的に過ぎます。
若い人は「べからず集」を作ってはどうでしょう。
否定表現から入るのはいかにも日本的ですがね。
引用はするな
長い文章は書くな
気取った表現はするな
知ったかぶりするな
・・等々自分でオリジナルを作りましょう。
○
何を気持ち悪いと思うか
自分の倫理はいかにあるべきか、そんな「個」の
確立も必要ですが、道徳や哲学の世界ですね。
ところで引用は失敗をする恐れがあることを
書き漏らしていました。
間違っているとか怪しいものを引用すると自分の
文章全体がダメに思われます。
近くはベストセラー「○○汚染」
私は読んでいませんがTVで宮崎さんが専門家は
首をひねってると言ってました。
そんなものから引用などしないほうが無難です。
気取った表現をするな、ということがあります。
中学生くらいで、稀有とか未曾有とか一国の総理でも
読めないような言葉を使ってはいけません。
身の丈にあった表現が好ましいのです。
新聞の投書欄等で、どう考えても大人それも年配者の
手が入ったような小学生の文を見かけます。
もしかすると手は入っていないのかもしれませんが
少なくとも好ましくはありません。
私個人の例で恥ずかしいのですが小学2年の時作文で
「いまごろは放射能の雨が降る。
春雨じゃ濡れてゆこう、なんて言ってられない」
と書いて、先生に母親がオタクは家でどういう教育を?
と叱られたことがあるそうです。
大人びた表現を知っている場合もあるが好ましくはない
という例ですね。
ちなみに私は「月さま、雨が」「春雨じゃ・・」と
セットで知っておりました。
まあそこだけなんですけれども。
◎
洒落たつもりの引用も難しいものです。
多くは軽いレトリックとして使われるようですが
「それくらいなら引用はするな」と私は教えますね。
引用というのは、どこまでが偉い人の言葉・考えで
どこからが自分のものか、分りにくいのです。
通常は、引用→アナロジー→自分の考え、という順に
書くはずですが、それらの境目が不透明です。
書いているほうも客観的になれないのでしょう。
昨日書いた、自分の頭が邪魔をするというやつですね。
こういうことに意識的でない人も多いようです。
偉い人の名前を出して引用しながら、途中から自分の
意見にすり替わってしまっているのです。
マルクスがいつの間にか現代政治を分析しているとか
自分の話にすればよいのに自信がないのか?
○
本当は引用ももともとの文脈を抑えているべきで、
「名言集」などから引いてはいけません。
自分の都合のよい解釈になるからです。
エラそうに言ってますが私自身もミスが多い筈です。
気づかないんですよね。
昨日の「夕焼けトマト」と同様です。
○
客観的になれない、ほかに動機の不純さも問題です。
自分の言うことにハクをつけ、ホントっぽく見せる
のです。
ええ、私もよく使うテで。。。
人間のセコさが滲みますねえ。
安物の政治家が人気のある党首と写真を撮りたがる
あれに似ていますね。
(それがナンボのもんじゃ?なのですが)
偉い人の言葉である、人口に膾炙しているから正しい
ということで引っ張って、ついでにそんなことまでは
言ってないことを付け足します。
多くは無邪気な勇み足でしょうが、自分では気づかな
いけれど悪意に近いものがあることもあるようです。
冷静になることも難しいですね。
もう一人の自分を育てなければなりません。
◎
冷静に、とかもう一人の自分とか抽象的に過ぎます。
若い人は「べからず集」を作ってはどうでしょう。
否定表現から入るのはいかにも日本的ですがね。
引用はするな
長い文章は書くな
気取った表現はするな
知ったかぶりするな
・・等々自分でオリジナルを作りましょう。
○
何を気持ち悪いと思うか
自分の倫理はいかにあるべきか、そんな「個」の
確立も必要ですが、道徳や哲学の世界ですね。
ところで引用は失敗をする恐れがあることを
書き漏らしていました。
間違っているとか怪しいものを引用すると自分の
文章全体がダメに思われます。
近くはベストセラー「○○汚染」
私は読んでいませんがTVで宮崎さんが専門家は
首をひねってると言ってました。
そんなものから引用などしないほうが無難です。