新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

季語が好き

2007年08月03日 17時28分11秒 | 身辺雑記

 私は俳句が好きだ。好きな理由は、はっきりしていない。好きな女がいたとして、「どこが好きか!」とか「なぜ好きか!」と迫られても、すっきり答えられないのと同じだ。理屈っぽく答えれば答えられなくもないが、「好きだ」という「心の実相」からは少し離れてしまいそうだ。
 私の「俳句好き」も、そのような感じである。
 好きなくせに、作句はしない。正直に言えば、作ってもロクな俳句にならない。私自身がよく知っている。謙虚さで言っているわけではない。結果が物語っているし、作句の苦悩には耐えられない。ブログを書いているほうが、よっぽど好きで楽しい。もちろん、才能の問題なのだろうが、好き嫌いの問題でもありそうだ。
「俳論」を読むのは好きだ。読んでいると、なぜかゆったりとした気分になる。好きな書物のひとつかもしれない。だだし、批評家の「俳論」や「評論」は読まない。難しいし、とにかく性に合わないのだ。「実作も出来ないくせに……」と思っているからではない。単に合わないだけなのだ。
「歳時記」は好きな書物だ。私は実作しないので、書物としてページをめくり、好きな「季語」を探したりしている。「季語」の季節感や、天空をも感じさせる連想力に、すっかり嵌っているのだ。
「去年今年」は、好きな「季語」のひとつである。大晦日が明けて新年を迎えることを言っているのだろうが、どちらかと言えば、無機質な言葉をつなげただけなのに、過ぎ去った旧年への諦念や、迎えた新年に対する希望を感じさせてくれる。ここのところ、私たち夫婦は、大晦日の夜、ゆっくりと紅白歌合戦を見たり、各地の除夜の鐘を聞いたりは出来なかった。孫の寝息を案じて息を潜めていたのだ。そんな一人ひとりの思いをひっくるめ、「去年今年」なのだろうと思う。
 そのほか、好きな「季語」を上げ始めたらきりがない。今もたくさんあるし、今後もどんどん増えていくと思う。
 私の乏しい能力では、「季語」を巧みに活用して俳句を作ることは無理だが、せめてカメラで、「季語」の持つ宇宙の一端を、写し撮れればと願っている。
 

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