オハネ12ならぬオハネフ12の続きです。
こういった客車の仕上げ、普通ならそう大きな時間は掛からないのですが「合運迫る」という緊迫でなかなか思うように作業が捗りません。
時間に追われると「失敗を繰り返す」のですね。
インレタも通常より少しハードルを落として合格にせざるを得ず忸怩たるモノが有ります。
競作は「1ヶ月前に仕上げ」位の日程で臨まないといけないんだなぁ・・・と思いました。
屋根(汚れ色)を吹きました。
車体寄りの部分は銀色が透けて見える程度にしてあります。
ベンチレーター、塗装を終わったモノを屋根に付けていったら1個足りません。
あっ!オハネフ12だから片ガラベンは10個塗っておかなくてはいけなかったのです。
最後の一個はまだ銀色です。
エナメルの混合で似た色にして誤魔化すことにします。 (ダークイエローをかなり加えました)
車体よりフラットベースを多くしたクリヤでオーバーコートだけして艶を揃えて誤魔化す考えです。
う~~ん
実はコレは乾き終わると艶が消えて色合いも変化し、黄色味が足りなくなってごまかし失敗!
→ 調色し直してもう一回塗るハメになりました。 ・・・それでも黄色味が消え気味でしたが其処は妥協です。
黒塗りした台車と床下機器です。
おっと!10系には不要な変なモノ(汚物タンク)が付いています。
ナハ10は昭和50年頃から一気に数を減らして旧形のスハ43系を残して廃車されましたので汚物タンク無しは当然ですが、数を減らしつつある最末期に付いたからといって汚物タンクを付けるのは考えが浅はかでした。
「オハネ12・オハネフ12はナハ10・11等とは編成を組むな」と言うことでしょうか。
考証の点でKATOを上回る信頼感があるTOMIXがこの時はどうしてこんなにお粗末な事をしたのか理解に苦しみます。
切り飛ばしました。 跡をプラ板で塞ぐつもりです。
EG用かなと思うジャンパー栓も切ってしまいます。
ありゃっ・・・慌てていたので洗面所の流し管まで切り飛ばしてしまいました。 余裕が有ったら太い真鍮線で再生手術することにして先に進みます。
塞ぎました。
切り飛ばした流し管→長さを揃えておきます・・・そうしないと事故で切り落としたことが判ってしまうからです。
エナメル黒を塗りました。
汚れを吹けば総てはごまかせるかな・・・と思い鰻のタレを出してみます。
しかしコレはやはり電関の屋根、パンタ台などに吹く色と言う感じです。
下回りに吹く汚れ色は「黄かん色+黒」で行く事にします。 (鰻のタレより赤い)
ブレーキシューにエナメル“レッドブラウン”を筆塗りしてからいつもの「黄かん色+黒」を吹きました。
裏のマスキングも剥がし、車輪の黒染も終わったので組立に掛かります。
青モケット貼り開始です。
プラ成型品には必ず抜き勾配が有りますがこのインテリアは極端です。
21mmほどの方が下段、19mmほどの方が背ずり兼用の中段です。
貼り終わりました。
屋根を塗装しましたので、クーラー取付穴をヤスリで広げてやらないと「パチン!」と入りません。
オーバーコート済みの車体、モケットを貼ったインテリア、汚し終わった屋根。
これから組み立てます。
ところで、10系は鋼板屋根とベンチレーターは銀色に塗られていたようです(末期にはグレーも有り)
同じ仕上げ、同じ色です。
と言うことは、たとえ汚れてきた表現でも基本同じ色であるべきなのかもしれません。
屋根とベンチレーターは違う色であるべきと思う感覚は電車(屋根は絶縁ビニール貼り)やキャンバス屋根客車を見慣れた感覚なのかもしれません。
とは言え、
鋼板屋根の客車の屋根とベンチレーターは同じ色であることに違和感を感じません。
