私ほどの年齢になると、他人様から年齢を聞かれません。年齢を聞いてくれるのは、役所か病院くらいです。
一見して高齢者なので、それで十分なのでしょう。
つまり、70歳であろうと80歳であろうと、情報として大きな違いはない。だから特別に聞く必要もない。とにかく、周囲の人にしてみれば、「高齢者」という一括りでいいのです。
一方の私にしてみても、70歳と思われようが80歳と見られようが、あまり頓着がありません。邪険にされるのは困りますが、特にいたわって欲しいとは思っておりません。
それでいて、のんびり余生を送っているつもりはない。他人様からどのように見られようと、私には余生の意識が希薄です。まだまだ現役のつもりなのです。笑ってください。
十分に衰えているくせに、生意気な話です。
こんな高齢者、ひょっとしたら邪魔者かもしれませんね。
しかし私としては、まだまだ余生ではない実人生を生きたいのです。
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
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潔いひよどりさんに敬服しています。
余生、すなわち今残っている人生と思えば強ち老人を意識することはないのですが、
越し方に比べればこの先短いのも確かでしょう。
私は自分らしく生きればそれで良いと思っています。
今恐れていることは人の迷惑になることです。
思い出したお話があります
私の母は享年92歳で亡くなりました随分前のことですが
その母は「50・60は鼻垂れ小僧 70・80で花が咲く」
とよく言っていました
私もその気でやっていこうと思っています
ここ福岡から「ほろ酔い気分」をのぞいてみると
いいえ
さすが!
花盛りに見えますよ
だいたい、余生らしいノンビリとした生活をしたくても、政治の世界はゴチャゴチャだし、経済的には余裕はないし、時間だけに余裕があっても、馬鹿なことばかりを思い浮かべてしまうし・・・・・
ということで、余生と言う文字は私の辞書にはありませんよう~
特別、余生を意識したたことはありませんが、明らかに歳老いていくのを実感する日々です。
残り時間を思うと、手当たり次第にできることをこなし、その日を納得させたいです。
現在の情勢では高齢者ものんびり余生などと言っていられない現状のように思います。
やっと76歳、ひと頃よりも足取りは遅くなりましたが、他人様に迷惑をかけずに、進めて行くつもりです。
やりたいことはヤマほどあるのですが、時間が足りなくて困っております。
「迷惑をかけたくない!」が、肝要な条件として加わりました。
「70・80で花が咲く」
さてどんな花でしょうか?
私も貪欲に、いろいろな花に挑戦しておりますよ。
それには健康ですね。
健康の維持を前提に、(恥を掻かないようにしながら)、挑戦を続けたいと思っております。
政治の世界には呆れてしまいますね。
菅内閣のほとんどについて、今の私は賛同できません。
柳田法務大臣が辞職しそうです。
これは当然としても、あのような男を選んだ選挙民もさることながら、大臣に任命した菅総理の責任はどうなるのでしょうか。
早く辞めて欲しいです。
あなたはずいぶん活発に行動されておりますね。
見事なことだと思っております。
私は思っていることの半分ほどしか動けないでおります。
これではいけないと思いながら、やはり時間がたりません。
口惜しいのですが、老化を認めざるをえません。
しかし、「老い」に甘えてはいけないとは思います。
こんばんは、余生なんて言わずに何時も現役と思って毎日を生きてください。
まづ頭の体操は一番肝心です、もっとも体が伴わないのも困りますが。
人のお世話係はもっとも効果的です、私は未だ病気は半分治っては居ますが お年寄りの福祉などの手続きを手伝っていますが 相手はお役所ですから頭の体操になります 洋の東西を問わずお役人は面倒な人種です。
私も幾つかの世話人をやっております。
しかし、tomiさんのようなご苦労の多いものではなさそうです。
もっとも私の場合、かえって皆さんのお手数を患わすことになってしまうかもしれません。