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新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

榛名神社へ(群馬紅葉行2)

2015年11月18日 06時25分17秒 | 身辺雑記

  

 明園の紅葉で気分がよくなり、榛名まで足を伸ばそうと気合いを入れた。

 榛名の紅葉の時期は終わったとは思いながらも、神社詣りはしたかった。

 榛名の様子は、やはり、明らかに下のほうとは違っていた。

 折悪しく空模様も悪くなっていて、榛名山に雲がかかりそうな気配。

 さっそく榛名神社に登ることにした。

 参拝者は多いというほどではなく、しかし、淋しいと言うほどの客足ではなかった。さすがに榛名神社だ。 

 十年ほど前に登っていたので、軽い気分で参道を歩き始めた。

 ところがところが、カメラ、レンズ、三脚を持参していることもあって、足にはかなりの負担。

 まさか途中で音を上げることも出来ず、ついには登ってしまった。

 確かに紅葉の時期は過ぎていた。神に手を合わせることのみを目的として、ひたすら歩いた。

 

 奥の神殿近くで撮った一枚。わずかに紅葉の面影が残っていた。

 11月13日のこのブログにアップした紅葉は、2006年11月6日撮影のもの。今回の榛名行きは10日ほど遅かったので、ダメモトの榛名だった。

 と、まあ言ってしまえばそれまでだが、神社に手を合わせることが出来たのだから、それを以てよしとしたい。

 前回から9年後のお詣りとなったのだ。あの頃は9歳若かったし、同行者数人ということもあり、勢いがあったのだろうか。

 当時の写真を見ても、草臥れた記憶は甦ってこない。

 今年の紅葉は、まだまだ終わっていない。平地ではこれから見頃がやってくる。諦めずに追っかけてやろうと思う。

 今日は朝から雨っぽい。

 朝から外出の予定。

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紅葉は心を鎮めるのか?(群馬紅葉行1)

2015年11月17日 11時39分46秒 | 身辺雑記

 昨日、久しぶりに高崎市へ行った。紅葉撮影が主な目的だった。

 まずは観音山へ。久しぶりに観音様の慈顔を拝見できたが、見るべきほどの紅葉はなかった。

 次は洞窟観音へ廻った。

 人力で掘削された約400メートルの地中観音霊場とのこと。

 高崎田町の呉服商として財をなした故山田徳蔵氏が、大正8年から80歳で生涯を閉じる昭和39年に到るまで、私財を投じて作られたものらしい。

 時間をかけて参拝し、当時の状況などについて勉強をすべきだったのだが、太陽光線の行方が気になり、洞窟観音と同時に築造された明園の紅葉撮影に向かった。

 まことに不信心なこと。観音様は次回にゆっくり参拝することにしたい。

 明園はさほど広くない庭園だが、四季それぞれで楽しめそうな感じ。とにかく今は、紅葉が見事だった。

 しかも、太陽の光がほどよく廻ってくれたので、撮影を十分に楽しむことができた。 

 降り積もった紅葉落葉にも風情があった。

 立ち入り禁止を設けて管理してあり、私のような撮影目的の者にとって、踏まれていない落葉はまことにありがたい。、

 是非とも榛名神社へ行きたい思いがあったので、そこそこに引き上げた。

 それだけにまだまだ心残り。近いうちにもう一度来たいと思っている。

 満開の桜は身を狂わす感じがする。

 その点、見頃の紅葉は、来し方をしみじみ思わされてしまうかもしれない。

 桜は心を昂奮させ、紅葉は心を鎮めるのだろうか。

 榛名神社と榛名湖は明日。

 

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楽しいいっとき

2015年11月15日 15時45分33秒 | 身辺雑記

 昼ごろ、近所の子供に頼まれ、「児童まつり」とやらに行ってきました。保育園に通う子供と保護者たちが催す行事です。

 会場は小さな神社の境内。

 今朝まで降っていた雨は上がりました。しかし、地面はかなりぬかるんでいました。

 「まつり」と言っても、カレーライス、焼きそば、コーヒー、ジュースなどを売る店とゲームをする店があった程度です。

 しかし、子供たちが張り切って勧誘するので、うるさいこと、うるさいこと。子供たちのエンジンは満開でした。

 楽しいいっときでした。

 

 

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裏側を見るな見せるな?