10系ではそれで良いのかナ? という感覚が残ります。
そして鋼板屋根客車の汚れた屋根色は10系客車の屋根とは全然違っていた様に思います。
銀から汚れたか、灰色から汚れたかの違いではないでしょうか。
極端に言えば前者は黄色、後者は青色だったように感じます。
もちろん青くはないでしょう。
キャンバス屋根や10系の中に入ると冷たくて明るい色に感じるのです。
もっと多くのカラー写真や動画を捜して観察して行かなくてはいけません。
IMONでは10系ハザの発売が近付いています。 屋根の仕上げは理屈に合ったモノにして行かなくてはいけません。
12mm
と言うよりも日本型HOスケールをやっていくという事はそういう事も考える必要があるかなと思います。
それに対して16番で遊ぶ感覚はもっと自由です。
好きな色に、感じるままに塗ります。
青15号に近かったと言われるパシナを青15号で塗装して10系・20系を牽かせるのも楽しいでしょう。
(あの水色だけは在り得なかった・・・往時の写真にはあの色に感じさせる写真は一枚も無いのです)
13mmも16番と同じ感覚でやっていくべきなのかなと思います。
スケールモデルではない16番を利用する事を前提にしている以上、大筋は自由であるべきです。
長軸車輪にして狭軌に乗せた16番車両やKATOMIXの軸を詰めた車両が同じ線路を走れる鷹揚さがあればこそ利用出来る“J”資産で遊ぶ楽しさがあります。
プロト・サーティーンクラブの提唱する『概ねスケール』とはそういう事を言っていると思います。
(13mmの中には妥協を廃してスクラッチの腕を見せるスーパーモデラーが居る事、その模型がトンデモナイ凄い物であることも事実ですが)
屋根を付けてから窓を嵌めて。
丸見えのテールライトユニットを少し隠そうとサンドペーパー#1500の登場です。
ブラインドを下げた表現に使います。
デッキ寄りの部分は硝子窓がどかっと出っぱっていて難しかったです。
洗面所側の貫通ドア、薄茶色4号のつもりです。
またパーツボックス漁りです。
デッキ側のホロの内側に見せる室内色に都合の良い塗装片を見つけるためです。
ライトカーキーで塗った0.5mmプラ板の破片を見つけました。
この様に細く切って、
この車体と黒いホロの組み合わさり部分の上にゴム系接着剤で貼り付けるのです。
こんな風に貼りました。
ボロ隠し兼用ですからしょうもない仕上がりですが無いのと比べれば100倍良いと思います。
実物の客車の妻面、ホロ座(貫通路の幅より僅かに広い)が付いています。
ホロはホロ座の外側に取り付けられています。
ホロ座の外側の色は取り付けられたホロで見えませんがおそらく車体外部色でしょう。
ホロ座の内側の色は室内色です。
①ホロ座内側
②ホロ座と貫通路の間の妻面
③貫通路の内側
の3カ所がそれぞれ小さな幅ですが室内色として見えています。
この室内色が見えないと「日本の旧型客車」という感じがしません。
更にホロは実物では畳まれているので非常に存在感が薄く、室内色がぐんと前に出てきます。
模型ではホロは普通は可動しないです。
ですから「中途半端に伸びている表現」になっています。
その為に少しオーバーな表現をしないと「日本の旧型客車」にならないです。
室内通路床はスエード調スプレー“ダークグレー”にしました。
スエード調スプレー“ダークグレー”は紫色になるので屋根には使えません。
(勿論上に薄くじょうずに色を載せられるならOKですが)
スエード調スプレー“ダークグレー”は吹いた直後は確かにダークグレーです。 乾くにつれて紫色になるのです。
缶を捨てる為には使い切らなくてはなりませんので此処に使いました。
