ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

あなたからの「やっほぉー」でSKIPを応援してください!

2007-06-07 23:33:33 | シホのホ(雑記帳)
今年のSKIPのモーニングコンサートは6月21日、もう2週間ありません。
なんとかチケットを1枚でも多く売りたい!チケット売行き集計状況を見てそう思っています。

さて、チケットの売れ行きもそうなのですが、
我がSKIPの苦しい財政事情を考え、新たな応援企画を思いつきました。
以前企業向けに寄付金のお願いをしようという声があった時に、
個人レベルの応援を形にできないかなあと思ったことに始まります。

考えたのは≪あなたからの「やっほぉー」でSKIPを応援しよう!≫

SKIPのコンサートでは当日配布する広告チラシの主を募っています。
名刺大の3000円にはじまり、B5版の半ページ10000円など、会員の知り合いにお願いしています。でもそれでは個人は手が出しにくいです。

そこでワンコイン・500円で、50字以内のメッセージ(名前も含む)を載せようと思いつきました。
内容は自由です。SKIPへの応援メッセージでも嬉しいですし、ご自身のHPやブログの宣伝、最近思うことなどを思うままに・・・。
文字はダメだわ、絵にします!と言うのもOK!

よし、ワンコイン(500円)でわたしからの「やっほぉー」メッセージ載せるわっていう方、次の手順でお願いします。
1、決意した時点で私に連絡下さい。
  あるいはコメント欄にその旨を伝えてください。折り返しご連絡いたします。
2、名前を含めて50字以内でメッセージを考えて、私あてに送ってください。
  イラストの方はスキャンして添付で送ってください。
  メッセージはいらないわ、名前だけでっていう方もOK、
  名前も嫌だわっていう方もOKです。
  いや、言いたいこといっぱいあるから2コインって言う方大歓迎!
3、ワンコインはコンサートに来れる方はそのときに。
  行けないという方はSKIPの口座に振り込んでいただくか、相談しましょう。

目標はB5版の1ページを埋めること。
申込締切は6月17日(日)までとさせていただきます。
みなさんからの「やっほぉー」、お待ちしています!!
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旧姓併記のパスポート取得

2007-06-07 15:08:00 | シホのホ(雑記帳)
ほるほる5月30日の記事「旧姓でパスポート申請」から10日、今、新しいパスポートを受け取ってきました。
書類上は旧姓のパスポートとまではいかず、別名併記のパスポートという扱いで、今後は「戸籍名(TSUJI)SHIHO」がパスポート上の正式名称となります。
ですが署名は旧姓を使った「逵 志保」でOKとなり、今後はこのサインが有効になります。

受付の方が、「この間申請されたと思ったのに、早いものですね」とおっしゃいましたが、本当に、少し前は「日数が多くかかるかもしれません」などといわれていたのに、他の方と全く変わりませんでした。
窓口では、この申請は10年後に継続という形にはならず、また改めて申請していただくことになるんです、といわれましたが、10年後って一体どうなっているんでしょう?
窓口の方と私の見解では「きっともっと申請は楽になっているでしょうね」です。

昨日、大学の廊下で旧姓を使っているMさんにお会いしたので、「旧姓のパスポート取るんですよー」とお話したら、「えー、できるのー?」っと驚いてみえました。Mさんは有名な歴史学研究者で、そのために度々中国に行くのだそうですが、「本当に困るのよねー」とのこと。ああここにもいたんだわと嬉しくなりました。

人によっては実に些細なことなのですが、本当に困る場面がたくさんあります。
こうした問題に立ち向かって、制度を変えていってくださった方々に感謝感謝です。

写真は新しいパスポート。重石をしないと開いてしまうのはICチップが入っているため、曲げないように厚紙のようなページが真ん中にあるのです。
唯一つの後悔は、もっと美人に映った写真を使えばよかった。以前のものより写真が大きいのです。少なくともこの写真より、本物はましな気がする、そんな写真です。ああ。
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青森上空

2007-06-07 12:45:56 | シホのホ(雑記帳)
おまけです。

青森空港を19:35に発ち、中部セントレア空港に向かいました。
青森上空、夜の空の雲の向こうはこんなに素敵な色なんですね。
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太宰治『津軽』の旅

2007-06-07 12:23:06 | シホのホ(雑記帳)
翌日のことも記しておかなくては。

2日13:30から弘前学院大学で日本口承文芸学会年会がありました。
ですから朝起きたら駅まで送っていただいて…と考えていた私は、Yさんスペシャルプランが午前中も用意されていることを知りました。

朝7:40に宿を出て、車で十三湖を通り津軽鉄道の津軽中里駅へ。せっかく来たのだから見るだけではなくて乗ったほうがいいだろうと、私はそこで車を降り、金木駅までの津軽鉄道を楽しませていただきました。
これは乗って揺られてみなくては分からないなあという旅の風情。写真は携帯電話でも撮り、待ち受け画面にしました。この季節に津軽に来ることができて、本当によかったと思いました。

金木駅で降りると車は既に到着していて、そこから斜陽館へ。そう太宰治の生家が今は記念館となっています。
学校のテキスト『日本文学史』には必ずこの斜陽館が載っていますが、入ってみて驚きました。太宰の小説の背後が見えたような気がしました。立派過ぎるのです。

