新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

流汗淋漓

2018年07月25日 11時31分29秒 | 写真と俳句

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  この夏は暑い。とてつもなく暑い夏です。統計的にも、かなり異常なのだそうです。

 そんな夏、私はひどい汗っ掻きになっていました。クスリの副作用なのです。

 そのクスリを処方された際、医師から副作用に関する説明があり、渡された書面にも、「のぼせる」と書いてありました。

 それまでの私にとって、「のぼせる」と言えば、「白衣」や「セーラー服」に対する「お熱」程度のこと。

 ところが副作用による「のぼせ」は、とてもそんなものではなかった。

 少し「根を詰めた」だけで、まさに流汗淋漓。やれやれ、とんでもないことなのです。

   汗淋漓つい口走る恨み言   ひよどり 一平

   (あせりんりついくちばしるうらみごと)

 

 

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せっかち薄のろ族の悲劇

2018年07月19日 18時17分40秒 | 写真と俳句

 

 LINEが大流行だ。

 ちょいとしたはずみから、私も使ってみた。

 もっとも、「使ってみた」と言えるほどのものではなく、ある人の好意に甘えて手習いをしてみただけ。

 「うーん、なるほどなあ~うーん」

 間違いなく世の中は変貌するに違いない。「良い」だの「悪い」だのを超えて、LINE的な思考や行動が、社会を席巻する。

 私のような薄のろなウエット派は、はやばやと死ぬか、社会の片隅に追いやられる。

 なにしろ、考えていたら間に合わないのだ。

 さあ、どうする、どうする?

   何忘れ何に溺るる滝しぶき   ひよどり 一平

  (なにわすれなににおぼるるたきしぶき)

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ちっぽけな我がいのち

2018年07月18日 00時07分51秒 | 写真と俳句

 

 ある時、あるきっかけで、「よーし、昭和の曲は歌わないぞ」と決心し、新しい曲を覚えようと努めた。

 ところが、またあるきっかけで、「やっぱり、昭和の曲はいいなぁ」と再認識し、おのづと考えが変わった。

 俄然、古い曲を歌うほうが多くなった。何しろ、元気な頃の私が、夜な夜な歌っていたのは、昭和の曲だったのだから。

 よく呑んでよく歌っていたものだ。今さらながらしみじみ思い、しかも、ちょっぴり反省もしている。身体も毀れた。

 もちろん今も、平成の曲を歌ってはいるが、いまひとつピンと来ない。昔のように、新しい曲が覚えられないという現象もまた、実態の一つだ。

 そうだよねえ、あれからずいぶん経ったものねえ。

 ちっぽけないのち、いつまで頑張れるかなア。

   万緑の中の一点我がいのち   ひよどり 一平

   (ばんりょくのなかのいってんわがいのち)

 

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さあ殺せ

2018年07月17日 16時12分35秒 | 写真と俳句

  

 机の上がごちゃごちゃで、部屋の中もごちゃごちゃ。

 私とてごちゃごちゃが好きなわけではない。部屋の中も机の上も、さっぱりと小綺麗に片付いていたほうが、気分がいいに決まっている。

 にもかかわらず、いつもごちゃごちゃなのだ。つまり私は、片付けが大の苦手。ダイッキライなのだ。

 かつては孫が「お泊まり」にやってきた。「お泊まり」に来る孫の手前、その都度、私は部屋と机の上を片付けていた。祖父の体面があった。

 二人の孫が中学生になったら、お祖父ちゃんを訪ねてくるチャンスが激減。つまり、勝手に大人になって、お祖父ちゃんは捨てられた。

 カミさんに捨てられ、孫に捨てられ、カノジョに愛想づかしをされ、さてさて………?

 現在、私の机の上には、ペン一本すら置けない。いろいろなもので脹れている。

 片付けを始めてみたが、とんと気合いが入らぬ。気合いと呼吸が続かなiいので止めた。

 ある文庫本が読みたかった。書庫をはじめ他の部屋も探したが見つからない。子分と思っていた文庫本一冊ですら、私に反抗的なのだ。

 嫌われたらしい。

   さあ殺せ寂しがりやの悪茄子   ひよどり 一平

  (さあころせさびしがりやのわるなすび)

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夏草

2018年07月15日 14時51分28秒 | 写真と俳句

 

  昭和20年(1945年)の夏、町はアメリカ軍B29爆撃機の焼夷弾爆撃を受け、甚大な被害を受けました。

 私にとって13歳の夏は、艦砲射撃→焼夷弾爆撃→終戦へと繋がります。

 國としては、沖縄戦争があり、東京大空襲があり、広島と長崎の原子爆弾投下などがありました。

 私にとって繁茂する夏草には、草いきれとともに、逃げ惑った記憶が宿っています。

 逃げ惑った私の傍らには、常に母がいて、弟や妹がいました。

 父母はすでに亡く、手を引いて逃げた弟も、重い病床にあります。

   夏草や死を受け容るることできず   ひよどり 一平

   (なつくさやしをうけいるることできず)

 

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