手前の直径の大きな丸いワッシャー↑はDD51の中間台車のマクラバリの上に数枚遊ばせてある0.1㎜厚洋白板です。 中間台車のジョイント音が動輪と違うようにするために作ったものです。
集電可能なように黒亜鉛メッキを剥がして黒染め磨きをしてボルスターとマクラバリの間に挟みます。
付随車用ボルスターにはこういうワッシャを噛ませなければビス~マクラバリの通電は完全にスプリングだけを頼りに通電するという事態になるのです。
その危ない橋を脱するためにはワッシャが必要です。
(それは薄い方が良いし、最初からワッシャ付きで設計してあるべき)
室内灯はTOMIX白色を使います。
そのままでは光源から光が出る方向だけにしか光が行きません。 光源に向かう方向には光が向かわない「最低の光」になってしまいます。
そこで、昔ながらの方法を使って対策します。
スーパー等の白濁ビニール袋をパネルライトの幅に切って光をそれで拡散させます。
最初はこの様に白濁ビニールを一直線に通して上に前後分割のパネルライトを持ってくる作戦です。
こんな感じです。
しかしそれは上手く行きませんのでに分割してそれぞれに透明ゴム系接着剤で接着してしまいます。
サボを付けます。
最初の一枚は紙の表層を剥がしてしまい失敗です。 以降は普通に簡単に行きました。
号車番号を中に入れていなかった事を此処で後悔します。
そこでKATOのスハ43系インレタの中にある号車札を使ってしまいます。
これは思った以上に上手く行きました。
あるとすれば2号車に決まっていますので黒い2の数字をレタリングします。
この黒い文字はエンドウのNEX253系の黒い数字インレタでした。
そして、パネルライトが上手く行きません。
やはり燐青銅は錆びてしまっているようです。
片側二軸集電ではちらつきもきついですので明日にでもIMONのパネルライトに載せ替え改造します。
という訳で一応完成したのがこの姿・・・合運に持ち込んだ状態です。 (拡大できます)
此処まで仕上がったのは合運初日10月13日の午前6時30分です。 (写真は帰ってきてから撮りました)
午前8時まで寝てから合運に行ったので少し遅い到着でした。
EF5860は給油と車輪磨きとATSインレタとエンド表記貼付、IMONカプラーへの換装程度しかできませんでした。
EF30(メッキ仕上げ)は給油のみです。
ともかく、このオミソ1両はこんな結末ですが、〔雲 仙〕〔西 海〕(うんじぇん、しゃいかい または うんじぇん、さいかい)の企画は大変な盛り上がりで大成功だったんじゃないかと思います。
このオミソのオハネフ12ももう一度きっちり整備して藤沢にお持ちしたいと思います。
こういった客車の仕上げ、普通ならそう大きな時間は掛からないのですが「合運迫る」という緊迫でなかなか思うように作業が捗りません。
時間に追われると「失敗を繰り返す」のですね。
インレタも通常より少しハードルを落として合格にせざるを得ず忸怩たるモノが有ります。
競作は「1ヶ月前に仕上げ」位の日程で臨まないといけないんだなぁ・・・と思いました。
屋根(汚れ色)を吹きました。
車体寄りの部分は銀色が透けて見える程度にしてあります。
ベンチレーター、塗装を終わったモノを屋根に付けていったら1個足りません。
あっ!オハネフ12だから片ガラベンは10個塗っておかなくてはいけなかったのです。
最後の一個はまだ銀色です。
エナメルの混合で似た色にして誤魔化すことにします。 (ダークイエローをかなり加えました)
車体よりフラットベースを多くしたクリヤでオーバーコートだけして艶を揃えて誤魔化す考えです。
う~~ん
実はコレは乾き終わると艶が消えて色合いも変化し、黄色味が足りなくなってごまかし失敗!
