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新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

嫌老はゴメンじゃ!

2015年11月09日 13時54分48秒 | 身辺雑記

 

 五木寛之著の「嫌老社会を超えて」を読みました。

 五木寛之氏らしい捉えかたですが、読後に妙な戸惑い感が残りました。

 氏の曰く。

 「戦後七十年を生きてきて、今まであまり感じたことがなかった、ちょっとした、しかし拭いがたい、社会に対する『違和感』のようなもの」

 を感じたという書き出しでした。

 そんなある日、「嫌老」という言葉が彼の脳裏に浮かび、「居心地の悪さ」は「嫌老」だったのだと気付いたのです。

 つまり、まだ表面に出てはいないが、この社会の意識の底に「嫌老意識」が息づいていることに気付かされたのでしょう。

 この本には、高齢者として対処策が書かれてありました。

 かねてから私も感じておりました。

 たとえば電車やバスの中、「敬老席」でスマホを弄っている若者を見かけます。

 以前は、「マナーの悪い若者」とだけ思っていたのですが、この頃は少し違う印象を抱いております。

 単なるマナー知らずの若者もいるでしょうが、「老人の特権は認めないぞ!」という確信的な態度を感じることがあります。

 そのような若者たちに、高齢者に対する「社会や世間の底意」を感じます。

 どこの社会においても、どのような世代においても)老人を疎ましく思う気持ちはあると思います。それは仕方がないことでしょう。

 そのような事態に対し、「オレたちだってやってきたのだ」と言ってうそぶくことは当を得ておりません。

 バブル崩壊以降に不景気が追い打ちをかけ、いまだに回復してはいない国や社会の現状があります。

 ましてや少子高齢化が急速に進展しつつあるのです。

 私たちの世代は10人弱で先輩世代を支えていましたが、これからは僅かな人たちで高齢者を支えることになります。

 今後さらにその傾向が進展します。

 高齢者を疎ましく思うのは避けられないことでしょう。

 そんな風潮に「嫌老」という名前を付け、危機意識を煽ることにこそ私は「違和感」を感じます。

 しかも五木氏は、「高齢者は単なる世代ではなく『階級』となった」とまで書いているのです。

 まるで世代間離反や世代間闘争を煽っているように聞こえます。

 そのような事態を招かないためとして、氏は高齢者の自立を説いています。言葉だけで言えば異論はありません。しかし、「余分な年金は返納すればよい」という話になると、言葉だけで遊んでいる感じがするのです。

 また、「二つ目」として、「選挙権の委譲」を提案していました。つまり、「高齢者の側は選挙権を後の世代に『譲る』度量を持つべきだ」とまで書いています。

 高齢者の「度量」によって、「選挙権の委譲」をなすべきではないかということなのでしょうか。

 このあたりになると、情緒的になっていて論理はメチャクチャです。選挙権は権利でもあり義務でもあります。

 いずれにしても、「老人階級」という言い方をしながら「嫌老意識」を煽ることは、知恵ある老人の言葉とは思えません。

 私も老人が疎まれていることは分かります。壮年、青年、若年層の苦労や不安や苛立たしさも理解出来ます。

 だからと言って、「年金を返納しろ」、「運転免許証を返納しろ」、「選挙権を委譲しろ」と言い立てながら、「嫌老」意識を煽り立てるのは一部「恵まれた特権的老人」のキレイゴトとしか聞こえません。 

 若者と高齢者が融和し補完し合いながら、国を前進させるには如何になすべきか。

 難しい命題です。

 「嫌老」という言葉が、死語となることを願っています。

 (写真は2009年11月16日撮影の毒キノコ)

 老人を毒キノコと擬えてアップしたつもりではありません。

 

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存念のありか

2015年11月05日 13時14分36秒 | 身辺雑記

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 烏瓜の実が好きだ。食べられるとは思っていない。

 なぜ好きなのだろうか。 

 烏瓜の花は苦手だ。繊細と言えばそうなのだが、妙な煙幕を張っていてスキがない。狂わされそうで恐ろしい。

 夜に咲いて、明け方は萎んでしまのだそうだ。

   からす瓜花はけむりとなりにけり    文挟夫佐恵

   烏瓜咲いて隠れ家めきしかな      野崎ゆり香

 烏瓜の花の季語は夏。

 詠まれた俳句にも、独特な雰囲気が感じられる。 

 その点、烏瓜の実はスキだらけ。開けっぴろげの形でぶら下がっている。こちらを騙す気配はサラサラない。

 だから好きなのかもしれない。

 そのように思っているのは、私だけなのだろうか。

 毎年の秋、私はぶら下がっている烏瓜を探している。

 山や林にいかなくても、ソンジョソコラでぶら下がっているからありがたい。

 写真の烏瓜がぶら下がっていたのは、数メートルほどの用水の向こう岸。だからいくら懐かしがっても、近寄って撮すことはできない。

 望遠レンズで撮った一枚だ。バランス悪くぶら下がっていたが、差別せずに出来るだけ多くの実を仲間に入れてパチリ。

   余念なくぶらさがるなり烏瓜    夏目漱石

   烏瓜去年の記憶のまま垂れて  神子月女

 年齢を重ねてくれば、自ずと意欲は萎えてくる。果たしてそれは老成なのか諦めなのか?

