昨年の9月ごろから、心身の軸にズレが出ていた。
なんとなくスッキリしなかった。
親しい友人との間に、不信の風を吹かせたりした。
本来は包み込まなければいけない相手に対し、喧嘩を売ったり、悲しませたりもした。常の私なら、絶対にしない行為だ。人間性の問題だった。
勉強していたグループを、すでに脱会した。気持ちが噛み合わなくなったのだ。謂わば、破門されたようなもの。短慮だったのだが、もはや絶対に戻るつもりはない。戻れない。
身体的にも変調があり、二つの臓器に関し癌を疑われた。
一つは直ちに切除した。抗癌剤は使用せず、現在、順調に回復中。
もう一つの疑いについては、入院して精密検査を受けた。つらい検査だったが、幸いにも癌ではなかった。しかし、検査後の回復が遅れ、この頃やっと復調できた。
数え上げれば、その他にもまだまだ幾つか。
修復できなくなって関係については、もはやどうにもならない。遠くから、ひたすら詫びるだけだ。
つまり、この1年間、私にとって大きな変調期だった。
数年前、従兄が亡くなった。
「ヤツは『九の坂』を越えられなかったんだなァ」
葬儀の日、親戚の長老が、ボソリと言った。従兄は79歳であった。
この一年間、私にはいろいろと不都合なことがあった。しかしこれで、なんとか『九の坂』を越えられたようだ。
はじめて『九の坂』の話を耳にしたとき、「へえ~?」と、笑い話として受け止めていた。
今になってみて、『九の坂』を否定していない私がいる。
70台後半から80台にかけて、体調変化があって当然なのかもしれない。
私はそれを乗り切ったのだ。
もちろん、単に『九の坂』を越えればいいわけではあるまい。
これからの坂道をこそ、一年一年、強いて言えば「その時、その時」を、誠実にかつ情熱的に生きなければならない。
丁寧に丁寧に、悔いが残らないように。
若い恋人を作ろうか?