ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
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2016年1月24日師走祭り3日目最終日(下りまし)

2016-01-24 17:53:26 | 百済王伝説
昨夜の神楽はもうすぐ雪が降ってくるかなというくらい時間が経つにつれてどんどん冷えていった。寝る前に見たテレビのニュースでも脅かされていたので、朝になったら銀世界だろうと思って覚悟してカーテンを開けると、6時、なんともなかった。
8時、荷物を持って社務所へ。今朝は神楽のあとにいただく「かけ汁」を昨夜いただかずに帰ったので、大好物が食べてなくて心残りにならないように、お願いして自分の分だけ温めてもらっていただく。わがまま言ってよかった。美味しい!そして次の行動に移ろうとしたら「つじちゃん、味噌汁も美味しいよ」と言われて、なんだか本当に美味しそうだったので、今度は具だくさん味噌汁をいただく。
祭事までには時間があったけれど、祭りの片付けに来ている方の中には旧総代の方もあって、焚き火にあたりながらあれこれと話を聞く。そうか、この祭りは総代は昭和20年代が主流になったといっても、それを支えている方たちは80代の方たちも多い。だから祭りの時に会わないと、あの人元気なのかなと気になる。喪中の家のかたも来ることができないから、祭りに出てくるということはそれだけで健康を確かめ合うようなところがあるように思う。昨夜、足が悪くて会いに行けないわと電話を下さったMさんは、今朝やっぱり顔を見ないとと言って足を引きずって社務所にきてくれた。今年は帰ってくるかと必ず電話をくださる一人だ。足を悪くしても会いに来てくださる方がいるなんて、申しわけなく、でも本当に気持ちがこもっていて嬉しい。
10時30分の祭事はへグロ塗り。顔に墨を塗る。ああ、また今年も塗られてしまった。それにしても2人の髪の少ない総代さんは可哀想だった。若返らせてやると頭ごと塗られてしまって、漫画のキャラクター?みたいになっていた。そんなこと、祭りでしかできない。
11時、社殿からご神体が出発。初日にやぐらの立っていたところで比木神社の一行が見えなくなるまで「おさらばー」と叫ぶ。これはみなが声を合わせなくてはならないのだけれど、それがなかなか難しい。今年は総代が入れ替わった年で、そういう意味でもみなが阿吽の呼吸で動くというところまではいかないのだろう。あれこれとみなで指示を出し、ところどころ旧総代が気づくと声をかけて進めていく。その様子はまさに伝承の場にいるのだなという実感だ。絶対にこうしなければならないではなく、おい、こうするぞ、いや、このほうがいいだろとゆるやかに祭事が過ぎていく。けれど決して外さない。祭りはこうやって年を経てきたのだと思う。
無事に見送りを終えて鳥居まで戻るとき、記念写真撮るぞと誰かが言った。これは私がある年に記念に勝手に撮らせてもらって以来、恒例となった。総代の一人の方が「鳥居の幟は片付けないでもらった」という。そういえば、いつもはもう幟はこの時ないはずだ。写真を撮ろうとしたら美郷町役場の方がいて撮ってくださった。そう、ここまできちんと町長も同行していたのだ。
それからご神体を本殿に収め、社務所にて火祭りをおこない、あとは直会。わたしは婦人会の席についた。祭りで一番大変なのはこの自主的に支えている女性たちだろうとおもう。
宮司の妹さんが日向市に帰るのに同乗させていただくことにして神門神社を去る。

今年の師走祭りが終わりました。この3日間は覚書のつもりでのダダ打ちです。後日、写真等を加えたいと思います。
オサラバー。
また来年、帰ります。

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