テレビやラジオがミサイル騒ぎだったころ、公園では家族連れで大賑わい。
(私はラジオを聴きながらの写真撮影)
花曇りで風もあった。
子供たちは春休み。そこへパパやママも休日となったので、大騒ぎは当たり前。
上の写真は、地面に垂れ下がるようにして咲いていたソメイヨシノ。風に揺れていた。
上は道端のタンポポ。春先のころとは違って、茎が少しは伸びてきている。
綿毛は、さらに首を伸ばしている。まだ飛ぶ準備は出来ていなかった。
何が起きていようと、庶民は元気。とくに子供は大はしゃぎだ。
そんな子供たちから、私は沢山の元気をもらっている。
この子供たちに、私たち大人は、どんな日本を残せばいいのだろうか。
国民の一人ひとり、しっかりと考えるべき時なのだ。
もはやいい加減は許されない。危険が目前にまできている!
GHQに洗脳されたままの日本では、野獣ばかりが跋扈する国際社会で、安穏には生き延びることはできない。
別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いております。
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日本の国民は賢いと思います。
このままではよくないと気づいています。
しかし行動には移れません。
それは当然です。
政治が察知して動けば動きそうなのに、政治は近視眼的な政策論議に終始します。
つまり、論点をズラします。
だからいつまで経っても元の木阿弥なのではないでしょうか。
いろいろなことで大きな曲がり角にきているように思います。
国民も気づいていますし、そのことを政治家もしっているでしょう。
しかし、政治的スケジュールは政局が中心です。
そのような時の政治家は、極めて目先の小乗的な動きをするように思います。
国民を見くびっていて、目先の論点で闘います。
国民のほうが先を歩いているように思います。
でも今まで考える訓練をしていません
出来るでしょうか?
今回のミサイルか
いや人工衛星か
まさか日本国はこのまま何とかなるだろうと・・・
相手の動きで眠ってしまう
そんな事ってあるかもしれない。。。そんな気がして
本当に子供には元気を貰います。
私の家の側に路地があるのですが、夕暮れになると数名の子供が賑やかに遊んでいます。
親達も一緒になって世間話をしています。
そういった光景を大切に出来ればと、いつも思います。
自然はいいですね。
その自然さえ、現代は怪しくなって来ています。
警鐘はいたる所にあるのですが。
政治も感性でしょうか。
そうですね、すこし妙な国民です。
惰眠を貪っているか、気づいても気づかないふり。
静かにしていれば嵐が過ぎ去る。
それまで黙っていよう!
しかし、その内大きな反動が生まれそうです。
いや、日本人には、もうそんな気概はないかなあ。
結局のところ、人間社会は善良ではないということでしょうか。
絶えず疑心暗鬼。
ウッカリしていると殺される、危害を加えられる。
つまり性善説が否定されているのかも知れませんね。
憲法改正 を総選挙の争点にするのはタイムリーだ、しかし与野党にその度胸が見えそうに無いのは情けない。
子供たち、孫たちの時代には、世界中が笑いの波が続くように祈らずにはいられません。