ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

22の88の44

2011-01-30 01:12:46 | シホのホ(雑記帳)
ああ師走祭りから帰ってもう一週間が経つんですね。
現在個人的な原稿締め切りと仕事上(枝下用水)の締め切りに追われて(同じような違うような)起きてるんだか寝てるんだか分からない日々を過ごしています。というわけで師走祭りのお礼状も旧暦新年を超えてからになりますが、どうぞおゆるしを。

さてさてそんななか、今日は豊田市駒場町の徳念寺で開削者祭祀があったので調査に出かけたあと、知立市立歴史民俗資料館に行って資料の撮影をしてきた。
親切な担当の方がたまたま私の行っている大学の教員の名前を出したので、急に知立市には大学時代にお世話になった先生がいらしたことを思い出し、でももう全然お会いしていないからお元気かしらと思いながらちょっと口にしてみたら、併設の図書館に週に2回はいらしていて、研究会で発表なさったり地方紙に連載したり、いろんな本を書いているというので、よろしく伝えてくださいといって帰ろうとした。裏口から入ってきていたので図書館を通り抜けようとしたら、私の歩くコース上になんとその先生がいて本を読んでいた。
大学卒業以来だから22年ぶりの再会。先生は米寿!嬉しいことに私のことをしっかり覚えていてくださって、という私は来週44歳。というわけで今日の題は「22の88の44」とこんな数を並べてみたのだった。
国文学の先生が引退して「ぼけ防止に」勉強して『昭和初期の知立町の農業』という本を出されていた。永田友市先生、ほおんと思い出すといろいろとよく私に親切にしてくださった先生がこんなテーマなのも面白い。米寿の先生に励まされました。
で、大学の後輩!はるかさんにメール。かわらず背筋のしゃんとした先生でした!

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2 コメント

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シホさんのことはみんな覚えていますよ (はるか)
2011-01-30 03:34:44
あのころ母校で学んだ人なら、名前は忘れても、彼の姿勢、話しかたは忘れられないでしょう。もしかしたら、廊下でハイヒールの音を立てて歩いていて、叱られていた他学科の方も。

私は永田先生の授業では落第生でした。
一番前の席(授業は指定席でしたよね)でわざとジーパンはいたり(ジーパンは作業着だから授業に適さないとおっしゃっていた)、長い髪をかきあげたり(確か嫌っていらしたような)している同級生を、心の中で応援していました。
さすがに自分でそこまでやる勇気はありませんでしたが。

でも今でも彼のそういった「教育」は自分に染み付いていて、学校の保護者会にジーパンでは行かなかったり、タンクトップの上に何かはおったり、靴が立てる音を気にしたり。
人として基本的なことをおしゃっていたんだなあと、懐かしく思い出します。

私の恩師・稲垣富夫先生はお亡くなりになったけど、同じ年の永田先生がご健在とは、すばらしいですね。もうひとり同じ年の樋口芳麻呂先生も、ご健在のようですよ。


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そういえば (シホ)
2011-02-02 01:47:21
高校の講師の仕事を世話してもらおうとわざわざ高校まで一緒に挨拶に行ってくれたことがありました。
高校の名前と同じ駅で降りたせいで(本当は別の駅)、先生と2人、延々とおしゃべりした田んぼ道、懐かしいです。
めちゃくちゃお元気でした!!!
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