引用について

2009-02-14 10:37:31 | 塾あれこれ
文章の作法として学生に教えることの一つに
気取った表現をするな、ということがあります。

中学生くらいで、稀有とか未曾有とか一国の総理でも
読めないような言葉を使ってはいけません。
身の丈にあった表現が好ましいのです。

新聞の投書欄等で、どう考えても大人それも年配者の
手が入ったような小学生の文を見かけます。
もしかすると手は入っていないのかもしれませんが
少なくとも好ましくはありません。

私個人の例で恥ずかしいのですが小学2年の時作文で
「いまごろは放射能の雨が降る。
 春雨じゃ濡れてゆこう、なんて言ってられない」
と書いて、先生に母親がオタクは家でどういう教育を?
と叱られたことがあるそうです。

大人びた表現を知っている場合もあるが好ましくはない
という例ですね。

ちなみに私は「月さま、雨が」「春雨じゃ・・」と
セットで知っておりました。
まあそこだけなんですけれども。


洒落たつもりの引用も難しいものです。

多くは軽いレトリックとして使われるようですが
「それくらいなら引用はするな」と私は教えますね。

引用というのは、どこまでが偉い人の言葉・考えで
どこからが自分のものか、分りにくいのです。

通常は、引用→アナロジー→自分の考え、という順に
書くはずですが、それらの境目が不透明です。

書いているほうも客観的になれないのでしょう。
昨日書いた、自分の頭が邪魔をするというやつですね。

こういうことに意識的でない人も多いようです。
偉い人の名前を出して引用しながら、途中から自分の
意見にすり替わってしまっているのです。
マルクスがいつの間にか現代政治を分析しているとか
自分の話にすればよいのに自信がないのか?


本当は引用ももともとの文脈を抑えているべきで、
「名言集」などから引いてはいけません。
自分の都合のよい解釈になるからです。

エラそうに言ってますが私自身もミスが多い筈です。
気づかないんですよね。
昨日の「夕焼けトマト」と同様です。


客観的になれない、ほかに動機の不純さも問題です。
自分の言うことにハクをつけ、ホントっぽく見せる
のです。

ええ、私もよく使うテで。。。
人間のセコさが滲みますねえ。

安物の政治家が人気のある党首と写真を撮りたがる
あれに似ていますね。
(それがナンボのもんじゃ?なのですが)

偉い人の言葉である、人口に膾炙しているから正しい
ということで引っ張って、ついでにそんなことまでは
言ってないことを付け足します。

多くは無邪気な勇み足でしょうが、自分では気づかな
いけれど悪意に近いものがあることもあるようです。

冷静になることも難しいですね。
もう一人の自分を育てなければなりません。


冷静に、とかもう一人の自分とか抽象的に過ぎます。

若い人は「べからず集」を作ってはどうでしょう。
否定表現から入るのはいかにも日本的ですがね。

引用はするな
長い文章は書くな
気取った表現はするな
知ったかぶりするな

・・等々自分でオリジナルを作りましょう。


何を気持ち悪いと思うか
自分の倫理はいかにあるべきか、そんな「個」の
確立も必要ですが、道徳や哲学の世界ですね。

ところで引用は失敗をする恐れがあることを
書き漏らしていました。

間違っているとか怪しいものを引用すると自分の
文章全体がダメに思われます。

近くはベストセラー「○○汚染」
私は読んでいませんがTVで宮崎さんが専門家は
首をひねってると言ってました。

そんなものから引用などしないほうが無難です。