それから故郷ならではの様々なゆかりの地や記念碑を案内していただきました。正直のところ、太宰治に対して傾倒しているわけではなかったのですが、Yさんから様々な活字にならない話をお聞きしながらまわるゆかりの地は、それはもう本当に魅力的で、かつて読んだであろう『津軽』が、本当に読んでいたかなと思うくらいあやふやになっていて、無性に読みたくなってきました。
Yさんの名ガイドは評判のようで、JRの大人の休日倶楽部でしたか?そうした企画の中でもお聞きできるようです。

それから五所川原の立佞武多(たちねぷた)の館まで送っていただき、今回の津軽旅が終わりました。Yさんはこれから小泊に戻り、今度は渋沢敬三の研究をしている方たちがいらしているということで案内するとのこと、お忙しい中を送ってくださっていたのでした。

再び弘前駅へ、そして学会へ。
わずか1日で津軽を存分に味あわせていただき、当然学会の話題になる名所を目にしたり歩いたりすることができていたおかげで、楽しいものになりました。

翌日、弘前駅で太宰治『津軽』(新潮文庫)を購入。面白いほど実感をもって読むことができました。小説の中で繰り返し津軽人の歓待の仕方が尋常ではないことが記されていましたが、今回のYさんの一つ一つを振り返っても、大きく頷くことができました。ああ、Yさんは津軽人なんだなあと思いました。
そして小説のラスト、小泊でのタケとの再会場面でちょっぴり涙が出ました。
二人は互いに会いたい思いを長く抱いていたのですが、いざ会ったときには互いに言葉が出てこないのです。太宰はそれを「平和とは、こんな気持の事を言うのであろうか。」と記します。あとからタケはそれを、「ありがたいのだか、うれしいのだか、かなしいのだか、そんな事は、どうでもいいじゃ」と堰を切ったように話します。

今回、津軽を旅させていただきながら、こうしたなんとも穏やかな時間の流れに、果てしなく広がる緑と海の青に見とれながら、自分の日々の慌しさのなかに大きな深呼吸ができたことに感謝しました。
本当にお世話になりました。
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竜飛岬

2007-06-07 10:46:21 | シホのホ(雑記帳)
小泊中学校のみなさんと別れ、Yさんスペシャルプランが始まりました。

先ずは太宰治の小説「津軽」の像記念館へ。小泊は太宰の子守であったタケの故郷であり、『津軽』のなかで太宰はタケを小泊に訪ねてきて、30年ぶりくらいで再会します。Yさんは元館長で、実際にタケさんから繰り返し聞き取りをしており、それをきちんと映像に残していらっしゃいます。展示にいたるエピソードはどれも「そんな裏話があったの?」という愉快な話でした。

それから竜飛岬へ(写真)。岬の先端は自衛隊のものものしい計器?があって目障りではありますが、20キロ先の北海道が見えました。
ここは本州最北端、そう、石川さゆりが「ごらんあれが竜飛岬、北のはずれとー」と「津軽海峡冬景色」で唄っている所です。歌謡碑もあって、大きな赤いボタンを押すと大音量で歌が流れてきました。風が強いので、このくらい歌が大きくても大丈夫なのでしょうが驚きました。
そういえば今年1月には和歌山県新宮のYさんに本州最南端に連れて行っていただいたのでした。(ほるほる2007年1月13日の記事)今年は最南端と最北端に行けたことになります。ありがとうございます!

そのあとは変わった地名「三厩(みんまや)」の伝説などを聞きながら吉田松陰が通った道、今は「みちのく松陰道」と名づけられていますがその道をのぞき見ながら、小泊の宿「柴崎」に入りました。
Yさんは夕食も付き合ってくださって、美味しいお酒とお魚をいただいている間にNHKで偶然Yさん撮影の映像が放映されたのでそれを見たりしながら、5年ぶりの話題はつきませんでした。
それにしても5年というとだいぶ時間が経っているわけですが、その間さまざまな連絡は取り合っていたので、なんだかお互いに「会っていない気がしないねえ」ということになりました。
各地でこうして徐福伝説を伝えていかなくてはと頑張っている方があって、そしてそういう方々に本当にいつも助けていただいています。

翌日、私は弘前の学会に出かけたわけですが、そこで中国関係の研究者のIさんが「小泊の徐福見てみようかなと思ったけれど、あんまり遠くて諦めた」とおっしゃっていました。本当に、私一人で行くことは無理でした。

さて、その晩はYさんと苦しくなるまで呑んで食べて、宿の温泉に2度も入って、小泊の夜は更けていきました。
寂しい思いは唯一つ、この日から始まったというメバル漁の船が宿の前に着いたのでその様子を写真に撮ろうと船に近づいていったところ、いくら網を引いても全然魚が上がってこないのです。もう少し待ったら…と立っていたのですが、なんだか申し訳ない気がしてきて、部屋に戻りました。
部屋は海に面していたので何度か窓から覗いてみましたが、ずっと網はするするとあげられていて、しばらくして覗いたときには、もう人がいませんでした。
翌朝、宿の方に聞いてみるとやはり捕れなかったようで、海の温度とか関係あるのかなと話しました。
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