→ 調色し直してもう一回塗るハメになりました。 ・・・それでも黄色味が消え気味でしたが其処は妥協です。
黒塗りした台車と床下機器です。
おっと!10系には不要な変なモノ(汚物タンク)が付いています。
ナハ10は昭和50年頃から一気に数を減らして旧形のスハ43系を残して廃車されましたので汚物タンク無しは当然ですが、数を減らしつつある最末期に付いたからといって汚物タンクを付けるのは考えが浅はかでした。
「オハネ12・オハネフ12はナハ10・11等とは編成を組むな」と言うことでしょうか。
考証の点でKATOを上回る信頼感があるTOMIXがこの時はどうしてこんなにお粗末な事をしたのか理解に苦しみます。
切り飛ばしました。 跡をプラ板で塞ぐつもりです。
EG用かなと思うジャンパー栓も切ってしまいます。
ありゃっ・・・慌てていたので洗面所の流し管まで切り飛ばしてしまいました。 余裕が有ったら太い真鍮線で再生手術することにして先に進みます。
塞ぎました。
切り飛ばした流し管→長さを揃えておきます・・・そうしないと事故で切り落としたことが判ってしまうからです。
エナメル黒を塗りました。
汚れを吹けば総てはごまかせるかな・・・と思い鰻のタレを出してみます。
しかしコレはやはり電関の屋根、パンタ台などに吹く色と言う感じです。
下回りに吹く汚れ色は「黄かん色+黒」で行く事にします。 (鰻のタレより赤い)
ブレーキシューにエナメル“レッドブラウン”を筆塗りしてからいつもの「黄かん色+黒」を吹きました。
裏のマスキングも剥がし、車輪の黒染も終わったので組立に掛かります。
青モケット貼り開始です。
プラ成型品には必ず抜き勾配が有りますがこのインテリアは極端です。
21mmほどの方が下段、19mmほどの方が背ずり兼用の中段です。
貼り終わりました。
屋根を塗装しましたので、クーラー取付穴をヤスリで広げてやらないと「パチン!」と入りません。
オーバーコート済みの車体、モケットを貼ったインテリア、汚し終わった屋根。
これから組み立てます。
ところで、10系は鋼板屋根とベンチレーターは銀色に塗られていたようです(末期にはグレーも有り)
同じ仕上げ、同じ色です。
と言うことは、たとえ汚れてきた表現でも基本同じ色であるべきなのかもしれません。
屋根とベンチレーターは違う色であるべきと思う感覚は電車(屋根は絶縁ビニール貼り)やキャンバス屋根客車を見慣れた感覚なのかもしれません。
とは言え、
鋼板屋根の客車の屋根とベンチレーターは同じ色であることに違和感を感じません。
10系ではそれで良いのかナ? という感覚が残ります。
そして鋼板屋根客車の汚れた屋根色は10系客車の屋根とは全然違っていた様に思います。
銀から汚れたか、灰色から汚れたかの違いではないでしょうか。
極端に言えば前者は黄色、後者は青色だったように感じます。
もちろん青くはないでしょう。
キャンバス屋根や10系の中に入ると冷たくて明るい色に感じるのです。
もっと多くのカラー写真や動画を捜して観察して行かなくてはいけません。
IMONでは10系ハザの発売が近付いています。 屋根の仕上げは理屈に合ったモノにして行かなくてはいけません。
12mm
と言うよりも日本型HOスケールをやっていくという事はそういう事も考える必要があるかなと思います。
それに対して16番で遊ぶ感覚はもっと自由です。
好きな色に、感じるままに塗ります。
青15号に近かったと言われるパシナを青15号で塗装して10系・20系を牽かせるのも楽しいでしょう。
(あの水色だけは在り得なかった・・・往時の写真にはあの色に感じさせる写真は一枚も無いのです)
13mmも16番と同じ感覚でやっていくべきなのかなと思います。
スケールモデルではない16番を利用する事を前提にしている以上、大筋は自由であるべきです。
長軸車輪にして狭軌に乗せた16番車両やKATOMIXの軸を詰めた車両が同じ線路を走れる鷹揚さがあればこそ利用出来る“J”資産で遊ぶ楽しさがあります。
プロト・サーティーンクラブの提唱する『概ねスケール』とはそういう事を言っていると思います。
(13mmの中には妥協を廃してスクラッチの腕を見せるスーパーモデラーが居る事、その模型がトンデモナイ凄い物であることも事実ですが)
屋根を付けてから窓を嵌めて。
丸見えのテールライトユニットを少し隠そうとサンドペーパー#1500の登場です。
ブラインドを下げた表現に使います。
