4年前の2011年3月11日午後1時46分、東日本に大地震が襲った。
さらに大津波が襲来し、被害が拡大。福島第一原子力発電所の外部電源喪失により、メルトダウン、水素爆発へと事態は暗転して行った。
テレビでは当時の映像を流してくれたが、涙を禁じえないシーンがしばしばあった。
現時点における死亡、行方不明の方は18,475人。約21万人の方が避難生活を送っているとのこと。ご苦労は察して余りある。
当日のその時、私は日比谷で映画を観ていた。「英国王のスピーチ」だった。地震によって、映画は上映中止となった。
もちろん、電車はストップ。有楽町駅前は人々で溢れていた。やむなく東京駅まで徒歩。
東京駅は足を奪われた人の群でごった返していた。多くの人が、誰かに貰った段ボールの上に腰を下ろしていた。
携帯電話は接続不能状態になっていた。
たまたまその日は、仲間との寄り合いの「はらわたの会」の日であった。
誰も来ていないことを承知の上で、会場の居酒屋へ行った。店は営業していなかった。
そこには仲間たちの姿はなく、当日の参加は私一人。今、密かに威張っているが、誰も褒めてくれない。きっと笑っているに違いない。
そこから私の「帰宅難民者」の一夜が始まった。
被災者の苦労は今も続いている様子だが、再建に向けて励んでいる姿に、心から敬意を表したい。反面、何もできない自分を責めている。
世の中は索漠とした状態だ。
ISのこと、ウクライナのこと。
国内で言えば、福島原発のこと。普天飛行場移転のこと。北朝鮮による拉致被害者のこと。アベノミクスの展望のこと。
川崎市少年殺人のこと。淡路島殺人のこと。その他にもまだまだ………。
それに引き替え、猫柳のなんとも悪戯っぽい風情。こころ癒やされる思いがします。
ささくれしこの世かなしも猫柳 ひよどり
どうなっちゃうのだろうと不安ですね。
子や孫たちには平和な時代を過ごされてやりたいですものね。
こちらは初めての大揺れで息子がいて早く家から出ろと言われ表に出たら近所の方たちが出てきて、年長の人がこの年で生まれて初めてと言われてました。主人とは連絡がなかなかつかず初めて伝言掲示板を利用したり主人から被害の少ない群馬の義姉に連絡を入れ義姉からこちらに連絡ががありホッとしたのを覚えています。この年も大きな事件もありましたね。 4年というのは長いのか短いのかまだまだ終わりそうもありませんね この句心を打ちます
鳩山由紀夫元首相のような人がいます。
ロシアを経由してクリミヤ半島へ行きました。
あんな人が国の立場をおとしめています。
困ったものです。
大変な災害でした。
私の同級生の幾人かは、津波被害にあった者もいます。
復興が遅れていると言われておりますが、
無理からぬこともあろうかと思います。
『災害用伝言ダイアル」を知らなかったので、
娘たちから、大目玉を食らいました。
恥ずかしい話です。