ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

竜飛岬

2007-06-07 10:46:21 | シホのホ(雑記帳)
小泊中学校のみなさんと別れ、Yさんスペシャルプランが始まりました。

先ずは太宰治の小説「津軽」の像記念館へ。小泊は太宰の子守であったタケの故郷であり、『津軽』のなかで太宰はタケを小泊に訪ねてきて、30年ぶりくらいで再会します。Yさんは元館長で、実際にタケさんから繰り返し聞き取りをしており、それをきちんと映像に残していらっしゃいます。展示にいたるエピソードはどれも「そんな裏話があったの?」という愉快な話でした。

それから竜飛岬へ(写真)。岬の先端は自衛隊のものものしい計器?があって目障りではありますが、20キロ先の北海道が見えました。
ここは本州最北端、そう、石川さゆりが「ごらんあれが竜飛岬、北のはずれとー」と「津軽海峡冬景色」で唄っている所です。歌謡碑もあって、大きな赤いボタンを押すと大音量で歌が流れてきました。風が強いので、このくらい歌が大きくても大丈夫なのでしょうが驚きました。
そういえば今年1月には和歌山県新宮のYさんに本州最南端に連れて行っていただいたのでした。(ほるほる2007年1月13日の記事)今年は最南端と最北端に行けたことになります。ありがとうございます!

そのあとは変わった地名「三厩(みんまや)」の伝説などを聞きながら吉田松陰が通った道、今は「みちのく松陰道」と名づけられていますがその道をのぞき見ながら、小泊の宿「柴崎」に入りました。
Yさんは夕食も付き合ってくださって、美味しいお酒とお魚をいただいている間にNHKで偶然Yさん撮影の映像が放映されたのでそれを見たりしながら、5年ぶりの話題はつきませんでした。
それにしても5年というとだいぶ時間が経っているわけですが、その間さまざまな連絡は取り合っていたので、なんだかお互いに「会っていない気がしないねえ」ということになりました。
各地でこうして徐福伝説を伝えていかなくてはと頑張っている方があって、そしてそういう方々に本当にいつも助けていただいています。

翌日、私は弘前の学会に出かけたわけですが、そこで中国関係の研究者のIさんが「小泊の徐福見てみようかなと思ったけれど、あんまり遠くて諦めた」とおっしゃっていました。本当に、私一人で行くことは無理でした。

さて、その晩はYさんと苦しくなるまで呑んで食べて、宿の温泉に2度も入って、小泊の夜は更けていきました。
寂しい思いは唯一つ、この日から始まったというメバル漁の船が宿の前に着いたのでその様子を写真に撮ろうと船に近づいていったところ、いくら網を引いても全然魚が上がってこないのです。もう少し待ったら…と立っていたのですが、なんだか申し訳ない気がしてきて、部屋に戻りました。
部屋は海に面していたので何度か窓から覗いてみましたが、ずっと網はするするとあげられていて、しばらくして覗いたときには、もう人がいませんでした。
翌朝、宿の方に聞いてみるとやはり捕れなかったようで、海の温度とか関係あるのかなと話しました。

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