 いや、老成とは諦めることなのかもしれない。

 主義主張や意見に強くこだわらず、それなりに自分を納得させることが出来るようになちゃった!

 言い替えれば、ほとんどの場合、もともとどちらでもよかったのかもしれません。

 烏瓜は秋の季語。

   存念の萎へしこの頃からすうり   ひよどり 一平

 

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反省はサルでもできる

2015年11月03日 14時05分43秒 | 身辺雑記

 昨日、市ヶ谷において、会社OB会が開かれた。

 朝から氷雨が降っていたが、招待者を含め100名余の参加者があった。例年より幾分多かった。

 型どおりの総会次第が済み、さっそく懇親会。ほとんどが一年ぶりの再会だったため、会場には歓談の輪が沢山出来た。

 本来は節酒すべき私だったにもかかわらず、ややオーバー気味だったか?

 どんな会でもそうなのだが、OB達が集まると、自ずと健康にからむ話題が多い。

 まァ待てよ、私が病気がちであることを知っているので、そんな話題になってしまったのだろうか。大いに反省すべきこと。

 OB会の行事としては、年に一回の総会・懇親会のほか、自然発生的なゴルフコンペを行っていた。

 充実したOB生活を過ごすため、他の行事も考えたらどうかというハナシが出ている。

 実現可能であれば、いろいろと試行してみることも一考かもしれない。

 このOB会総会をもって、私は会長を退任した。何もできない会長であった。大いに反省している次第。

 反省ならサルでも出来ると言われそうだナ。

 

 

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よろよろしながらしっかりと!

2015年10月29日 20時14分59秒 | 身辺雑記

 平成19年(2007年)9月、ブログ「ほろ酔い気分」を書籍として出版した。ブログをスタートしてからほぼ9ヶ月分をまとめたものだ。

 「ほろ酔い気分」の序文には、ブログを始めた動機として、「身辺雑記をブログに書いて、知人に読んでもらおう」ということだった。

 今にして思えば、「読んでもらおう」という気持ちが、ギラギラあったわけではなかったように思う。

 ただひたすら発散したかったのではなかろうか。

 平成16,7年のころ、私は公私ともに大きな変化の波の中にあった。

 会社人間だった私は、そのころに第一線を退いた。年齢相応の順当な引退だったと思っている。

 長男の家に初孫が生まれた。大きな喜びだった。

 が、1才未満の孫を残して、孫の母親が急逝した。息子と孫が私たちの家で暮らすようになった。

 さらに加えて、娘が我が家で「里帰り出産」をした。

 能力に乏しい老夫婦としては、精一杯の頑張りをしなければならなかった。

 癌をはじめとして幾つかの病気をしたが、その時のストレスが原因だったとは思っていない。もともと私は病気に好かれていたのだ。

 その後、息子たち父子、娘たち母子は、自分たちの生活に戻り、老夫婦の出番はほとんどなくなった。

 私の胸に大きな穴が開いた。

 ブログを始めたのはその頃だった。

 「誰かに読んでもらおう」という気持ちより、自分を鎮めるための手段だったように思えなくもない。

 ブログを書き始めてから、すでに8,9年ほど経過した。

 書き始めたころの気分は薄れて、今は惰性的に書いている面がありそうだ。

 「ほろ酔い気分」を「新・ほろ酔い気分」とタイトルを変更したのだが、進化出来ずにウダウダ続けている。

 記事にコメントをいただくほか、電話やメールで感想を頂くこともある。とてもありがたいことと感謝している。

 81歳ともなれば、惰性で生きている面がないでもない。

 しかしそれは世間様に申し訳ないことであり、ヨロヨロな足腰であるとしても、しっかり生きて行かなければなるまい。

 ブログについても同じ。

 今後ともよろしくお付き合いをお願いします。

 写真はブログを書籍化した時の表紙。

 

 

 

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一目散に菅沼へ

2015年10月23日 19時57分20秒 | 身辺雑記

 過日は奥日光を通過し、金精峠を抜け、片品村の菅沼へ。

 私は菅沼、丸沼付近が大好きだ。なかでも、これから12月までの荒涼たる風情がたまらない。

 金精峠は12月から翌年の4月いっぱいは通行止め。

 以前、4月下旬の頃菅沼、丸沼へ行ったが、私の趣味には合わなかった。何とも人間臭くてイヤだった。

 その点、今の季節はスッキリしていて心が落ち着ける。

 とても静かだ。人間を突き放している感じはないが、無関心で媚びていない。

 「居たければ居てもいいよ」

 そんな感じかなァ。

 私を受け入れてくれていながら、突き放した感じでニコリともしないのだ。それでいてトコトン拒否しているわけではない。

 そんな風情に惹かれ、私は毎年の晩秋を狙って菅沼へ。

 しかし、此処に長居はしない。日光を通って東北道を帰らなければならないからだ。170キロ以上の運転が待っている。

 

 せっかく来たのだが、俳句は一句もできなかった。

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