昨夜は知人のお通夜でした。
私よりも二つか三つほど年下。とてもお人好しな男でした。
数年前までは、元気な姿で車の運転をしていました。
急に足が衰え、物言いにも物憂ささが見え始めました。
デイサービスに通うようになったと思っていたら、一年ほどで特養老人ホームへ。
衰え始めると、またたく間でした。
夕べは穏やかな表情で棺の中。
「寿命」という言葉を感じました。痛いほどの思いでした。
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
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寿命はその人によって違うところがミソですね。
そして、なかなか自分でも分からないところがいいですよ。
今日も目いっぱい自分らしく生きたいですね。
疲れたら休み、元気だったら冒険もする。
そうして、日々楽しみたいですね。
今年は例年より年賀欠礼の葉書が多く、そのほとんどが90歳以上でご長寿です。
今ここに在るいおのが命を大事に日々喜びながら暮らしたいものですね。
気持ちが萎えたなと見えたら、またたく間のことでした。
気持ちと健康とのかかわり、とてもありそうに思いましたが、どちらが先なのか、はっきりしませんね。
つまり、相関関係なのでしょう。
わが家に届く「喪中挨拶状」、確かに今年は多い感じがします。
ほとんどが、「親」や「兄、姉」で、80歳後半から90歳以上です。
しかし、今年の私が弔問したのは、6人でしたが、年上が2人、同級生が1人、3人は年下でした。
私の父は90歳になりましたが、この夏の暑さを耐えて、最近元気を取り戻しています。
以前書きましたが、昨年の秋は相当危険な状態でした。
神様はまだ暫く父を生かしてくださるようです。
父の生きたいという気持ちには、絵で自立を目指している私の息子(孫)のその姿を生きている内に見たい、その喜びを味わいたい、という夢がいつも心の中にあります。
何の趣味も無い父ですが、生きたいという原動力があるようです。
昨日のブログの件ですが、社民党が国の為に何をしてくれるのでしょうか。
寧ろ、何もしてくれない方が国益のような気がするのですが。
菅首相は日本の国益を全然わかっていないような気がします。
90歳にしてお元気とは、素晴らしい!
76歳で弱音を吐いている私は、恥ずかしいです。
絵描きさんを目指しているお孫さんへの期待が、張り合いになっているのでしょうね。
何のために生きるか、生きて何をするかが、エネルギーの源になるのだと思います。
社民党の件、まったく同感です。
投票する人がいるから、それなりの議席は持っていますが、決して大勢ではない。
その社民党と手を結ぶことが、民主党にとっての大儀に適うのかどうか、とても疑問に思います。
党利党略以外の何物でもないと思います。