ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

小泊の徐福像 青森県北津軽郡中泊町立小泊中学校のみなさんと

2007-06-07 10:06:35 | 徐福伝説
小泊中学校のみなさん、遅くなってごめんなさい。

6月1日、この日は総合学習の選択授業という位置づけでしょうか、青森県北津軽郡中泊町立小泊中学校の2・3年生のうちの20数名が、徐福の紙芝居を作るために、徐福像を見に来るという校外学習の日でした。
この試み(徐福伝説を学習し、紙芝居を作る)は既に6年を迎えており、はじめの年は徐福像がなかったので伝承地とされる権現崎に登っていたとお聞きしました。(徐福像が建っていてよかったですね!)

五所川原駅まで迎えに来てくださった柳澤さんがこの授業の講師なので、車は一気に(といっても1時間)北上し、小泊の徐福像に向かいました。
2002年11月25日、私はこの徐福像の除幕式でこの小泊にきているのですが、像の細かな説明は聞き逃していたこともあって、中学生と一緒にお話をお聞きし、勉強になりました。(当時は権現崎に徐福像はありましたが、大雨で地盤がゆるみ、バイパス完成と共にできた公園に移動しています。)
柳澤さんには5月18日に龍口市で出版記念式典があった『徐福志』をお土産に持って来た(正しくは重すぎたので先に郵送)のですが、この本を中学生に見せながら、「中国で出版された本に小泊の徐福伝説が載っています」と説明なさっていて、小泊に持って来てよかったなあと思いました。

この後、せっかく来ているのだから日中韓に及ぶ徐福周辺の状況や、その中で小泊の徐福伝説がどのように位置づけられているかなどを話すように言われました。
とっさのことでしたので何の準備もできておらず、5年前の徐福像除幕式の話から日本国内だけでなく中国や韓国の徐福研究者の中では、小泊の徐福のことは誰もが知っていて、つまり小泊の徐福は小泊だけの徐福伝説ではないこと、そんな話をさせていただきました。話しながら、ああまた私は海を眺めながら話しているなあと気づきました。海を渡っていった徐福、海を渡ってきた徐福なのですから当たり前といえば当たり前ですが、その海はこの日のように日本海であったり太平洋であったり、渤海であったり。海は伝承地をつないでいるなあという思いがまたわいてきました。

…この日は本当に天気がよく、徐福像の背後から海を眺めると、遠くに岩木山=津軽富士が見えました。いつも見えるわけではないそうで、そういえば済州島でも海から漢拏山を眺めているとくっきりと見えてきて、ご一緒した済州島の方から「1年にそう何回も見えるものではないのよ」といわれました。強運です!

この日、柳澤さんが連絡してくださっていて、町の観光課のテミさんも徐福像のところに来てくださいました。お会いするのは初めてだったのですが、役場の方という立場でなく、小泊を愛する者として話してくださる印象は以前いただいたお手紙そのままで、こういう方たちが次の小泊を支えていくんだなあと思いました。(私が論文で「多様」な伝承主体といわずに「多重」な伝承主体という理由はここにあります。役場の方であり、地域の方である、その立場だからこそ損得ではなく突き動かされる思いがあること、どなたかくしゃみをしているでしょう?)
テミさんのお祖母さまは語り部だったそうで、権現崎の言い伝えなども聞かせてくださいました。

わずかな時間でしたが、徐福を縁としたこうした出会い、大切にしていきたいと思います。
小泊中学校のみなさんの紙芝居はいつ頃完成するのでしょうか?
完成を楽しみにしています。
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