一昨日は、久しぶりに、後輩のK君、Y君と呑んだ。
呑んだと言っても、今の私は日本酒を一合余り。彼らは、例によって、ガンガンやっている。
話題と言えば、いつもの通り、文武百般に及ぶ。
亡くなってしまった仲間(S君)のこと、ほかの仲間たちのこと。不思議なことに、あまり健康談議は出ない。健康について話すのは、老体の私だけだ。
やはり、政治のテイタラクについては、口々に不満が出る。特に、国家観のない政権の場当たり的な対応には、不満を越えて怒りに近い。
私にとって、このような酒が一番いい。無理強いされず、無視されず、時には強く反論し合い、時には意気投合する。とにかく、酒を呑まされないからいい。時にはブレーキをかけてくれるのだから、とてもありがたい。安心をして酒が呑める。
人生の価値観において、大きな違いがないことから、自ずと安堵感があるせいかもしれない。私からすれば、後輩という気安さはあるが、何よりも、気合が合うという点で安心なのだ。
わが家のカミさんに言わせれば、これは私の自己満足で、彼らは気を使っているのかもしれない。
「KさんやYさんは大人だから、うまく付き合ってくれているのよ」 これはカミさんの言葉だ。
確かにそんな面はあろうが、本当に嫌なら声がかかってこない筈だと思い、少しばかり安易に考えている私だ。
なにしろ、知人友人の中で、この二人の言葉が、私の耳にはもっとも堪える。それほど言いながら、一緒に酒を呑んでくれるのだから、できたら避けたいと思ってはいないのではないか。
違うかなァ。にわかに自信がなくなってきた。
そう言えば、気兼ねなく呑める仲間は、ほかにも幾人かいる。ここのところ、掛け違っていて、一緒に呑んでいない。一緒に歌でも唄いたいものだ、
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
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気が合うのは一番ですね。
何を言っても対立するようじゃあ緩んでいられませんし、適当に飲めて、たまには先輩を立ててくれて、時には、労わってくれたりして・・・・
それこそ、ほろ酔い気分だったのでしょうね。
言いたいことを言い合える、お酒の無理強いもしない、さりげない気配りのできる後輩、素敵な関係ですね。
お酒は楽しく呑めば百薬の長です。
仕事を離れれば、呑み友達も自ずと変化してきます。
接触がないのですから、当然のことで、決して不思議はないと思います。
それを越えた付き合いは、とても貴重なものに感じます。
もう我々には仕事上の繋がりはありませんので、多少、惰性的な面はあったとしても、打算が介在しておりません。
長幼の序的な気遣いはしてくれていますが、そのほかには遠慮なしです。
だから、カラクチの話も出ます。
気のある友人と、好きな話題を肴にしながら、適量の酒を呑んで楽しめる、充実した一時ですね。
ご自分の歩んでこられた人生の「答え」のように感じます。
後輩のお二人の優しさが感じられて、読ませていただいた私も、つい微笑んでしましました。
量は進まなくても、弾む会話があれば心地良い!
少しお付き合いの幅を広げても良いのでは?
無理の無い範囲で♪
差し向かいで、政談をご教授願えれば幸せな年の瀬になるでしょう!
お互いに飾る必要のない間柄なので、気を使い合いながら気を許している感じなのでしょうか。
私にはありがたい存在です。
今の私には、アルコールの自己抑制がつらいです。
注がれると飲んでしまう愚か者なのです。
注がない相手はありがたいです。