2015年11月13日 19時50分29秒 | 身辺雑記

 写真は2004年11月6日、群馬県榛名神社で撮影した紅葉。

 私は間の悪い人間らしく、このような紅葉にはなかなか逢えないでいる。

 この日、まさか紅葉が撮れるとは思わず、元職場の仲間達との小旅行に参加した。撮影の心づもりはなかった。

 行ってみてビックリ。喜んで撮影した一枚だ。

 見事な紅葉だった。

 しかし残念ながら、これは紅葉の楽屋裏。幹のほうから撮っているので、ぶら下がっている枯れ枝が見えてしまった。

 外側から撮ろうとしても、そちらは崖っぷちで不可能だ。つまり、やむを得ない一枚ではあった。

 謂わば「玉に疵」だったのだが、こんなことはよくあるハナシ。

 「どんなに美しいものでも、裏側の実態はこんなもの」とか、「人には裏側を見せてはいけないよ」とかの教訓にでもなりそう。

 果たしてどちらなのでしょうか。

 さはさりながら、紅葉の真の魅力は幹側なのでしょうね。

 たとえ意に染まない実態であっても、見て理解することは必要だし、理解を求めることも必要。

 人間は神や仏ではありません。「裏側を見るな見せるな」は過ちです。

 すでに紅葉は平地の方にどんどん降りてきている。私はまだ諦めてはいない。

 天候の問題もあるが、来週はチャンスかもしれないと思い、手ぐすねを引いている。

 

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痩せぎすタイプとふっくら型

2015年11月13日 12時32分54秒 | 身辺雑記

 アタシの名前はノラで、性別は雌。

 生まれてそれと気付いた時から、母猫の姿は見ていない。だから本当の名前は知らない。

 夏目漱石の「吾輩は猫である」のように、「吾輩は猫である。名前はまだ無い」のほうが、当を得ているかもしれないわね。

 近所の悪ジャリ共が、アタシを「ノラ」、「ノラ」と言って追い廻すので、アタシも「ノラ」という名前でもいいかなと思っている。

 アタシは主体性が乏しい。だって主体性だけでは食にありつけないから。

 名前なんかどうでもよく、アタシにとって大事なことは、「食う寝るところ、住むところ」なの。

 今日はアタシが尊敬している「ミケ兄ィ」から聞いたことで、「ミケ兄ィ」のご主人が困っているらしいハナシ。

 「ミケ兄ィ」は8月12日の「新・ほろ酔い気分」で、ご主人が大切に思っているタカコさんのことを書いたんだって。

 その記事の中で、

 「タカ子さんは痩せぎすで、フミエさんはふっくら型。共に顔立ちが良く、元美人」

 と、そんな表現をしたらしい。

 ところがタカ子さんは、「ふっくら型」に対する「痩せぎす」の表現に大いなる不満を抱いたらしい。

 言われてみればその通りで、広辞苑によれば、「痩せぎす」 は、「体がやせて骨張ってみえること」となっており、一方の「ふっくら」については、「柔らかそうにふくれたさま」で、ふくれの状態については曖昧。

 となれば、「体がやせて骨張って見える」よりは、「やわらかそうにふくれたさま」のほうが、「食欲」をそそりそうよねェ~。

 人によるかも知れないけれど、特に歯の悪い年寄りには、堅いカリントウより柔らかいメロンパンのほうがいいかも。

 女性の身としては、どのように見られているかという問題なのだから、「骨張った」より「やわらかそう」と見られたいわね。

 野良猫とは言え私も女性の身、タカ子さんの言い分のほうに軍配を上げたい。

 そんなこともあって、今、「ミケ兄ィ」のご主人とタカ子さんの間に初冬の風が吹いているとのこと。

 ワタシから言わせてもらえば、そんな瑣末な言葉の問題だけなのかしら………?

 生意気な子猫と言われるかなァ~

 

 

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