季語に「春愁」がある。
さほど深刻な物思いではない。
心浮き立つ春なのに、どこか捉えようのない悲しみを感じてしまう。それが春愁の本意らしい。
つまり、根源的な苦悩とは違うらしいのだ。
春愁や鮃の顔に目がふたつ 草間 時彦
春愁の渡れば長き葛西橋 結城 昌治
一方の「秋思」は、軽くは扱えない思いらしい。
人生の寂寥、生存の悲しみから生まれる物思いであり、根源的な心の揺らめきが「秋思」の本意だとか。
「存在と時間」を考えたハイデッカーや「存在と無」を論じたサルトルと似た思いだろうか?
と、まァこんなことまで言えば、大げさなハナシではあるが。
上の写真はチンパンジー。まさしくこれは「秋思」だ。
ひとり釣り糸を垂れている男性の背中に、言いようのない寂寥感が漂っている。
深い悩みがあるわけではないのに、ただただ心が晴れない。虚しいのだ。
(聞いたわけではありません。念のため)
竿先を日がな見詰めし秋思かな ひよどり
考えたって埒が開かないのに、何時しか虚しさを覚えてしまう秋思?
いっそのこと、家中の灯りを点けてしまおうか!
家中の灯りを点しわが秋思 ひよどり