デッキ寄りの部分は硝子窓がどかっと出っぱっていて難しかったです。
洗面所側の貫通ドア、薄茶色4号のつもりです。
またパーツボックス漁りです。
デッキ側のホロの内側に見せる室内色に都合の良い塗装片を見つけるためです。
ライトカーキーで塗った0.5mmプラ板の破片を見つけました。
この様に細く切って、
この車体と黒いホロの組み合わさり部分の上にゴム系接着剤で貼り付けるのです。
こんな風に貼りました。
ボロ隠し兼用ですからしょうもない仕上がりですが無いのと比べれば100倍良いと思います。
実物の客車の妻面、ホロ座(貫通路の幅より僅かに広い)が付いています。
ホロはホロ座の外側に取り付けられています。
ホロ座の外側の色は取り付けられたホロで見えませんがおそらく車体外部色でしょう。
ホロ座の内側の色は室内色です。
①ホロ座内側
②ホロ座と貫通路の間の妻面
③貫通路の内側
の3カ所がそれぞれ小さな幅ですが室内色として見えています。
この室内色が見えないと「日本の旧型客車」という感じがしません。
更にホロは実物では畳まれているので非常に存在感が薄く、室内色がぐんと前に出てきます。
模型ではホロは普通は可動しないです。
ですから「中途半端に伸びている表現」になっています。
その為に少しオーバーな表現をしないと「日本の旧型客車」にならないです。
室内通路床はスエード調スプレー“ダークグレー”にしました。
スエード調スプレー“ダークグレー”は紫色になるので屋根には使えません。
(勿論上に薄くじょうずに色を載せられるならOKですが)
スエード調スプレー“ダークグレー”は吹いた直後は確かにダークグレーです。 乾くにつれて紫色になるのです。
缶を捨てる為には使い切らなくてはなりませんので此処に使いました。
手前の直径の大きな丸いワッシャー↑はDD51の中間台車のマクラバリの上に数枚遊ばせてある0.1㎜厚洋白板です。 中間台車のジョイント音が動輪と違うようにするために作ったものです。
集電可能なように黒亜鉛メッキを剥がして黒染め磨きをしてボルスターとマクラバリの間に挟みます。
付随車用ボルスターにはこういうワッシャを噛ませなければビス~マクラバリの通電は完全にスプリングだけを頼りに通電するという事態になるのです。
その危ない橋を脱するためにはワッシャが必要です。
(それは薄い方が良いし、最初からワッシャ付きで設計してあるべき)
室内灯はTOMIX白色を使います。
そのままでは光源から光が出る方向だけにしか光が行きません。 光源に向かう方向には光が向かわない「最低の光」になってしまいます。
そこで、昔ながらの方法を使って対策します。
スーパー等の白濁ビニール袋をパネルライトの幅に切って光をそれで拡散させます。
最初はこの様に白濁ビニールを一直線に通して上に前後分割のパネルライトを持ってくる作戦です。
こんな感じです。
しかしそれは上手く行きませんのでに分割してそれぞれに透明ゴム系接着剤で接着してしまいます。
サボを付けます。
最初の一枚は紙の表層を剥がしてしまい失敗です。 以降は普通に簡単に行きました。
号車番号を中に入れていなかった事を此処で後悔します。
そこでKATOのスハ43系インレタの中にある号車札を使ってしまいます。
これは思った以上に上手く行きました。
あるとすれば2号車に決まっていますので黒い2の数字をレタリングします。
この黒い文字はエンドウのNEX253系の黒い数字インレタでした。
そして、パネルライトが上手く行きません。
やはり燐青銅は錆びてしまっているようです。
片側二軸集電ではちらつきもきついですので明日にでもIMONのパネルライトに載せ替え改造します。
という訳で一応完成したのがこの姿・・・合運に持ち込んだ状態です。 (拡大できます)
此処まで仕上がったのは合運初日10月13日の午前6時30分です。 (写真は帰ってきてから撮りました)
午前8時まで寝てから合運に行ったので少し遅い到着でした。
EF5860は給油と車輪磨きとATSインレタとエンド表記貼付、IMONカプラーへの換装程度しかできませんでした。
EF30(メッキ仕上げ)は給油のみです。
ともかく、このオミソ1両はこんな結末ですが、〔雲 仙〕〔西 海〕(うんじぇん、しゃいかい または うんじぇん、さいかい)の企画は大変な盛り上がりで大成功だったんじゃないかと思います。
このオミソのオハネフ12ももう一度きっちり整備して藤沢にお持ちしたいと思います。