新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

わが秋思

2015年09月28日 20時39分00秒 | 写真と俳句

 

 季語に「春愁」がある。

 さほど深刻な物思いではない。

 心浮き立つ春なのに、どこか捉えようのない悲しみを感じてしまう。それが春愁の本意らしい。

 つまり、根源的な苦悩とは違うらしいのだ。

   春愁や鮃の顔に目がふたつ   草間 時彦

   春愁の渡れば長き葛西橋    結城 昌治

 一方の「秋思」は、軽くは扱えない思いらしい。

 人生の寂寥、生存の悲しみから生まれる物思いであり、根源的な心の揺らめきが「秋思」の本意だとか。

 「存在と時間」を考えたハイデッカーや「存在と無」を論じたサルトルと似た思いだろうか?

 と、まァこんなことまで言えば、大げさなハナシではあるが。

 上の写真はチンパンジー。まさしくこれは「秋思」だ。

 ひとり釣り糸を垂れている男性の背中に、言いようのない寂寥感が漂っている。

 深い悩みがあるわけではないのに、ただただ心が晴れない。虚しいのだ。

 (聞いたわけではありません。念のため)

   竿先を日がな見詰めし秋思かな   ひよどり

 考えたって埒が開かないのに、何時しか虚しさを覚えてしまう秋思?

 いっそのこと、家中の灯りを点けてしまおうか!

    家中の灯りを点しわが秋思    ひよどり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする