3億円が当たる宝くじを買ってしまった。まさに大失敗であった。
買う気になったのは、いつもの思いつき。同じ買うなら、ハズレくじにしておけばよかった。
黙っていれば、まだよかったのだが、迂闊な私は、そのことをこのブログに書いてしまった。
しかも運悪く、R沙がその記事を読んでしまったのだ。
それからが大騒ぎ。
当然、「はんぶんこ」の話になった。(12月18日『ひよどり草紙「はんぶんこ」』)
R沙が知れば、S代に知れるのは必然だった。これは読み筋どおり。
なぜかカミさんの耳に入ってしまった。「危ないなあ」と思っていたことが現実となった。
3億円の処分にからみ、R沙とS代と私で相談していたことが、誰かの地獄耳に引っかかってしまったのだ。
しかも、そこからカミさんの耳へ。
カミさんがすっかり怒ってしまった。
カミさんにしてみれば、「二人の女をとるか私をとるか」であり、「二人の女に金を渡すため、当たりくじを買ったのではないか」、という論の展開になる。
私にとって、いくら二人が若いとしても、もカミさんのほう大切だ。これは言うまでもないこと。
私はそのことを、切々と訴えた。
どうやら半分程度は納得できたらしい。もともとカミさんだって、私を信じていたい。
最後は、何によってそれを証明するか、という話になった。
私の胸の中を開き、曇りのないことを見せればいいのだが、それもできない。
「当たりくじを燃してしまえば、今度のことは納得するわ」
これがカミさんの条件となった。
私にとって選択の余地はない。考えるまでもなく、当たりくじを燃やすことにした。
ここで考えた。燃やしてしまえば、誰がトクをするのだろうか。
「歳末助け合い運動」へ寄付をすることにした。
7等賞(300円)の当たりくじの2枚も、ひと思いに寄付をした。
とんだ大騒ぎだったが、収まるところへ収まった。
大晦日の抽選会には、もはや興味がなくなった。よかった、よかった。
げに恐ろしきは女と金であった。
R沙とS代には、まだ説明していない。
もう宝くじは買わない。買うとしても、ハズレだけを買うことにしたい。
鳩山家なら、このような下品な揉め事にならないに違いない。
首相を勤める60代男が、
「ママからお金をもらっていたなんて知らなかった」、と言っている。
贈与税を納税しなければいけなかったことも、頓着していなかった。
そんなボクチャンに、日本丸の舵取りを任せていいのでしょうか。
別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いてます。
ご覧いただけると嬉しいです。
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ワタシはやる気もおきません…
ほらね、とうとうはんぶんこで収まらなくなっちゃって!
揉めて片付く先が寄付ですか。
まぁ当然の成り行きでしょうか~
先日、銀座へ行って宝くじ売り場を通りました。
そりゃもう!すごい行列!
劇場入口みたいに整理してましたね。
ひよどりさんを思い浮かべてましたよ♪
たかが3億くらいで騒ぐもんじゃありませんっ!
爪切りもしませんか。
それは普段から手入れが行き届いている証拠です。
私は自分で自分を引っ掻きそう。
そのほかのことも、数々とやっていますよ。
今日は「年忘れ散髪」をしました。
あそこの1番売り場が人気なのです。
私は「当たると困るので」、あそこでは買いません。
貧乏人のトクな点、それは3億円で気持ちよくなれます。
鳩ボクは、今、どんな気分でしょうか。
お金のありがたみ、分かったかしら。
小生昔、内緒の写真(女性との)見つけられて、長い冷却期間があったのを思い出してます。
どう考えたって、それは迂闊でしたね。
どんな意味合いの写真かは知りませんが、言い訳がしにくい証拠です。
大切そうに隠し持っていたら、なおさら言い逃れができません。
私、そんなドジは踏みませんよ。
年末ジャンボの当選くじを焼却処分されるとのこと。思いきった決意をなさいましたね。どのように転んでも、私はひよどりさんの方針を支持したいと思います。
日本銀行券(お札)の場合、仮に焼けたとしてどの位の損傷だったのか、が厳しく査定され、うまくいけば元のお札と交換してもらえるケースもあるようです。
すみません、余計なことを申しました。迷うことなく初志を貫いてくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。それでこそ、ひよどりさんは男の中の男、かっこいい、といつまでも語り継がれることでしょう。
焼却処分ではなくて、寄付をされることに方針転換されたのでしたね。早とちりで申し訳ありません。寄付に方針を転換されても、私はひよどりさんを支持します。
寄付された先方は大喜びだと思います。日々苦労の連続という状況の中で、突如3億円が転がり込んできたのですから。ところでこの寄付をくださった方はどなたか、と大騒ぎでしょうね。匿名の寄付行為は、本当に素晴らしいと思います。後世に確実に語り継がれることでしょうね。「あしながおじさん」の例えのように。
宝くじに当たらなくても、もし当たったら誰に、どのように分配しょうなんて、頭で遊ぶのも罪無く、楽しいこともありますね。
お女性とのやり取り楽しく読ませて戴きました。
私も30くらいの時、一億円当たったと仮定し、職場の10人ほどの女性に、メモ書きにて分配金を配った覚えがあります。
今でも鮮やかに覚えているということは、一億円が当たったらという夢を諦めきれない。潜在意識の奥底に根強く潜んでいるのでしょうね。
でもこういう遊びは、男通しではつまりません。
お恥ずかしい遊びにお付き合いくださり、まことに恐縮いたしております。
消却したのでは、誰のためにならず、空疎な結果となるので、「年末助け合い運動」へ寄付することにしました。
どこかの誰かのために、少しはお役に立てるだろうとの気持ちです。
こんなことで考えるほどヒマでもなかったのですが、笑ってしまいます。