写真は昨日撮影のはだれ雪。
天空は晴れ上がっていた。
久しぶりに、公園へ。少しばかり風があった。
隅のあたりには、まだ班雪(はだれゆき)が残っていた。
散歩している老人の姿が見られた。
残っている雪を撮っている私を、怪訝そうな顔をして眺めて過ぎた。
みなおしなべて重装備。中にはフードをしている人もいた。風が冷たかったのだ。
一昨日のこのブログで、「それぞれの言い分」という記事を書いた。
熟年離婚について、軽く触れるつもりだった。
幾人かの方に、しっかりとした重いコメントをいただいた。
私自身は、夫と妻の食い違いを、それなりに承知していたつもりだった。
コメントをいただいた限りにおいて、想定以上の食い違いに気づいた。
やはり、「以心伝心」ではダメなのだ。「眼は口ほどにものを言う」も通用しない。
「敷居を跨げば、男には七人の敵がいる」
その代わり、敷居の内側は温かい陣内。どうやらそれは完璧ではなかった。
「敵」とは言わないが、少なくとも、「言葉が要らない戦友」 と甘えてはいけなかった。
「戦友」や「同志」とて、言葉がなければ、意思の交換はできない。
問題点は二つ。
一つは、「男と言えども、外で戦うだけではダメ。内側にも気を使え!」。
もっと言えば、「敷居の内側でも、戦友とともに働け!」。
役割分担論は、夫側の論理だけらしい。
二つめは、「たとえ戦友でも、言葉を使わなければ、心は伝わり難い!」。
今ごろ知っても、遅いのかも知れないが……。
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
ご覧いただけると嬉しいです。
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「お父さんの背中の良い面を見て育った」
このように父親を見ている息子は、なかなかいないように思います。
お父さんに対するあなたの深い敬愛と気遣いを感じ、とても素晴らしいと思いました。
団塊の世代は、競争の中に身をさらしながら、企業戦士という概念に反発し、世間に対し屈折した見方をしている人もいたのかもしれません。
苦労が多い世代ではあったと思います。
私の父は市内にある大手造船所の現場で働いていました。造船の全盛時代で、帰宅は毎晩遅く、残業の日々でした。
家庭は食事と睡眠の為にあるような存在でした。
典型的な亭主関白で、母も苦労したと思います。
この所お互いが必要な存在だと分って来たようです。
私はそのような父を見て育ちましたが、自分ながら、父親の背中を良い面で見て育ったと思っています。
同級生を見ても、そのような人物が多いような気がします。
真面目な人間が多いです。
乱れてきたのは、団塊世代の私達の子供からです。
少々厳しいぐらいの方が人は健全に成長してゆくような気がします。
ありがたかったら、「ありがとう!」と言わなければ通用しないようです。
私もそのように思ってきました。
これからは照れくさくても、「ありがとう」も、「嬉しかったよ」とも言います。
「愛してるよ」は、なかなかねえ・・・。
「以心伝心」も、もはや通用しないようですね。
確かに、こんな言い分は男の一方的な論理かもしれません。
ぼたんさんの夫氏も言いませんでしたか。
私はこれから言いますよ。
言い分が、説得力不足と諦めが多かった、言葉を使っての伝え方に、モット努力せねばの感じを、持ちました。
確かに・・目は口ほどに~~も、駄目ですね。
やっぱり言いたいことは言わないと・・
大事なら大事・・と、ありがたいなら・・有難う・・と、
我が夫ちゃんも、なかなか言いませんでしたよ(あはは) 40年も一緒にいると、空気になっていますね(あはは)
よく分かりました。
もっとしっかり見れば良かったのでした。
ごめんなさい。
ご自分のコメントが消えていた、と驚かれたことと思います。
私のブログは10コメントずつの折り畳み式になっていますので、
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ご心配おかけ致しました。
仕事のことを言わないのは、「男の美学」と思っている面もあります。
「愚痴を言いたくない!」
ある面の見栄かもしれません。
「胸襟を開いて付き合え」などと、偉そうに言っていながら、自分はカミさんに、胸襟を開いていないかもしれません。
「言行不一致」です。
毎日家にいるようになったり、ブログを書いたりしていると、家庭のあり方や夫婦の関わり方が気になります。
本気になって考えたりします。
それらの多くは反省なのですが、「遅すぎることはない」と思っています。
男の私として、カミさんをケチョンパにする記事は欠けません。
一つの矜恃でしょうか。
「この家の大将」というよりは、初めのうちは、「この家の責任者だ」という意識が強いですね。
「何事も決めなければならない」という思いがあります。
しかし、そこまで肩に力を入れなくてよかったのです。
むしろ、邪魔な感覚だったかも知れません。
だから、少しは理解してほしいとは思います。
夫として感じていることは、「料理の勉強をしていれば良かったなあ」ということです。
仲間には、「料理が趣味」とか、「蕎麦打ちが大好き」というヤツがいます。
とても羨ましく思います。
もっとも、今からだっていいのでしょうが。
仕事の愚痴を言わないのが男の美学とされていますが、「どうせ、分かるまい」ではなく、「今こんな仕事をしている」と話してくれると、妻は嬉しいものです。
家庭でのわが夫の「平和主義」は、エネルギー消費を惜しんでいるのです。
私は喧嘩のエネルギーを惜しまずに、これからも闘いますよ。笑
夫婦の有りようを真摯に捉えて書かれているのは珍しいことです。
著述家などを除くと、話題にすることを避けたいのが、男性の心理かも…
年配の俳優が「奥さんに、愛してると言いますか?」と質問されて。
ギョッとした顔で「バカバカしい!」と答えていました。
おしなべて妥当な答えだなと思いました。
私は昨夕、大きな声で言いました。
「人(孫)を、自分の思い通りにさせようとしても無理ですよ。したいようにさせてやれば良いではないですか!」
それに対して、夫はひどく怒っていましたが、あとで考えたようです。
孫に、それ以上何も言いませんでした。
男は、知らず知らずのうちに、自分が「この家の大将」だというふうに考えてしまうようです。
なんとなく理解はできますが。
寂しい老後にならないために、今からでも遅くない。と言う気持ちで相手を思いやれるといいのですが。我が夫もあと1年ぐらいで毎日が休日になりそうです。そのためには様ざまな予想してみています。縁あってもつれあいですからね。