♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■契約の血 / 板倉邦雄

2013年03月27日 | Weblog
2013/3/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「契約の血」という題でお話ししましょう。

 レオナルド・ダ・ヴィンチが描きました『最後の晩餐』の絵は有名です。イエス・キリストが十字架の死を目前にしまして愛する弟子たちと最後の晩餐をした時の様子が描かれています。その時イエス様が弟子たちに残したことばをまず紹介しましょう。

 「また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」マタイによる福音書 26章 27節、28節

 「わたしの契約の血である」・・・ 一つの杯を回し飲みながら弟子たちは何のことを言われているのかさっぱり分からなかったでしょう。彼らは契約の血については子どもの頃から経験的にわかっていました。「初めの契約」と言われ一般的には「古い契約」と言われている旧約聖書には動物が屠られてその血が流されることによって私たちの罪が赦されたからです。そして神と和解することができました。血を流すことなしに罪の赦しはなかったのです(ヘブル人への手紙 9章 18節、22節参照)。

 なぜ私たちの罪が動物の身代わりの死によって流される血を要求したのでしょうか。それは「命は血の中にあるからである。・・・いのちとして贖いをするのは血である。」と旧約聖書のレビ記の17章(11節)にあります。私たちの罪は誇りや欠点、弱さというものではなく、罪は私たちのいのちを要求するものなのです。ですから、初めの契約において私たちの罪の赦しのために、すなわち私たちのいのちを贖いうために動物のいのちが身代わりになって血を流したのです。

 ですから「わたしの契約の血」とは動物の身代わりの死による血の注ぎではないのです。神の独り子イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとなって罪の赦しのために十字架にかかり血を流してくださったのです。私たちの血液が栄養分を運ぶ細胞を新しくしていきます。また老廃物や毒素を排出することによって、私たちのいのちを支えます。同様にキリストの契約の血は私たちの良心を清め、死んだ行いを取り除き、生ける神様に繋がって永遠のいのちを私たちに与えてくださるのです。

 聖書のことば

 「あなたがたは、(血の)代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」 第一コリント人の手紙6章20節 (口語訳聖書)

( PBA制作「世の光」2013.3.27放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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